2015年3月19日木曜日

どこまでも大きく深いもの

桜の季節が近づいて来ましたね。
みんなが、暖かくなって気持ちも晴れやかに、身体も軽くなるといいなあ。

ご連絡下さっている方が多くおります。
申し訳御座いませんが4月にお会いしましょう。

明日から今回は短いけど三重へ行きます。

ふみかちゃんの送ってくれる子供の写真を見ていて、
幸せな気持ちになる。
あかちゃん、凄く可愛い。
ゆうたの写真も毎日のように眺めている。

久しぶりにあきこさんからメッセージを頂いた。
今回は会えないけれど、ご家族みんな元気そうで嬉しい。

みんなが元気で、それぞれが想い合っていることの素晴らしさ。
有り難さ。

最近プレの時間にハルコさんが珈琲をのみたいと言うので、
僕が居る時はいれている。
珈琲をドリップしている時間は幸せを感じる。
飲むのも確かに好きだけど、
珈琲は誰かに飲んでもらうためにいれている時が一番かも知れない。
ゆっくりドリップしつつよい匂いが周りを包んで行く時間。

今月は制作の場も一段と深かった。
作家達にとっては厳しい状況の人も多かったが、
スタッフとしてこういう場面でどうあるべきか、
しっかりと入れるべきところに、正確に入れて来た。
こんなに狂いの無い仕事が出来るようになったのだから、
月日というのはやっぱり無駄ではない。
感覚だけで出来ていたあのスピード感は懐かしくもあるし、
もう一度あんな風に動けないかな、と思わなくはない。
でも、あの頃だったらここまでの正確さは無かっただろう。
落ちるところは落ちるけれど、良くなることころはある。

目の前に見たことも無い世界が鮮やかに展開し、
感覚は研ぎ澄まされて、瞬時に順応する、という時間があった。
毎日、夢を見ているようだった。
こころも身体も新たなものへ開かれて行く感覚にうっとりしていた。
自分が自分ではなくなって行くことが嬉しかった。
あの頃、学んだものは大きいし、今でもそれを追いかけている部分がある。

今日はたくさん人に会う予定だ。
出会いも本当に素敵なものだ。

来月、また場に立つ。
場に入るときは何も無くなるから良い。
何かが残っていては動けない。
今の社会、多くのものを自分の中に入れ過ぎて、自分が大きくなってしまう。
得すること、得ることばかり考えていると、人間はさもしくなる。
自分で作った世界と頭の支配によって身動きが取れなくなるのは自分だ。
そんな普通の人が場に入ると、全く動けないどころか、
違和感以外何も無くなってしまう。
人として何かがおかしくなってしまっている。
僕達は少なくとも場においては、得ることより捨てること、
何も持たないことの大切さを自覚する。
自分を意識すると、場における感覚が鈍ることも知っている。
動ける、ということの気持ち良さ。
もともと何も無かったのだから、そこに帰る癖をつけてしまった方が良い。

あくまでもイメージだけど、
何も知らずに裸で自然の前に立っている。
強い嵐や雷をじっと見、聴き、嗅ぐ。
全身の感覚を使って目の前の広大な世界を感じとる。
交流する。
気配をよむ。
山はどっしりそこに在り、海はどこまでも深く、森の底知れない光と闇。
風と流れる水と、どこまでも折り重なる無限。
何があるのか、そこでどう動くべきなのか。
そして、ただただ、すべてを超えてそこに在るものの凄まじさに、
震えるくらいに感動する。感覚を開いて立ちつくすことしか出来ない。
なんて凄いものが目の前にあり、自分をも包み込み、突き動かしていることか。
これが本来の人の姿ではないだろうか。
この人としての最初の場面を忘れてはならない。
いつでもそこへ帰って来る必要がある。

