2015年4月20日月曜日

春のアトリエ

土、日曜日の制作は本当に深い集中が必要だった。
良い場だった。輝くような作品が生まれた。
言えることはいつでも命がけで行かなければ、ということだ。

場から離れるとしばらく上の空だ。
放心状態というのか。
昨日は夕方以降の記憶が曖昧。
気がつくと寝ていた。2時に目が覚めて、電気を消さなきゃ、と思って、
またふと時計を見ると4時だった。

あんまり深く眠ったので今はスッキリ。

このいくつかの場では、調子が悪かったり、イライラしていたり、
迷っていたり、機嫌が悪かったりする人も多かった。
僕らは機嫌を取ったり、誤摩化して違う方向に持って行くことはしない。
正面からまずは受けて、どんな時であろうと、
何かが見えて来るまで突き詰めていく。

作家が自由になれた時、作品だけでは無く、
抱えている様々な問題からひと時は解放される。
その時、場も作品も人を感動させるものとなる。

少しだけ気になっていることを書く。
保護者の方の中にはアトリエの外で作家に対して、
作品に指示を与える方が今でもいるようだ。
勿論、アトリエに来てからが僕達の考えるべきところで、
そこから何とかするようにはしている。
でも、あんまりこうしなさい、ああしなさい、
もっと描きなさい、形を描きなさい、ということは言わないで頂きたい。
はっきり言ってそれは絵とは何の関わりもないものだ。
僕は何度も作品を見直している。
ズレが無いか、確認している。
今現在、在籍している作家で、素晴らしい作品が出ていない人は一人もいない。
こんなに凄い作品を前に、何かを言うということが僕には分からない。

スタッフにも絶えずフレッシュさが求められている。
終わった後、疲れきっているくらいで丁度良い。
慣れ、ルーティンワーク、予定調和は最も嫌わなければならない。
何をするために場に立っているのか、絶えず動機を持つ。
何となく終わる日などあり得ない。

最初、もし辛い状況にいる人が居たら、
終わるまでには少しでも、ほんのちょっとでも楽になっていなければならない。
良くないですねえ、と診断を下すのが僕達の仕事では無いはずだ。
少しでも光を見いだす場面を探す。
事実をただ事実として言うだけで、
何かしているような気になっている専門家と言われている人達とは違う。

どんな時でも何かを見つけて行く。
そしてそれは出来ることだ。

良い時の場にはまた違う難しさがある。
瞬時の感覚反応は良い時の方がより要求される。

難しい現場でしっかりとスタッフが仕事して、
作家達と何かが見つけられた時の喜びは、他では経験出来ないものだ。
人間の可能性に驚く時がある。

特に素晴らしかった数枚の作品は、今もそこで輝いている。
あの輝きがやって来た場所。
そこを向いていつでも歩いて行く。

本当にたくさんのものを与えてくれる良い場だった。
深く生きることがやっぱり大事だなあと思う。
作家達は本当に深く生きている。

長い付き合いだけど、これからも新鮮な気持ちで、
この素晴らしい人達を大切に、一緒に生きて行きたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。