2014年1月26日日曜日

制作の時間

そんな訳でしばらくは短めで書きます。
今日も少し穏やかな気候ですね。

昨日はお休みが多かったですが5名の作家で11枚の作品が生まれた。
すべて傑作。11枚並べてもそのまますきがない。

何もかもが自然で、その流れの中からたくさんの笑顔と作品が生まれて来る。

作家達は魔法のような創造性のリズムに入って行く。
時に向き合うことを避け、気楽な遊びに逃げようとしたり、
媚や恐れが誤摩化しをつくったりもする。
そういった一連の流れの後で、でも最後には目つきが変わって、
真っすぐに進んで行く。
すごいなあ、と思う。
僕自身もそのようにありたい。
なんだかんだ言っても、逃げても誤摩化しても、
そうやって人間的にうろうろしても、最後の最後でぱっと入って行く。

絶妙な間があり、リズムがある。
身体の奥で感じている流れが場にいる全員を貫く。

一瞬の中に宇宙の秘密が宿る。
あるものすべて、おきることのすべてが一つの法則を証してくれる。

場は色彩に包まれ、笑い声と歌が飛び交う。
流れ、変化し、あるべき形へ向かい続ける。
すべてのプロセスが完璧である。

僕達の目は冴え渡る。どんどん見えて来る。
見え過ぎるくらいに見えて来る。

そこにあるすべての動きと全員の心が一つの波や渦のように、
どこまでも深く感じられる。
過程を味わい楽しみながら、最後のものまでも見えて来る。

そうして、一日の制作が終わる。
また次もという気になる。
残されたものは作品だけだ。
作品はそういう時間の中でただ、残った形にすぎない。
それでも、その作品の中にはすべてが刻まれ、宿っているとも思える。

2014年1月25日土曜日

身体を使わない整体

今日は少し寒さがゆるやかだ。
制作するにはちょうど良い感じだ。

昨日も書いたがしばらくは場に入ることと、
スタッフ育成に力を入れたいと考えている。
ブログはゆっくりめで書かせて頂きます。

この2、4週目の土曜日午前のクラスは、
作家たちの掛け合いも楽しく、お互いを理解し合った関係が素敵だ。
時間をかけて築いてきたものだ。
残念なことにそんな仲間の一人であるよしてる君がアトリエを離れることになった。
7年間、一緒にやってきたので、色んなことが思い出される。
来月からはすでに新しいメンバーを向かえることが決まっている。

また素敵な関係が生まれるだろう。

場は2つあるような感じがする。
一つは目の前にある今日の場。
もう一つはこれまでのみんなとのすべての時間が集まった場。
このもう一つの場では最も深くみんなと繋がることが出来る。
今はここにいない人達もそこではいつもいつも繋がっている。
これは架空のものでも空想でもなく、
現実的に動いているし、日々、僕達を助けてくれる場所でもある。

場は生き物のように意志を持っている。
だからある意味でとても客観的だとも言える。
でも、それと同時に自分の身体のようでもある。
やさしく撫でれば心地良いし、つねったり叩いたりしたら痛い。
場を深く経験することは自分の身体をもう一つ持つような感覚でもある。

前回、場に入る感覚として、立った場所がぴったり決まる感覚を書いた。
この感覚は普段、僕は身体を使わない整体と名付けたりする。
実際にそのような立ち方や構えを整えたことで身体の不調が治ったりする。

場は自分の身体でもあるということで言えば、
そこでは主に意識を使って微調整しながら空気を整える。
その感覚を自分の身体や他の者に向けた時、ある程度、整体することが出来る。
人生とか、世界というもの対してもそうかも知れない。
不運が続く時はちょっと間を外してから、構えを直したり。
ただ、これらは完全にコントロール出来るものではなくて、
痛みが和らぐといった程度のものだ。
時には激的にすべてが良くなるということもあるが、
そんなことはしょっちゅうはおきないものだ。

足を温めただけで全身に汗をかくのと同じ原理で、
直接そのものに触れなくとも構えを変えることで変化が起きることは確かだ。
あくまで例えだけどトイレを奇麗にしたら身体が良くなったとか。
物の配置を変えたら抱えていた問題が解決したとか。

