結局、昨日も暑かったです。
これからは秋まで暑い日が続くのでしょうね。
しばらく珈琲を飲まなかった。
よしこが東京に来るので、美味しい豆を買っておこうと、
久しぶりに大好きで仕事としても尊敬している珈琲屋さんへ。
その方のつくり出す味は本当に素晴らしいが、
特に凄いと思うのは雑味やわざとらしさが全く無いこと。
透明感があって、内にぐっと秘められている何かがある。
丁寧だし、更に言うなら表面を着飾った美しさではなく、
内面から出て来る本物の美しさがある。
少しお話ししていて、珈琲業界の他の方々のことや、
今、社会でうけているものについての話題だった。
結論はやっぱり名前が出ている人にばかり注目が集まる、
それによって分かり易い、つまりはそれっぽいものばかりが流行る。
作り手も名前を打ち出して行くことが、創る中心にさえなって行く。
これでは良いものは生まれないし、良いものの価値が見落とされてしまう。
結果、本物が滅び、偽物ばかりが残って行く。
美と美を扱う業界は無縁のものだ。
外に出る時、そして出す時、このことが一番注意すべきことだ。
世に出ることは名前が出ることでもある。
それにはリスクが大きい。
良いものは、美しいものには匿名性がある。
本当の作品はすべて匿名であった方が良いと思う。
日本に数々ある美しい仏像なんて、その大半は匿名だ。
かつての民芸にしてもそうだろう。
名前なんか出さないにこしたことはない。
僕自身も自分の名前が出ることには気をつけている。
名前は発言や行為に対する責任の意味でしか使わない。
多くの良いもの、美しいものが名前のせいで台無しになって行く場面がある。
だから、僕達のアトリエは本当に理想的だ。
ここでは競争はないし、誰も目立とうとしない。
活かし合うことが基本にある。
みんなそれを知っている。
場とはそういうもので、前にも書いたが得しようとすると場に嫌われるから、
結局自分が楽しくなくなる。
楽しもうと思うと、必然的に活かし合う形となる。
これがみんなが知っている場の基本だ。
誰でも気持ち良く過ごしたい訳で、それを追求して行くと、
最終的に場の声を聴く、場の流れを感じる、そして活かし合う、という形になる。
ここの作家達は日々、それを実践しているし、肌で知っている。