2015年4月14日火曜日

水の音

雨が降り続ける。
鳥がよく鳴いているなあ。

日曜日は晴れて過ごしやすい一日だったこともあり、
制作の場も流れるようだった。

しんじは相変わらず凄かったけど、もう一歩奥に行こうと、
注意力を注いで向かった。
そして更に深い時間が訪れた。
5枚の作品もかなりの迫力。

こういう次元に行くと、もう言葉も理屈も入り込めない。
命そのもののような作品。

表面的な部分はもう良いからもっと本質的な何かが求められている。

最近お会いした人たちにしても、
関心の持ち方が変わって来ていて、
中身の部分、芯の部分こそが要求されているように感じる。

場とは命と命が響き合う時間。

一人の人間の中には
色んな経験やいろんな情景が、たくさん入っている。
それぞれが一つになってその人を創っている。

形や色や光や風が、どこまでも重なって行く。

僕達はそこで与えられたり見せてもらったりして来たものを、
取り出して来て、見せ合ったり交換したりする。

固有の経験や景色は、
奥深いところでは普遍的な繋がりの中で必ず共有される。

人の経験と自分の経験が重なる時、そのどちらでもない普遍的な何かが動いている。

絵が生まれて来るプロセスはこころの柔らかな動きに、
そっと触れて行く行為だ。
愛で合うような時間。

雨が強くなる。
どこかを流れる水の音も。

何一つとどまってはいない。

解けかけの雪の色。白から透明になって、塊から水になる瞬間。
その感触を思い出す。
いつもお腹がすいていた頃。
チョコレートを貰った。
道を歩きながら、直に持っているチョコレートの上に雪が積もって行く。
それを何度も手で払い落としながら歩く。
街は真っ白で、景色全体が湿っている。

大人になってから母と話していて、え、と驚くことがある。
子供から見えている世界と大人のそれとの違いもあるが、
それ以上に母からは失われている記憶と言うか、そんなのがある。

母が時に言う話に、
スキー大会に参加する僕がスキーズボンを持っていなくて、
一人でジーパンに防水スプレーをつけて、出掛けて行った、というのがある。
これはハッキリ覚えている。
でも、母が見ていたことには気がつかなかった。
そして、その光景が悲しくて可哀想だった、というのだ。
えっ、と思う。
こんなことはあの頃は日常だったどころか、
もっともっとあったじゃないの、と。
責めている訳ではない。
それくらい、まったく違うものが見えていたのだな、と不思議になる。

愛児園という捨てられた子供を育てる施設があった。
キリスト教の施設だった。
その周りを何度も何度もぐるぐる回って歩いたことがある。
母と2人だった。
僕は母が迷っているのを感じたし、ここに預けられるのかな、と直感していた。

記憶は飛ぶ。
愛児園に宿泊したことがあった。
多分、何か試しにかも知れない。
仲良くなった女の子がいた。
神様は嫌いだ、とその子が言った。
私を捨てた親を許しているのだから、と。
へー、と思った。全く何の共感もわかなかった。
その子にトイレに連れて行かれて、
おしっこするから見てて、と言われて、そうしながら色んな話をした。

何人か思い出す人がいる。でも、傷つく人もいるので書けない。

色んな人達がいた。

水がちょろちょろ流れて行く。
奇麗な音。

金沢では雨の音の記憶が多い。

10年、20年はあっという間で、気がつくと全く違う場所に立っている。

いったいいつの間にここに来たのだろう。

それでも変わらない感覚もある。

なんだろう。
どこか遠いところから、今の場所を眺めている感覚。
ここでは無い場所にいて、今ではない時間にいて、
どこかから今の僕や世界を見ている感覚。

それが何なのか、小さな頃は分からなかった。
今は分かる。

遠くにいて見ている自分は、こころの奥にいる自分。
いつでも表面にある経験や体験をすべてだと思ってはいけない。
僕達が生きていて、見たり聴いたりして、経験している世界とは、
表面に現れた仮のものにすぎない。
その奥にはもっと深い何かがある。
それこそが生命の源だし、美の本質だし、
そういう場所に触れる行為が制作の場である、と言える。

表面的な浅いもので満足出来るならそれで良い。
もっと深いところまで行かなければ、救われないような人がたくさんにる。

僕達は深く潜ることで、例え少しの時間でも本来の姿に立ち返って、
命の源に触れる経験をしていきたいし、してもらいたいと思っている。

少しづつ小雨にになって来た。でも、また強くなるだろう。
ふったり止んだり。
雨の音と匂いは懐かしい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。