今週も制作の場が充実したものになった。
毎回、発見も多い。
さて、本当に様々な事にふれ、書いて来た。
絵のこと、人生、思い出、学んできた事、会った人達。
悠太の誕生、その後の毎日、またアトリエのこと。
今後も少しづつ、これらの話題にふれていくことだろう。
でも、すべてのテーマは一つに繋がっている。
調和と言ってみたり、自然と言ってみたり、
人のこころやこの宇宙に、それを見出してみたり。
本当に必要なのは、私達の日々をどんな時間として過ごし、
向き合っていくのかだ。
何度も書いて来た。
何度も、何度も。
目の前にあるものを見つめて来た。
その時おきている現実を、精一杯受け止めて、立ち向かって来た。
私達は絶えず、この瞬間を、この場面を生きている。
私達はここにいる。いま、この場所に。
そこに何があるのか。
よく見て、全身で味わって、生きていたい。
この世界は無限だ。どこまでもはてしがない。
制作の場に入り、一人一人の内面に向き合う。
途方もない無限に包まれる。
そこには限界のない、自由な創造性が動いている。
僕はいつでも、無限を前にして、神聖さとおかしがたさを感じる。
とほうにくれる。
それでも、もっと奥へ、より深く入ろうとする。
近付こうとする。
限りなく、自分の無力を知り、でも、少しでもより良くあろうとする。
いつの間にか自分も消えている。
絶えず新しく、より深く見えてくる。
どこまで行っても終わりがない。
可能性は尽くす事ができない。
僕達は無限に挑む。
無限の前にたち、遥か彼方を見つめる。
どこまでも、どこまでも。
作品を生み出す創造性は、この自然と世界を生み出している原理であり、
それがバランスと調和なのだろう。
以前にも書いた事だけど、作品選定で数千枚の絵を見つめていると、
外の景色が色彩に満ちて、せまってくる。
力が抜けきっているのに、注意力と感覚だけが鋭く、研ぎ澄まされ、
隅々にまで無限が感じられる。
幻覚ではない。むしろ、普段は気がつかない本当の現実が現れる。
花が自然に開花する様に、
どこにも無駄がなく、なるべくしてなっているかの様に、
いくらでも作品が出てくる。
人間にとっての創造性とは何か。
それは、命であり、生きること。
日々、新しく、進んでいくこと。調和していくこと。
ダウン症の人たちとの、制作の場とはこのようなものだ。
そして私達の生きている世界や、
人間のこころの中もこのようにある。
すべては一つのところに収斂されていく。
多分、僕達は無限からやってきて、無限へと帰って行く。
その中で宝物のようなこの時間を大切にしよう。