2011年12月14日水曜日

安全などどこにもない

自分の不注意や最善をつくせなかった結果が、誰かに残るのは耐え難い。
実は反省を書かなければならない。自分の失敗を伝えることで、
何らかのご参考になればと思う。
先日もそろそろ放射能測定器(ガイガーカウンターというのか?)を
買わなければならないと書いた。
今、母が帰り、肇さんが東京に来ている。
ロシア製のガイガーカウンターを持って来てくれたのだが、
それで自宅を計ったところ、とんでもない数値が出てしまった。
すぐに外へ出て周辺や、駅の方まで計った。
心配なアトリエも計った。
結果は、アトリエのエリアは三重県で知り合いの方が計った数値と、
そんなに変わりはなかった。
問題なのは自宅だ。昨日、エアコンや壁、窓等、拭き掃除して、
何度か計り直した。夜には落ち着いて、アトリエ付近と同じ位の数値になった。
考えられるのは、エアコンのある部屋だ。
出産前、生活スペースやよし子の体調と精神状態を考え、
自宅部分だけはどうしても引っ越ししなければ無理だと言うことになった。
バタバタと時間が経ってしまったので、
室内の放射性物質まで頭がまわっていなかった。
完全に注意を怠った結果だ。不注意、注意不足、危機管理の認識が甘かった。
一ヶ月近く、あんなに高い数値の場所で生活していて、
小さな悠太のことを思うと、反省してすまされることではない。
今のところ、数値は下がった。
今後、最善をつくして、これ以上の被爆を避け、
解毒出来る可能性があれば、やっていくしかない。

やっぱり放射能は怖い。結果が5年も10年も経ってから出る。
その時、どうなるのか、本当のところは誰も分からない。
ただ、推測することしか出来ない。

危機感を持つべきだと、何度も書いて来たが、こういう事があるからだ。

今回、アトリエとその周りの数値は比較的低く、
そう言う意味では、そこだけは守れた。
でも、実際のところ本当に大丈夫なのか、警戒は続けるべきだ。

前回も放射能のことを書いた。
条件が許される人は、安全な場所に避難するにこしたことはないと、
これも何度も書いた。
様々な意見を聞く。
命に関わることだし、価値観、人生観の問題でもあり、
誰しもが納得のいく同じ答えはないし、そもそも、答えなどないだろう。

お断りしておくが、安全な場所に避難するべきなのは当然だが、
僕自身がすべての責任を放棄して、この場を離れることはない。
子供の安全は考えるし、今後の状況次第で、
場合によってはよし子と子供だけでも、どこかに避難してもらう可能性はありうる。
日本に安全な場所などあるのか分からないが。

そのように、守るべきものを忘れてはいけないし、
優先すべき命を考え抜いて、疎かにしてはいけないという意味で、
避難することも考えるべきだと書いて来た訳だ。
後では取り返しがつかないのだから。

でも、もう一つ、忘れてはいけない事がある。
命より大切なものはあると言うことだ。
守るだけではいけない。
受け身ではなく積極的に良くしていこうとする事だ。

人はこれまで、安心、安全、安定を求め、
それがどこかにあると信じて疑わなかった。
その結果が自分さえ良ければ良い、生きてさえいれば良いという、
スケールの小さな考えと、縮こまった生き方となった。
いつも不安を抱え、心配ばかりしている。
いつも逃げている。自分さえ、自分の家族さえ助かれば良いと。
助かった先で何がやりたいのだろう。
生きている方が死んでいくより、いいに決まっている。
でも、生きて何をするかの方がさらに大切だ。
怖くて、逃げ回っていて、そこに幸福はない。

福島で被爆した子供達の中から、
「僕達の命は短いんでしょ」「僕達は子供も産めない」
という言葉が発せられていると言う。
痛ましい、あまりに切なく可哀想なことだ。
大人達は真剣に向き合っているのだろうか。
誤摩化さず、答えられる人生を送っている人間がどれだけ居るのか。
僕は直接、彼らと話したい。
本気で向き合いたい。
君達の命はもしかすると短いものになるかも知れない。
子供も産めない可能性がある。
それは原子力を生み出した人類に責任がある。
もっと言えば僕達全員に責任がある。
だから君達の命はみんなで背負い、考えて行かなければならない。
それはみんなの問題だ。
僕は生きて来て、色んなことを教えられて来た。
自分の命より大切なものを持ち、そのために生きる人達を見て来た。
人はいつか死ぬ。安全な場所も、安心もない。
でも、何かのために生きてみる時、こころには安らぎが生まれる。
大きなもののために自分を捧げる時、
この命が本当に価値あるものとして、充実してくる。
この瞬間を本当に輝かしいものにしてくれる。
そういう幸福を見つけるために生きよう。
どんな状況でも、何かをつかみ取ることが出来る。
何かを見つけることが出来る。
その喜びをつかもう。
それを知れば、私達の人生は長くても短くても価値あるものになる。
今より少しでも世界を良くしよう。みんなで良くしよう。
どんな悲劇の中にあろうと、世界は本当は美しいものなのだから。
それに気づくことが出来る様に、こころを磨いていこう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。