つまりはちょっとした整える感覚。
違和感や不快を感じて、快の方へ修正出来る感覚。

何かを良くしようと思ったら強引な力技はやめて、
ゆっくり静かに位置を微調整する。
気持ちの持ち方や構えにズレがないか確認して、そっと正しい場所を確認する。

小さなことでずいぶん変化は起きるものだ。

このことは僕達の関わる制作の場でも、
大切な感覚の一つだ。

ただ、場に入ったら何も考えてはいけない。
考えたければ、後で考えれば良いということだ。
というよりは考えないで自然に反応しながら調整する感覚をもつことが大切。

2014年1月24日金曜日

更新、ちょっと間があいてしまいました。
東京アトリエはスタッフ育成のため、
しばらくは制作の場に集中させて頂こうと考えています。

よし子から連絡があって、階段から落ちて腰を痛めていると言う。
骨折かも、というので心配。
肇さんも敬子さんも共に腰が悪いので、3人ともの状況。
共倒れが心配だ。
教室もあるそうだ。
近ければすぐに行くのだけれど。こんな時に何も出来ないのが申し訳ない。

場は充実している。
関川君が一人前になるまでは大変だけど、
お互いに全部出し切る気持ちで挑んで行く他ない。
僕の努力で何とかなることなら、いくらでもして行きたいのだけど、
こればっかりは最後のところは自分でつかんでもらうしかない。

場に入ったら甘えが許されないからこそ、
普段、それ以外の時間で気持ちを通わせて、お互いを大切に思って行く。

先週は打ち合わせが続いたので平日のクラスは、
僕はほとんどアトリエに居られなかった。

水曜日は絵の具の缶と筆を入れ替える作業をした。
これが意外と時間がかかる。
色の調整もあった。
関川君には新婚そうそう夜遅くまで手伝って貰った。

画材にはお金がかかるが、ここだけは妥協したくないので、
生活の他の部分をけずってでも良い素材を使いたい。
まあ、家族もいるので簡単ではないが。

都美術館の中原さんと、久しぶりに打ち合わせして、
長い時間、熱く語り合った。
本質の部分を共有して下さる方なので、今後も長いお付き合いになるだろう。
展示に関しては中原さんを信頼してお任せしていれば間違いないと思う。
妥協のない、作品主体の本格的な展覧会になることだろう。

そのため、参加して下さっている方々には申し訳なくもあるが、
作品はかなり絞ったものとなるようだ。
今回は出品される作家の方が少なくなるだろうが、
他の作家たちの作品に関してはまた別の展示を行うことも考えている。

作家が誰かということよりも、美術の視点でしっかりと構成された展示を、
鑑賞し体験して頂くことが、
最終的に彼ら全体の素晴らしさを伝えることになると考えている。

中原さんという存在が入ることで客観性が生まれる。

どんな展示になるのか、どんな体験が出来るのか、
どんな作品が見られるのか、僕も今から楽しみだ。

よし子や肇さん敬子さんの身体が心配だったのか、
昨日は何度か夢を見て目が覚めた。
最後に見た夢は関川君を叱っている場面だった。
これから一緒に仕事をすることになっている人達が作品を見ている。
その内、作品を配慮のない扱い方をしだして、僕はイライラし始める。
机の上にある作品をいつまでも片付けない関川君にもイライラしている。
何かの拍子に一人が作品を壊してしまう。
全員に、強く帰れ、と言ったあと、関川君に何故作品を早く片付けないのか、
と強く叱りつけている、
その中で、すぐに言い訳したり、反論するヤツはダメなんだ、
悔しかったり違うと思うなら、形で示すのが本当だ、というフレーズが出て来る。
これは最近、僕が今の世の中に感じていたことだ。
途中で目が覚めるが、ふー、夢で良かった。

実際には僕はそんなに人に怒るなんてことはほとんどない。
むしろ普通より怒らないのではないかと思う。
最近はブログを読んで下さっている方も多くて、
外で仕事をしていると気遣って下さるのだけど、
書いているのは考えであって、だからといってそのままそれを主張したり、
怒ったりはしません。
その場、その場、あるいはその人の状況によって判断しているので。