2015年3月17日火曜日

おだやかな朝

今日は暖かくなった。
日差しも奇麗。

しばらく前に久しぶりに稲垣君が見学に来た。
こうして途切れずに仲間達と繋がっていることが嬉しい。

土、日曜日の制作では、この心身ともに苦しい状況の人が多い中、
かなり良い場になったと思う。
この時期の現場は本当に狙う的はギリギリのところだ。
でも、これが上手く行った時は逆にいつも以上に素晴らしい何かがある。

何人かの作家からは電話もあった。
つらいなあ、と一緒に変化を待って来た。
もう少しすればみんなちょっとは楽になるだろう。

北陸新幹線が始まった。
金沢まで2時間30分。信じられない。
善くも悪くも色々考えさせられて来た。
ここ数年の金沢の在り方はちょっと、という部分も多かった。
大切な木々が切り倒されて駐車場になった。(これは観光とは関係のない場所で)

それでも10年以上前から話題になっていた新幹線がやっと実現して、
多くの人が金沢を視野に入れてくれることはやっぱり嬉しい。

ただ、あの街は魅力が分かりづらくもある。
豊かな自然がある訳ではないし、東京、大阪、福岡のような都会でもない。
文化で勝負なのだけど、その文化は結構ゆっくりしていて、
善くも悪くも強いインパクトを与えるものではない。
知って経験して行くと本当に奥深いものがあるのだが。

日本海の魚のレベルの高さは関東に居ては絶対に分からない。
和菓子も素晴らしい。
東京で知られているのは森八の長正殿くらいだけど、
生菓子で凄いところはいっぱいある。
特に職人技を感じるのは「吉はし」。ここは注文販売のみだが。

まずは東茶屋街に行けば、雰囲気が分かってもらえると思う。
僕の実家は反対の西茶屋街の近くで、こちらは殆ど観光客の姿を見ない。
来ても何も無いからしょうがないが。
でも、西茶屋には「かわむら」という甘納豆のお店があって、
このお店は素晴らしいです。味もセンスも全体の雰囲気も。
観光する場合、中途半端な場所にあるけど「ローレンス」という喫茶店。
最近は空いている時間がルーズになっているけど、
独自の雰囲気は他に無いものだと思う。
ここには先代のマスターの時代に通っていた。
当時は暖炉でレコードを使っていた。

僕は年に一回帰ると珈琲を飲みに行く店があるけど、
万人向けではないし、かなり覚悟がいる店なのでここでは紹介しない。

金沢はあの幻想的な時間の流れ方が特色で、
そこに気がつくには本当はのんびり行った方が良いので、
この新幹線というのが観光向けなのか実は分からない。
せめて新幹線で吉田健一の金沢に関するエッセイか、
金沢というタイトルの小説を読みながら、向かうとちょっと雰囲気が出るかな。

金沢のことをちょっと書いてしまったけど、
僕自身はあんまり帰ることもありません。

さて、ちょっと予定がのびて木曜日まで東京です。
4月は特別なことがなければ東京にいる予定です。
ご見学を本当に長い間御持ち頂いている方々は4月にようやくお会い出来そうです。

今年も桜が楽しみです。

2015年3月13日金曜日

森の歌

今日は久しぶりに取材を受けた。

いつも同じようなことを話しているな、と思いつつもかなり熱が入った。
ダウン症の人達の魅力と、それが今の社会にどれだけ必要なことなのかが、
少しでも伝われば嬉しい。

三重も忙しく、大変な時期に子育てしつつ、よし子に頑張ってもらっている。
夫婦ながら頭が下がる思いだ。
大丈夫、心配しないで仕事頑張って、といつも言われて、
有り難いし心強いけれど、家族の中で必要のない存在にならないようにしなければ。

気まぐれ商店のサイトで佐久間の小さな講演がのっています。
これから随時アップされて行くようです。
きくちゃんが纏めてくれました。
入門編です。是非ご覧下さい。

色んなところでお話しするけど、
特に今の社会は人間の感覚を閉ざして行く方へ向かっていて、
本当に狭い価値観に支配されている。
窮屈だし、病気になる人や、人を傷つける人が増えて行く。
差別の問題も、争いの本題も、原因の大きなところには狭い世界観がある。

