2014年2月28日金曜日

夢の中の夢

今日は天気もよくて暖かかったですね。
明日はまた寒くなるそうです。
早く春が来ないかなあ。

さて、このブログも本当に多くの方に読んで頂いている。
ここでの目的はただ一つ。伝えることにある。

様々な話題に触れるし、社会でおきていることや、僕自身の身近なこと、
最近あったこと等、些細な事柄を扱うことも多い。
でも、核となるテーマと関わらないことに触れたことは無い。
これは日記ではないし、日常的なあれやこれやを思いつきで書いている訳ではない。

どんなに小さなことでもそこに繋がる何かを見いだした時だけ書く。

伝えると言ったが、何を伝えるべきなのか。
これにはいくつかある。仲間や内部の方達に向けたものもあるし、報告もある。
でも、一番ここで伝えたいのは、ダウン症の人たちの世界観であり、作品のことだ。
作品や彼らの世界は直接的に言葉にすることは出来ない。
だから、自分自身の経験を通じて書く。
勿論、彼らの世界そのものではなく、それを自分の中に入れた時、
何が見えどんな世界を生きることになるのか、そこを書いている。

低次元の問題に興味は無い。
時間はそんなにないのだから。
彼らの世界に触れることは自分に向き合うということでもある。
大切なことは自分を変えて行くこと。もっと言えば自分を超えて行くことだ。
美を経験すること。
そして、無限に向かって開かれて行くこと。

昨日は何となく始めて、結局一日、部屋の片付けをしていた。
色々と準備もあったり、やっておかなければならない仕事もあったりで、
どこから手をつけようか悩んだが、いいや今日は片付けだけにしよう、と。
日頃から心がけておけばこんなことにならないのに、
一人だと本当にだらしなくなってしまって。
ようやく片付いて来ると、読もうと思って読んでなかった本とか、
色んなものが見つかった。
更にはストーブが壊れていた。問い合わせると危険は無いということで良かったが。

疲れたのでゆっくりお風呂に入って、寝ようと思ったとき、
物の下敷きになっていたDVDを発見。並べ直しているうちに懐かしくなった。
布団に入って電気も消して途中で眠ってしまったらそれで良いという気持ちで、
映画を見始めた。そして最後まで見てしまった。
タルコフスキーのサクリファイス。
田舎に帰ったような感じで、映画の中では何も変わらない景色が広がっている。
いや、でも確かに見えるものは変わって行く。
タルコフスキーはすべての作品が素晴らしいが、この作品はまたちょっと違う。
得意の鮮やかな映像美は健在だが、やや靄がかかっていて、
他の作品より薄くなっている。
タルコフスキーの作品はいつも夢と現実や正気と狂気、生と死といったものが、
繋がり境界が消えて行く。
けれどそれは離れていたものが一つに繋がって行くような感じだった。
サクリファイスにおいては始めから境界が存在していない。
すべてはもっと曖昧でぼやけている。
悪夢のような場面で核の恐怖に怯えるシーンは現代のようだ。
この現実も夢の中なのかも知れない、と感じてしまうほどリアルだ。
リアルなものほど夢のようであり、夢のようなものほどリアルでもある。

この映画の場合、サクリファイスというテーマにあまり拘らない方が良い。
作者自身はどう考えたか分からないけれど、
あらゆる芸術において、いや芸術のみならずだが、
作者が作品を一番理解しているとは限らない。
作者自身も作品の前では、
僕達と同程度かそれよりちょっとだけ認識があるということだ。

特にタルコフスキー作品は様々な解釈が可能なように出来ている。
複雑で重層的だ。
それ自体も作品の一部といえる。現実は重層的なものだから。
あえてサクリファイスというテーマを考えると、
この世界という無限に対するとき、有限である僕達人間は自分を捧げるということが、
唯一のコミニケーション手段なのではないか。
サクリファイスとは無限に開かれる行為だ。
だから本当はどんなに小さな行為でも、それを無限に対して捧げているともいえるし、
そう考えたら僕達のすべての動作がサクリファイスだとも言える。

現実がある時から夢になり、幻想が現実になる。
そういった世界が描かれて行く中で、
最後となった作品であるサクリファイスにおいては、
最初からすべてが夢であって幻であって幻想である世界がずっと続いて行く。
しかもこの夢は僕達の言う夢ではない。
夢は必ず醒めるが、この夢は醒めることが無い。
夢から醒めるとまたそこは夢で、その夢から醒めるとまた夢、
そんな世界が永遠に続く。

