今日は少し穏やかな気候になった。
寒さもそんなには感じない。
朝日が今日もとてもきれい。
最近はなるべく睡眠をとるように心がけています。
食事と睡眠。
これから一人暮らしが続いていくと、基本を大切にしておかなきゃと思っている。
夜はつい音楽を聴きたくなってくるのだけど。
あと、甘いものも最近は控えている。どこまで続くか。
こういうのは言ってしまうと、逆のことになってしまうことが多い。
風邪なんかぜんぜんひかないよ、と言った次の日に風邪をひいたり。
寒いけど、みんな本当に元気に毎日制作に励んでいる。
こういう日々はまったく変わらない。
いつも良いテンションでいられる彼らはやっぱり素晴らしいなあ。
まだ、開けていない荷物があって、合間に整理している。
もう写真はないだろうと思いながらも、色々出てくる。
あれっこんなところにも、と。
聴き続けているレゲエやダブのリズムが呼吸になって、
見ている景色や生きている世界が、そのリズムで感じられてくる。
時々、ずっと昔の時間の中にいる様な気がする。
今日みた夢はボクシングの大会に参加するというので、
なぜかNHKに向かっている。
地下に降りていくと、そこが会場になっていてもう他の選手は来ている。
僕が最後みたいだ。勝つのか負けるのか。
不思議にワクワクしていて怖さはまったくない。
戦う直前にそろそろ起きる時間だ、と思って起きてしまった。
もし、戦っていたらどうなっただろうか。
というより、なんであんな夢をみたのだろう。
音楽を聴く体験も、作った人間の世界観をなぞっていくことで、
その人間が描写しているものと一つになることだ。
だから、ある意味で、何かを鑑賞することは、
自分が他のものになって世界を見てみること、感じてみることだ。
何かを深く感じることは、これまでの自分の知覚を変えることだ。
知覚が変換されると、新しくものが見える。
以前見ていたものは過去になっていく。
生きるということは、それの繰り返しだ。
場を見る経験も毎日変化していく。
ここでも相手のこころの動きや感じ方や、知覚をなぞり、
自分が自分を離れて対象と一つになる。
一口に一つとか一体といっても、実はそこには様々なベクトルがある。
制作のみではなく、人間にとって理想的な状態は、
緊張と弛緩の良いバランスだ。
数字にすることは出来ないが、目安は7の弛緩3の緊張。
力が抜け切った状態で、明晰な強い注意力をもつ。
この状態にどうやって入るか。あるいは人にどう入ってもらうか。
場をそのバランスにどうやってもっていくのか。
緊張感を高めてから少しづつ緩めていくのか、
リラックスしきってから徐々に注意力を強めていくのか。
時と場合によってどちらが良いのかは異なる。
僕の場合は最初の緊張感を高めてから、ゆっくり緩めていく方を選ぶことが多い。
古い写真を見ていると、
ああ、あの頃はぜんぜん違う世界を生きていたな、と感じる。
もちろん、まったく変わっていない部分もある。
面白いのは、いつでも楽しいなあ、新しいことがいっぱいで幸せだなあ、
と感じてきたのに、絶対、過去に戻りたくはないということだ。
同じことはもう出来ない。
いつも一生懸命だったな、と思う。
もう一度ともし言われてももう出来ない。
突如として、見えている世界が変わる時がある。
そうすると、もう以前には戻れない。
戻りたいと思うかどうか、
あるいはもっと単純にあのときああすれば良かったという後悔。
僕は過去に後悔は一つもない。
その時、やり切っているから。終わりまで行っているから。
それで、その程度か、と言われれば、それが自分の実力なのだから仕方ない。
あるものにはみんな終わりがある。
終われば、新しいものが始まる。
だから、一つ一つ後悔のないように、全力でやり切る。
出来事から貰えるものは全部貰っておく。
例えば、こういう場に関しては、同じ時間は2どないわけだ。
ある時、新しい世界が見えてくる。
それは、自分が見たいと思ったからでも、
自分がそこまで行ったからでもない。
場が見せてくれたわけだ。
場がくれたものだ。
僕達は選べないし、決めることは出来ない。
場に従う。それだけの話だ。
今、見せてもらっているものは、今だけ見せてもらっているものだ。
次、どこへ連れて行かれるかは分からない。
だからこそ、今見せてもらっているものをしっかり見ておく。
それが次への準備だ。
人生にまったはない。すすむのみ。
とてもとても天気が良くなってきた。
今日も一日、みんなにとって良い時間が流れますように。