昼間は暑いくらいでしたね。
共働学舎のドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人達」、
いよいよ上映が近づいて来ました。
アトリエでもチケットを販売することにしました。
明日、あさっての教室には間に合わないと思いますが、
次週からは置きます。
一言お声をかけて下さい。
ラッシュジャパンさんとのコラボ商品も好評で嬉しいです。
僕はまた現場のことを考えています。
いつでもだけれど。
更に一段上の場にして行くには何が必要なのか。
場とは何なのか。答えの無い探求です。
言うだけで満足している人には縁のない話。
ちょっとイベントをして、何か変わった気になったり、
何かした気になったり、あるいはそんな気になれない不安から、
また次のイベントを考えたり。
そんな上っ面なことで終わって行く人は多い。
どうしたら企画が注目されますか、とか、
展示が上手く行きますか、とか質問して来る人も居る。
その前に何故、注目される必要があるのか、
なぜ展示するのか、良く考えてみた方が良い。
一番大切なのは内容、中身のことだ。
充実した時間を提供出来ているのか、そこで幸せを感じてもらえているのか。
深い現場があって、心の底から立ち上がって来る力があふれて、
そのエネルギーに触れている時、他の全てはしょせんは本質ではないと感じる。
これが全てこの時間が全てなのだと。
世の中は卑しさだらけだけど、
もうそんなことに関わり合っている暇はない。
僕達はどこまでも歩いて行く。
一歩、一歩を踏みしめながら。
ここではみんなの意思が一つになっている。
外ではやられっぱなしの人も多い。
否定されてばかりの人もいる。
あるいはずっと無視されている人も居る。
蔑まれバカにされ。
でもね、そうやって否定して来る人達が何を知っていると言うのか。
何を見ていると言うのか。
見せてみな、と向かって行くと何も出て来ない。
何となく生きているにすぎないから。
薄っぺらな、どこかで誰かに押し付けられたことを反復するのみ。
だから僕達はこれこそが人の本来の姿だ、と言うものを場において行う。
これがこの人達の、僕達の答えだ、と。
それ以上の答えがあるのなら見せてみな、という気持ちはある。
僕らはずっと見せている。
そっちじゃない、こっちだと。
決まりきった答えに安住している訳ではない。
いつでもその場で勝負して探し出している。
ここで見ていると、一人一人、みんな凄い。
イベント屋さんでは太刀打ち出来ないだろう。
で、それで何なの?と突きつけて来る。
僕らはみんな素になって、魂を抱きしめ合っている。
上辺でどうこうという関係とは無縁だ。
装うことをしない、逃げも隠れもしない。
さもしい根性が植え付けられている世界の中で、
何が大切なのか忘れないでいよう。
この瞬間こそが全てなのだから。
一回、一回の場がそれを証明しなければならない。
明日もきっと本当のものに触れられる時間となるでしょう。