2015年4月2日木曜日

夜桜

皆様、ご無沙汰しております。
本日から東京へ戻りました。

寝不足。
今日中に終わらせたかった仕事は明日に持ち越しかな。
まだメールも全部チェック出来ていない。

三重でのこと色々と書きたいこともあるのだけど。

今年は桜を満喫して、この前は目を瞑ると満開の桜がどこまでも広がっていた。
それは現実に存在するどんな景色より美しかった。
しばらくそんな状態が続いていた。目を閉じるとそこに桜があった。

今日帰って来て小学校の桜が奇麗だなあ、と思って、
あとになって夜道を今度は別の木々を見た。
月に照らされて満開の桜がひらひらと舞っていた。

エレマンの気まぐれ商店で、連載してもらった僕の講演も最後まで行った。
纏めてお読み頂けると嬉しいです。
内容は結構良いと思います。

ミシンの会も順調で素敵なポーチが作られています。
ご興味のある方は気まぐれ商店のサイトをご覧下さい。

悠太とのことも、そして家族のことも書きたいことはあるがこれも今度で。

4月はかなり能率良く動かなければ、時間が足りなそう。

年が明けたと思ったらもう4月。

今年に入ってからも本当に多くの方との出会いがあった。
浅い付き合いも深い付き合いもある。

僕は上辺の関係は嫌いなので正面から行くようにしている。
大勢の方が良しとするような人間でもないし、生き方もしていない。
嫌われることも多い。

でも、本当に有り難いことにこの人は、と思うような方が評価して下さる。
「佐久間となら」「佐久間でなければ」という言葉を頂く。

このブログもそうで、最初の頃はそこまで言わなくても、とか、
もっと柔らかく、と感じられた方も多かったと思う。
濃いとか重いとか。
でも、本気でしか書かないという方向で貫いて良かったと思う。
最近、頂くメッセージではこう言った言葉に救われたという、
有り難い言葉を頂くことが多い。

もっともっと浅いところで満足している方は、
何も佐久間など相手にしなくて良いのだから。

いつまでこのテンションで行けるのかは分からないけれど、
今のところまだ現場に立つと、誰もこれ以上には行かないだろうな、
という感触はある。こんな言い方は不遜なのだが。
それでもいつかは手も足も出ない時が来ることは自覚している。

どこに行っても本当のものがない、と思っている人、
人がそこに存在することの深淵に未だ触れていない自覚のある人、
そんな人が見た時に、これだ、と思ってくれるような場面を創りたい。

制作の場はまずいつでも、これ以上は無いと思えるような、
思ってもらえるような時間にしたい。

今月もそこへ向かって挑戦を続けて行きたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。