2014年7月6日日曜日

場への信頼

昨日も本当に良い場だった。
何度も言うがこれって楽園だなあ、と思う。
でも、それは一人一人の良くしようと言う意思の現れだ。

最近よく話すことだが、作家達への信頼と、作家からもらうスタッフへの信頼は、
勿論、必須条件なのだが、もう一つ場への信頼が必要だ。

場への信頼は色んな局面で僕達を助けてくれる。
そして、場からも信頼されなければならない。
作家との内面的な対話と同じように、場ともしっかり対話して行く。
前回の言い方で言えば、拾うこと、どれだけ拾えるのかが大事。
誰かがこうしたい、といったら、そうしてあげるのは簡単。
でも、それはすでに主張されたものであり、意識レベルのものだ。
制作や場に関わって行くと、意識にのぼる浅いレベルでの接触は初期的な段階だけだ。
無意識の反応や声を聞く。そして尊重する。
尊重するというのは拾うことだ。
何かが現れて来る、それはほとんどの人が気づかないレベルで。
気づかないあるいは、気づく必要がないものと思われている、
何気ない動きの中に大切なものやメッセージがある。
拾わなければ、大切に扱われなかった、尊重されなかったと、無意識が感じる。
そして出づらくなって来るので、表面から見えるものはより減って行ってしまう。
そうすると更に拾いづらくなる。
それが人の心であれ、場であれ同じだ。
場の中で偶然の何かが起きる。
それはただ単に誰かがくしゃみした時に偶然ポットが音を出したとか、そんなこと。
それが何かを示していると感じたら、しっかり拾う。
拾ってもらえれば、次も出易くなる。
それが対話であり信頼関係だ。

場が応えてくれるという信頼があれば、場は助けてくれる。
僕達も場が何か言っているとき、必ず拾うことで、
言ったことはちゃんと聞いてるな、
と信頼され、次のメッセージをもらうことが出来る。

作家との関係と一緒で一方向の付き合いではない。
どちらかだけが受け続けるということはない。
響き合い、応え合う。
最終的には何処までがどっちなのか分ちがたいほど深く対話して行く訳だ。
改めて言うが、僕の言う対話は言葉のことではない。

フィッシュマンズの「男達の分かれ」を聴いている。
最後の頃のライヴだけど、彼らのどのCDより好きだ。
はかなさや切なさ、悲しさにみちているけれど、本当のところに触れていると思う。
どんなに辛くても、感じないより感じた方が良い。
その先にきっともっと美しいものが見えて来るから。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。