2014年2月7日金曜日

あとあじ

しばらくご無沙汰しておりました。
ちょっとペースダウンで続けて行きますが、よろしくお願いします。

寒さが戻ってきました。

先週の金曜日は春のように暖かかったのに。
あの数日は日差しもボヤッとしていて幻のような不思議な時間でした。

三重の負担が増えていて申し訳ない限りで、僕も心配な日々です。
ゆうたの声を聞くと、すぐにでも会いに行ってあげたくなります。

ただ、4月から半分は東京を離れるということで、
内外から不安の声も聞こえてきますが、これはあくまで状況を見つつです。
これまで大切に築いてきた場が崩れるようなことはしません。
難しいと判断すれば、可能になるまで東京に残る気でいます。

場の質が保てなければ元も子もないので。
何よりも場を優先してきたし、それは今後も変わりありません。
僕が離れる時間は大丈夫と判断してのことですので、どうぞご安心下さい。

僕もよしこも、若い頃、沢山の場所で理想を探してきました。
こんなものじゃないはずだ、もっと良い場所になるはずだ。
期待と失望、悔しい思いも、憤りも経験してきました。
自分たちが場を創るなら責任を持って良いものにしたいと。
何処にもないと思っている若い人が来ても失望しない場所にしたいと。

そして、多くの人に出会いました。
こんな場所は世界中の何処にもないとまで言ってくれる人も居ます。
ここしかない、ここだけと言って貰ったことが何度もあります。

だから裏切れないのです。責任があるのです。

先日、ある方と久しぶりにお話しする時間があった。
立場や派閥もあるのでお名前は書けない。
味に関わるお仕事をされている方だ。
女性の方だが僕はこの人を尊敬している。
対等に扱って下さるが格が違うと感じている。
彼女は対話と言う姿勢で接して下さるが、僕は学ぶ側としてお聞きしている。
今回も本当に勉強になった。
味に関する話になったのだけれど、もともとは僕が最近の世の中の傾向は、
刺激の強いもの、濃かったり、大きかったり、わざとらしい大袈裟なものばかりで、
本当の丁寧なものに人が気づけなくなっているということを話していた。
強くすればするほど感覚は麻痺して、より大きな刺激を求めだす。
彼女が全くその通りと味の話をしてくれた。
本当の丁寧な味というのはちょっと物足りないくらいに感じるということだった。
例えば、といってカレー屋さんを例にしてくれた。
昔は水を飲ませなかったという。
辛さの中にも様々な複雑な辛さがあって、それが口の中で少しづつ積み重なって、
複雑な風味を作って行くために、途中で水を飲んで薄めてしまってはいけないという。
こういった微細な調整を出来たのが昔のカレー屋さんで、
そういう店はほとんどつぶれてしまったのだそうだ。
最後に甘いお菓子を食べさせて完結するようだ。
他にもフランス料理のことを言っていた。
それも水やワインを飲ませないという店があったという。
スープなんかは本当に薄い味で、塩を入れたくなるところを、
最後までそのままいってみて、と教えたらしい。
そうして行くとほんのり残った味がどんどん蓄積されて行って、
最後には一つの世界が感じられるのだと言う。

この話は勉強になった。
懐石料理は最後の抹茶を飲ませる為にあるというのは有名な話だし。
その方のつくる味もまた後味が勝負だ。
全く癖がなく物足りないくらいで、後でそうか、と気がつくような世界だ。
後味に狂いがないこと、後味が正確であるというのは凄いことだ。
何故なら、その場で完成されたものを創る為には不確定な要素は少ないが、
後に正確に残す為には、口に入った後の計算がなければならない。

これも誰かが言っていたことなのだけど、
良い宿とは後で記憶に残っている宿だと言う。
その場で強烈な印象を与える宿ほど意外にも後には何も残らないのだと。
お湯だってばーっと強い火で素早く湧かすのと、
ゆっくり火を入れて行って沸騰させたのとは冷める時間が違って来る。

これはすべての良い仕事に言えることなのではないか。

僕自身も仕事を始めたばかりの頃は、分かりやすい効果を求めたこともある。
劇的な展開をどうだとばかりに見せつけるようなこともしたことがある。
恥ずかしい限りだ。
良いものとは、丁寧なものとはそんな分かりやすいものではない。
もっとさらっとしている。透明感のあるものだ。
気づかれる仕事なんかしていてはダメだ。

気づかれないところで自然にそっと仕事しておけば、
何かが残って行く。
僕らの場合、人のこころや身体を問題にするのだから、
特にいかにもな動作はいけない。
入ってきた、と感じさせれば無意識の抵抗や恐れが生まれ、
芯に届かない。ふわっとしていれば、何があったのか分からないまま芯に入る。
そうすればゆっくりとではあるが残って行く。
そういう動きをしなければならない。

無駄のない正確な動き。自然で何の抵抗もない流れ。

場に入る時、場にはじかれない存在になる為には、
そして場を汚さない存在になる為には、洗練された丁寧な振る舞いが必要だ。
それが出来たとき、後味の良い仕事に繋がって行く。

そしてもう一つ。最も大切なのはこめる力だ。
あるいは秘める力。
高度な技の精髄は間違いなく、何処までこもっているのかにある。
こめるにはかなりのエネルギーがいるし、
こめるということは本当はそう簡単に出来ることではない。
それは緊張でも抑圧でもない。
ピンと張りつめた、ある種の神聖さのような状態だ。
厳粛であり崇高な空気が一瞬の間合いでつくれなければならない。
それはかなり鍛錬されていなければ出来ない。
ただ、そこに核心があることを自覚して、どんな仕事であれ、自分を磨くことだろう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。