どんな価値観を生きようが、それは自由だけれど、それがすべてだと思ってはいけない。
まして人の世界を否定してはいけない。

人間の知覚には限界がある。
だからすべての人が偏った見方をしてしまうのは仕方がない。
でもだからこそ、僕達は日々感覚を開いて新しいものに気づこうとすべきだし、
そうやってたくさんの世界に対して耳を傾けて行くことこそが、
生きている幸せに繋がるのではないだろうか。

前に書いたように僕達が場に立つときは無数のラインを同時になぞる。
そこには多様なものがそのままに肯定されているし、
どんなに小さな線も声も、かき消されることはない。

複雑なものが複雑なままで、同時にそこを動かしていることが大切。
大きなもの、見えやすいものだけが存在している訳ではない。

この前、アトリエでイサとピグミーのCDを聴いた。
すべての声がそれぞれ違うラインを歩いていて、しかも同時に存在している。
人も自然も本来はこういう姿をしているはずなのに、
僕達の世界は本当に単調で多くのものをないことにしている。

一番最初に誰も歌わないで森の音だけが入っている。
この数分が素晴らしくて、ピグミーの人達は森をなぞっているのだとわかる。
森の歌こそが音楽の究極だとおもう。

森の声の様に、すべてが複雑に折り重なって、
多様でありながら一つの身体のように活き活きと響き合う。
そんな生き方やそんな繋がり方が理想だし、
制作の場はまさしくそのモデルだと思っている。

人類がどうやって誕生したのか分からないが、
10万年くらい前に生きていた人達と、
今の僕達ではどちらが豊かなのかは一目瞭然だろう。
感覚の開き方が違うし、見ている世界の多様さが違う。
僕達は人として日々退化して来たのではないか。

原始の感覚を取り戻すことこそ、実は前に進むことだと思う。
たくさんの声を聴き、たくさんの感覚を使って、そしてたくさんの世界を生きよう。
人として持って生まれて来た能力をちゃんと使わないから、
争いが絶えないのだと思う。

制作の場が森のようであれば良いと思う。
そこへ入る人達が失われた感覚を取り戻すことにもなるだろう。

2015年3月12日木曜日

ラストシーン

今日はあっという間に夜になった。
暖かい春の一日。
夕方まで外へ出なかった。
事務仕事がいろいろ。

昨日のブログで3・11についてあえて触れなかった。
何も終わってはいないという実感だ。
そして書けば恐らく多くの人が聞きたくないところまで深入りしただろう。

いつも書く事だが、僕達は現場を通して最大限に答えたい。

伊勢神宮での佳子内親王の映像をテレビのニュースで見た。
立ち居振る舞いの素晴らしさ、美しさに見とれてしまった。
何か儚くも無垢なるものの凛とした佇まいというのか。
感動した。
日本のこう言った制度をどう考えるかとは全く別次元の話として。

以前に「終わりから始める」というテーマで書いた。
どんな風に書いたのか忘れてしまったが、
僕が様々な場所で発言したり書いたりしている中で核心的な部分だと思う。

また終わりについて考えていた。

何故作家もスタッフも場に立ち続けるのか。
僕には一つの答えがある。
それは一枚の絵のように明晰に見えている。
終わりの景色を見るために、僕達は場に入る。

見たい景色、見せてもらいたい景色、見せてあげたい景色。

現実に目を瞑るのは間違っている。
どんなに悲惨で堪え難いものであっても、しっかり目を見開いていなければならない。
なかったことにしたり、見ない振りをして逃げる人が多い。
でも、この現実は底知れず悲しいものでもある。
ままならないし、思うに任せないのが人生。
生きている限り、この事実から目を塞ぐことは出来ない。
そんな現実を真っ正面から生きている人達、生きざるをえない人達と出会って来た。
多くの人の挫折や無念も背負って来た。
見て来たものを僕は忘れない。今でも、そこに答え続けている。