今回もう一つ気がついたのはこの作品を見ていると、
他のタルコフスキー作品の様々な場面が走馬灯のように蘇って来るということだ。
これは本当に不思議だ。

タルコフスキーの描いている世界は僕にとっては現実そのものだ。
多分、こっちの方がリアルで本当だよ、ということを作品も示していると思う。

真っ暗な部屋の中で、本当はここは何処なのだろう、という感覚に包まれる。
はたしてここは何処で、この世界は何なのだろう。
そして自分は本当に生きているのだろうか。

すべては夢でその夢は重層的に出来ていて、
どこまで行っても繋がっている。

夢なのか現実なのか、生きているのか死んでいるのか、
過去なのか現在なのか全く分からない。
そんな感覚は年々強くなる。

そして何も分からないけれど、やわらかく無限に広がる世界の中で、
すべてはどこまでも光り輝く。
世界はやっぱり美しいし、素晴らしいものだ。

2014年2月26日水曜日

予感

のどかな良い天気で平和に見えるのに、大気汚染が恐ろしいことになっていて、
気がつかないところでどんどん悪い方向へ向かっている。
気をつけようと言っている場合ではなくて、
もはや気をつけて解決出来る場面ではない。

原発も含め、とんでもないところまで来てしまった。

諦めてはいけないし、もうしょうがないと思ってしまってはいけない。
でも現状は冷静に、そして重く受け止めるべきだ。
その上で、小さなことでも何が出来るのか考える。

アトリエも今後、小さくても良いから永続可能な環境を創っていきたい。
そして、ここから先は協力してくれる人が必要となる。
これまでのように僕達だけではこれ以上進まない。
力にも時間にも限界があるし、物理的にも難しい。
だからここはしっかりと協力チームを創って行く時期だと思う。

この世界にある秩序や人のこころの中にある調和について、
何度もテーマにして来た。
それこそが今、人類に求められているもので、
そのヒントがここにいる作家達にあると確信している。

彼らの描く作品は絶妙な調和を持っているが、
良く受ける質問の一つに「これは何処から描き始めたのですか?」というのがある。
勿論、最初から見ている僕らには答えは簡単だ。
でも、その時、立ち止まって作品を見ると、本当に不思議な感覚になる。
いったい何処から始めたのだろう、と。
一枚の絵の中でしっかりと完結していて、
そのようにしかなりようがなかったとすら思えるからだ。
もっと言うなら何処から描き始めていようと、必ずこうなったのではないか、
と感じてしまう。
だからこそ調和がそこにある。

このことは何かしら大きなテーマを含んでいる気がする。
もうそれこそ人生の深淵に触れているのではないか。
大きく捉えるなら、それはこういうことだ。
すべての向かうべき方向は予め決まっている。
一人一人は全く自由に自発的に描くが、そこにはすでにある秩序が働いていて、
その働きが必ず一つの場所へと導いていく。

すべては最初から決まっている、という感覚を否定出来ない。
これは人生や世界に対しての重要なキーかも知れない。

例えば、良くあるテーマとして運命論というのがあって、
もし運命が決まっているのなら、変えることは出来ないのか、
とか自由意志があるのかとか、そういうことを考えたことがある人は多い。
そこで、思うのだが、すべては決定的に最初から決まっているということと、
自由や偶然が全く矛盾しないということはあるだろうか。
言葉では矛盾してしまうけれど、僕はそのような感覚になる。
つまりはこの世界は偶然に満ちていて、人は自由で、
変えて行く力を持っているけれど、すべては最初から決まっている、と。

人生の中のある場面で、完全な秩序や調和を感じる瞬間がある。
葉っぱが散る光景や、誰かが居て、何かをしていて、その場面がピタッときまる。
映画を見ているような瞬間。
何もかもがあるべき場所にあるという感覚。
その時、人は美を感じる。すべては無駄ではない。すべては美しいと。

僕自身のことで言うなら、ものごごろがついてころから、ずっとある感覚がある。
なにかに確かに守られているという感覚だ。
それはどんな時でも感じていた。
守られている、包まれている、だから大丈夫なのだ、と。

苦難と困難の連続だった幼少期からの日々の中で僕がやって来れたのは、
この感覚のお陰だった。
反骨精神や強さを学んだし、それがいかに大事かも知っている。
でも、それらが自分の元だったとは思わない。
元にずっとあったのは守られているという感覚だった。

もし、この世界のすべてが予め決められていて、
それらは完全な秩序の中にあるとしたら。
何もかもが完全で、あるべき場所にあるのだとしたら。
守られているという感覚の正体はこの調和への確信なのではないか。

そこで考える。
美とは調和の予感なのでは、と。
おそよ大切なもののほとんどは予感と関係している。
そして自由な動きは予感をはらんでいる。
調和への予感。

彼らの作品を見ているとそのようなことを感じさせられる。

2014年2月25日火曜日

たくさんの声を出すカレー

ようやく、ようやく暖かくなったような感じですね。

アトリエへ通う作家たちはますます素晴らしい時間を作っています。
いい時期だなあ、と感じながら4月まで一ヶ月となってしまいました。
次の体制に繋いで行かなければなりません。