さっきから関川君と書いているけど、やはりイサという愛称の方が呼びやすいので、
これからはイサで行きたい。イサ=関川君です。

イサに一番おぼえて欲しいのは、場に入る感覚だ。
場に入った瞬間に何かが変わって、
それぞれがこうあらねばいけないというバランスが見えてくる。
ちゃんと入れば必ず分かる。後は微調整。ちょっとしたズレを正しい位置に戻す。
立つ時でも、立ち方はピタッと決まった形がある。
立ち方が決まったときに場にすっと入った感覚が来る。
まあ、難しく考えることはないけれど。

そう、立ち方や座っている形がぴたっと決まったとき、
その場に居るだけで気持ちがいい。
立っている、座っているというだけで、言いようのない心地良さがある。

僕は最近、外に居る時にその気持ち良さを感じて、
あ、今場に入っているんだ、と感じた。
そうかあ、今人生という場に入っていることは確かだと。
でも、だからといって、早急に場と生活は一つだとは言えない。
というより、まだそんなレベルには達していない。
僕ぐらいでは一生無理だと思う。
ただ、今よりは多少は良くなって行くことは分かるので、そこまでは行きたい。

先日、歩いていると、黄金色の日差しがさして来て、
近くにある保育所から子供達の歌声が聴こえてきた。
本当に良い声で、素晴らしくて、美しくて、こんな歌は聴いたことがないと思って、
その場で立ち止まった。
歌の練習をしているようだ。
子供達の声が重なって、僕の胸をうった。
言いようのない声。本当は素直とか純粋とか、透明とか、
そういうありきたりの言い方はしたくはない。
何かそういう言葉では語れない何か、でも、やっぱりピュアとしか言えないのだけど。
なんて素晴らしいのだろう。
先生の伴奏も素敵だった。
子供達の声に寄り添って、やさしく自然にコントロールされている。
ピアノは音と音の間が切れてしまうのに、その音は自然に歌っていたし、
子供の声の奥にひっそりと消え入ろうとする態度は、
演奏の上手い人には出来ないことだ。
ここでは愛情が自然に通い合っていて、奇跡のように美しい歌が与えられている。
練習なのだけど、これからいくら練習したとしても、今の声より美しくはならない。
練習とはなにか。教育とは何か。
それらが必要がないという意味ではなく、
生きるとは失って行くことでもあるという意味において。

あまりにピュアな声を聴いて、涙が出てきてしまった。
人通りも多かったので、怪しまれるといけないと思い、僕はその場を去った。
振り向くともう日は陰り、黄金色の日差しも消えていた。

やっぱり一番の楽器は人の声だろうか。
僕は普段、たくさん音楽を聴くけれど、歌をあまり聴かない。
歌には心が入りやすい、思いや魂がこもる。
だから、
僕みたいに普段からこころやら魂やらを聞き分けることをしている人間には、
反射的に感度があがってしまって休めない。
そんなこともあり、楽器を聴いている方が楽だ。

でも、魂のこもる歌だからこそ、本当の意味で人を救うことが出来る。
ビリーホリデイの歌声、かつて友人の家で良く聴いていた淡谷のり子の声、
クラシックでなら柳兼子の歌。
こういった歌声にはどれほど救われ勇気づけられたか分からない。
柳兼子の歌うとおくゆく雁は本当に素晴らしいし、
淡谷のり子の昭和27年頃の声は何度聴いても心揺さぶられる。

2014年1月17日金曜日

バックハウスの演奏を聴く

昨日は月の光が眩しいくらい。

インフルエンザも流行りだす頃、皆様もお気をつけ下さい。

それほど忙しかったり大きな仕事がある訳ではないのだけど、
細かなことがいくつか積み重なると、割に時間がいっぱいになってしまう。
もっと忙しいシーズンが来る前に準備したいことが沢山あるのだが。

制作の場はいつもながらに、いやいつも以上に充実した内容になっている。
先週から本格的に関川君の研修期間に入ったのだけど、
最初が肝心なので、僕はなぞるように丁寧に基本的な形を見せた。
彼も7年も来ているから、もう分かってるよと、思うかも知れないな、
とは考えたが、それでも原点の大切さはどれだけ強調してもしすぎることはない。
ここで僕が中途半端なものを見せたら、そのイメージが基準になってしまう、
という強い責任感で挑んだ。
土、日、月曜日、このラインだよ、と言い得る場になったのでは、と思う。
勿論、完成はない、でも今の時点での行けるところまでは見せたと感じている。
あそこを基準にしてもらって間違いはないだろう。

