2013年2月18日月曜日

思うこと

寒い日が続いている。
体調はまちまちで風邪でお休みのメンバーも多い。
でも、制作に関してはみんな調子が良いようだ。
色がのっているというか、同じ色でも輝きがある。

この前、三重にいく直前にアキが、
「サクマちゃん。やっとゆうたやん、ムギューやねえ」
と言って微笑んでいた。
僕とユウタが再会して、ゆうたを抱きしめることを喜んでくれている。

帰ってきてからも、「いっぱいギューした?」と言ってくれる。

こういう大人と言うか、
包み込むような視点で見られていることに気がつく時、はっとする。
そんな瞬間がよくある。

昨日もまあゆちゃんを見ていて、
あー、もう完全に一人で描けるようになったなあと思い、
ほっとして感慨に耽ってしまった。(時間にするとほんの一瞬だけど)
ちょっと伸びをして振り向いたら、
力が抜けた僕の顔を見ながら、まあゆちゃんは微笑んでいる。
ここでもはっとした。
彼女の方が僕へ、良かったね、安心したねと言っているようだった。

見通していると言うか、すべてを感じて分かった上で、
振る舞っている部分が彼らにはある。

柔らかく次元の高い愛情がそこにある。
それは、言葉をまったく要さない。

こういう世界が存在することに気がつかないで、
自分が教えている気になっている人達がいる。

この前、中華屋に入ったら、どこかの学校の教師達が集まって話していた。
バカ話だ。バカ話が悪いわけではない。
普段はそんなたわいもないことで盛り上がって、
仕事となれば真剣にする、それでいいのだと思う。
ただ、このバカ話はあまりにも次元が低すぎる。
学校や行事や生徒達の話をしていたが、
とてもとても、人を教える立場にいる人間とは思えないレベルだ。
いじめや体罰はこのところ、とても問題視されているが、
ああいう次元の低い教師が教えることの弊害をもっと考えるべきだ。

育てると言うか、人が育っていく時間を見守る立場を考えて欲しい。
もっと真剣にやれよ、としか言いようがない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。