2013年1月23日水曜日

まったなし

今日は少し穏やかな気候になった。
寒さもそんなには感じない。
朝日が今日もとてもきれい。

最近はなるべく睡眠をとるように心がけています。

食事と睡眠。
これから一人暮らしが続いていくと、基本を大切にしておかなきゃと思っている。
夜はつい音楽を聴きたくなってくるのだけど。
あと、甘いものも最近は控えている。どこまで続くか。
こういうのは言ってしまうと、逆のことになってしまうことが多い。
風邪なんかぜんぜんひかないよ、と言った次の日に風邪をひいたり。

寒いけど、みんな本当に元気に毎日制作に励んでいる。
こういう日々はまったく変わらない。
いつも良いテンションでいられる彼らはやっぱり素晴らしいなあ。

まだ、開けていない荷物があって、合間に整理している。
もう写真はないだろうと思いながらも、色々出てくる。
あれっこんなところにも、と。

聴き続けているレゲエやダブのリズムが呼吸になって、
見ている景色や生きている世界が、そのリズムで感じられてくる。
時々、ずっと昔の時間の中にいる様な気がする。

今日みた夢はボクシングの大会に参加するというので、
なぜかNHKに向かっている。
地下に降りていくと、そこが会場になっていてもう他の選手は来ている。
僕が最後みたいだ。勝つのか負けるのか。
不思議にワクワクしていて怖さはまったくない。
戦う直前にそろそろ起きる時間だ、と思って起きてしまった。
もし、戦っていたらどうなっただろうか。
というより、なんであんな夢をみたのだろう。

音楽を聴く体験も、作った人間の世界観をなぞっていくことで、
その人間が描写しているものと一つになることだ。
だから、ある意味で、何かを鑑賞することは、
自分が他のものになって世界を見てみること、感じてみることだ。

何かを深く感じることは、これまでの自分の知覚を変えることだ。
知覚が変換されると、新しくものが見える。
以前見ていたものは過去になっていく。
生きるということは、それの繰り返しだ。

場を見る経験も毎日変化していく。
ここでも相手のこころの動きや感じ方や、知覚をなぞり、
自分が自分を離れて対象と一つになる。
一口に一つとか一体といっても、実はそこには様々なベクトルがある。

制作のみではなく、人間にとって理想的な状態は、
緊張と弛緩の良いバランスだ。
数字にすることは出来ないが、目安は7の弛緩3の緊張。
力が抜け切った状態で、明晰な強い注意力をもつ。
この状態にどうやって入るか。あるいは人にどう入ってもらうか。
場をそのバランスにどうやってもっていくのか。
緊張感を高めてから少しづつ緩めていくのか、
リラックスしきってから徐々に注意力を強めていくのか。
時と場合によってどちらが良いのかは異なる。
僕の場合は最初の緊張感を高めてから、ゆっくり緩めていく方を選ぶことが多い。

古い写真を見ていると、
ああ、あの頃はぜんぜん違う世界を生きていたな、と感じる。
もちろん、まったく変わっていない部分もある。
面白いのは、いつでも楽しいなあ、新しいことがいっぱいで幸せだなあ、
と感じてきたのに、絶対、過去に戻りたくはないということだ。
同じことはもう出来ない。
いつも一生懸命だったな、と思う。
もう一度ともし言われてももう出来ない。

突如として、見えている世界が変わる時がある。
そうすると、もう以前には戻れない。
戻りたいと思うかどうか、
あるいはもっと単純にあのときああすれば良かったという後悔。
僕は過去に後悔は一つもない。
その時、やり切っているから。終わりまで行っているから。
それで、その程度か、と言われれば、それが自分の実力なのだから仕方ない。

あるものにはみんな終わりがある。
終われば、新しいものが始まる。
だから、一つ一つ後悔のないように、全力でやり切る。
出来事から貰えるものは全部貰っておく。

例えば、こういう場に関しては、同じ時間は2どないわけだ。
ある時、新しい世界が見えてくる。
それは、自分が見たいと思ったからでも、
自分がそこまで行ったからでもない。
場が見せてくれたわけだ。
場がくれたものだ。
僕達は選べないし、決めることは出来ない。
場に従う。それだけの話だ。
今、見せてもらっているものは、今だけ見せてもらっているものだ。
次、どこへ連れて行かれるかは分からない。
だからこそ、今見せてもらっているものをしっかり見ておく。
それが次への準備だ。

人生にまったはない。すすむのみ。

とてもとても天気が良くなってきた。
今日も一日、みんなにとって良い時間が流れますように。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。