スタッフが10の仕事をしても(まあ、10はないだろうけど)、
人間相手なので上手く行くとは限らない。
でも、だからこそ10の仕事をいつも目指すべきだ。

基本の水準にあればあとはその人のスタイルで工夫して行けば良いと思う。
ただ、最低の水準に行くのが結構難しい。

そして、プレのクラスが終わって夕方から、
関川君の引っ越しを手伝った。
こういう時間が大切。
少ない仲間の中でやっているので、僕達は時に家族のように繋がっていく必要がある。
彼も結婚して家族と一緒に暮らすことになった。

荷物を運んだあと、もう一人手伝ってくれた関川君の友人が先に帰って、
僕達はラーメン屋で食べてから帰宅した。
彼の引っ越した場所の近くにたまたま僕の好きだったラーメン屋があって、
懐かしい場所だった。
うーん、残念ながら、味は若干落ちてたなあ。
美味しくはあるのだけど。
そうやって変わって行ってしまう。
どんな仕事も質を保ってこそだと痛感する。
繰り返すが、それは本当に難しいことでもある。

暗い夜道を歩きながら、その日も月が光っていた。

色んなことを言う人がいるだろう。
色んな考えがあるだろう。
どんな時でも、自分が出来ること、そのことによって、
人の笑顔が生まれることを一生懸命やり続けるだけ、
何があっても貫くし、どんな状況でも妥協はしたくない。

夜、ネーネーズのラストライブのCDを聴いた。
久しぶりだ。
色んなことを思い出す。
沖縄でもこのCDを聴いたのだった。
路上にいるおじさんが、しんみりと「本当に遠いところまで来てしまったなあ」
というようなことを言っていたのを思い出す。
それは場所の距離だけではなく、僕達は生まれてからずっと旅をして、
気がつくと本当に遠いところまで来てしまっている。

どんな時も一生懸命だった。
本当のことを知りたいと思ったし、見てみたいと思っていた。

あの頃、欲しいと思っていたものはみんな手に入れた。
見たいと思っていたものは全部見ることが出来た。
それでも、虚しさなようなものはある。

2年ほど前は人生で始めての葛藤の時期だった気がする。
今はそこは超えたと思える。

こんなところに留まっている訳には行かない。
もっともっと先まで行かなければ。

これも久しぶりにバックハウスのブラームスのコンチェルト2番を聴く。
今さらとは思うが、やっぱりいつ聴いても素晴らしい。
これこそが本物と思える数少ない音楽だ。

前に芸のことを少し書いたけれど、
僕は昔から職人の技や、芸能の芸に強いあこがれと尊敬心を抱いて来た。
特に日本の職人や芸能者は、本当に良い仕事をすると思う。
それこそが本物の生き方だと。
いくつか本を読んだりしていると、名人というのが出て来て、
強く心を揺さぶられる。
想像することしか出来ないけれど、
今、見たり聴いたり出来るような次元を遥かに超えた技なり、
芸なりがかつては存在していたのだろう。
おそらくは、
今いるような人達のレベルで名人という言葉を使ってはいけないのだろう。
そのような名人が存在して芸をやっていた時のことを想像すると、
例えば、今あるお能、狂言、歌舞伎とか、もっと他のものもそうだけれど、
それらはそんなものではないのかも知れない、という疑問を持ってしまう。
だから、本当の意味でのお能も歌舞伎も僕達は触れたことがないと思った方が良い。

それは例えて言えば、果物や野菜の原種はもっと違う味がするとかいうことと同じだ。

珈琲だって、昔はもっと美味しい豆があったという人達の話は、
単に懐かしいとか、昔は良かったというのではなく、
本当にそうだったのかも知れないと想像する。

名人ということだけれど、確かに世界共通だと思うが、
それでも東洋はこの名人というものを生む土壌が違うような気がする。
西洋にあんまり名人というような感じの文化がないからだ。
天才という言葉なら、西洋にもピッタリな人がいるだろうが。