どうしようもないもの。
僕らはどんなことになるのか分からないような現実を生きている。

だからこそ、自分も見たいし、人にも見て欲しい景色がある。
それを見た時にはみんなが、ああこれで良かった、素晴らしかったと思えるはず。

クラシックのすぐれた演奏では、
最後の場面でこれまでのすべてが目の前に現れて、意味付けられ輝く。
その時、初めて気がつかなかった細部がどんな意味だったのかが見える。
ありとあらゆるものが一つの場面の中で大切な場所におかれている。

物語は何の脈絡も無く流れていた。
そこには悲劇も喜劇もあって、それ以外の何でも無いものもある。
最後の情景が現れた時、これまでのすべてが思い出されて、
そして、その時には分からなかったことが明晰になって、
その時以上に生命を持って迫って来る。
音楽が流れ、エンディングロールが流れる。

ああ、なんて奇麗なんだ。なんて輝いているんだ。
全部のことがそれで良かったんだ。
それはハッピーエンドとは違う。
あえて言えばハッピーであり得ないことも含めて、それで良いと思える場面。

終わりとは物事の本当の姿が見える場面だ。
終わりに至るまでは僕達には断片しか見えていない。

そして終わりは、終わりにしかない訳ではない。
終わりはどんな瞬間を切り取ってもそこに存在している。
ただ僕達が見ようとしないだけだ。

終わりから照らして、今を生きて行く。
思い出すようになぞるように生きる。
そうすればもっともっと大切に物事を扱うことが出来る。

この宇宙や世界が、いつどんな風に始まったのか分からないが、
終わりから始まったのではないだろうか。
すべてが最初から完璧で、だからすべてが終わっていて、
遡るように始まっているのではないか。
始まりと終わりは同じものを別の角度から見たにすぎないのかも知れない。

僕達はどこかで終わりを記憶している。

制作の場で作家のこころから作品が生まれるプロセスは、
始まりからも終わりからも同じようにたどって行くことが出来るような、
不思議なものでもある。
選ばれる色や線にしても、一つ一つの瞬間にしても、
そのようにしかあり得ないような形になっている。

僕達にはそれは当たり前で、ラストシーンを知っていることが、
どれだけ制作の場に必要なことなのか、思い知らされている。

ここまで書いて来て、ちょっと今日のテーマは分かりづらいかも知れない。
というよりはこんな考えは不必要な人の方が多いのかも知れない。

今回は思い切って少数の人向けに書く。

これもプライベートな部分の体験であって、
もしかしたらこういうイメージが役立つ人がいるかも知れないので書いて見る。

変な話だ。
多分、どこでも話していないし、書いたこともない。

僕の最初の記憶と思われるもの。

僕は知らなかったのだけど、兄の上に産まれた時に亡くなった姉がいたそうだ。
母は一時期クリスチャンだったから教会にお墓があった。

その姉に関する記憶だ。
景色は白か灰色か、何の色も無いのか、僕は大きな建物の前にいる。
建物はただ巨大で四角い。これも大きな穴のような空間が広がっている。
穴には建物の中からしか入れない。
あたりには何一つ存在していない。
姉がいる。姉と言っても身体はなく、声だけの存在。
そのあまりに大きくて全体が見えない四角い建物の前で、
僕はずっと姉と一緒にいる感じがする。
こっち側に来たらだめだよ、と姉が言う。
あなたはこれから生きなければならないから。
こっちに来たらもう帰れないから、と。
そこに在るのは無限のような感じだ。
むこうに無限が見えていて僕は入り口にいる。
姉は声だけでむしろ、その無限の声のようでもある。
全部が終わったらあなたはここに帰って来るのだから、
今は安心してあっちにいきな、と姉が言う。
あっちに行くとはこの世界で生きることだな、
父や母のいる世界で人生を始めることだな、と思ったとき、
姉が、父が何故男になって、母が何故女になったのかを教えてくれた。

