2013年2月3日日曜日

正直に仕事する。

今日は一変、冷たい風が吹く。
でも、あまり冬らしくはない。

インフルエンザ、かなり流行っていますね。
みなさま、お気をつけください。

一人なので体調管理により気を配りだしている。
なるべくよく寝ることが一番。
なかなか出来ない時もあるけど。

最近、眠りの深さが凄い。
ビックリしてしまうほど。
寝ている時は本当になんにもない。

前回、「西洋骨董洋菓子店」のことを書いたけど、
あれでもう一つメインのテーマを忘れていた。
やっぱり仕事といってしまうとつまらないけど、
あの漫画で言えばお店を、みんなが大事に思っていて、
結局は良いお店にしたい、良い仕事をしたいという想いが、
一人一人を成長させていく。
色んなことがあるけれど、いつでも美味しいケーキを売って、
人を笑顔にさせる、そのことで自分ものびていく。
とても単純に言ってしまうと、何よりもそこなのだろう。

僕も昨日より今日のアトリエを良い場にしていきたい。
いつもそんなことを考えている。

仕事という言葉を使ったけれど、これは大きな意味での仕事。
生きる中で何かその場で自分が出来ることを精一杯する、
そんな行為としての仕事だ。

だから、自分が過去にどれだけのことが出来たのかとか、
どんな手柄をたてたのかとか、そんなことではない。
年をとって、自分が何かをしたから偉かったんだと思いたがるのは見苦しい。
もちろん、若い時からどこかで、人から認められたい、評価されたいと、
ほとんどの人は気にしている。
その次元のものは仕事とは呼ばない。

幸い僕は何も成し遂げていないし、偉業を残す気もない。
歳をとったら昔ああだったと自慢出来ることは一つもない。
そんなものはいらない。ただシンプルに生きたいだけだ。

若い時も、それから歳をとっても違う形で、
自分の役割や価値を人は求める。
それは当然のことで、なにも間違ってはいない。
ただ、方向性がズレると人から喜ばれない。
認められたいために、評価されたいためにする行為は、
言い換えればすべて自分のためのことだからだ。

この前も書いた。
存在意義など求めなくても、
その人がそこにいることがそのまま、意味であり価値なのだ。

僕は自分が見てきた、経験してきた場を通してしか言えないが、
そこから見ると、存在する意味や役割は作るものではない。
感じるもの、認識するものだ。
例えば、場を見る。場を見る時は全体をぱっと見る。
絵を見るような感じで見る。
ちゃんと見えれば、そこにいる全員のいるべき場所や役割が見える。
その時、すべての人に価値があり、この場から一人でも欠ければ、
場自体が成立しなくなることが分かる。
それなのに、多くの人はそれに気がつかないで、
右往左往する。自分の価値を探す。あるいは認められようとする。
そんな必要は一つもないよ、というところから見ていることが、
場を見守る役割だ。

ただ、その場に居られればそれでいい。

まあそう思えるまで色んなことがあるのだけど。

仕事と言えば、この前、ある珈琲屋を良い店だと書いたけど、
個人的にはもっと小さな店が好きだ。
アトリエのある商店街の途中にある、
白い昔のフランス(イメージ)のようなカフェ。
一見、よくある女の子の好きなほっこりした店のようだけど、
実はかなり本気で仕事している。
女性の方が経営しているが、彼女は不器用なくらいに作るものにこだわっている。
手をかける、丁寧にする、ということが哲学のようになっている。
妥協はいっさいない。
こんな風に仕事したいなと思わせられる。

それから、ぜんぜん違う場所なのだけどカレー屋があって、ここも凄い。
インド人が作っているのだけど、かなり独創的で、
こういう言い方もなんだけど芸術的だ。
食べると別次元に連れて行かれる。
経験したことのないものを経験させてくれる。
コアなリピーターが多いらしく、いつもこんでいる。
このインド人が頑固と言うか、こだわりが強くて、
無理解な客としょっちゅうケンカしている。
ほっておけばいいのに、本気になってしまうくらい真面目だ。
分かる分かる、と思いながら自分を見ているようで反省させられる。
この前も一見簡単そうなメニューのレシピを聞かれていて、
客が「家で作るから」とか言っただけなのに、
むっとして「これは絶対作れない」とつぶやいていた。
笑ってしまうくらい本気だ。
他の店と比較されることも嫌いで、ある時なんか、
こういうカレーが食べたいという素人の安直な意見に真っ向から、
「うちに来なくていいよ。カレー屋なんか沢山あるんだから、他の店に行けば」、
と大真面目に怒っていた。
この前は名言を聞いた。
料理の背景を聞かれて、なんとカレー屋じゃないとまで言ったのだ。
「何流でも何派でもないよ。北でも南でも。なんでもいい。インド料理でもないし、カレー屋さんでもないよ。強いて言えばスパイス屋かな」
分かるけど、そんなの言ってどうするんだ。
真剣に仕事すると、どうしてもこうなってしまうところもある。
だから、自分の昔を見ているように感じる時もある。

みんな不器用だけど悪気がある訳じゃないんだよね。

他にも一つか2つは紹介したい例もあるが、今日はやめておく。
彼らはあくまで自分の本気の仕事で人を喜ばせたいと思っているだけだ。
誤解も生まれやすいだろうが、それでも、世の中のほとんどは、
騙してでも、相手が気がつかないで満足すればそれで良いと思っている。
そんな中で、正直な仕事をしていこう、
たとえ気づかれなくてもウソや妥協や手抜きはするまい、
という姿勢は立派だ。見習うべきだと思う。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。