単なるたとえだけど、セザンヌもピカソも優れた作品を創っただろうが、
名人と言う言葉はしっくり来ない。ベートーベンでもそうだろう。

ピカソが制作している映像の中でまばたきしていない、というのがあるが、
かつての歌舞伎役者は2時間も3時間もまばたきしなかったと言うし、
息も考えられないほど止めていられたと言う。
こういう話はおそらく本当だろうと思う。

それでバックハウスだけど、僕はこの人は名人だと思う。
それと同時にバックハウスは基準になると思っている。
バックハウスの演奏を良いと思う耳をもっているなら、
芸術や人生を感じる力があるのでないか。
少なくとも僕はバックハウスを良しとする人を信用出来る。
上っ面ではないからだ。
というより上っ面はあんまり良くないから。
バックハウスのピアノは無骨でゴツゴツしていて、
音は磨かれていないし、全く洗練されていない。
むしろそういうものを捨てている。
わざと下手に弾いていると言ってもいい。
さして上手くもなければ、細部にこだわったところもない。
特別な解釈も個性もない。はっとさせるような閃きもない。

ただスケールが大きいということだけは誰でも感じると思う。

不思議なのはただ、淡々と自然に音を重ねて行くだけで崇高な世界が描かれてしまう。
なにも特別なことはしていないのに、誰も出来ないところまで行き着く。

抽象的な表現になってしまうけれど、
例えるなら、ただ、その辺に落ちている石ころを積んでいくだけで、
そこに芸術なり人生なりの真実の姿が出現する。

芸術において感情に溺れない、醒めた視点を保つことは特に重要だし、
一定の水準にある人達はみんなそこはクリアしてはいる。
でも、バックハウスの場合はそこが徹底的だ。
全く情に流されない。
それでも、グールドの様に頭でっかちにならないし、
ポリーニの様に機械的にもならない。
バックハウスと比べれば、他のピアニストではやはりスケールが違う。

あそこまでいけば本当に何もしなくても良いのだろう。
たすこともひくことも必要ないのだろう。

僕達はそれが出来ないから、色んなことをして行くしかない。

久しぶりにこの音楽を聴いて、やっぱり良いものは滅びないと思った。
カールベームの指揮もウィーンフィルの音も流石に素晴らしい。
ベームは職人的に立派な伴奏をしている。
それでも、バックハウスだけが違う次元にいるのが怖いくらいだ。

外面ばかりに目がいく、
という流れが文化の方にまで来てしまっている今だからこそ、
こういう本質を極めたものを鑑賞すべきだと思う。
本当のものはシンプルだし、素朴でさり気ないものだ。
これ見よがしな、大声を張り上げているものに騙されてはいけない。

2014年1月12日日曜日

また今日も

今朝の朝日は素晴らしいです。

昨日のクラスも質の高い作品と、作家たちの真っすぐな姿勢が、
輝いていました。良い場面になると、その瞬間本当に日が射してきたり。

こうして、毎回、僕らは作家達と共にすーっと入って行く。
一緒に何処までも歩いて行く。
いつになっても、これが当たり前にはならない。
いつでも、新しい何かが目の前にあるのだから。

彼らが描き続けられるのは、絶えず今を、瞬間を生きていることが出来るからだ。

それが面白い。それが楽しい。

昨日はもう終わって、今日はまた新しく始められるのだから。

今、こうして集まって同じ場に居ること。
せっかく一緒に居るのだから、そこにある一番奇麗なものを探したい。
一緒に見つけたい。

やればやるほど、見えて来る。
目の前にある世界の意味が変わって来る。

そうやって僕達は一緒に歩いて来た。

どんどんどんどん見えて来る。どんどん深くなって行く。

なんて素晴らしいんだろう。

生きている限り、僕達は進み続けるだろう。
存在しているすべてのものが、無限の美を教えてくれる。


2014年1月11日土曜日

今日も

前回のブログで芸なんて書いちゃって、恥ずかしいかぎりです。
でも、真剣に自分の仕事に向き合って、
極めていくということが誰にとっても大切なことだと思っています。

これまで見えなかったことが見えてくる、
それが一番面白いなあ、と感じるこのごろです。

三重から戻って来る日、電車でよしことゆうたと3駅ほど一緒に行って、
その後、僕は名古屋へ、よし子とゆうたは反対方向へそれぞれ電車に乗った。
その夜、ゆうたからの電話で、
「ぱぱあー、電車、ずーっと乗ってたよ、さみしかったよ、ぱぱあ、ずーっと電車、電車乗ってたよう、さみしかったよう、ぱぱあ、さみしかったよ」
ゆっくりとやさしい声で、繰り返し繰り返し、話し続けたゆうた。
時々、その言葉が頭に浮かんで切なくなる。

