2014年4月30日水曜日

物事にも人生にも世界にも核や芯と言うものがある。
上っ面の浅い部分でうろちょろしていたいという常もあるが。

表面でのあれはああだとか、これはこうだとか、
良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、本当のところ、
そんなことは大したことではない。

もっともっと深いところ。芯の部分を見て行きたいし、触れて行きたい。

人にも、人の心にも芯となる部分がある。

作家達が制作すること、僕達が場を整えることは、
すべてこの芯へ向かって行くことだ。

人間の芯に辿り着いた時、同時にそれが自分の芯であり、
この世界の芯であることに気がつく。

始めからそれ以外に何もなかったのだと。
僕達の居る場所にはあなたと私なんてない。
これとあれとか、あっちとこっちとか、右も左も上も下も。
何にもない。
ただ得体の知れない気配だけがある。

何処でもない場所へ向かって進んで行く。

目的がある訳ではなく、
むしろ進んで行くことは元へ返って行くことなのだと思う。

2014年4月29日火曜日

作品

制作の場では日々、作品が生まれ続けている。
途切れることがない。

彼らの素晴らしさは作品にすべて現れている。
作品を見て頂ければ分かる。

作品に現れるような彼らの芯の部分は、
他の状況や何によっても見ることが出来ない。
知ることが出来ない。
だから、作品の世界が途轍もなく大切になって来る。

極端な話、作品に触れずに彼らを知ることは出来ないと思っている。

それくらい、自由になるし、それくらい本質が現れる。
そして、それくらい他の時間とは別次元の凄みが出て来る。

何故、そうなのかは謎だ。

作品は見て、感じてもらうしかない。
経験してもらうしかない。

一番核心にあるものについては語れない。

僕が伝えているのは周辺にあるものや、とっかかりにすぎない。

作品がすべてと言ったからといって、
それは単に美術とか芸術の話ではない。
芸術至上主義とも何の関係もない。

もっと生命の根源に触れる何かが、その作品の中にある。

解釈を捨て、考えを捨て、純粋に見て、感じて、経験してみて欲しい。

そこにはこの世界がどんなものであるかが、
私達がどのような存在であり、宇宙や生命がどのようにあるのかさえ、
描かれていると思う。
それぞれの色彩は他のものと混ざり合い、戯れている。
何処までも動き続け、重なり、流れて行く。
何の限界もなく、自由で、始まりも終わりもない。
何処にも留まらない。何処にも区切りも境界もない。
流れ流れ、遊び、笑う、スピード、リズム、間。
言葉にすることも、解釈することも出来ない。
ただ感じることだけが可能だ。
そのようにすべてがある。

少なくともそこに何かがあるのを感じてみて欲しい。

2014年4月28日月曜日

みんな

土、日曜クラスは今年最初の撮影が入った。

昨日は久しぶりにモロちゃんが来てくれた。
こういう時間が一番嬉しい。
社会での仕事を経験して大人になって、
また関わってくれようとしてくれている。

これからはみんなの力が必要。

みんなありがとう。

アトリエに来てくれた人達がいつまでも、何らかの繋がりを持って、
時には集まったり、大事な時には手伝ってくれたりする。

素晴らしい。

本当に素直に自分を見た時、弱い人間にすぎないと思う。
こうして支えてくれる仲間がいてこその仕事だ。
だからどんなことがあっても進んで行く。

2014年4月27日日曜日

太陽

天候と共に昨日は良い時間になった。
絵に関してはもう一歩踏み込みたかった。
場はかなり深く入っていた。

今月はずいぶん人に会った。

まだいくつか打ち合わせがある。

みりちゃんの作品が出来た時、
本当に世界全体がみりちゃんの絵のようになる。
やさしい色に溢れかえって、それはどこまでも続いていく。
ほとばしる光と光。きれい。
こんな風に見えないのは自分の目が曇っているからで、
本当はこっちが正解という気がする。

それがどんなものであれ、目の前のものを直視していたい。
こんなに素晴らしいものが見えるときもある。

小さい頃、太陽の光がきれいで、ずっと見ていた。
目がつぶれるからやめなと大人に言われた。
もっともっと見るためなら、目がつぶれるくらいかまわないと思った。

そういう感覚は変わらないものだ。

2014年4月26日土曜日

静かな音楽

素晴らしい朝。そして朝日。

今日は土曜日のクラス。
場と言うものを自覚しだしてから20年近く経つが、
不思議に今でも特別な感覚が持続している。
いつでもそれは特別な時間だ。

場においては、一度、あるものを全て浮かび上がらせ、
その中から本質を探し出す。
この作業は場に入る人間全員で行われる。
作家もスタッフも一緒になって。

良い場とは本質が現れているということだ。
良い場になって来ると、身体が軽くなって来る。
そしてやがて身体の感覚が無くなっていく。
消えていきそうになる。
何度か書いている、途轍もなく懐かしい感じや、
夢や幻のような感覚も、深い部分に触れつつある時に生まれる。