本当に不思議な位、日に日に良い場になって行く。
作家たちの見せる素敵な世界。
終わりはない。

東京アトリエは僕が月の後半を空けることになっても、
今より良くなるところまで行くと考えています。
その為の準備もしっかりとしてきました。

火曜日にクリちゃんがみんなに会いに来てくれました。
一緒にやって来た大切な大切な仲間です。
クリちゃんは島根県へ移住することが決まって、
最後にみんなに会いたいと来てくれました。
今後も何らかの形で繋がって行きたいと考えてくれています。
みんなのこと、アトリエのことを深く思ってくれていて本当に嬉しいです。
物理的には離れてしまいますがこれで終わりではありません。

繋がってくれている人達、思いを共にしてくれている人達が沢山居ます。
それも本当に強い強い絆で。
だから前へ進むのみです。

別れは確かにさみしいですが。

友の死からまだしばらく経ったばかりですが、
かつての仲間達からメールや電話で連絡をもらっています。
ごめん、と思いながら返事を返せていません。
逃げているのかもしれない。
返事をするくらいなら今すぐ会いに行くべきなのに、その時間がとれない。

食生活が偏りがちだったので外食を避けるようにしていた。
久しぶりに今日は外で食べようと思って好きなカレー屋さんへ。
家で絶対作れないものを食べようと思って店員さんに聞くと、
裏メニューみたいなのを教えてくれた。

そのカレーを一口食べた瞬間の衝撃は忘れられない。
一言で言えない本当に複雑な味。
強烈なスパイスの絡み合い。
普通はカレーには使わない多くの食材が入っていて本当に独創的。
甘み酸味、辛さ、それぞれが強烈に主張し合って行き来する。
猛烈なスピードで駆け回るように。
その味を噛み締めている時、自分の中で押さえていた感情がこみあげてきた。
何故だろう。
この複雑で強烈な味の混ざり合いに、僕はかつての日々や、
今は居なくなった仲間達の声や姿を見た。
生きることに精一杯で、必死になって走り回っていた人達。
そこには彼らと同じ位に必死だった僕自身も居る。
楽しいねえ、面白いね、痛いね、悲しい、苦しい、さみしい、
みんなが大きな声で笑ったり泣いたりしている。
誰も無傷ではいられなかったし、僕達は傍観者になるために生まれて来た訳じゃない。
見て見て、ほらここ、一緒に行こう、
これ凄いでしょ、面白いもの見つけたよ、あれ見た、あれ聞いた、
みんなが目を輝かせている。
その時その時が真剣で必死だった。
○○君××ちゃん△△さん、みんな居たね。一緒にいたね。
みんなみんなありがとね。

消えて行ったすべてのもの、人も時間も。
すべてが輝かしく美しいと感じる。
いや、なにも消えては居ないし、変わってもいない。
すべては今こうやってここにあるのだから。

転げ回ることをやめようとは思わない。
賢くなんてなる必要が無い。
いつだって全力で生きて行きたい。

制作の場は人生の縮図でもある。
みんなと力を合わせて今以上の高みを目指したい。

2014年2月21日金曜日

個性

よい天気ですね。
またしばらくブログの更新が出来ないかも知れないので、
今日は急ぎで書きます。

ずっとずっと、一人一人のこころと向き合って来た。
こころ、それも心の深くで動くもの。
それは「気持ち」のもっと奥にあることだし、
そこから創造性や自発性というものが動き出す。
そういう場所に触れて行くのはなかなか難しくて、かなりの繊細な手つきが必要だ。

こういうことを続けて来て、目的や動機というものを考える。
僕が一番目指しているのは人が自由になること。
その人らしく、自分自身になってもらうこと。
言い換えれば、個性ということだろうか。
個性というと簡単に聞こえるが、これが本当に困難なことでもある。

一人一人のリズム、ペースを取り戻す、ということはなかなか難しいことでもある。

今、例えば学生達と話したりしていても、ほとんど個性を感じられない。
個性とはちょっと変わっているとか、
人と違ったことをしてみるというような次元の話ではない。
その人がその人以外の何ものでもないということだ。
僕が向き合って来たような人達は一般的には障害を持つ人が多かったが、
彼らは個性を引き出しやすい。
それに比べて最近の一般的な人達は、ほってもほってもなかなかその人が出て来ない。
感触が薄い。人というのは確かな形を持ったもので、叩けば響く。
そういう人の形が感じられなくなっている。
いくら話していても誰と話しているのか分からない。

