2011年12月12日月曜日

無限の前にたたずむ

今週も制作の場が充実したものになった。
毎回、発見も多い。

さて、本当に様々な事にふれ、書いて来た。
絵のこと、人生、思い出、学んできた事、会った人達。
悠太の誕生、その後の毎日、またアトリエのこと。

今後も少しづつ、これらの話題にふれていくことだろう。
でも、すべてのテーマは一つに繋がっている。

調和と言ってみたり、自然と言ってみたり、
人のこころやこの宇宙に、それを見出してみたり。

本当に必要なのは、私達の日々をどんな時間として過ごし、
向き合っていくのかだ。

何度も書いて来た。
何度も、何度も。
目の前にあるものを見つめて来た。
その時おきている現実を、精一杯受け止めて、立ち向かって来た。
私達は絶えず、この瞬間を、この場面を生きている。
私達はここにいる。いま、この場所に。
そこに何があるのか。
よく見て、全身で味わって、生きていたい。
この世界は無限だ。どこまでもはてしがない。

制作の場に入り、一人一人の内面に向き合う。
途方もない無限に包まれる。
そこには限界のない、自由な創造性が動いている。

僕はいつでも、無限を前にして、神聖さとおかしがたさを感じる。
とほうにくれる。
それでも、もっと奥へ、より深く入ろうとする。
近付こうとする。
限りなく、自分の無力を知り、でも、少しでもより良くあろうとする。
いつの間にか自分も消えている。
絶えず新しく、より深く見えてくる。
どこまで行っても終わりがない。
可能性は尽くす事ができない。

僕達は無限に挑む。
無限の前にたち、遥か彼方を見つめる。
どこまでも、どこまでも。
作品を生み出す創造性は、この自然と世界を生み出している原理であり、
それがバランスと調和なのだろう。

以前にも書いた事だけど、作品選定で数千枚の絵を見つめていると、
外の景色が色彩に満ちて、せまってくる。
力が抜けきっているのに、注意力と感覚だけが鋭く、研ぎ澄まされ、
隅々にまで無限が感じられる。
幻覚ではない。むしろ、普段は気がつかない本当の現実が現れる。
花が自然に開花する様に、
どこにも無駄がなく、なるべくしてなっているかの様に、
いくらでも作品が出てくる。
人間にとっての創造性とは何か。
それは、命であり、生きること。
日々、新しく、進んでいくこと。調和していくこと。

ダウン症の人たちとの、制作の場とはこのようなものだ。
そして私達の生きている世界や、
人間のこころの中もこのようにある。

すべては一つのところに収斂されていく。
多分、僕達は無限からやってきて、無限へと帰って行く。
その中で宝物のようなこの時間を大切にしよう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。