2014年7月8日火曜日

原始の植物

しばらく、ご見学の方が続いていた。
この場所を必要とされている方々は、
現在アトリエのメンバー以外に沢山の人がいるのだ、と実感する。
今、社会の中でどんなアプローチが必要なのか、
僕達に与えられた責任を考える。

様々な世界があるいは、あまり使いたくない言葉だが業界がある。
前にも書いたが業界と一般の人達とのズレは大きい。
一般の人達の感じ方が実は大事だ。
業界の常識とはそこに生きる人達の損得勘定で作られて来たものだから、
少しづつ社会からズレて行く。
何も話題になっている政治や学会の話ばかりではない。
どんなジャンルであれ業界には業界にしか通用しない理屈があって、
本当に社会に必要なことが出来にくくなっている。

業界で評判が悪かったものが、一般には反響が高かったり、
業界で高い評価を得たものが、一般には何の反響も呼ばないことは良くある。
何故か。
業界に社会がない、社会性がないからだ。

このことはまたいつか考えよう。

そんなことより、アトリエも一般の人達、社会へ向けてしっかり発信したい。

そうしなければ、いつまで経っても限られた人達が、
言い方は悪いが、傷跡をなめ合っているうちに終わってしまう。
まっさらな人達に何かを感じてもらう、興味を示してもらう、
更に言えば、何か凄いものがあるぞ、と感じてもらう、
それが広がって行ったとき、始めて社会の中での彼らの文化が守られる。

台風の影響でよしことゆうたが心配だ。
台風が近づくと本当にひやひやする。

しばらく、お会いする人との関係でもあるが、深めの話題になることが多かった。
かなり深いものを出していると、不思議に触れている現実も違って来る。

そんな中で、絵とタイトルの話とか、筋とかストーリーのことを話していた。
作品におけるタイトルは拘ると逆に絵の邪魔をして見えなくする場合もある。
また、絵を描いているとき、彼らはとっかかりとして、ストーリーや、
具体物を出して来るが、それは最初の導入であって、
どんどん絵に入って行って、感覚が反応しだしてからは、
色と線と戯れ、もっと言葉にならない世界に行っていることは確かだ。
ダイレクトに感覚の世界に入ってる作家、たとえばしんじ君の絵を見たりすると、
本質が分かり易いが、みんなそれぞれがそのような表現が根本にあって、
付随するものとして言葉や具体物や物語が出て来る。
そのとっかかりばかり見ていては本質は見えて来ない。

というような話題にもなった。
そして制作の場に入って、かずき君が仕上げた作品が答えてくれた。
タイトルは違うものになったが、
テーマは最初の植物でまだ色んなものが分かれる前、
全てが繋がっていた頃の植物だという。
あまりにも僕がテーマで語っていることに近いが、
これは彼自身がはっきりとそう言ったのだ。
こうなって来ると、タイトルも描かれた作品も同じものをはっきり示すケースだ。

それにしても、全てが渾然一体と化して動いているその美しい一枚は、
様々なことを象徴していて、僕自身、本当に良いイメージをもらったと思う。
このイメージでまた場へのアプローチが一つ増えるし、動きも変わる。
前に書いた繋がるカギのようなものだ。

いつか、作品もご覧いただければ、と思います。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。