この情景は多分小さな頃に夢で見たのだろうが、
僕は大人になるまであれが夢だったとは思っていなかった。
たしか、何度か母にその話をした記憶がある。

あの場所は始まりの場所であり終わりの場所だった。

色んなことがあって、
たくさんの人のこころと言うものの深みに触れる仕事をするようになった。
今ではあれが何を意味しているのかが分かる。
人は誰しもこころの深い場所ではラストシーンを持っている。

始まりの記憶は終わりの記憶で、そこでこそ僕達は繋がっている。

あの場面の記憶はどんどん薄れて行ったけれど、
場に立ってみんなと見ている景色は、それと同じなのだと思う。

2015年3月11日水曜日

明るい風

寒い日が続いています。
でも、東京は陽は照っていて柔らかい空と空気は心地良い。

いやー、昨日は強い頭痛で珍しく薬ものんだ。
体調があんまり良くならない。

制作の場は上質。
とてもとても深くて良い時間になっている。

僕達はこの時間に賭けて来たし、今後もそうして行くだろう。

ようやくしっくり行く感覚がある。
引っ掛かって離れなかったものから解放された感じ。
深い納得。
これまで生きて来て、仕事の上でも追求して来た事がある。
答えは出ていたし、認識もそんなに変わった部分は無い。
でも何と言うか、それぞれが芯に入って行くとか、
収まるべきところに収まって行く感じがある。
身体においてもこころにおいても、
ああそうだよね、という確認が生まれ、スッキリした部分がある。

シンプルだけで、そしてこれまでも分かってはいたはずだけど、
本当に本当にこれがすべてで、そしてこれで良いのだと思える。

だから生きて来て良かったと思えるし、
すべての出来事に、人に感謝している。
そしてこれからも進んで行きたいと思う。

場においては普段以上に深く生きて、人生にタッチして行くし、
全身の感覚をすべて使ってその場に入っている。
その経験の繰り返しが今の認識に連れて行ってくれたのだと思う。

同じ一つのことだけしか無いようだけど、
その深みが変わって来るし、より見えて来る事は確かだ。

場は、身体もこころも変えてくれる。
そして、何が正しい在り方なのかを教えてくれる。
いつでも場から全力で学ぶべきだと思っている。

爽やかな風のような空間を、時間を生きて行きたい。

2015年3月7日土曜日

静かな雨

雨ですねえ。
とても静かな朝です。

今日もみんなと一緒に場に入れることが嬉しいです。
丁寧に時間を重ねたいです。

最近またこのブログを開いて下さる方が多くなっているので、
なるべく書いて行きたいと思っています。

でも大切なことはもう殆ど書いたかな、とも思います。

昨日のブログはシンプルだったけど、何か大切なことが書けたと思う。
さらっと書くつもりが、
たまたま色んな人のことを思っていたら、ふっと言葉が出て来てしまった。

そんな訳で続きということでもないが、今日も少しだけ。

制作の場は人生の縮図だと思っている。

そして場はいつでも 「深く生きよ」と言っているように感じる。

生きていて良かったと思える時間。
もう何も要らない、と感じる時間。
もっと言えばこのためにこれまで生きていたのか、と思えるような。
そんな瞬間が生まれることが、場の理想だ。

持っている人ほど、能力のある人ほど、
表面的な部分をなで回すだけで終わってしまう、という場面を何度見たことか。
浅いところをずっと触っているだけで一生が終わる人もいる。

無防備であること、裸であること、何も持たないこと。
いつでもそれが大切だと思うのは、
そういう人ほど与えられるところを見て来たからだ。

自分のことを考えている人、得しようとしている人達。
そういう人達は深い部分にタッチ出来ないようになっている。

場に立っていて、凄いな、と思える人ほど、外では評価されていなかったり、
不遇の人が多い。
逆に偉いと思われている人のほとんどが、
場に入れば見られたものではないほどに浅い。

