2013年1月9日水曜日

洗濯

そろそろ洗濯物を、と思っていたら曇ってしまった。
乾燥してるし室内でもいいかな。

昨日は赤嶺ちゃんがアトリエに来てくれたので、終わった後少しお話しした。
僕にとって彼女は重要な存在だ。
遠慮せずに何でも言ってくれるから。
今回も話していていろいろと考えさせられた。
今年からの僕のテーマでもあるのだけど、
手伝ってくれる人達や学生たちに、活き活きと仲良くやっていってもらいたい。
作家たちの環境を整えることをずっとやってきたけど、
学生たちに対しては僕はまだまだ未熟だった。
学生たちにとっては、それから手伝ってくれる人達にとって、
これまで僕の影響力が強過ぎたようだ。
教え過ぎ、手出しのしすぎだった。
僕の評価を気にしたり、
ダメと言われることを恐れたりするようになってしまった部分もあるようだ。

もちろん、全体としては、みんな仲良くしているし、
一人一人はとても成長している。

僕はあまり人に影響を与えたくない。
みんなに小さくなって欲しくない。

一応だけど、書いておきます。
僕は評価する立場の人間ではない。
みんな、全員、素敵な存在だと思っているし、
変わっても変わらなくても、そのままで愛しています。

このブログでもそうなんだけど、僕自身は一人一人を縛ったり、
不自由にしている仕組みや考え方を、何とか取り払う為に書いて来たが、
逆に僕に批判されないように小さくなってしまったり、
それが一つの縛りになって影響を与えるのなら、やり方を変えなければと思っている。

愛情は与え合うものであって奪い合うのは良くない。
評価を競うのはつまらない。
みんな同じ様なレベルだよ、と言ったらこれも評価になるかな。

でも、一人一人ではみんな、僕には好きなことを言えるみたいだし、
実際に会っている人達は大丈夫だろう。

とにかく、楽しく素直が一番。

この前、シチューを作って一人で食べたら、次の日にはるこが、
「昨日、夢で佐久間さんのシチュー食べたよ」
またまたでた。

荷物を整理しているので色んなものが出てくる。
なつかしい物も多い。
10代、20代の頃は写真を撮る習慣がなかった。
だからほとんど写真がないのだけど、時々、誰かがくれたのが出てくる。
だいたいの人がそうなのだろうけど、やっぱり撮っておけば良かったかな、と思う。
僕の大切な記憶は16からの10年くらい、
色んな場所で色んな人達に助けられ、教えられて成長して来た時期。
その経験が今でも自分を支えてくれている。
それ以前、子供の頃のことはあんまり思い出せない。

ようやく、本当に最近だけど、金沢も良いところだったな、と思う。
久しぶりに帰りたいな、とか。
僕にとっての金沢のイメージは、川、雨、雪、湿り気と水だ。
いつも薄暗くて、さっぱり晴れる日は少ない。

小学校の頃、イルクーツクの子供たちとの交流会があった。
金沢は日本海にも面していて、ロシアや韓国と交流が深い。
イルクーツクの人達ともそんな繋がりで、学校に呼んでいたようだ。
明るく陽気な歌とダンスの会みたいなのがあって、
大人も子供も民族衣装と、様々な楽器を使って、
僕達に披露してくれた。
あの時の子供達の楽しそうな表情を何度も思い出すのは、
その後、彼らは全員、射殺されたと聞いたからだ。
あの時、使っていた楽器の中には実はピストルが隠されていた。
帰りの飛行機で彼らはハイジャックして国から逃れようとした。
でも、捕まって全員、大人も子供も女性も射殺されてしまった。
ニュースが流れ、新聞に載り、小学校の校長は「子供達がショックをうけております」
と発言していた記憶がある。

僕の一番の親友は宮腰といった。
彼は遊びの天才だった。
一緒にいるといつも面白いことが起きる。
でも、僕といるときが一番、その力を発揮する。
僕は彼の面白さを引き出すことに夢中だった。
思えば、あの頃から、自分が主体となってプレイすることを選ばずに、
人の面白さを楽しんだり引き出したりするポジションを選択していた。

よし子を見ていても思う。
彼女は自分で表現したり楽しんだりするタイプだ。
その部分をもっと活かしてあげられたら、と思う時も多い。
良い意味でクリエイティブというか。
僕とはそこがぜんぜん違う。

僕自身は実は自分の中にはなんにもない。
なんの個性もなんの才能も、やりたいことも。
だからこそ、人のこころと向き合うのかも知れない。

ここまで書いて来て、外が明るくなって来た。
洗濯出来そう。
やっぱり太陽のあたたかさは最高だ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。