2014年1月25日土曜日

身体を使わない整体

今日は少し寒さがゆるやかだ。
制作するにはちょうど良い感じだ。

昨日も書いたがしばらくは場に入ることと、
スタッフ育成に力を入れたいと考えている。
ブログはゆっくりめで書かせて頂きます。

この2、4週目の土曜日午前のクラスは、
作家たちの掛け合いも楽しく、お互いを理解し合った関係が素敵だ。
時間をかけて築いてきたものだ。
残念なことにそんな仲間の一人であるよしてる君がアトリエを離れることになった。
7年間、一緒にやってきたので、色んなことが思い出される。
来月からはすでに新しいメンバーを向かえることが決まっている。

また素敵な関係が生まれるだろう。

場は2つあるような感じがする。
一つは目の前にある今日の場。
もう一つはこれまでのみんなとのすべての時間が集まった場。
このもう一つの場では最も深くみんなと繋がることが出来る。
今はここにいない人達もそこではいつもいつも繋がっている。
これは架空のものでも空想でもなく、
現実的に動いているし、日々、僕達を助けてくれる場所でもある。

場は生き物のように意志を持っている。
だからある意味でとても客観的だとも言える。
でも、それと同時に自分の身体のようでもある。
やさしく撫でれば心地良いし、つねったり叩いたりしたら痛い。
場を深く経験することは自分の身体をもう一つ持つような感覚でもある。

前回、場に入る感覚として、立った場所がぴったり決まる感覚を書いた。
この感覚は普段、僕は身体を使わない整体と名付けたりする。
実際にそのような立ち方や構えを整えたことで身体の不調が治ったりする。

場は自分の身体でもあるということで言えば、
そこでは主に意識を使って微調整しながら空気を整える。
その感覚を自分の身体や他の者に向けた時、ある程度、整体することが出来る。
人生とか、世界というもの対してもそうかも知れない。
不運が続く時はちょっと間を外してから、構えを直したり。
ただ、これらは完全にコントロール出来るものではなくて、
痛みが和らぐといった程度のものだ。
時には激的にすべてが良くなるということもあるが、
そんなことはしょっちゅうはおきないものだ。

足を温めただけで全身に汗をかくのと同じ原理で、
直接そのものに触れなくとも構えを変えることで変化が起きることは確かだ。
あくまで例えだけどトイレを奇麗にしたら身体が良くなったとか。
物の配置を変えたら抱えていた問題が解決したとか。

つまりはちょっとした整える感覚。
違和感や不快を感じて、快の方へ修正出来る感覚。

何かを良くしようと思ったら強引な力技はやめて、
ゆっくり静かに位置を微調整する。
気持ちの持ち方や構えにズレがないか確認して、そっと正しい場所を確認する。

小さなことでずいぶん変化は起きるものだ。

このことは僕達の関わる制作の場でも、
大切な感覚の一つだ。

ただ、場に入ったら何も考えてはいけない。
考えたければ、後で考えれば良いということだ。
というよりは考えないで自然に反応しながら調整する感覚をもつことが大切。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。