2014年2月19日水曜日

さようなら拓巳さん

突然ですが今回のブログは亡くなった友のために、
書かせていただくことをお赦し下さい。

生きている限り、別れは避けられず、悲しみは何度も何度も経験しなければならない。
悲しい、寂しい。空気に触れるだけでヒリヒリするように。

共働学舎時代の親友、寒川拓巳さんが亡くなった。48才だった。
ご冥福をお祈りします。

正直なところ、今は何も語る気はしない。考えられない。
でも、今書かなければならない気がしている。
後回しにしてはいけないと思う。
もし、僕が書かなければなかったことになってしまう多くのことがある。

だからなるべく冷静に振り返ってみたい。
書けないかも知れないけれど。

東京に出て来て13年ほどだろうか。
その間に、のぶちゃん、山岸さん、片山さん、そして拓巳さんと、
4人もの仲間を失った。

拓巳さんはプラダーウイリー症候群という障害を持っていた。

僕が今のような仕事や生き方を選択し、
多くの人達の助けを借りて実現出来ているのは、
16の時に、林さんや拓巳さんやみずほさんやクニちゃんやのぶちゃんや、
榎戸さん、しげるさん、谷口さん、ほりおちゃん、
そしてみんなとの出会いがあったから。

彼らに出会った衝撃は大きく、僕はその頃に見つけた課題を未だに追いかけている。

拓巳さんのことを書く。
本質的に語れるのは僕以外にいないと思うから。
でも、これはあくまで僕の見方であって間違っているかも知れない。

一般の人達は障害というものがあるということよりもっと、
健常であるということが確かに疑いなく存在していると考えている。
健常とはノーマルで普通の在り方だと。
もっと言うと、普通と言う状態は一つしかないと信じている。
そこでは健常で普通と思われる状態以外の人達は単におかしいとか、
劣っているとか、訓練して健常に近づけるべきとか、
あるいは健常な人達と同じ権利を与えて平等にすべきとか、
そういった基準でしか見られてはいない。

まったく違った世界、全く違った価値というものが確かに存在している。
そこにあるのは健常で普通の世界から劣った世界なのではなく、
別の体系と別の秩序を持った独立した世界だ。
そういうものが存在している。

彼らから健常とか普通という世界がはっきり見えないように、
僕達にも彼らの世界が見えていない。
見えないものは無いことになっている。

僕にこの大切なことを教えてくれた人の一人が拓巳さんだった。

本当に色んなことがあった。
拓巳さんは動物と何らかの対話が出来たし、
自然現象の一部を見極める力は僕達に無い特殊な能力を持っていた。
物をよく盗んだし、嘘ばっかりつくので、
そんなところにばっかり人の目が行っていて、彼の本質を知る人は少ない。

この世のルールの中ではそれを言い続けなければならないから、
僕自身もそれはやってはいけないと注意してきたけれど、
本当はそんなことではなかったことは知っている。
彼の盗みは所有の概念が無いところからきていたし、
彼にとって嘘なんて存在していなかった。

隠れて牛の餌や残飯や腐った物を食べても全く平気だった。
強かった。本当に強かった。
衛生の考えを覆す存在だった。

拓巳さんとは何ものだったのか。
ブラックホールのような存在だった。
何もかもを飲み込んで、包み込んで、何の影響も受けない。

こうして悲しんでいるのは僕達であって、
彼はおそらく何も変わっていないのだろう。
けろっとして笑っている拓巳さんが目にうかぶ。

喜びや悲しみや怒りが無かった訳ではない。
ただ、それらの感情は一瞬で消えて行って、後には何も残らなかった。

拓巳さんはいつもあっけらかんとしていて、
何があっても、どんな時も、ブラックホールのようにすべてを飲み込んで、
あの深い深い何にもない世界に入っていた。

本当の意味では傷つくことも影響を受けることも無い、
まっさらな心のままに生きていた。

その状態は一つの在り方として、凄いと思える世界だった。
人間のこころの奥にある可能性を体現していた。

拓巳さんは教えてくれた。
どんなことがあっても、僕達のこころの奥深くは無傷で自由だと。
何の影響も受けることなく、活き活きと動いていると。
まっさらで自由なこころのままに生きて行くことは可能なのだと。
そのような世界が確かに存在しているということを。

沢山のものを見せてくれたし、この世界の秘密に触れさせてくれたようにも思う。

起きて来ない拓巳さんを起こしに行って、
心臓の鼓動が止まっていて、呼吸も確認出来ないということが何度もあった。
死んでるかも、と慌てるのだけど、拓巳さんは自分で起きて来る。

朝、「うわー、たすけてくれー」と漫画のように甲高い声がして、
見に行くと拓巳さんが数頭のヤギにロープでぐるぐる巻きにされている。
ヤギを杭に繋ごうとしているうちに、拓巳さんの周りをぐるぐる回りだして、
そのヒモで巻かれてしまったようだ。
解いてあげながら笑いが止まらなかった。

真っ白になった雪道で、ホワイトアウトしてしまって、方向が分からなくなった時、
拓巳さんは明らかに違う道をこっちだと言い張って進もうとした。
2人で何とか帰ることが出来たけれど、本当に危なかった。

しゃべれないひろし君と山の中で見つからなくなって、
一日中探しまわったことがあった。
夕方になって何事も無かったかのように山道に拓巳さんとひろし君は姿を現した。
何をしていたのか、何があったのか誰も分からない。
見つかった時、一瞬、ひろし君が拓巳さんを指差し「ばーつ」と言った。

拓巳さんとは同じ部屋で長く一緒に暮らしたし、
色んなことをして来たのだけれど、思い出すのはそういった具体的な出来事ではなく、
あのブラックホールのような佇まいばかりだ。
いろんなことがあったのだけど何も無かったというような。

拓巳さんの教えてくれた世界の入り口くらいは覗くことが出来たけれど、
未だにその奥まで行くことは出来ない。

それは大きな大きな、深い、深いこころの世界で、
そこではまっさらな自由が何処までも広がっているばかりで、
拓巳さんは死んでしまったけれど、その広がりの中では何も変わってはいない。

拓巳さんは教えてくれたし、見せてくれた。
そして仲間に入れてくれた。
拓巳さんが生きていた世界を僕は少しは分かっていたと思う。

現実の小さな僕はまだまださみしくて仕方ないです。

やっぱりまだ冷静になれていなくて、上手く書けなかったけれど、
拓巳さんの持っていた本質の部分を少しだけ言うことが出来たかな。

存在しているのに、誰も気がつかず、無いことになっている世界がある。
そのことを僕は見つけ続け、知る努力を続け、伝えることもして行きたい。
そのきっかけを創ってくれた恩人の一人が拓巳さんだった。

拓巳さん、本当にありがとう。
教えてもらったことは決して無駄にしないよ。
この世において、一応の区切りをつけます。
拓巳さん、さようなら。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。