作家達の中に、とんでもなく深いところから絶えず語りかけて来る人がいる。

逃げようとする人もいる。
なるべくなら触れまいとしたり。
でも、深い部分に触れられないのには、それなりの理由があるので、
それはしかたのないことでもある。

相手が自分の全存在を賭けて投げかけて来るものに対して、
小手先で返す人がいる。
なんて寂しいことをするのだろうか。

逆に投げても表面的な部分にしか触れてくれないだろう、と諦めている人もいる。

だから僕達は場に入れば、それぞれがどんな地点に立っているのか、
感じ合ったうえで対話して行く。

そこから来るのね、じゃあ、こんな感じかな?
こんなところから行くよ、もっとあるよ、もっと掘ってみよう、
一緒にもっと潜ってみよう。
そうですかあ、じゃあ僕はこうだけど。こっち?あっち?
もっともっと深いものがあるよ。もっと奥があるね。
凄いところまで行くね、ついてくよ。見せてくれてありがとう。
一緒に見つけたね。また行こうね。
こうやって僕達は響き合いながらお互いを深めて行く。

2015年3月6日金曜日

三寒四温

まだまだ寒い日は寒い。

水曜日はあたたかくて気持ち良かった。
あの幻のような景色。

最近も振り向くと月に照らされている。

この時期に体調を崩す人も多い。
僕も鼻炎と目の腫れがようやく治まりつつある。
今年はしんどいなあ。

アトリエへ寄せられる沢山のメッセージに、
皆さんの思いを強く感じる。

僕には一生懸命に場に挑むことしか出来ない。

みんなの願い、みんなの思いがなぞられるように、大切な時を刻みたい。

僕個人の状態で言えば、
上手い下手とか技術的な部分、感覚的な部分は毎度言うが衰えている。
一番良い時の状態とは程遠い。
ただ、場の本当の意味を分かって来ているのはむしろ今だ。

そして増々、自分の力を離れて、これまで与えられ、教えられて来たことや、
たくさんの人や瞬間が、僕を動かしている。
忠実にただ動かされていれば良いという風になって来ている。

無数の声が同時に聴こえ、無数の波が折り重なっている。

このあるべき場所にすべてがあるという感覚に安らぎを覚える。

僕らが場の中で教えられて来たことで大切なことがある。
様々な状況にある人と一緒に生きて来たけど、
そして人生は辛いことや悲しいことにみちているけれど、
もっと深いところでは大丈夫なのだ、という実感だ。
もし、この深いところではすべて大丈夫だ、
という実感を例えその時だけでも共有出来るなら、
それこそが最高の現場だと言える。

今の世の中だって救い様の無いような現実が日々、繰り返されている。

出会いも別れも、それにとんでもなく不条理なこともある。
少なくとも僕は慰めで解決しようとは思わない。
色んなことを諦めてこの場にいる人もいる。
僕自身もたくさんのことを諦めざるえなかった。
道なかばで倒れた人達や、絶望の先が見えなかった人達もいた。
どんな人のことも決して忘れない。
そのとき出来ることは全部やって、やり残しの無いようにして来た。
それでも、あれで良かったのか、もっと他になかったのか、
という気持ちはある。
でもどこかで、もっともっと深い場所ではみんな大丈夫だ、
ということがふっと分かる時がある。

場の中で何故深いところまで行きたいか、というとそういうことだ。

深いところでは今もみんなが繋がっている。
大丈夫な場所がある。そこでは、すべてがあるべき場所にある。
全部がこれで良かったのだと、これで良いのだね、と思える。
そんな場所が一人一人のこころの奥にある。