何故こうなるのかと言うと、その人が他の誰でもないその人で居続けることは、
困難に直面することでもあり、かなりしんどいことだからだ。

それでもそこに立ち向かい、逃げなければ、本当のその人が現れる。
その時、始めて人は輝く。個性こそが普遍だ。

その人の素晴らしさや美しさを見極めることが、僕の仕事の大半の要素だ。
これは人の形、人の個性を見つけて、それをそのまま出してもらうということだ。

さて、女子フィギアスケート、ご覧になった方も多いと思うが、
いやー、素晴らしかったですね。いい意味で予想外の展開でした。
浅田真央選手につきますね。
なぜ、スポーツやオリンピックを見るのかと言うと、
ああいった場面に出会うためでしょうね。
あらためて、浅田選手の底力、凄みを思い知らされて、
やはり希有な人なのだと感じました。
あくまで競技なのでこれを言ってはいけないのですが、メダル以上です。
金メダルは4年に一度、誰かはとるけど、ああいう演技はほとんどないと思います。
浅田真央選手の凄さはやはりオンリーワンの存在にあると思います。
他の誰も出来ないことをやってのけたのだと思います。
だから、僕達は浅田選手の何に感動したのかと言うと、個性だと思うのです。
大技を沢山決めたから凄いのではなく、そのようなプログラムで挑もうとした、
その動機が彼女以外の誰でもない個性だからだと思います。

個性を実現するということは、ここまで人を感動させることであると同時に、
このくらいの困難を伴うことだと思うのです。
僕自身、最近元気が無かったので、月並みな言葉ですが勇気をもらいました。

世界中が注目するあのような大舞台と、
僕達が生きている人生という小さな舞台とでは違いもあるけれど、
本質は同じだと思います。

現場に帰り、一人一人が自分らしく生きて行く手伝いが少しでも出来ればと、
気持ちを新たにしました。

余談ですがキムヨナ選手も本当に素晴らしかったです。
動作のすべてが美しくて気持ちがこもっていました。
表情も良くて感動ものでした。
スポーツ性よりも芸術性が凄い選手でした。
そして、こころも強い。
演技全体の素晴らしさ、美しさは一番ではないでしょうか。
個人的な好みで言えば、キムヨナ選手のように内に秘めた表現が好きです。

でも、みんな良かったですね。
頑張って生きて行こうと単純に思いますね。

2014年2月20日木曜日

情緒

寒いですが春の気配が感じられるようになって来ました。
ああ、もうすぐ春だなあ、と思って四季を感じていると、
本当に大切なのは情緒なのだということがふと頭にうかんだ。

人間、最後のところで感覚が大切だと何度か書いたけれど、
感覚でつかんだものを今度は味わって行く情緒というのも大切だ。

四季があって、季節の変化の中で情緒が育って行くというのは素敵なことだ。

ダウン症の人たちのことをずっと書いて来たが、
彼らはやっぱりその情緒という部分でも優れている。
季節も出来事も、どんな小さなことでも、反芻し自分の中に入れて行く。

だから彼らはこの瞬間を本当に深く生きている。
つまりは豊かだ。

僕達のアトリエではこういった感じる時間の流れを大切にしている。

一緒に居てくれた人達が居なくなってしまうのは悲しい。
胸が張り裂けそうになる。
でも、悲しみがあるから慈しみ、大切にする気持ちが生まれる。

テレビでドキュメンタリーを見ているとある写真家が、
「悲しいことに人が死ぬ度に腕が上がっていく」と言っていた。
確かにそうだろうな、と思う。

せわしなく過ごす日々だが、こんな時こそ静かな時間を持ちたいとも思う。

本を読むには纏まった時間がいるから、短い時間ですぐに気分を変えられるのは、
やっぱり音楽になる。
最近はクラシックはあんまり聴かなくなっていた。
何故なら長いからだ。好きな曲は交響曲が多いから。
だからクラシックもピアノを良く聴く。

聴く音楽はジャンルを選ばない。
最近はアルトンエリス、ピアソラ、ファイルーズ、
あたりで何の一貫性もなく聴くことが多い。

情緒ということを考えると、クラシックの演奏家はずいぶん情緒を失ってしまった。
そういうのはもう古いとでも言うようにメカニックな演奏ばかり。
人生や人格が匂い立つような演奏は皆無。
もっとも、僕も情に流されないで厳しく自己を律した演奏が好きではある。
でも、ただでさえ生きていることは辛いことなのだから、
音楽くらい甘美なものであっても良いのでは、と思うこともある。
ヴァイオリンで言えば、エリカモリーニやショコンダテヴェートあたりを聴くと、
こういう情緒が何事にも欠けた時代だと感じる。
やっぱり良いなと。
久しぶりにクライスラーを聴くと、これも良かった。

掛け替えのない瞬間を生きているのだから、慈しむように大切に動きたい。

バッハのエールをチョンキョンファのヴァイオリンで聴く。
こちらは厳しいけれど、とても静かで崇高な美がある。
バーバーのアダージョやパッヘルヴェルのカノン、ヴィヴァルディの四季、
それから、とにかく美しい音楽は沢山ある。

