昨日は日曜日午後クラスの方達と、アトリエの後ケーキを食べた。
1、3週のクラスの方達は今年最後の教室だった。
それぞれが本当に良いクラスになっている。
仲間同士の信頼関係も素晴らしい。
見ていて、僕にはこんなに深い関係の友人はいないなあと感じる。
彼らの繋がりの強さや、言葉を超えたコミニケーションの深さも凄い。
プレクラスも今週で終わり。2、4週の土、日曜日クラスも今年最後を向かえる。
来年も良い場をみんなで創りたい。
もう、本当にずっとこんな日々を送っている。
ダウン症の人たちが制作に向かってくれるように、
彼らのこころと一つになり、そこから眺めてみたり、感じてみたり。
次の瞬間にはもっと深く世界を共有しようと努力する。
どうやったら、この豊かな世界が人に伝わるのか、
考え、模索し、様々な活動をする。
たくさんの人にあって、彼らの素晴らしさをお話しする。
苦しんでいる人、こころが動かなくなっている人には、
どうすれば、本来の調和的感覚に戻れるのか、一緒になって探っていく。
そうやって時が流れていく。
いつでも、もっと出来るはず、もっと深められるはずと感じている。
それでも、日に日に何かが深まっていく。
僕達が大切に思い、時に崇高にさえ感じる、彼らのこころ。
それを守り、育てていくことには、強さが必要だ。
今、いつも書いているが、大変な時代に突入している。
僕はこれまでもずっと強さを重視してきたが、いまこそ私達は強くあらねばならない。
良いことを、諦めず持続するのも強さがなければ不可能だ。
強さは誤解されている。強さはあまり大切にされていない。
例えば、とくにこの日本ではなのかも知れないが、
弱くあった方が、あるいは弱く見せていた方が特だったりする。
人にも共感される。
お互い弱いという部分を見せ合って、甘えて許し合っている。
強くあろうとすると、人は敬遠する。
でも、強さは大切なものを持ち、守るために不可欠だ。
伸びていこうとする存在をあえて、甘やかして、
自分達のそばからはなれないようにする。それをやさしさと勘違いする。
それは間違った文化だ。
どんな時でも、そしてこんな時はなおさら、強くならなければならない。
強さは頑さや頑固さではない。
弱いからこそ、弱さが分かり、やさしくなれると信じている人がいる。
それは違うと思う。
物理学や数学とは違うのだから、弱いから弱さに共感出来るというものではない。
こころが強ければ、弱さに深く共感し、弱さを共有することも出来る。
弱さに共感するには、そう出来るだけの強さが必要だ。
また、強く生きようとする人間や、人並み以上の能力を持つ人を、
弱さの中で引き止めてはならない。
行けるところまで行かせてみるのが、みんなのためだ。
勿論、弱い存在が守られ、生きられると言うことは大切だ。
でも、すべての存在が弱くなくてはならないと信じ込むのは間違いだし、
弱い存在と位置づけられる人達が本当に弱いのか、
あるいは弱い部分だけなのか、考え直す必要がある。
やさしい人間は強い。やさしさで自分を甘やかし誤摩化しているのとは違う。
強い気持ちを持てば、なんでも可能かも知れない。
まだまだ出来るし、これまで以上に強くなれる。