さて、土曜日のアトリエ。
この1、3週目の土曜日のクラスは午前、午後ともににぎやかなクラスだ。
こういうエネルギーの強いクラスの場合、前半の1時間が重要だ。
制作にも勢いがある。
今日は雨かもしれないが、暑くないので描く環境としては良い。
先週ゆうすけ君が描いた作品が一週間経って、色も大分落ち着いた。
素晴らしい作品だ。これまで見て来たのともまた違う。
一枚の絵の持つ力の凄さを感じさせる。
前回は入魂の作品だったので、普段2枚描く彼も1枚にした。
100枚分の内容だ。勿論、数では語れないが。
前にも書いているが、さとし君やゆうすけ君の作品は特に、
出来たばかりの数時間が一番美しい。
その状態を残せないのは残念だが、しかしそれは制作の場が残せないのと同じ。
それぞれの時間は消え去った訳ではなく、こころの中に刻まれていく。
確かに色のトーンが落ちるという部分も大きいが、
それ以上に彼らの場合、その場、その場の風景に融合して描いている。
季節や天気や、外の光との関係。作家達同士やスタッフのこころの動き。
描き始めの時間と終わりまでのプロセスでの変化。
それら全ての中で、調和して行く。
その結果、その場に最も合った作品が、
その日、その瞬間に最も光る作品が生まれる。
だから、当然出来上がった時がその作品が最も輝く時だ。
それはやはり音楽のようだ。
もう一つ言うなら、出来上がった作品を切り取って見るというのは、
CDで音楽を聴くようなもの。
良い悪いではなくちょっと別のものだ。
色を塗り重ねているうちに、外の景色が薄暗くなって行き、
対応するように光の度合いを強めて行く。
出来た瞬間、薄暗い景色の中で荘厳に輝く色彩が、ぴたっと決まる。
逆に霧のような景色の中で、淡いぼかしたような色が重なり、
徐々に外の景色に光が射して来たその時に、作品が完成される。
外からの光に照らされ、淡い色の作品が景色の中に溶け込む。
まるでその光から自然に生み出された色のように。
よく現場を見に来る方が、セッションを見ているようだ、
と仰るが全くその通りだ。
場というものは、絶えず輝こうとしているし、
そこに入った個人も場の中での自分の最適な位置に行こうとする。
ここには偶然と言う要素も入り、その偶然を一人一人がどう扱って行くのか、
そして、流れや空気をそれぞれが感じ、互いを活かし合う。
音楽でいえば、相手の音を良く聴いて自分の音を出す。
言葉を使わないところでの対話が大切になって来る。
外の音、響き、庭の色の変化、筆の動き、言葉、それぞれが活かし合う。
ある意味で言うなら、一瞬の隙もない。
その一瞬が全体の中での大切な要素になって来るから。
さらにいうなら、何処まで拾うことが出来るのか、と言うことでもある。
そうやってその日の場という作品をみんなで創って行く。
いつも場について書くが、場というのは実態として存在している訳ではない。
その瞬間瞬間に、一人一人の気づきによって創りあげて行くものだ。
今度の展覧会は「楽園としての芸術」つまりは芸術的な環境とも言える。
これを制作の場に限って言うなら作品としての場と言えるし、
同じことになるだろうが、作家達は作品のみならず、生き方も美しい。
(もし様々な環境での無理がなく、本来の状態が保てるならば。)
今日も良い場を。