2014年7月17日木曜日

匿名性

結局、昨日も暑かったです。
これからは秋まで暑い日が続くのでしょうね。

しばらく珈琲を飲まなかった。
よしこが東京に来るので、美味しい豆を買っておこうと、
久しぶりに大好きで仕事としても尊敬している珈琲屋さんへ。

その方のつくり出す味は本当に素晴らしいが、
特に凄いと思うのは雑味やわざとらしさが全く無いこと。
透明感があって、内にぐっと秘められている何かがある。
丁寧だし、更に言うなら表面を着飾った美しさではなく、
内面から出て来る本物の美しさがある。

少しお話ししていて、珈琲業界の他の方々のことや、
今、社会でうけているものについての話題だった。
結論はやっぱり名前が出ている人にばかり注目が集まる、
それによって分かり易い、つまりはそれっぽいものばかりが流行る。
作り手も名前を打ち出して行くことが、創る中心にさえなって行く。
これでは良いものは生まれないし、良いものの価値が見落とされてしまう。
結果、本物が滅び、偽物ばかりが残って行く。

美と美を扱う業界は無縁のものだ。

外に出る時、そして出す時、このことが一番注意すべきことだ。
世に出ることは名前が出ることでもある。
それにはリスクが大きい。

良いものは、美しいものには匿名性がある。
本当の作品はすべて匿名であった方が良いと思う。

日本に数々ある美しい仏像なんて、その大半は匿名だ。
かつての民芸にしてもそうだろう。

名前なんか出さないにこしたことはない。

僕自身も自分の名前が出ることには気をつけている。
名前は発言や行為に対する責任の意味でしか使わない。

多くの良いもの、美しいものが名前のせいで台無しになって行く場面がある。

だから、僕達のアトリエは本当に理想的だ。
ここでは競争はないし、誰も目立とうとしない。
活かし合うことが基本にある。
みんなそれを知っている。
場とはそういうもので、前にも書いたが得しようとすると場に嫌われるから、
結局自分が楽しくなくなる。
楽しもうと思うと、必然的に活かし合う形となる。
これがみんなが知っている場の基本だ。
誰でも気持ち良く過ごしたい訳で、それを追求して行くと、
最終的に場の声を聴く、場の流れを感じる、そして活かし合う、という形になる。
ここの作家達は日々、それを実践しているし、肌で知っている。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。