2013年2月11日月曜日

いっぱいの音楽

さて、今日から三重へ行ってきます。
今、出る準備なのだけど、ちょっとだけ書きます。
今週はブログお休みです。

土曜日も日曜日も良い場になっていた。
流れがあった。
今は良く流れている。
そんな感じだ。

いよいよ4月に入ると関川君が戻ってくる。(まだ大学院在籍期間だけど)
そこで彼にも場に入ってもらう。
これからは、これまで以上に本気で教えていくし、しっかり任せていく。

今、アトリエに来てくれている人達とも、この場を一緒に歩いていきたい。
作家たちを中心に関わる人達みんなにとって良い場でありたい。

スタッフとして自覚すべきことはたくさんあるけれど、
まずはよく見て、感じて、流れるように動いて、
実地に積み重ねていくことが大切。
いつでも、今出来ることをすること。
能力的に出来ないことが問題になることはない。
出来ることはいくらでもある。

こころと向き合う時は、行くと決めたら最後まで行ってみることだ。
出口まで自分で見つけなきゃだめだ。
そういう経験をしていくと確実に分かることがある。

ときに僕は「見える」とか「読める」ということを言うが、
とり間違えないで欲しい。
場においては絶えず、現在進行形だ。
今が大事。いま、ここでどう動いているか。
きれいに動けているか。
それがすべてだ。
今、流れているかどうかだ。

深く入ることは大切だけれど、場ではそれ以上に響き合うことが重要だ。
前にも書いた。
こころは弾力があって、触れれば跳ね返ってくる状態が健康だ。
自分のこころをそういう風にしておくことだ。
場においていらないもの、邪魔になるものの最たるものは自意識だ。
自意識を捨てて、場に入ることだ。
それは難しいことではない。
外へ出たら、また自意識を持っても良いのだし。

場を一枚の絵の様に見て、ちゃんと調和していて美しければ良い。
音楽の様に聴いて、響き合って活き活きしていれば良い。

本気で挑んでいけば、場は楽しいし、多くのことを教えてくれる。
僕達は普通には一回限りの一つだけの人生しか生きられない。
人間とはそういうものだ。

でも、場を深く経験するということは、
同時に様々な人のこころを生きることだし、
いくつもの視点を持つことだ。
小さな空間にたくさんのこころと経験と記憶が凝縮されている。
それらが響き合うとき、折り重なり無限に広がるとき、
自分が自分を超えて、とてつもなく豊かな世界に入っていく。

響き合うことの気持ちよさ。

生きていくとか、生活していくということは、
それだけで、ちょっとづつ自分を限定していくことだ。
気がつかないうちに視点は偏り、動きは鈍くなる。
僕の言葉でいうと「見えなくなっていく」。

本当はもっといっぱい色んなことがあふれている。
今、この瞬間だって複雑で豊かな音楽が奏でられている。
沢山、見て、聴いて、全身で感じて、生ききること。

僕の中ではたくさんの人が生きているし、それぞれが会話している。
出会った情景や様々な記憶が折り重なり、響き合っている。
それらは複雑に絡み合って、どこまでがどれと区別出来ない。

ただ、音が鳴っていないことを寂しいことだと気がつけない人が多いと思う。
世界中に音楽が鳴り響いているし、
自分の内側からも鳴っている。響き合っている。いつでも。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。