2011年12月18日日曜日

彼らから見えること

気がつくと、どんどん月日が流れている。
雪国で育ったので、冬の記憶は多い。
冬は寒いし、雪で真っ白になって、空は高く、空気は澄んでいる。
すべてのものが明晰になる。孤独感がある。
孤独になると明晰になる。

さて、早いもので今年ものこりあとわずか。(どこかで良く聞くフレーズだが)

誰しもが大変な年だったと記憶したはずだ。
本当に色んな事がある。解決出来る事も、出来ないことも。
でも、時は流れていく。

今、苦しんでいる人や、悲しんでいる人は多い。
絶望の真っただ中に居る人も。
世界全体が混乱している。何が正しく、どこへ行けば良いのか。
私達はどうしていけば良いのだろう。

こんな時代だからこそ、人間の原点をみつめ直したい。
可能性や希望をみつけたい。

アトリエでの日々も世の中の変動と無縁ではありえない。
でも、ここには何か大切なものがあるように思う。
前回も書いたが、だからこそ、今このプロジェクトに意義や価値を、
感じて下さる方達や、協力しようとして下さる方々が増えている。
力を合わせれば、何かが出来るはずだ。

今年もずっとダウン症の人たちと、制作の時間を過ごして来た。
このブログでもずっとそれをテーマにしてきたのだが、
彼らから学ぶこと、彼らから見えて来ることは本当に多い。

もう一度、原点に返って考えてみたい。
彼らの存在は私達に何を示しているのか。

理想的な状態にいる時の彼らは(つまり彼らの本質は)、
人間がこのように存在することが出来るという、可能性を示している。
美しい絵画が描けると言うことだけではなく、
彼らには描く行為と、生そのものがまったく一致している。
彼らは美の中に、言い換えれば平和と調和の中を生きている。

彼らと創る「場」には絶えず静けさと安らぎと、楽しさがある。

アトリエの場はダウン症の人たちの文化であり、
彼らの生命の本質であり、魂の「家」のようなものだ。

ここから私達は何を見ていかなければならないのか。
私達はこのような理想的な状態、平和や平安と言ったもの、
愛と言ってしまっても良いかも知れないが、
それを自分自身のこころの中に見つけ、自分のものとしなければならない。
彼らの在り方とは、私達がそうあらねばならない、
人間の本来の姿なのではないだろうか。

世界中が混乱しているのだから、
平和や共生を語る人は多いし、求められてもいる。
でも、愛や平和はそれを語る人自身、聞く人自身の、
こころの中に見出されていなければならない。
その人自身のこころが平和で満たされなければならない。

彼らの絵や彼らの存在は、私達のこころの奥に何があるのか教えてくれる。
目をこらし、耳を澄まそう。
静けさの中で感じ取ろう。そこにこそ私達の見出すべきものがある。

人間は本来、平和で自由で、何者にもとらわれない、存在だ。
こころを解放した時、いたるところに調和のハーモニーを聴き取ることができる。

私達の世界はやさしく平和だ。
すべては繋がりの中にある。

人類は後戻りの出来ない道に入った。原発はその一つだろう。

ここから先は、私達が本当はどんな存在で、世界はどんなものなのか、
もう一度、そこへ立ち返って、
調和と平和を見出していけるのかどうか。
私達自身のこころと感覚の力にかかっている。

ますます、彼らの示しているビィジョンが必要となって来ている。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。