寒さが続きますね。雨。
さて、今日も行って来ます。
これくらいのバランスの気候の時は、
内面にグンと入って、思わぬ収穫がある時もあります。
だからチャンスを逃してはならないのです。
よし子達も心配。
何とか乗り切ってくれると良いが。
制作の場を精一杯頑張ります。
夕方から、新しいクラスが静かに始まります。
今日のアトリエは朝からジャズを流しています。
リズムが気持ちいい。
ここに何度が登場しているが、僕が人生の中で一番仲が良かった親友がいる。
もう20年以上会っていない。
不思議なことに仲の良い人ほど会わなくなるし、
もっと深くなるともう会わなくても良いとすら思う。
それでもKは今どこで、何をしているのだろう、と考える時がある。
小さい頃、僕は転校続きだったし、親戚や色んなところに預けられていた。
だから友達が少なかった、ということはなく、多すぎる位だった。
保育園の時からKとは遊んでいた。
僕の家は貧しく、Kの家もあの土地の一般的な基準から言えば、
僕ら側に近かったと思う。
それでもKの家庭は温かかった。
家族での旅行に僕は何度か同行させてもらっている。
Kは遊びの天才だった。
いつものパターンで僕が何かを思いついてKの仕掛ける。
必ず予想以上の何かが起きた。
話もそうで、これどう思う、と聞くと面白いイメージが返って来る。
僕らはそうやって、街を歩いたり、山や川に行ったりして、
面白いものを発見したり作ったりしていた。
佐久間とKが揃えば絶対に面白くなる、と子供達の中では評判だった。
やり過ぎもいっぱいあった。危険なことも。
警察が来るようなことも。
遊びが見つからないであまりに暇だった時に、
2人で開発した石とりというゲームが学校中で流行って、
そして他校にまで広がって、危ないということで、
石取り禁止にまでなった時は嬉しかった。
みんなが見守る中で公園での最後の勝負。
佐久間対Kの石取り対決は伝説となった。
集まった大勢の人が2時間経ち、3時間経ち、日が暮れて少しづついなくなる。
それでも僕らは2人で続ける。
みんなで遊んでいて、最後には2人になると言う場面は定番だった。
僕らはどんどん夢中になった。
Kの「ジブラルタル海峡」僕の「ジブラルタル海峡返し」が出たところで、
弁護士の息子が引き分けを告げた。
僕はKの面白さを引き出すことにある時期は賭けていた。
小学校4年生の時だ。
僕ら2人と最も仲が良かったN子が転校することになった。
N子もバカみたいに飛び抜けて面白かったから、3人で遊んだことは多い。
Kとは感性が殆ど一緒で、何でも通じるようだった。
僕は盛り上がり始めると、KとN子の掛け合いに任せきって、
観客に徹することも多かった。
のっている時の2人の面白さは、
あれを見てしまったら、他のことで笑えないくらい。
僕は子供だったから、KがN子を好きだったことが分からなかった。
言うところの異性への目覚めは僕の場合、とても遅かった。
遅過ぎて始まった時は誰も止められない時期に入ってしまった。
17位からの5年間は本当に酷かった。
まだ小さかったその頃は、本当に女の子と遊んでばかりで、
トイレにだって何人もの子が僕を連れて行ったりしていた。
僕は何も分からなかった。
転校する前にN子とKと3人で遊ぶ約束があった。
今思えばあの時間が3人の別れへの分岐点だった。
N子は先に帰って自分の家の前で待っていると、僕にだけ言っていたのだ。
僕はそのことが何を意味するのか知らなかった。
N子の家の周りは観光名所で今では舗装されて整備されている。
とにかくKにはこのことは言ってはいけないのだ、ということだけは分かっていた。
Kは無言で遊びをやめずに時間を経過させていた。
無理だな、と僕は直感したので真っ暗になるまでずっと付き合った。
何処にも行き場所がなくて、遊びを考えて来たけれど、
その日は2人にっても最も行き場所が無い時間が流れた。
その後、N子とは会っていない。多分、Kは何度かは会っているのだと思う。
翌日から何事も無かったかのように、
僕とKは遊び続けた。
ただ、何かが変わってしまったのだと感じられた。
そして数ヶ月後に僕も転校した。
Kとは1年に数回会う、と言う関係がずっと続いた。
最後に会ったのは大人になってから。
僕が久しぶりに金沢に帰って、Kから自作の漫画をもらった。
2人で漫画家を目指したこともあったっけ。
ジャズが流れる。ジャズが走る。
大雪の日にKと入った喫茶店で聴いたジャズ。
暖炉の火で制服を乾かしながら。
まだ生きていた頃の名物マスターと客が話す。
「神は死んだ。そしてニーチェは梅毒になった」
時間に限りがあるなんて知らなかった。
何かをしようとして、何も出来なかった人生が無数にあの街に溢れていた。
真夏は景色が揺らぐほど。
そしてあの頃と全く何も変わってはいない、とも思う。
今でもあの場所を歩くとみんながいて、あの時間があって、
僕もKもN子も日が暮れるまで遊んでいる気がして来る。
人生は本当に夢のようだ。