さて、今月は結構書いてきた。
昨日はNHKの北川さんとお話しした。
出生前診断についてや、今の社会の中でアトリエがどんな意味をもつのか、
僕自身も日々考えさせられ、問いかけられている気がする。
僕達の仕事もこれからやるべきことは多い。
自分にどんなことが出来るのか、どんな役割があるのか考える。
何度か書いてきたが、これまで僕は深めることを中心にすすめてきた。
これからは伝えることであり、つなげることを中心にしていくと。
この深めることと、伝えることが僕の役割なのではないかと考えている。
仕事には向き不向きがある。
向いていないことをどれだけ努力しても、なかなか人の役に立つことは難しい。
自分の役割を自覚することが大切だ。
僕には昔から個性や独創性がない。
何かをゼロから作り出すことはむかないかも知れない。
例えば、僕が今取り組んでいるようなことがらも、
もとはと言えば共働学舎での経験がベースだし、
障害を持つ人達のこころを深く知ることで、
そこから世界観を掴んでくるということも、
宮嶋真一郎の思想に背景がある。(そのような言葉では語られてはいないが)
ダウン症の人達のセンスを見つけだしたのも、佐藤肇、敬子が最初だ。
現場においても、個性的なのはよし子だ。
僕自身はどちらかと言うと、そういう独創的な人達が直感してきたことを、
深めていくこと、その本質を見極めることが自分の役割だと思っている。
それからそれを伝えていくこと、繋いでいくことが使命だと思っている。
僕のことを面白いと言ってくれる人もいるけど、
僕自身は面白いものを探したり、面白い人と付き合ったりして、
そこにある面白さを活かすことしかしていない。
みんな面白いなあ、大好きだなあ、と思っているだけだ。
そういう意味でも、これから更に繋いでいきたい。
しばらく、荷物の整理や雑用に追われていたので、
今日は久しぶりの休日だった。
そんなことで本屋さんに行った。
直木賞とか芥川賞とかが発表されたからといって、読んでみようとは思わない。
でも、今回は読みました。「abさんご」。75歳での芥川賞受賞だそうだけど、
そういう話題性は別として作品が素晴らしい。
もう長い間、小説なんて読んでいなかったのだけど、
久しぶりに良い読書だった。さっき買ってもう読み終わってしまった。
言葉が生きているし、個性的な文体なのだけど、それより、
本当に丁寧に書かれていることと、事物を慈しむ眼差しがいい。
ありきたりな感想だけど、死の視点から生を捉えている感じだ。
ここにある懐かしさは人間の本質である、回帰と関係している。
本当に良いもの美しいものにはこの懐かしさがある気がする。
遠い世界に回帰して、そこからもう一度この世界を見ている。
今、ここにいると同時に、ここが遥かな過去であり、
すべてが終わったところから思い出されていることの様な、無限の感覚。
僕がジャマイカの音楽が好きなのも、この無限からの懐かしさがあるからだ。
言葉にすると矛盾してしまうが、今が過去であるという感覚。
すべては終わっているけれど、活き活きと輝いているという感覚。
もう書くまでもないことだけど、アトリエで僕が場に入っているとき、
良いときはこれと似た感覚になる。
最後の3ページは珈琲屋で読んだのだけど、その話は次回書きます。
(一言だけ言わせてもらうなら、この本の装丁は内容に合っていない。良い本になるにはデザインも大事だ。残念だなあと思う。)