2016年5月24日火曜日

ワルトシュタイン

皆さんお久しぶりです。

連続して書き続ける形は終わりにしましたが、
お知らせして行くことは書いて行く予定で、そのようにお伝えしたのですが、
そのまま今まで更新出来ずに来ました。

実はパソコンの調子も悪くて、何度かトライして失敗を繰り返していた。
先日、モロちゃんに直してもらって無事に復旧。

今、時計の針は12時をまわっていつの間にか5月24日だ。
今日から39。30代も最後の一年に入った。

今年に入ってから色んな事があった。

一緒にやって来たスタッフが東京を離れることになったこと。
深い心の奥を共有していた晴子が亡くなったこと。
平日のクラスを閉鎖せざるを得なくなったこと。

東京アトリエは新体制へ向けて、沢山の対話と準備を必要とした。

ようやく次の形が整って来た。
このタイミングで、
長くアトリエに気持ちを持ち続けてくれた仲間達が協力してくれることとなった。

僕は少しづつ東京の現場を離れつつある。
作家達もスタッフ達も、とても良い感じでフレッシュな場になろうとしている。

先日みんなを見ていて思った。
必要な方向へ向かって進んでいる、と。
すべてのプロセスが無駄ではなかったと。

みんなが協力し合うことで、
これまでより更に良くなった東京アトリエを見ることが出来るだろう。

僕自身も決意を固めて、8月以降は生活の場を三重に移す予定だ。
ただ、東京での仕事は継続するものも多いし、
新たな依頼も必要なものはお受けして行くつもりなので、行き来はして行く。
そしてまだ東京アトリエの責任者としてやって行くことになる。

だからそれほど大きくは変わらないけれど、
住む場所が変わると言うことは、やはり色んな部分での変化の時。

引き継ぎなので今は場に立ちつつだけど、離れて見えてくるものの大きさに驚く。

スタッフ達の素晴らしさには本当に感謝している。
最高のチームだと思っている。

無数の場が今でも僕の中を生き続けている。
一つ一つの場面が輝いている。
幾つもの人生を同時に生きている感覚だ。

小さな頃からずっとずっと聴いて来たバックハウスのベートーヴェン。
ソナタ全集は2回録音が残っているが、最近は1回目の方を聴くことが多くなった。
あんなに聴いて来たのに、新しく聴こえるようになった。
バックハウスのピアノだけが人生の音がするのは何故だろう。

今日、友枝喜久夫のビデオを見た。
場で見て来たもの、人生で見て来たもの、無数の夢を舞う。
無数の時間、無数の空間、ここやあそこ、過去や未来。
すべてが同時に折り重なっているように。

見えているものは仮のもので夢のように儚い。

認識の深みから見た時、全く違う景色が見えて来る。
淡く儚く夢のようなこの景色こそが本当なのだと。

友枝喜久夫の能も、場と言うものも共に走馬灯のような世界だ。

困難な時代。危機は今後も増々大きくなって行くことだろう。
命ある限り、より良くして行くことを諦めない。

力を合わせてこの世界、面白くして行きましょう。
そしていっぱい笑いましょう。

バックハウスの演奏で聴くワルトシュタインは素晴らしい。
変わったこと、奇抜なこと、思いつきを嫌うバックハウス。
譜面に書いていないことはしないバックハウスが、
3楽章の途中で一瞬音を止めている。
この休止は謎だ。2回目の録音でもライブ録音でも休止は行っていない。

最後に向かう大きなスケールの流れの中で、ふっと深淵が姿を現す。
その瞬間は全体像が俯瞰されているようでもある。
そこに人生が宇宙がある。

2016年5月24日。これからの予感を感じながら。
ちょっとだけ成長出来たかな、と思えるのは人を信頼出来るようになったこと。
そしてみんなのことが大好きだ。
いつも不器用だったけど、一生懸命、喜んで欲しくてやって来た。
上手く出来なかったり、誤解されたりしたけど、
大切に思ってくれる人達に出会えた。
本当のことを言ってしまうと、やりきって来たし、見るべきものは見たと思う。
何人分も生きたとさえ思う。楽しかった、幸せだったと思う。
いつ終わっても、良かったと思える人生だった。
出会えた人達のお陰で。
だから恩返しのつもりで生きて行かなければ。
命尽きるまで走り続けよう。

このページはこれからも時々お知らせをお伝えします。
3ヶ月に1回くらいのペースになると思います。
もしかしたらもっと空いてしまうかも。

読んで下さった方々、どうかお元気で。
良い意思を持ち続けることで繋がって行きましょう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。