素晴らしい朝。そして朝日。
今日は土曜日のクラス。
場と言うものを自覚しだしてから20年近く経つが、
不思議に今でも特別な感覚が持続している。
いつでもそれは特別な時間だ。
場においては、一度、あるものを全て浮かび上がらせ、
その中から本質を探し出す。
この作業は場に入る人間全員で行われる。
作家もスタッフも一緒になって。
良い場とは本質が現れているということだ。
良い場になって来ると、身体が軽くなって来る。
そしてやがて身体の感覚が無くなっていく。
消えていきそうになる。
何度か書いている、途轍もなく懐かしい感じや、
夢や幻のような感覚も、深い部分に触れつつある時に生まれる。
柔らかく芯に触れていく。
最近、手嶌葵の3枚目のアルバムをずっと聴いている。
映画の音楽を集めたもので有名な曲ばっかり。
こういうのをやるとチープになってしまうのに、これは全くならない。
手嶌葵はこれしか聴いていないから分からないけれど、
おそらくこれは彼女らしさ全開の作品では無いだろう。
個性的に歌わないからこそ良さが出ている。
当たり前に曲の良さが響いてくる。
あまりに美しく透明な世界。そして何処までも儚いさみしさが漂う。
本当に静かできれい。今はこういう音楽を聴いていたい。
もう50回は聴いているのではないだろうか。
勿論、何かをしながらだけれど。