制作の場では日々、作品が生まれ続けている。
途切れることがない。
彼らの素晴らしさは作品にすべて現れている。
作品を見て頂ければ分かる。
作品に現れるような彼らの芯の部分は、
他の状況や何によっても見ることが出来ない。
知ることが出来ない。
だから、作品の世界が途轍もなく大切になって来る。
極端な話、作品に触れずに彼らを知ることは出来ないと思っている。
それくらい、自由になるし、それくらい本質が現れる。
そして、それくらい他の時間とは別次元の凄みが出て来る。
何故、そうなのかは謎だ。
作品は見て、感じてもらうしかない。
経験してもらうしかない。
一番核心にあるものについては語れない。
僕が伝えているのは周辺にあるものや、とっかかりにすぎない。
作品がすべてと言ったからといって、
それは単に美術とか芸術の話ではない。
芸術至上主義とも何の関係もない。
もっと生命の根源に触れる何かが、その作品の中にある。
解釈を捨て、考えを捨て、純粋に見て、感じて、経験してみて欲しい。
そこにはこの世界がどんなものであるかが、
私達がどのような存在であり、宇宙や生命がどのようにあるのかさえ、
描かれていると思う。
それぞれの色彩は他のものと混ざり合い、戯れている。
何処までも動き続け、重なり、流れて行く。
何の限界もなく、自由で、始まりも終わりもない。
何処にも留まらない。何処にも区切りも境界もない。
流れ流れ、遊び、笑う、スピード、リズム、間。
言葉にすることも、解釈することも出来ない。
ただ感じることだけが可能だ。
そのようにすべてがある。
少なくともそこに何かがあるのを感じてみて欲しい。