今日は打ち合わせ。
明日は取材が入っている。
日曜日は今年最後の教室を終えて、みんなとケーキを食べた。
さとちゃんのお母さんが作ってくれたケーキ、凄く美味しかった。
そして、悠太も最後の時間に連れて来ることが出来た。
みんなにとても可愛がられて、悠太もご機嫌だった。
絵の時間はさとちゃんの燃えるような深い色に驚いた。
赤と黄色を混ぜて重ねていく。最後は本当に深い色が出来る。
彼らは一人一人、自分の色を持っていて、その色はその人にしか出せない。
同じ青でもしんじくんの青とゆうすけくんの青は違う。
勿論、線もそうだが、色彩の場合、ただ塗っているだけでも、
違う色になる。
筆圧と重ねる速度と時間に個性が出る訳だが、
それは言い換えれば「想い」の違いであり「姿勢」や「こころ」のあらわれだ。
さて、このブログも今年最後の更新となる。
夏から書き始めたブログだが、思った以上に好評でほっとしている。
今年はこれまで以上に伝えるということを重視してきた。
来年はすでにいくつか講演の依頼をいただいている。
アトリエとのスケジュールの調整は難しいが、
可能なかぎりお受けしていきたいと思っている。
このアトリエに、この制作環境やダウン症の人たちの文化に、
少しでも興味をしめして下さる方や、何かヒントを感じて下さる方がいるなら、
出来るだけ伝えていきたいし、少しでも希望や可能性を感じていただきたい。
勿論、制作の場、僕達のメインである教室の時間が最も大切だ。
でも、場には限界があることも確かだ。
物理的に言っても、時間にも人数にも限りがある。
良い実践があるなら、様々な場所や人に広がっていかなければならない。
大阪や名古屋や他の地域でも、この様な場を作って欲しいという声もきく。
人に繋がり、さまざまな場に繋がって行かなければならない。
そして、このアトリエで見えて来たものに普遍的な価値があるなら、
多くの人に知ってもらって、役立つものでなければと思う。
だから伝えることは大切だ。
今年いろいろ書いて来た。
色んな話題にふれたが、すべては制作の場から見えて来たこと、
ダウン症の人たちから学んだことでもある。
彼らが示すものをどのように受け取って行けば良いのか。
そこから、今、この社会を見たとき、どんな問題があるのか。
彼らの感性や在り方について考えた。
今、この時代の問題点も色々見て来た。
彼らを見ていて感じるのは、そこに私達の原点があると言うことだ。
便利さや現代を否定的に書いた部分もあったが、
僕は自然派ではないし、科学やテクノロジーや文明を否定する気はないどころか、
否定出来ないと思っている。
現代よりも昔の方が良かったとも思ってはいない。
ただ、真っすぐに見ていくと、今、私達が失いつつあるもの、
気がつかなくなっているものがあって、
そこにはとてつもない可能性があることは確かだ。
そして、それを失うことは、生命を失うことにつながる。
ダウン症の人たちから見て来たものとは、
私達が本来どのような存在であるのか、あるいはあるべきなのかということ。
それこそが本当の意味での、
自然であり、生命力であり、本能であり感覚の力なのだ。
現実について、質感やリアリティについて、
立体感について書いた。幸福について書いた。
世界は決して一つではないことも。
気づくことの大切さや、世界の豊かさ広大さについても。
それはすべて、今与えられているこの生命と、この世界を、
どんなふうに受け止めて生きていくべきなのかと言うことだ。
ダウン症の人たちはそのことのヒントを与えてくれている。
より良く生きるために、その声に耳を傾けよう。
見えて来るはずだ。聞こえて来るはずだ。
感じられるはずだ。
必要なのはこの世界全体にも、私達の内面深くにもある、
秩序と調和を感じ取ること。
それこそが生命の神秘だ。
調和はいつでもそこにある。
ただ、それを深く自覚し、深く生きればいい。
感覚を研ぎ澄まし生命の本来の力をとり戻そう。