柔らかく芯に触れていく。

最近、手嶌葵の3枚目のアルバムをずっと聴いている。
映画の音楽を集めたもので有名な曲ばっかり。
こういうのをやるとチープになってしまうのに、これは全くならない。
手嶌葵はこれしか聴いていないから分からないけれど、
おそらくこれは彼女らしさ全開の作品では無いだろう。
個性的に歌わないからこそ良さが出ている。
当たり前に曲の良さが響いてくる。
あまりに美しく透明な世界。そして何処までも儚いさみしさが漂う。
本当に静かできれい。今はこういう音楽を聴いていたい。

もう50回は聴いているのではないだろうか。
勿論、何かをしながらだけれど。

2014年4月25日金曜日

青空

暖かくて、気持ち良いですね。
光もきれい。春ですね。

絵の具の色のりも良くなってくる。

制作の場は冬よりも、暖かくなって来ると流れが出て来る。
流れがある方が動き易くはあるけれど、何事も善し悪しは半々くらいだ。
冬は閉じている分、内面に深く入れるし注意力も強くなる。

流れは重要だけれど、流れていれば良いと言うものではない。
流れ過ぎてスッキリしてしまって、そのまま時間が過ぎていくこともある。

そこは人生と同じで、ストレスが無ければ幸せとは限らない。

気持ち良く生きているけれど、深みには全く触れることなく終わってしまったり。

とはいえ、この時期は幸せをかみしめたい。

LINEのテーマソング「あいうえおんがく」もいい曲。
この曲はあきこさんの子供達に教えてもらった。
これも時々、聴いている。
原曲も良いのだけど、
僕は記憶の中のなお君とあゆむ君の歌うこの曲が好き。
カモンカナガワンと一緒で、やさしくてせつなくて元気で無邪気。

珈琲の味も変わって来る。




2014年4月23日水曜日

プレイヤー

何でも高くなってしまいましたね。

気がつくと文庫本が700円もする。

千羽鶴が禁止されたり、不穏な空気が漂っている。

これから増々ひどい時代になっていくことは目に見えている。

どこまで行けるのか。何が出来るのか。
わからないけれど、勝負していく。
誰もが自分に与えられた時間の中で、与えられた役割を全うする。

誰かが言った言葉や、誰かが作った世界を、
死ぬまで受け身でいることも出来る。
そういう生き方が普通であったりする。

でも、それは違うと確信しているし、僕はそうしない。

僕が付き合って来た人達の中には、
もっともっと豊かなものや世界が潜んでいる。

更に進んで行くこと。もっと探していくこと。
より深く、より高く。
歩みをやめないこと。

プレイヤーとして生きるのか、外からヤジを飛ばすだけの人生を選ぶのか。
プレイヤーとして生きることを選んだなら、
言い訳している暇はないし、休息もない。

必死になって真実をみんなと創っていく。

外で決して参戦しない人達が笑っている。
そっとしておこう。そうしている間に時間は過ぎ、彼らの人生は終わっていく。
プレイしようとしない人達に誰も充実感をあげることは出来ない。

僕達は生まれて来て、そして限りある命を大切に使わなければならない。

2014年4月22日火曜日

歩く

やっと晴れた。

平日のクラスもイサと一緒にみんな元気いっぱい。

やさしさ、面白さと凄さを自然に感じさせる人達。

東京のアトリエは都会の騒々しさの中にも、
こんな空間が存在しているという貴重な場所。
希望の場だと考えている。

これからもずっとみんなと、守って育てて行かなければならない。

リズムをつかむこと、リズムにのることが、
あらゆる行為において、とてもとても大切だと思う。

僕は歩く時間を大事にしている。
歩く。ただ歩く。
歩くことでリズムにのる。

最近、ビルケンシュトックを履く。
いつの間にか履かなくなってしばらく眠らせていたのだけど。
僕の周りでは履いてみたけど合わなかったという人も多くて、
靴は人それぞれなのだと思う。
それにしても良かったと言っている人が少ないのは不思議。
僕の周りだけだろうか。