そんなゆうたの喘息とアレルギーを見てくれている病院の先生が居る。
よし子がその先生と話したことを教えてくれた。
今の若いお医者さんはダメだと言う話から、
自分は昔ながらのお医者さんの家に生まれて、
小さな頃から両親が仕事のため、患者さんのために、何を犠牲にしても、
労を惜しまない姿を見て来た、と。
旅行先でも、電話があれば患者さんのためにすぐに駆けつける姿。
だから、自分にとってはそうするのが当たり前なのだと。
今の人達にはそれが無い、と。

そして、こういう姿勢のお医者さんが居るから、ゆうたもよし子も救われている。
もちろん僕も。

だから、きっといつか、ゆうたにも伝わってくれるはずだと思っている。

今は一緒に居られない時も多いけれど。

こんなこともあった。
三重の家は海が近いので季節や天候によっては波の音が聞こえたり、
塩の匂いがしたりする。
普段はそんなでもないのだけど。
何日か過ごしたある日、夜中に目が覚めた。
何だろう、と考えるとずっと波の音が聞こえている。
それに波が感じられる。
あれ、聞こえるなあ、としばらく耳を澄ませていて、気がついたが、
どうも波の音は聴覚で聞き取れる状況ではない。
音としては聞こえていないのだ。
でも確かに聴こえていたし、今も聴こえる。
それに身体が波を感じている。
ああ、何かが変わったのだと気がついた。
感覚のどこかが開いたのだろう。

制作の場でもいつも思うことだけれど、
はたして人は耳だけで聴いているのだろうか、目だけで見ているのだろうか。

感覚や知覚は謎なのだと思う。

制作の場に立つ時、僕には普段見えないものが見えるし、
聴こえるし、感じられるし、境界も限界も超えることが出来る。
まあ、正確に言えば、そういう時もあるということだけれど。
でもそうならないと、こころに寄り添ったり、感覚の動きを拾い上げたり、
共感したりといった基本的なことすら出来ないはずだ。

世界の動きを止めてしまっているから、こころが動かなくなる。
そこを適度にほぐして行ったり、無駄な荷物や圧を外すのが僕達の役割だ。
ものを見るのは目だとか、音を聴くのは耳だとか、
そんなことにとらわれていては何も出来ない。

よく人工的なものはダメで自然が正しいみたいなことを言いたがる人が居る。
僕にとっては自然が何を意味するのか、
人口が何を意味するのかさえ分からない。
そもそも、何処までが何なのかなんて分からないはずだ。

制作の場に立つ時は、善も悪も同時に見るし、
人のこころを自分のもののように認識したりするので、
何処までが自分で何処までが他人かなんて分からなくなる。
自然が必要な時はその場で自然を感じたり、自分が自然になったりする。

人は決めつけることで多くのものを見ないようにする。
それをやめてしまった時に、はじめて自由にこころが動き出す。
そこから先の世界は本当に豊かで楽しいものだ。

今週はこれから3日連続で絵画クラスです。
イサ(関川君)の研修もスタート。
今日もみんなで思いっきり素敵な場にしましょう。

2014年1月10日金曜日

芸を磨く

冬まっただなか、寒いですねえ。
夜、雪もちらついていました。

絵画クラスも、平日のプレクラスも始まり、
今年も穏やかな笑顔に溢れている。

ゆうたとの時間の中で、これまでに無い多くのことを発見している。
ゆうたという存在が教えてくれることはあまりに多い。
そして、親として彼に全力で向き合う時間を作って行かなければと思う。

三重の自然、環境と、家族や支えてくれる人達に感謝。
みんなのお陰でゆうたが育っている。

家族のこと、個人的なことはここでは最小限にしておこう。

絵本のプレゼントを置いて行ってくれたのは、
1年間ボランティアをして下さっていたあきこさんでした。
今はアメリカなのだけど、年末に帰国した時に来てくれたそうです。
本当に嬉しかったし、なにより、
アトリエに来てくれた人達がこうして繋がっている、という素晴らしさ。
応援して下さる方からのメッセージ。
しとみ君、モロちゃん、ありがとう。