オリンピックを見ていると、悔しい思いをした人達も本当に立派だ。
選手達が勝たなければ意味が無いという気持ちで挑むからこそ、
見ていて勝ち負けではないと思わせられる。
勝つべき人が勝てない中で、羽生選手は本当に素晴らしかった。
あれだけ多くの人を感動させたのも珍しい。
やっぱりこんな時代だからこそ、清潔なものに憧れるのだろう。

浅田真央選手はショートは残念でしたね。
フリーはどうなるのでしょうか。
何故か僕の周りでは応援する人が少ないのですが、
キムヨナ選手は凄いと思います。
ショートでの演技、本人は納得していなかったようですが、美しかったです。
彼女はいつも素晴らしいと思います。

僕達は一生懸命に自分に任された仕事をして、
そして全力で生きて行くこと、それがすべてなのでしょう。

2014年2月19日水曜日

さようなら拓巳さん

突然ですが今回のブログは亡くなった友のために、
書かせていただくことをお赦し下さい。

生きている限り、別れは避けられず、悲しみは何度も何度も経験しなければならない。
悲しい、寂しい。空気に触れるだけでヒリヒリするように。

共働学舎時代の親友、寒川拓巳さんが亡くなった。48才だった。
ご冥福をお祈りします。

正直なところ、今は何も語る気はしない。考えられない。
でも、今書かなければならない気がしている。
後回しにしてはいけないと思う。
もし、僕が書かなければなかったことになってしまう多くのことがある。

だからなるべく冷静に振り返ってみたい。
書けないかも知れないけれど。

東京に出て来て13年ほどだろうか。
その間に、のぶちゃん、山岸さん、片山さん、そして拓巳さんと、
4人もの仲間を失った。

拓巳さんはプラダーウイリー症候群という障害を持っていた。

僕が今のような仕事や生き方を選択し、
多くの人達の助けを借りて実現出来ているのは、
16の時に、林さんや拓巳さんやみずほさんやクニちゃんやのぶちゃんや、
榎戸さん、しげるさん、谷口さん、ほりおちゃん、
そしてみんなとの出会いがあったから。

彼らに出会った衝撃は大きく、僕はその頃に見つけた課題を未だに追いかけている。

拓巳さんのことを書く。
本質的に語れるのは僕以外にいないと思うから。
でも、これはあくまで僕の見方であって間違っているかも知れない。

一般の人達は障害というものがあるということよりもっと、
健常であるということが確かに疑いなく存在していると考えている。
健常とはノーマルで普通の在り方だと。
もっと言うと、普通と言う状態は一つしかないと信じている。
そこでは健常で普通と思われる状態以外の人達は単におかしいとか、
劣っているとか、訓練して健常に近づけるべきとか、
あるいは健常な人達と同じ権利を与えて平等にすべきとか、
そういった基準でしか見られてはいない。

まったく違った世界、全く違った価値というものが確かに存在している。
そこにあるのは健常で普通の世界から劣った世界なのではなく、
別の体系と別の秩序を持った独立した世界だ。
そういうものが存在している。

彼らから健常とか普通という世界がはっきり見えないように、
僕達にも彼らの世界が見えていない。
見えないものは無いことになっている。

僕にこの大切なことを教えてくれた人の一人が拓巳さんだった。

本当に色んなことがあった。
拓巳さんは動物と何らかの対話が出来たし、
自然現象の一部を見極める力は僕達に無い特殊な能力を持っていた。
物をよく盗んだし、嘘ばっかりつくので、
そんなところにばっかり人の目が行っていて、彼の本質を知る人は少ない。

この世のルールの中ではそれを言い続けなければならないから、
僕自身もそれはやってはいけないと注意してきたけれど、
本当はそんなことではなかったことは知っている。
彼の盗みは所有の概念が無いところからきていたし、
彼にとって嘘なんて存在していなかった。

隠れて牛の餌や残飯や腐った物を食べても全く平気だった。
強かった。本当に強かった。
衛生の考えを覆す存在だった。

拓巳さんとは何ものだったのか。
ブラックホールのような存在だった。
何もかもを飲み込んで、包み込んで、何の影響も受けない。

こうして悲しんでいるのは僕達であって、
彼はおそらく何も変わっていないのだろう。
けろっとして笑っている拓巳さんが目にうかぶ。

喜びや悲しみや怒りが無かった訳ではない。
ただ、それらの感情は一瞬で消えて行って、後には何も残らなかった。

拓巳さんはいつもあっけらかんとしていて、
何があっても、どんな時も、ブラックホールのようにすべてを飲み込んで、
あの深い深い何にもない世界に入っていた。

本当の意味では傷つくことも影響を受けることも無い、
まっさらな心のままに生きていた。

その状態は一つの在り方として、凄いと思える世界だった。
人間のこころの奥にある可能性を体現していた。

拓巳さんは教えてくれた。
どんなことがあっても、僕達のこころの奥深くは無傷で自由だと。
何の影響も受けることなく、活き活きと動いていると。
まっさらで自由なこころのままに生きて行くことは可能なのだと。
そのような世界が確かに存在しているということを。

