2014年7月22日火曜日

祈り

それにしても暑いですね。
台風が抜けて、ゆうたもとりあえずは何とか行けそうです。
元気でさえ居てくれれば、と思います。

いよいよ、展覧会です。
皆様、是非ご覧になって下さい。

色んな場面でお話しさせて頂く機会も増えたし、
時に講演もさせて頂く。
このブログでも沢山語って来た。
でも、そんな言葉の遥か先にあるものが作品からは見えてくる。

それからスタッフ目線に立つなら、
作品は場において妥協をしなかった証でもある。

作家や自分の事以上に場のことを発言する事が多い。
作品については語れないし、見てもらうのが一番。

それでも10年前には場について語るなんてナンセンスだと思っていた。

様々な事に時期というものがある。

想いを込めることや、覚悟を持つ事や、注意力を使い切ること、
それに命を賭ける事、場において大切な事として語って来た。

それだけではない。そこから後一歩何かが必要だ。
最近はそれを祈りと呼んで良いのではないかと考えるようになって来た。

全ての人がそうである必要はないけれど、
僕にとっては場に入る、場に立つとは祈りなのではないかと思う。
これは別に宗教とは何の関係もない話なのだが。

どんな時でも場に立って来たから、一つ一つの情景が強烈に残っている。
あの時も、あんな時も、場に居たな、と。
人生のあらゆる場面で。
辛い時も悲しい時も、誰かや何かを失った時も、
それでも場に立っていた。

だから、僕にとって誰よりも場は特別なものだ。
個人レベルの経験から見えて来る事については、またいつか語るだろう。

今日はキクちゃんと合流する。
明日から、様々な準備がある。

前回の絵画クラスでよしこが少し場に入っていたが、
夫としてとは別のところで、やっぱり彼女は貴重な存在だと思わされた。
極端な言い方かもしれないが、
僕らの仕事にもミリ単位の精度が要求される場面がある。
しかもなかなか習って憶えられるものではない。
すんなりそれが出来る、そして絵になる、というところに、
やっぱり彼女の凄さがあるし、まあ、何と言うか、そこを計算でやっていない、
というのも面白い。
場にとって貴重な存在だ。
繰り返すが、そういう人はあんまり居ない。

一面的な言い方に過ぎないが、場においての個性を考えると、
よしこはあたればボームランというタイプ。
僕はどんな球でもバットにあてる事が出来るというところが強みかな。
僕は地味な努力型だから。

あまり書く時間はないが、HPも開いて頂く機会が多い時期なので、
またどこかで出来るだけ更新して行きたいと思います。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。