安藤真規子さんからの年賀状は去年はお守りのように、
壁に貼って、ずっと助けられてきました。今年もそうします。
真の理解者だと思っています。いつもこころのささえです。

東京アトリエはこれまでのものを守りつつ、より良い場を目指し続ける。

改めてお知らせしますが、今年も3月に佐久間の講演を予定しています。

作家たちの世界とその魅力と可能性を伝えて来て、
昨年は関わる人達に向けても多くを語って来た。

これからもこの2つは同時に伝えて行きたいと思う。

関わることを仕事とする多くのジャンルの方々が居る。
でも、未だにそれぞれの自覚は低いと言わざるを得ない。

高い志と覚悟、絶えず向上する努力。
経験に裏打ちされた確信といつでも学んで自分を変えて行く謙虚さ。
そう言ったものはどんな仕事においても必要とされる。
関わるということをそのような仕事として位置づけている人自体が少なすぎる。

僕達の現場は作家たちが主役であってスタッフは陰の存在。
他の現場もそのような部分は大きいと思う。
ここが関わる側の自覚を薄くしてしまう原因にもなり得る部分だ。
陰の存在だからといって、努力が必要ない訳ではないということを忘れてはならない。

お能で言えば、作家たちがシテでありスタッフはワキであると言える。
言うまでもなく、お能におけるワキ方には多くの能力が要求されている。
それどころか、シテとワキの重要度はほとんど同じ位だ。

そう言う自覚の無い人が、人と関わってはいけない。
制作の場とは、舞台のようなものだ。
舞台に上ってなんの芸もしない、というのはあり得ないだろう。

関わる人達の意識の向上を願って、話して来たが、
これから東京アトリエはスタッフをしっかり育てて行く。

あんまりこんな風に書くと次のスタッフにはプレッシャーかも知れない。
でも、責任やプレッシャーはありがたいものだ。
自分に緊張感を与えてくれるものは、自分を育ててくれる。

僕自身、いつも強いプレッシャーと責任を感じ続けている。

お能を例にしたけれども、僕達も絶えず芸を磨いて行かなければならない。
その前に僕らがやっているようなことも、分かりづらいかも知れないけれど、
芸なのだ、という自覚を持って、努力を怠ってはならない。

2014年1月5日日曜日

新年

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

本日から絵画クラス、始まります。

保護者の方達やアトリエにお越し下さった方達にはすでにお知らせしましたが、
4月からは佐久間が月の後半を三重へ行き、
他のスタッフで制作の場をみることになる予定です。
今年はアトリエの新体制を確立することを第一の目標とします。

より安心出来るスマートな組織を作って行きたいです。

制作の場がすべてと言っていいアトリエですので、
もし場の質を保てないような場面があれば、無理はしないつもりです。

新体制となって今よりも良くならなければ、と考えています。

その為に、これからの3ヶ月間が勝負だと思っています。
これからスタッフとなる関川君に、しっかりと引き継ぎます。

東京アトリエ全体の責任者は佐久間のままで行きますが、
今後を考えて、スタッフ同士が支え合える体制をとりたいです。

どんな時も原点回帰の意識が大切だと思います。

世の中がどんな状況になっていこうと、
この場だけは穏やかでやさしく、丁寧な時間を感じられる場でありたいです。

さて、この季節で一番大切なのは体調管理です。
僕達、スタッフにとっては体調管理も仕事のうちです。
僕自身はこの10数年で、
土、日曜日の絵画クラスで欠席したことは3回しかありません。
その3回も前もって予定して日程を組んだものです。
体調不良で休んだことは一度もありません。
こんなことを書いてしまうと、逆のことが起きてしまうことがあるので、
書きたくないのですが、責任の意識の大切さを考えてみました。

もちろん、人生はコントロール出来るものではないし、
自分の身体だって予想外の動きをするものです。
でも、だからこそ気をつけて責任をもって行きたいです。

初日のアトリエ、必ず良い場になります。
みんなと会えるのが楽しみです。

アトリエへ絵本のプレゼントを置いて行ってくれたのは、
どなたでしょうか?
本当にありがとうございます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。