沢山のものを見せてくれたし、この世界の秘密に触れさせてくれたようにも思う。

起きて来ない拓巳さんを起こしに行って、
心臓の鼓動が止まっていて、呼吸も確認出来ないということが何度もあった。
死んでるかも、と慌てるのだけど、拓巳さんは自分で起きて来る。

朝、「うわー、たすけてくれー」と漫画のように甲高い声がして、
見に行くと拓巳さんが数頭のヤギにロープでぐるぐる巻きにされている。
ヤギを杭に繋ごうとしているうちに、拓巳さんの周りをぐるぐる回りだして、
そのヒモで巻かれてしまったようだ。
解いてあげながら笑いが止まらなかった。

真っ白になった雪道で、ホワイトアウトしてしまって、方向が分からなくなった時、
拓巳さんは明らかに違う道をこっちだと言い張って進もうとした。
2人で何とか帰ることが出来たけれど、本当に危なかった。

しゃべれないひろし君と山の中で見つからなくなって、
一日中探しまわったことがあった。
夕方になって何事も無かったかのように山道に拓巳さんとひろし君は姿を現した。
何をしていたのか、何があったのか誰も分からない。
見つかった時、一瞬、ひろし君が拓巳さんを指差し「ばーつ」と言った。

拓巳さんとは同じ部屋で長く一緒に暮らしたし、
色んなことをして来たのだけれど、思い出すのはそういった具体的な出来事ではなく、
あのブラックホールのような佇まいばかりだ。
いろんなことがあったのだけど何も無かったというような。

拓巳さんの教えてくれた世界の入り口くらいは覗くことが出来たけれど、
未だにその奥まで行くことは出来ない。

それは大きな大きな、深い、深いこころの世界で、
そこではまっさらな自由が何処までも広がっているばかりで、
拓巳さんは死んでしまったけれど、その広がりの中では何も変わってはいない。

拓巳さんは教えてくれたし、見せてくれた。
そして仲間に入れてくれた。
拓巳さんが生きていた世界を僕は少しは分かっていたと思う。

現実の小さな僕はまだまださみしくて仕方ないです。

やっぱりまだ冷静になれていなくて、上手く書けなかったけれど、
拓巳さんの持っていた本質の部分を少しだけ言うことが出来たかな。

存在しているのに、誰も気がつかず、無いことになっている世界がある。
そのことを僕は見つけ続け、知る努力を続け、伝えることもして行きたい。
そのきっかけを創ってくれた恩人の一人が拓巳さんだった。

拓巳さん、本当にありがとう。
教えてもらったことは決して無駄にしないよ。
この世において、一応の区切りをつけます。
拓巳さん、さようなら。

2014年2月14日金曜日

このごろ

前回の更新から一週間くらいでしょうか。
東京アトリエはお客様も多く、
打ち合わせや顔合わせでお会いする方も多いです。

寒いですね。明日はまた雪のようです。

引き継ぎもあるので現場に集中しています。
スタッフ育成は本当に根気のいる作業です。
なかなか難しいものですが、必ず良い方向へ行きたいと思います。

とにかく注意力、集中力、そして体力と気力だけでしょう。
すべての瞬間に今の自分が思っているより、
遥かに気をつける必要があると気がついてくれると良いのですが。
こればっかりは構えの問題なので、こうしろという訳にもいかないです。
僕自身が見せて行く他ありません。

こちらにも忍耐が必要ですし、一人でやっているより断然エネルギーを使います。
それでも、少しづつ出来て来るというか、場に合って来るというのが面白いです。
諦めなければ理想の場にピッタリとはまるようになるでしょう。

ゆうたが楽しそうで、笑顔いっぱいの写真を見たり、
電話で話したりしていると、よしこ達には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
三重で肇さん敬子さんもいて、家族の愛情を受けて、成長しています。

先日はきくちゃんが東京のアトリエまで来てくれました。
彼女は三重への移住を決めてくれていて、今後の活動に不可欠な人材です。
仲間がまた一人増えて心強いです。

東京アトリエもこれまで何度か変化の時期がありました。
この機会にこれまでのことを見つめ直して、今後に向かおうと思っていますが、
何よりもいい場が維持出来ていることを嬉しく思っています。
作品の価値や彼らの文化は今後ももっともっと発信していくつもりです。
それ以上に大切ですべての原点にあるのはやっぱり現場です。
一回、一回の教室、ここにすべてがあるのです。

