2011年12月27日火曜日

アトリエは冬休みに入ります

今日は打ち合わせ。
明日は取材が入っている。

日曜日は今年最後の教室を終えて、みんなとケーキを食べた。
さとちゃんのお母さんが作ってくれたケーキ、凄く美味しかった。
そして、悠太も最後の時間に連れて来ることが出来た。
みんなにとても可愛がられて、悠太もご機嫌だった。

絵の時間はさとちゃんの燃えるような深い色に驚いた。
赤と黄色を混ぜて重ねていく。最後は本当に深い色が出来る。

彼らは一人一人、自分の色を持っていて、その色はその人にしか出せない。
同じ青でもしんじくんの青とゆうすけくんの青は違う。
勿論、線もそうだが、色彩の場合、ただ塗っているだけでも、
違う色になる。
筆圧と重ねる速度と時間に個性が出る訳だが、
それは言い換えれば「想い」の違いであり「姿勢」や「こころ」のあらわれだ。

さて、このブログも今年最後の更新となる。
夏から書き始めたブログだが、思った以上に好評でほっとしている。
今年はこれまで以上に伝えるということを重視してきた。
来年はすでにいくつか講演の依頼をいただいている。
アトリエとのスケジュールの調整は難しいが、
可能なかぎりお受けしていきたいと思っている。
このアトリエに、この制作環境やダウン症の人たちの文化に、
少しでも興味をしめして下さる方や、何かヒントを感じて下さる方がいるなら、
出来るだけ伝えていきたいし、少しでも希望や可能性を感じていただきたい。

勿論、制作の場、僕達のメインである教室の時間が最も大切だ。
でも、場には限界があることも確かだ。
物理的に言っても、時間にも人数にも限りがある。
良い実践があるなら、様々な場所や人に広がっていかなければならない。
大阪や名古屋や他の地域でも、この様な場を作って欲しいという声もきく。
人に繋がり、さまざまな場に繋がって行かなければならない。
そして、このアトリエで見えて来たものに普遍的な価値があるなら、
多くの人に知ってもらって、役立つものでなければと思う。
だから伝えることは大切だ。

今年いろいろ書いて来た。
色んな話題にふれたが、すべては制作の場から見えて来たこと、
ダウン症の人たちから学んだことでもある。
彼らが示すものをどのように受け取って行けば良いのか。
そこから、今、この社会を見たとき、どんな問題があるのか。

彼らの感性や在り方について考えた。
今、この時代の問題点も色々見て来た。
彼らを見ていて感じるのは、そこに私達の原点があると言うことだ。

便利さや現代を否定的に書いた部分もあったが、
僕は自然派ではないし、科学やテクノロジーや文明を否定する気はないどころか、
否定出来ないと思っている。
現代よりも昔の方が良かったとも思ってはいない。

ただ、真っすぐに見ていくと、今、私達が失いつつあるもの、
気がつかなくなっているものがあって、
そこにはとてつもない可能性があることは確かだ。
そして、それを失うことは、生命を失うことにつながる。

ダウン症の人たちから見て来たものとは、
私達が本来どのような存在であるのか、あるいはあるべきなのかということ。
それこそが本当の意味での、
自然であり、生命力であり、本能であり感覚の力なのだ。

現実について、質感やリアリティについて、
立体感について書いた。幸福について書いた。
世界は決して一つではないことも。
気づくことの大切さや、世界の豊かさ広大さについても。
それはすべて、今与えられているこの生命と、この世界を、
どんなふうに受け止めて生きていくべきなのかと言うことだ。

ダウン症の人たちはそのことのヒントを与えてくれている。
より良く生きるために、その声に耳を傾けよう。

見えて来るはずだ。聞こえて来るはずだ。
感じられるはずだ。

必要なのはこの世界全体にも、私達の内面深くにもある、
秩序と調和を感じ取ること。
それこそが生命の神秘だ。

調和はいつでもそこにある。
ただ、それを深く自覚し、深く生きればいい。
感覚を研ぎ澄まし生命の本来の力をとり戻そう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。