いつでも僕達はそこに気づくことが出来るはずだ。

2015年3月3日火曜日

灰色の景色

曇り。
タイミングを間違えて洗濯してしまった。

色々と心配なことや不安も多いこのごろ。
それにここ数日は花粉なのか、鼻も調子が悪いし目が腫れて重い。

昨日はたまたまお昼の時間、イサとあきの2人しか居なくて、
2人がやさしい日差しの中でお昼を食べていた。
家じゃん、と思いながら、こんな時間もまた大切だなあ、と。

人が落ち着ける場所も少なくなっている。

放射能やPMなんとかや、大気も汚染されて、本当にどうなってしまうのか。
落胆してはいけないが、現状を軽く見てもいけない。

僕達はどこまでも本当のことを追求して行きたい。

作家達は勿論だが、これまで出会った人達や、関わってくれた人達、
様々な場所で生きている人達。
みんなが幸せであって欲しいと願う。

人を想う時間が日に日に増えて行く。

それからまた、自分を超えた何かがずっと自分を動かしている、
という感覚が強くなって来た。
もうそれだけしか残らないのかも、とも思う。

僕はこれからも場に教えられて来たことを実行して行くだろう。

2015年3月2日月曜日

2014年9月9日のこと

去年の暮れに中原さんから頂いていた映像を、
ようやく見ることが出来た。
東京都美術館で行われた最後の公開制作の記録だ。
見るまでにも時間がかかったし、これについて語ることを控えてもいた。
語る準備がやっと調ったというよりは、覚悟が決まったと言うべきか。

同じく東京都美術館で行われた、「楽園としての芸術を語る」という講演において、
僕達の仕事の核心に触れる対話が行われている。
この時、僕は殆ど真っ正面から語っていたが、
一つだけ曖昧にしたのが9月9日のことだった。
中原さんからその日の場についてふられた時、ちょっとだけはぐらかしている。

何故、そうなったのかと言うと、語ることに躊躇があったこと、
それから終わった現場を特別視することは最も避けなければならないことだから。

それでも書いておくべきことだと思うところがあって、
この時期になってしまった。
ここに書き終われば今後はもう語ることは無いと思う。

何よりも自画自賛と誤解される恐れもある。
最初に一言だけ言うなら、現場においては自分というものは素材にすぎない。
従って場の中の自分を僕らは客観視しているし、
そこでの自分を褒められようと貶されようと、あんまり気にならない。
特に僕の場合は場の中の佐久間は別の人間のようなものだ。

この日に至るまでの佐久間個人のストーリーが色々あって、
そのプロセスも結構面白いが今回は書かない。

もう一つだけ、こうしてあの場について語れるのも中原さんが、
映像に残してくれたお陰だ。本当に深く感謝。
映像自体も素晴らしい。

さて、本題だ。
9月9日、スーパームーンの日。
特別な時間が流れていた。
「場」と呼ばれて来たものが、多くの人の目の前に存在していた。
創造性とは何か、美とは何か、関わるとは、繋がるとは何か、
生きるとは、生命とは何か、自然とは何か、
その一つの答えであり、最もシンプルな形で見えたのがあの場だった。
創造性の源に触れて行くことがどんなことなのか、
その厳粛な営みは本来は人目にさらされるものではない。
その日はいとも自然にそれを見ることが出来たと言える。

恐れることなく素直に、かつやさしく、
てる君は深い部分に軽々と触れて行く。
それを受けた佐久間は躊躇することなく「当然だよね」と答える。
そこから行くのね、じゃあもう奥まで行っちゃおう、というように。

筆は意図することもなく動き、自然に色が重ねられて行く。
2人とも自分が消えてなくなっている。
ただひたすら生命と美の仕組みに従っている。
極めて繊細な場面がなんの危うさもなく、淡々と進められて行く。