作家たちが良い作品を創り続けること、
そして自分の本来のリズムで瞬間に立ち向かうという時間。
これが本当に大切なのです。
ただ一度の教室も疎かにはできません。
何気ない自然な時間ですが、それらが養分となって基礎を作って行くのですから。
だから最も良いタイミングで、良い記憶を刻んだ状態で毎回終了している訳です。
これが一人一人の作品数の違いであり、制作時間の違いの理由なのです。
絶えず、次に繋がっているのです。
「そんなに焦らなくていいよ。どうしたの?」
「もっといっぱい描くように言われたから」
「大丈夫。その一枚を丁寧に描いて」
そんな会話が出る時があります。
逆にいつもの勢いがない時、あれどうしたのかな?と思っていると、
みんなみたいに画面を埋めるように言われてきたとか、
もっと丁寧に描くように言われてきた、ということもあります。

僕達はこの時間の中でなるべくそういう影響や制限を外して行くようにしています。
2枚描いて、もっとという時でも、次の一枚が乗り切らなかった記憶に繋がるよりは、
そのくらいにしとけば、とアドバイスする時もあります。
逆に今日はこれくらいと本人が言っても未消化だなと感じれば、
もう一枚だけ描いてみない?と聞いたりします。
一番良い時を刻んで行って欲しいからです。

そして場自体も少しづつ育って行きます。
色んな困難に直面してきましたが、今のアトリエは10年前より確実に良いです。
場の雰囲気も作品の質も。もっと言えば3年前より、今の方が良いと思います。
日々、改善してきたからこそです。

こうしたことは作家たち一人一人の中に残って行きます。
当然、スタッフ達の中にも。

オリンピックには感動を貰っていますが、今年は難しいですね。
今のところ、一番素敵だったのはモーグルの村上愛子選手でしょうか。
凄いな、と思います。

気がつくとバレンタインですね。
あれ、今日ってそうだったっけというのが最近です。
実はこんな僕でもある時期はとんでもないことになってました。
全然自慢ではなくて、大量すぎて、困っていました。
東京に出てきてからはめっきりそんなこともなくなってほっとしています。
これも負け惜しみではなくて本当に。
これを言うと神経質と思われるので嫌なのですが、
僕は人から何かを貰ったりしてもらったりするのが苦手です。
今ではかなり克服しましたが。
もらったり、してもらったりすると確かに嬉しいのですがストレスになっていました。
理由は2つあって、一つは人に負担をかけたくない気持ちが強すぎること、
もう一つは感情表現が上手く出来ないことです。
誤解されるのでもう一度言うと、かなり克服したので今はそれほどでもないです。
昔は、人に貰うと喜びを伝えなきゃというのがストレスになっていました。
感情を表に出すのが苦手で上手くいかないことが多かったです。
自分の為に時間を使わせていると感じるだけでもストレスだった時期あります。
そんな状況が重なるうちに、どんどん貰うのが嫌になって、
だからクリスマスとか誕生日とかそういう記念日は全部すきじゃなかったです。
そういう日は何にもない普通の一日で終わってくれればと願って過ごしました。
人に何かあげる時でもお返しされないように、何でもない日を選んでいました。
貰い過ぎて逃げていたのだから罰が当たります。
素直じゃなかったと反省しています。

今回は書く予定になかったことを付け加えてしまいました。

そういえば佐村高地守氏、衝撃的でしたね。
現代にこんなことあるのですね。
ただ、僕はこの件は、
多くの人が思っているより複雑な問題をはらんでいると考えています。
それこそ障害や福祉、芸術、真贋の問題やら、創作の問題、メディアの問題。
当然、良い悪いで言ったら嘘なのだから悪いですが、
もっと一筋縄ではいかない多くの問題が含まれていると思います。
このことは大きく捉えれば、
例えばアウトサイダーアートとかの議論とも関係してきます。
改めて考えてみるかもしれませんが、
髙橋大輔選手が問題の曲を使ってどんな演技を見せてくれるでしょうか。

ただ、曲に関してだけ一言書くと、
ピアノソナタ2番なんて曲を聴いてみると、
ゴーストライターの新垣さんという人は凄い才能をもった、
よっぽどの人なのだろうと感じることは確かです。
複雑ですね。

本物が大切にされるシンプルな状態にどうやったらいけるのでしょうか。
難しくても真っすぐに進む道を模索して行きたいものです。

2014年2月7日金曜日

あとあじ

しばらくご無沙汰しておりました。
ちょっとペースダウンで続けて行きますが、よろしくお願いします。

寒さが戻ってきました。

先週の金曜日は春のように暖かかったのに。
あの数日は日差しもボヤッとしていて幻のような不思議な時間でした。

三重の負担が増えていて申し訳ない限りで、僕も心配な日々です。
ゆうたの声を聞くと、すぐにでも会いに行ってあげたくなります。

ただ、4月から半分は東京を離れるということで、
内外から不安の声も聞こえてきますが、これはあくまで状況を見つつです。
これまで大切に築いてきた場が崩れるようなことはしません。
難しいと判断すれば、可能になるまで東京に残る気でいます。

