2013年1月28日月曜日

紫の日

風邪もかなり流行っている様なので、皆様もお気をつけ下さい。
寒い毎日が続くが昼間はとても明るくぽかぽかしている。

昨日の夜は雪も降った。そして、夜中に地震。

なんにもなく過ぎていけばいいけど、気をつけておくにこしたことはない。

日曜日にしんじ君が描いた絵のタイトルが、
「2月10日、地震、津波、停電」というもの。
まさかとは思うが、一応はいつでも避難出来るようにと思う。

日曜日の教室。
佐久間 「桃太郎ってなんだっけ?」
しんじ 「プールに桃が浮かんでるやつだよ。」
佐久間 「えっ、プールに?」 
しゅうちゃん 「違うでしょ。岡山県だよ。」

先週は子供が風邪をひいてお休みだった、あきこさんが久しぶりに来てくれた。
みんなも喜んでいる。
彼女の存在が平日のクラスにとって本当にありがたいなあ、と思う。
まだ、内部だけでサンプル的に見ているのだけど、
あきこさんがハンドメイドでみんなの作品の活かし方を考えてくれている。
良いものが出来てくるから、今後、カフェなどで限定販売したいと思う。
よし子とも三重での展開を話し合っている。

今年は見取り図を創ってみたいと思うし、一部は初めて行きたい。

僕の最大のニュースはゆうたが5歩だけど歩いたという報告だ。
嬉しい。本当に嬉しい。
僕も頑張らないと。

はるこ 「佐久間さん。さっきのパン、チーズ入ってたよ。」
佐久間 「ああ、入ってたね。」 
はるこ 「さっき、牛の味した?チーズ」
佐久間 「うん」
はるこ 「聴こえた?モー。牛のお母さんの声。」
そうかあ。やっぱりはるこはすごいなあ。
こうやって教えてくれてるんだなあ。
チーズを食べて、牛のお母さんのモーという声が聴こえたら、
そんな世界にいたら、本当に豊かでやさしくなれるだろう。

昨日は久しぶりに、深く深く眠った。
朝の始まりはいつもより遅くなった。
数ヶ月に一度くらいこんな日がある。
深い眠りの中でブラックホールのように何もない真っ暗なところから、
混沌とした、本当に混沌とした夢が何種類も折り重なってやってくる。
纏まりのないもの、濁ったもの。
そして、みんな消えていく。ああ、リセットされたな、と感じる。
起きると身体も軽い。

ここしばらくは、たくさんの人と会っていたから、
自分の中にいっぱい人の思いや感触が入っていた。
いろんな人のこころの動きが入ってきては出て行く。

僕の場合、多分いつも深く眠ることで昇華する。

僕は昔から強気と言うか、かなり不遜な生き方をしてきた部分もあって、
あんまり恐れというものを感じない。
罰当たりと言うか、なんと言うか。
そうそう、子供の頃は本当にみんなと遊んでいて、
罰が当たるよと言われることをいっぱいやっていた。
例えば、お守りの中身を見るとか。
その時も変な感覚があって人にはやらせない。
ダメだよ。多分、罰が当たるよって言って。
でも、なぜだか僕は自分は大丈夫という感覚があった。
迷信を信じないというのとは違って、なんかこういう態度で行けば許される、
という変な感覚だ。
だから罰に当たったことはない。
どうでも良いことを書いてしまったが、
そんな罰当たりな人間でも、恐れると言うか、
申し訳ないという気持ちになることがある。
僕の言葉に影響を受けてメールをくれたり、
是非会いたいと言ってくれる若い人が多い。
そんな時、申し訳ない気分になる。
何とか出来ればなんとかしたいけれど、僕は何一つ持っていない。

せめて、時間が許せば話を聞いてあげたい。
でも、それすら出来ないときもある。

今月、会った人の中には遠くからわざわざ来てくれた人もいる。

出会った人達ばかりではなく、みんなの幸せを願わずにいられない。
今、一緒にいられない人達のことを強く思う。
みんな幸せになって欲しい。

ああ、悲しい人だなあ、とか孤独だな、とか切ないなあ、という人に会う時もある。
その後で一人で歩いていると、その悲しさや切なさが、
自分のものとして感じられる時もある。

でも、忘れないこと。
悲しみや切なさは悪いものではない。
そこを通してしか見えない真実もある。
悲しみを知らなければ分からないこともある。
ただ、言えることは個人的な悲しみを通して、それを超えていくことを目指そう。
個人的な悲しみの先には根源的な悲しみ、切なさといったものがある。
なんと言うか、人間が人間であることの悲しさ、切なさの様なものが。
そこを見るようになると、深みが出てくる。

今日はゆうすけ君あきさんはるこさんの3人が紫系の服を着ていた。
ゆうすけ君が濃い紫の絵を描いていたので、アトリエ全体が紫になった。
不思議な空間で、神秘的な時間ですらあった。
庭の緑の草木が風に揺れていて、
同じリズムでだいすけ君がゆれながら笑っていた。
みんなが色と形と線と光で、風に揺れて漂っていた。
柔らかい柔らかい存在になっていた。
人間も自然の一部だ、という当然のことを忘れてしまっている人が多い。
画面いっぱいの紫に包まれながら、何とも言えない開放感を味わった。

まだまだ、書くべきことはたくさんあるが今日はここまでにしておこう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。