2014年2月28日金曜日

夢の中の夢

今日は天気もよくて暖かかったですね。
明日はまた寒くなるそうです。
早く春が来ないかなあ。

さて、このブログも本当に多くの方に読んで頂いている。
ここでの目的はただ一つ。伝えることにある。

様々な話題に触れるし、社会でおきていることや、僕自身の身近なこと、
最近あったこと等、些細な事柄を扱うことも多い。
でも、核となるテーマと関わらないことに触れたことは無い。
これは日記ではないし、日常的なあれやこれやを思いつきで書いている訳ではない。

どんなに小さなことでもそこに繋がる何かを見いだした時だけ書く。

伝えると言ったが、何を伝えるべきなのか。
これにはいくつかある。仲間や内部の方達に向けたものもあるし、報告もある。
でも、一番ここで伝えたいのは、ダウン症の人たちの世界観であり、作品のことだ。
作品や彼らの世界は直接的に言葉にすることは出来ない。
だから、自分自身の経験を通じて書く。
勿論、彼らの世界そのものではなく、それを自分の中に入れた時、
何が見えどんな世界を生きることになるのか、そこを書いている。

低次元の問題に興味は無い。
時間はそんなにないのだから。
彼らの世界に触れることは自分に向き合うということでもある。
大切なことは自分を変えて行くこと。もっと言えば自分を超えて行くことだ。
美を経験すること。
そして、無限に向かって開かれて行くこと。

昨日は何となく始めて、結局一日、部屋の片付けをしていた。
色々と準備もあったり、やっておかなければならない仕事もあったりで、
どこから手をつけようか悩んだが、いいや今日は片付けだけにしよう、と。
日頃から心がけておけばこんなことにならないのに、
一人だと本当にだらしなくなってしまって。
ようやく片付いて来ると、読もうと思って読んでなかった本とか、
色んなものが見つかった。
更にはストーブが壊れていた。問い合わせると危険は無いということで良かったが。

疲れたのでゆっくりお風呂に入って、寝ようと思ったとき、
物の下敷きになっていたDVDを発見。並べ直しているうちに懐かしくなった。
布団に入って電気も消して途中で眠ってしまったらそれで良いという気持ちで、
映画を見始めた。そして最後まで見てしまった。
タルコフスキーのサクリファイス。
田舎に帰ったような感じで、映画の中では何も変わらない景色が広がっている。
いや、でも確かに見えるものは変わって行く。
タルコフスキーはすべての作品が素晴らしいが、この作品はまたちょっと違う。
得意の鮮やかな映像美は健在だが、やや靄がかかっていて、
他の作品より薄くなっている。
タルコフスキーの作品はいつも夢と現実や正気と狂気、生と死といったものが、
繋がり境界が消えて行く。
けれどそれは離れていたものが一つに繋がって行くような感じだった。
サクリファイスにおいては始めから境界が存在していない。
すべてはもっと曖昧でぼやけている。
悪夢のような場面で核の恐怖に怯えるシーンは現代のようだ。
この現実も夢の中なのかも知れない、と感じてしまうほどリアルだ。
リアルなものほど夢のようであり、夢のようなものほどリアルでもある。

この映画の場合、サクリファイスというテーマにあまり拘らない方が良い。
作者自身はどう考えたか分からないけれど、
あらゆる芸術において、いや芸術のみならずだが、
作者が作品を一番理解しているとは限らない。
作者自身も作品の前では、
僕達と同程度かそれよりちょっとだけ認識があるということだ。

特にタルコフスキー作品は様々な解釈が可能なように出来ている。
複雑で重層的だ。
それ自体も作品の一部といえる。現実は重層的なものだから。
あえてサクリファイスというテーマを考えると、
この世界という無限に対するとき、有限である僕達人間は自分を捧げるということが、
唯一のコミニケーション手段なのではないか。
サクリファイスとは無限に開かれる行為だ。
だから本当はどんなに小さな行為でも、それを無限に対して捧げているともいえるし、
そう考えたら僕達のすべての動作がサクリファイスだとも言える。

現実がある時から夢になり、幻想が現実になる。
そういった世界が描かれて行く中で、
最後となった作品であるサクリファイスにおいては、
最初からすべてが夢であって幻であって幻想である世界がずっと続いて行く。
しかもこの夢は僕達の言う夢ではない。
夢は必ず醒めるが、この夢は醒めることが無い。
夢から醒めるとまたそこは夢で、その夢から醒めるとまた夢、
そんな世界が永遠に続く。

今回もう一つ気がついたのはこの作品を見ていると、
他のタルコフスキー作品の様々な場面が走馬灯のように蘇って来るということだ。
これは本当に不思議だ。

タルコフスキーの描いている世界は僕にとっては現実そのものだ。
多分、こっちの方がリアルで本当だよ、ということを作品も示していると思う。

真っ暗な部屋の中で、本当はここは何処なのだろう、という感覚に包まれる。
はたしてここは何処で、この世界は何なのだろう。
そして自分は本当に生きているのだろうか。

すべては夢でその夢は重層的に出来ていて、
どこまで行っても繋がっている。

夢なのか現実なのか、生きているのか死んでいるのか、
過去なのか現在なのか全く分からない。
そんな感覚は年々強くなる。

そして何も分からないけれど、やわらかく無限に広がる世界の中で、
すべてはどこまでも光り輝く。
世界はやっぱり美しいし、素晴らしいものだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。