場の質が保てなければ元も子もないので。
何よりも場を優先してきたし、それは今後も変わりありません。
僕が離れる時間は大丈夫と判断してのことですので、どうぞご安心下さい。

僕もよしこも、若い頃、沢山の場所で理想を探してきました。
こんなものじゃないはずだ、もっと良い場所になるはずだ。
期待と失望、悔しい思いも、憤りも経験してきました。
自分たちが場を創るなら責任を持って良いものにしたいと。
何処にもないと思っている若い人が来ても失望しない場所にしたいと。

そして、多くの人に出会いました。
こんな場所は世界中の何処にもないとまで言ってくれる人も居ます。
ここしかない、ここだけと言って貰ったことが何度もあります。

だから裏切れないのです。責任があるのです。

先日、ある方と久しぶりにお話しする時間があった。
立場や派閥もあるのでお名前は書けない。
味に関わるお仕事をされている方だ。
女性の方だが僕はこの人を尊敬している。
対等に扱って下さるが格が違うと感じている。
彼女は対話と言う姿勢で接して下さるが、僕は学ぶ側としてお聞きしている。
今回も本当に勉強になった。
味に関する話になったのだけれど、もともとは僕が最近の世の中の傾向は、
刺激の強いもの、濃かったり、大きかったり、わざとらしい大袈裟なものばかりで、
本当の丁寧なものに人が気づけなくなっているということを話していた。
強くすればするほど感覚は麻痺して、より大きな刺激を求めだす。
彼女が全くその通りと味の話をしてくれた。
本当の丁寧な味というのはちょっと物足りないくらいに感じるということだった。
例えば、といってカレー屋さんを例にしてくれた。
昔は水を飲ませなかったという。
辛さの中にも様々な複雑な辛さがあって、それが口の中で少しづつ積み重なって、
複雑な風味を作って行くために、途中で水を飲んで薄めてしまってはいけないという。
こういった微細な調整を出来たのが昔のカレー屋さんで、
そういう店はほとんどつぶれてしまったのだそうだ。
最後に甘いお菓子を食べさせて完結するようだ。
他にもフランス料理のことを言っていた。
それも水やワインを飲ませないという店があったという。
スープなんかは本当に薄い味で、塩を入れたくなるところを、
最後までそのままいってみて、と教えたらしい。
そうして行くとほんのり残った味がどんどん蓄積されて行って、
最後には一つの世界が感じられるのだと言う。

この話は勉強になった。
懐石料理は最後の抹茶を飲ませる為にあるというのは有名な話だし。
その方のつくる味もまた後味が勝負だ。
全く癖がなく物足りないくらいで、後でそうか、と気がつくような世界だ。
後味に狂いがないこと、後味が正確であるというのは凄いことだ。
何故なら、その場で完成されたものを創る為には不確定な要素は少ないが、
後に正確に残す為には、口に入った後の計算がなければならない。

これも誰かが言っていたことなのだけど、
良い宿とは後で記憶に残っている宿だと言う。
その場で強烈な印象を与える宿ほど意外にも後には何も残らないのだと。
お湯だってばーっと強い火で素早く湧かすのと、
ゆっくり火を入れて行って沸騰させたのとは冷める時間が違って来る。

これはすべての良い仕事に言えることなのではないか。

僕自身も仕事を始めたばかりの頃は、分かりやすい効果を求めたこともある。
劇的な展開をどうだとばかりに見せつけるようなこともしたことがある。
恥ずかしい限りだ。
良いものとは、丁寧なものとはそんな分かりやすいものではない。
もっとさらっとしている。透明感のあるものだ。
気づかれる仕事なんかしていてはダメだ。

気づかれないところで自然にそっと仕事しておけば、
何かが残って行く。
僕らの場合、人のこころや身体を問題にするのだから、
特にいかにもな動作はいけない。
入ってきた、と感じさせれば無意識の抵抗や恐れが生まれ、
芯に届かない。ふわっとしていれば、何があったのか分からないまま芯に入る。
そうすればゆっくりとではあるが残って行く。
そういう動きをしなければならない。

無駄のない正確な動き。自然で何の抵抗もない流れ。

場に入る時、場にはじかれない存在になる為には、
そして場を汚さない存在になる為には、洗練された丁寧な振る舞いが必要だ。
それが出来たとき、後味の良い仕事に繋がって行く。

そしてもう一つ。最も大切なのはこめる力だ。
あるいは秘める力。
高度な技の精髄は間違いなく、何処までこもっているのかにある。
こめるにはかなりのエネルギーがいるし、
こめるということは本当はそう簡単に出来ることではない。
それは緊張でも抑圧でもない。
ピンと張りつめた、ある種の神聖さのような状態だ。
厳粛であり崇高な空気が一瞬の間合いでつくれなければならない。
それはかなり鍛錬されていなければ出来ない。
ただ、そこに核心があることを自覚して、どんな仕事であれ、自分を磨くことだろう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。