2015年4月11日土曜日

Kとの思い出

寒さが続きますね。雨。
さて、今日も行って来ます。
これくらいのバランスの気候の時は、
内面にグンと入って、思わぬ収穫がある時もあります。
だからチャンスを逃してはならないのです。

よし子達も心配。
何とか乗り切ってくれると良いが。

制作の場を精一杯頑張ります。

夕方から、新しいクラスが静かに始まります。

今日のアトリエは朝からジャズを流しています。

リズムが気持ちいい。

ここに何度が登場しているが、僕が人生の中で一番仲が良かった親友がいる。
もう20年以上会っていない。

不思議なことに仲の良い人ほど会わなくなるし、
もっと深くなるともう会わなくても良いとすら思う。

それでもKは今どこで、何をしているのだろう、と考える時がある。

小さい頃、僕は転校続きだったし、親戚や色んなところに預けられていた。
だから友達が少なかった、ということはなく、多すぎる位だった。

保育園の時からKとは遊んでいた。
僕の家は貧しく、Kの家もあの土地の一般的な基準から言えば、
僕ら側に近かったと思う。
それでもKの家庭は温かかった。
家族での旅行に僕は何度か同行させてもらっている。

Kは遊びの天才だった。
いつものパターンで僕が何かを思いついてKの仕掛ける。
必ず予想以上の何かが起きた。
話もそうで、これどう思う、と聞くと面白いイメージが返って来る。
僕らはそうやって、街を歩いたり、山や川に行ったりして、
面白いものを発見したり作ったりしていた。

佐久間とKが揃えば絶対に面白くなる、と子供達の中では評判だった。
やり過ぎもいっぱいあった。危険なことも。
警察が来るようなことも。

遊びが見つからないであまりに暇だった時に、
2人で開発した石とりというゲームが学校中で流行って、
そして他校にまで広がって、危ないということで、
石取り禁止にまでなった時は嬉しかった。
みんなが見守る中で公園での最後の勝負。
佐久間対Kの石取り対決は伝説となった。
集まった大勢の人が2時間経ち、3時間経ち、日が暮れて少しづついなくなる。
それでも僕らは2人で続ける。
みんなで遊んでいて、最後には2人になると言う場面は定番だった。
僕らはどんどん夢中になった。
Kの「ジブラルタル海峡」僕の「ジブラルタル海峡返し」が出たところで、
弁護士の息子が引き分けを告げた。

僕はKの面白さを引き出すことにある時期は賭けていた。

小学校4年生の時だ。
僕ら2人と最も仲が良かったN子が転校することになった。
N子もバカみたいに飛び抜けて面白かったから、3人で遊んだことは多い。
Kとは感性が殆ど一緒で、何でも通じるようだった。
僕は盛り上がり始めると、KとN子の掛け合いに任せきって、
観客に徹することも多かった。
のっている時の2人の面白さは、
あれを見てしまったら、他のことで笑えないくらい。

僕は子供だったから、KがN子を好きだったことが分からなかった。
言うところの異性への目覚めは僕の場合、とても遅かった。
遅過ぎて始まった時は誰も止められない時期に入ってしまった。
17位からの5年間は本当に酷かった。

まだ小さかったその頃は、本当に女の子と遊んでばかりで、
トイレにだって何人もの子が僕を連れて行ったりしていた。
僕は何も分からなかった。

転校する前にN子とKと3人で遊ぶ約束があった。
今思えばあの時間が3人の別れへの分岐点だった。
N子は先に帰って自分の家の前で待っていると、僕にだけ言っていたのだ。
僕はそのことが何を意味するのか知らなかった。
N子の家の周りは観光名所で今では舗装されて整備されている。

とにかくKにはこのことは言ってはいけないのだ、ということだけは分かっていた。

Kは無言で遊びをやめずに時間を経過させていた。
無理だな、と僕は直感したので真っ暗になるまでずっと付き合った。
何処にも行き場所がなくて、遊びを考えて来たけれど、
その日は2人にっても最も行き場所が無い時間が流れた。

その後、N子とは会っていない。多分、Kは何度かは会っているのだと思う。

翌日から何事も無かったかのように、
僕とKは遊び続けた。
ただ、何かが変わってしまったのだと感じられた。

そして数ヶ月後に僕も転校した。

Kとは1年に数回会う、と言う関係がずっと続いた。
最後に会ったのは大人になってから。
僕が久しぶりに金沢に帰って、Kから自作の漫画をもらった。
2人で漫画家を目指したこともあったっけ。

ジャズが流れる。ジャズが走る。

大雪の日にKと入った喫茶店で聴いたジャズ。
暖炉の火で制服を乾かしながら。
まだ生きていた頃の名物マスターと客が話す。
「神は死んだ。そしてニーチェは梅毒になった」

時間に限りがあるなんて知らなかった。
何かをしようとして、何も出来なかった人生が無数にあの街に溢れていた。

真夏は景色が揺らぐほど。

そしてあの頃と全く何も変わってはいない、とも思う。
今でもあの場所を歩くとみんながいて、あの時間があって、
僕もKもN子も日が暮れるまで遊んでいる気がして来る。

人生は本当に夢のようだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。