2013年2月2日土曜日

漫画

朝、犬の散歩。
今日の気候は一体なんだろう。
不思議な静けさだ。
生温い。
時々、風が吹いてくるが、それも温い風だ。
なんだかまた昔の時間に入り込んだような日だ。

昔の日本には風の名前だけで凄い種類があったと、何かの本にかいてあった。
それから、色にも驚く程の名前があった。
そんな時代は多分、人間の知覚自体が違っていただろう。

いつでも、もっと多くのものを感じる力を持ちたいものだ。

アトリエの制作の場の中では、こういった微細な感覚が大事になるし、
普段の何倍も感覚が開いていく。

これを書きながら今、急に日が射してきて、明るくなった。
こんな変化は場の変化に繋がっていく。
場に入れば僕には見える。
何もしなくても分かる。
こんな感覚はよく考えてみると不思議だ。
実はあんまり深く考えたことがなかった。

例えば僕はよく適切な距離というのを言うのだけど、
人のこころとこころの距離はもしそれを把握出来たとしても、
急に縮めたり伸ばしたりはなかなか出来ない。
というか出来ないらしい。
僕にはそれは本当に簡単なことだ。

だからといってどうということではないのだけど。

赤嶺ちゃんから借りた漫画を読んだ。
西洋骨董洋菓子店という漫画。ドラマにもなったらしい。
面白かった。
舞台になった阿佐ヶ谷のお店が懐かしかったのだけど、
後半は全く違う物語になっていって意外だった。
前半は甘いものと人生の魅惑。読んでいてもケーキが食べたくなる。
ストーリーがすすんでいくと、少しづつ登場人物、一人一人の背景が見えてくる。
トラウマという言葉は好きでないし、勘違いもされている言葉だと思うが、
この物語の登場人物はみんな心に傷を負っている。
そして時々、その傷が場面の中で現れてくる。
出てくるけど、深く掘り下げられることはない。
大きく言ってしまえば、一人一人が快復に向かうのだけど、
その快復は傷が消えていくことではない。
最後のシーンでも結局、傷は消えないという場面が描かれる。

傷も痛みも弱さも決してなくなることはない。
それらが終わることも消えることもない。
でも、傷をもったまま彼らは幸せになっていく。
それを一言で言えば、距離が生まれたということだ。
傷や弱点と向き合うことで、自分の中にその存在を認める。
そこで距離が生まれる。それでいい。
なくしてしまおうとすると、実はもっと良くないことになる。

これは、僕の人のこころや場や人生に対しての考えと同じだ。
弱点をなくすことは出来ないし、こころの中の傷をゼロにすることも出来ない。
それよりも、それをどう認めて、どう付き合っていくのか、その距離が問題だ。

そういう意味で、自分や自分のこころとの付き合い方が上手く描かれていた。

これは人に対しても同じことが言える。
僕のところに、病気になってしまった子や、困った状態の子が来ることがある。
来る場合もあるし、連れて来られる場合もある。
周りの姿勢として大切なことは、直そうとか良くしてあげようと思わないことだ。
特にご両親は何とか良くしたいと思って必死になる。
でも、周りが良くしたいと思えば思う程、逆効果だ。

僕は人を見たとき、相手の一番良い部分をまず見る。
見ると言うか、そこが見える。
だから、即、相手を受け入れられる。
まず、必要なことは、今、どんな状態にあろうと、今の状態の相手を受け入れる、
認めていくことだ。
極端に言えば、治らなくても良くならなくてもいいというくらい。
とことん認めて、付き合っていく覚悟が周りに出来た時、
ゆっくりと変化が起きてくる。
もしかしたら、自分や自分の態度が変われるかどうかが問われているのかも知れない。

もっと他のことを書こうと思っていたのだけど、
それがなんだったのかも忘れてしまったし、
そろそろみんなが来る時間なので今日はここまでにします。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。