2人はただ身を任せているだけで、
美も深い繋がりも仕組みそのものから生まれて行く。

これこそが本当の意味での描くことであり、生きることだ。

あまりに素晴らしくて映像を見ながら感銘を受けた。

佐久間の動きはほぼ理想的なもので、重力感もなく、そして透明。
命を投げ出す強さと、素をさらす勇気、それに素直さと謙虚さ。
装うことなく、何の見栄もはったりもない。
そのまま、まっさらで、しかも微動だにせず且つ柔軟だ。
この日の佐久間は明らかに「場」への感謝が表情に現れている。
それに、これまで様々なことを経てここへ立っている、という存在感。

ただ居るだけで、ただ立つだけ、ただ座るだけで、勝負は決まるという話の、
実践例とも言える。

2人とも浅いもの表面的なものが出て来ない。
最後までこれで行くと決めたかのように。
小手先の技術は一切使わない。
素と素が触れ合う。魂が響き合う。
美は溢れ続ける。誰のものでもないものとして。
僕達は草や木の様にただ、そこに漂っている。
風に吹かれている様に、川が流れるように、海の波のうねりのように。
場の意思に従う。
佐久間は完全に何かに動かされている。意思も意図もそこにはない。

こうなれるところこそが佐久間の良さだ。
これがあるから佐久間の入る場は特別なものになって行く。
外で話している言葉の数々は、この場に立つ一瞬に遥かに届かない。

3時間半を超える時間が静かに流れて行った。

ある方が感想で話してくれたことだが、
あれだけお互いを大切に丁寧に接し続けて、終わるとさっとまたね、
で離れて行くことが印象的だったと。
深いものを共有するということはそういうことかも知れない。

あなたたちの場は輝かしい。あなた達は生きている。
本当のものを知っている。
9月9日は2人で場に入っていたけれど、
実はそこには多くの存在が居た。
本当にその場に無数のそういう人達が、これまで場を育ててくれた人達や、
佐久間を創ってくれた人達が、その場で生きていた。

僕達は主張するよりも、そして批判するよりも、
批判に答えるよりも、こうしてやってみせる、実際に形で見せる。

これが僕達の回答だ。こういう世界が本当じゃないですか、という。
やってきたことすべてが間違っていなかったとつくづく思う。


2015年3月1日日曜日

今日からまた

曇り。少し雨っぽい。

昨日帰って来て、今日からまた制作の場へ入ります。

気まぐれ商店やダウンズタウン関係の動き、
家族との大切な時間、いつも大きな海。
三重での充実した日々。

新しいことが沢山あって、これからまた変化の時期に来ている。
個人的にも。

大変なことも多いが、その分新しいところに気づかせられる。

この数年でよし子が心身ともに逞しくなっているのに驚かされる。
そして、悠太の成長。

気まぐれ商店のHPも是非ご覧下さい。
日々、更新されています。
今アトリエで一番動きのある部門です。

花粉、凄いですね。
僕もくしゃみ、鼻水、それに目も赤くなって腫れて来ました。

帰って来てラーメン屋で食べていたら、ユーミンが何曲も続いてながれて来て、
不覚にも曲が入って来た。
あんまり好きじゃないのに。
のっぺらぼうで機械みたいな声が、何故か色んな記憶と重なって入って来る。
ユーミンの曲の持つ力なのか、思い出がそうさせているのか分からない。

パン工場で働いていた頃、製造ラインで流れていた曲。
学舎にいた頃、目の前がスキー場で一日中その手の音楽がなっていた。
ゲレンデでは仮説の店も出来て、そこまで歩けば山を下りなくても買い物が出来る。
あの頃の生活では冬に便利になる唯一の場面。
雪の中を歩くとスキーやスノーボードを楽しむ若者や家族。
学舎の生活とかけはなれた音楽が、その頃何故か響いて来た。
僕らは冬の間は雪に閉ざされて、外部の人に会うこともなく、
ひたすら雪かきの日々だった。
春とか夏に、恋愛みたいなことをして、
冬の間はその記憶が寂しさとともに安っぽいラヴソングに重ねられる。
青春の匂い。

穏やかな気候になって来た。今日も良い現場が出来るだろう。

もう春かあ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。