気がつくと、どんどん月日が流れている。
雪国で育ったので、冬の記憶は多い。
冬は寒いし、雪で真っ白になって、空は高く、空気は澄んでいる。
すべてのものが明晰になる。孤独感がある。
孤独になると明晰になる。
さて、早いもので今年ものこりあとわずか。(どこかで良く聞くフレーズだが)
誰しもが大変な年だったと記憶したはずだ。
本当に色んな事がある。解決出来る事も、出来ないことも。
でも、時は流れていく。
今、苦しんでいる人や、悲しんでいる人は多い。
絶望の真っただ中に居る人も。
世界全体が混乱している。何が正しく、どこへ行けば良いのか。
私達はどうしていけば良いのだろう。
こんな時代だからこそ、人間の原点をみつめ直したい。
可能性や希望をみつけたい。
アトリエでの日々も世の中の変動と無縁ではありえない。
でも、ここには何か大切なものがあるように思う。
前回も書いたが、だからこそ、今このプロジェクトに意義や価値を、
感じて下さる方達や、協力しようとして下さる方々が増えている。
力を合わせれば、何かが出来るはずだ。
今年もずっとダウン症の人たちと、制作の時間を過ごして来た。
このブログでもずっとそれをテーマにしてきたのだが、
彼らから学ぶこと、彼らから見えて来ることは本当に多い。
もう一度、原点に返って考えてみたい。
彼らの存在は私達に何を示しているのか。
理想的な状態にいる時の彼らは(つまり彼らの本質は)、
人間がこのように存在することが出来るという、可能性を示している。
美しい絵画が描けると言うことだけではなく、
彼らには描く行為と、生そのものがまったく一致している。
彼らは美の中に、言い換えれば平和と調和の中を生きている。
彼らと創る「場」には絶えず静けさと安らぎと、楽しさがある。
アトリエの場はダウン症の人たちの文化であり、
彼らの生命の本質であり、魂の「家」のようなものだ。
ここから私達は何を見ていかなければならないのか。
私達はこのような理想的な状態、平和や平安と言ったもの、
愛と言ってしまっても良いかも知れないが、
それを自分自身のこころの中に見つけ、自分のものとしなければならない。
彼らの在り方とは、私達がそうあらねばならない、
人間の本来の姿なのではないだろうか。
世界中が混乱しているのだから、
平和や共生を語る人は多いし、求められてもいる。
でも、愛や平和はそれを語る人自身、聞く人自身の、
こころの中に見出されていなければならない。
その人自身のこころが平和で満たされなければならない。
彼らの絵や彼らの存在は、私達のこころの奥に何があるのか教えてくれる。
目をこらし、耳を澄まそう。
静けさの中で感じ取ろう。そこにこそ私達の見出すべきものがある。
人間は本来、平和で自由で、何者にもとらわれない、存在だ。
こころを解放した時、いたるところに調和のハーモニーを聴き取ることができる。
私達の世界はやさしく平和だ。
すべては繋がりの中にある。
人類は後戻りの出来ない道に入った。原発はその一つだろう。
ここから先は、私達が本当はどんな存在で、世界はどんなものなのか、
もう一度、そこへ立ち返って、
調和と平和を見出していけるのかどうか。
私達自身のこころと感覚の力にかかっている。
ますます、彼らの示しているビィジョンが必要となって来ている。