2013年1月30日水曜日

もう一つの世界への道

昨日のプレではてる君が「みんなでカラオケやろうよ」といったのがきっかけで、
カラオケの話題で盛り上がった。
何を歌うのか、一人一人、得意な歌の話。
そのうち、順番に歌ったりして、楽しかった。
みんなの歌は本当にいい。
あきとさんとゆうすけ君は元気いっぱいで、声が外に開いている。
はるこさんとてる君はささやく様な穏やかなやさしい歌い方だ。

だいすけ君はちょっと機嫌が悪かったけど、多分頭が痛かったようだ。
圧迫感があるような感じの、なんと言うか飛行機でなるみたいなの。
僕も途中で少し感じたから分かるのだけど。
あんまり言わないけどそんなのはよくある。
もちろん、全部は自分に取り込まない。
そんなことをしたら仕事にならない。

だからいつも書くことだけど、共感と言っても、
さまざまなレベルや段階がある。
場に対してもこころに対しても、僕は深く入るということを書いてきた。
でも、今は深く入ることは滅多にしない。
一人一人が入っていっても僕はここにいて見ている。
以前程の強い注意力が必要なくなった分、身体にかかる負担は少ない。
でも、決して真剣度が変わった訳ではない。
手を抜くことはない。

そして、今だからこそ、以前の自分がどれだけ深く潜っていたのかが分かる。
関わりや場に対する深度は実は選べない。
深く行こうとか、浅めで行こうとか、そういうものではない。
何かこう場が決める部分がある。
以前、あんまり深く入るのをセーブしようとちょっとだけ思ったことがあったが、
場に入ってしまうと、そんなわけにはいかなかった。
ある意味で僕達は望まれる動き方しか出来ないようになっている。

今は実感として、例えば深く入ろうと思ったとして、(思わないけど)
場がそれを要求していない。
入るな、とまでは言わないけど、そこに行くのはもう終わったよ、
と言われているような部分がある。

共感するということは響き合うことだ。
響き合うことが出来れば、一体になるまでは必要ではない。
ただ、いつでも一体になれるという感覚は必要だ。

必要な時はいつでも深く入ることが出来る、
という経験の蓄積は求められるのかも知れない。

場やこころにたいしてはいつでも謙虚な姿勢が大切だ。
どうすべきか、伺いをたてなければならない。
その上で許されたことだけをする。
僕はずっとそうしてきた。

昨日は赤嶺ちゃんが来てくれた。
読んでみて、と漫画を貸してくれたので楽しみだ。
舞台となっているのが阿佐ヶ谷のお店らしいのだけど、
そこは僕が阿佐ヶ谷で一人暮らしをしていた時に通っていたお店でもある。
懐かしいなあ。

ところで、朝起きてすぐに歯磨きをすると風邪をひきにくいらしい。
最近、僕も実践している。
夜の間に菌が繁殖していて、そのまま何かを食べることは避けた方がいいらしい。

歯と言えば、最後に歯の治療が終わってから噛み合わせがよくない。
バランスが悪い。
身体はどこかしら限界があるから、どこかがうまく機能しない。
まあ、そこが面白いのだけど。

納豆を毎日食べている。
みそ汁と梅干し、海藻。
健康食で続いていたら、悪い癖で味の濃いものが食べたくなった。
それで、先日たこやき屋さんに行った。
凄い繁盛しているお店なんだけど、
関西弁のおじさんと言うかお兄さんくらいかの人が、
人情的でいい感じだ。
小学生の女の子が何人かいたのだけど、そのお兄さんとのやり取りが、
今の時代とは思えない懐かしさがある。
よく来るお客さんの話から、女の子があの人知ってる、
犬の散歩してて良く会う、という内容でずっと話している。

金沢にいた頃、「しま」というたこやき屋さんがあった。
そのころで、たこ焼き一個10円という世界。
凄く狭くて、奥にゲームの台が置いてある。
思えば、しまでどれだけの会話が重ねられただろうか。
しまはいまでも僕にとっての自分の居場所みたいなもののイメージのもとにある。

朝、犬の散歩をしていると、
道路の途中から全く別の世界に入っている。
あれ、ここからなんか違う次元の世界の入り口になっているな、と。
それは、多分前日に子供達がコンクリートの上にチョークで書いた道。
普通の道の上に彼らが書いたもう一つの道が重なっている。
そして、もう一つの道の方が深い。
その道は確かに存在していて、その上を歩いていくと、
彼らのこころの内側にある世界に入っていける。
今は確かにその道はこうして残されている。
その内に消えていくだろうけれど。
道に書かれた線が消えていっても、彼らのこころの世界が残っていれば、
また同じように書いて遊ぶのだろう。
でも、いつの日か、こころの中の世界も消えていってしまう。
悲しいことかも知れないけれど、
こうして大人になってコンクリートの上にその道を見つけて、
そこを歩いていける人生もあり得るということを感じて欲しい。
いつでもそこへ入っていける生き方もあるということを。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。