僕はやっぱり好きだ。
歩いているだけで気持ち良い。自然にバランスがとれるし。

外での仕事が多かったので、昨日、今日と来客が入っていて、
アトリエに居られるのが嬉しい。

2014年4月21日月曜日

しょう君

作家達はダイレクトに深い部分に入っていく。
普通なら多くのプロセスを経ていくところを、ぱっと瞬間に触れていく。

そんな彼らでさえ、更なる深みへと、更なる高みへと進む時には、
恐れも躊躇もある。
軽く逃げてみたり、誤摩化してみたり。

一緒にその場面に立ち会うスタッフは女房役のようなもの。
相手の性質や強さや弱さを知っていて、共にしていなければ出来ない。
おだてたりなだめたり、時に尻を叩いたり。
そして、良い仕事をしてもらう。
この場合、良い作品が結果として生まれて来る。

色んなタイプの作家がいる。
根底の部分では共通する部分の方が多いが、
表面に現れるスタイルは一人一人異なっている。

しんじ君やゆうすけ君は代表的な形を持っている。
いつでも真っすぐ、逃げも隠れもせず、突き進んでいく。
力強く純粋だ。
見ていてほれぼれするが、一方でしょう君のような在り方も素晴らしい。
自分から逃げ回る時もあり、誤摩化したりもある。
ぶつぶつ、ぶつぶつ言って、いつになったら本気になるだろう、
と思いながらも見ていると、最後の最後に凄いところを見せて来る。
あきれているとはっとさせて来たり。
こちらは惚れ直すというやつだ。

僕自身も、だらしないし、しょうもない人間だけど、
大事なところでは凄みが出る位の仕事をしていけるようになりたい。


2014年4月20日日曜日

カモンカナガワン

久しぶりに絵のクラスを見ている。
楽しくて、楽しくて。

みんな凄いなあと思う。

すぐに美を生み出せるし、笑いも生み出す。
やっぱり制作の場がすべて。
ここに全部あります。
もうあんまり説明はしないけれど。

カモンカナガワンという曲が好きだ。
ゆうたが入院していた時、外にも出られないで、
気分転換に時々テレビを見た。
朝の番組でこの曲が流れるとゆうたは喜んだ。

一人のときに携帯で検索して動画を見ていた。

昨日は真心ブラザーズの他の曲も聴いてみたけど、良いなあ。
こういうのをあんまり好きにならないようにしてきたけど、
この際、そういう意味の無いこだわりは捨てていこうと最近思う。


2014年4月19日土曜日

人間

三重と東京の行き来が続くので、
東京に居る間のスケジュールがどんどん埋まっていく。

たくさんの方にお会いする。
アトリエを訪れる方も多い。

この場に惹かれて来る方々。

ここに何があるのか。

ダウン症の人達の持つ感性をずっと考えて来た。
彼らが自由に感性を動かせる場を創って来た。

ここへ来ると彼らの本来の姿に接することが出来る。

そこに何かがある。

夏の展覧会のテーマは「楽園としての芸術」。

こころの奥深くに美と調和と平和がある。

作家達が示しているのは、本当の在り方、本当の生き方だ。

落ち着いて、静けさを取り戻し、感覚を研ぎ澄ます。
元へ戻っていくような感覚。

ここには人間の本当の形があると思う。


2014年4月18日金曜日

何も無い場所

一度だけだけど行ったことがある宿。
山の中、森に囲まれているけれど、そんなに特別な景色は無い。
土地に対して建物は本当に小さい。
とにかく静かで素朴そのもの。

たくさんの場所に行って来たし、たくさんのものを見聞きして来た。
その中で最も理想に近い場所がそこにあった。

何にもないのに素晴らしい場所とか、
何もしないのに充実している時間とか、
人生に本当に必要なのはそんなことだと思っている。
そして、自分もそんな場所を創りたいと思う。

人や物で言うなら素の状態。
シンプルを極めて行くことは難しく深い。

アトリエでも重要なのは、一人一人がその場にしっかりと居るということだ。
ただ、そのままでその場にいる。
それだけで他の何も要らないくらいに充実している。

茶道のお茶が触媒にすぎないように、絵はあくまで触媒だと思う。

場所全体が生きていて、一人一人が居るだけで満たされる。
これからもそんな場を目指していきたい。

2014年4月17日木曜日

帰って来ました。

皆さんお久しぶりです。
三重へ行って来ました。

きくちゃんとよしこと3人で打ち合わせを重ねました。
今後へ向け、アトリエの中で新たな部門を立ち上げる予定です。

もっと楽しく、安心出来る、そして可能性を広げられる場を創ります。

近々、ご報告出来ることでしょう。

昨日の夜、大きな大きな月が輝いていた。
怪しいような、ぼやっとした光に気がついて夜空を見た。

ゆうたとの日々、
三重へ移住し、これからの重要な仲間となったきくちゃん、
合宿以来の再会だったなしちゃんとすずちゃん。
思い合える大切な人達と同じ時間を生きていられる幸せ。

心を込めて挑んで来た制作の場も日々、進化し続けている。
三重も東京も繋がって理想の環境にしていきたい。



書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。