2011年12月3日土曜日

はざまを生きる

悠太はとても元気。よく食べるので、大分ふとってきた。
夜は僕の腕をギュッと握って、見つめてくる。

木曜日は妹が来て悠太をダッコしてくれた。
いつか、夏に実家へ帰った時、妹と2人の子供がピッタリくっついて眠っていた。
その姿は微笑ましかった。おおらかな、「家族」を感じた。

それから共働学舎時代にお世話になった、まことさんも来てくれた。
朝、いきなり電話で「おーい、オレ、今どこにいると思う?」
「まさか、近くまで来てるの?」
「一応、母親の身体に負担かけたくないからさあ」
「まことさん、人に気をつかえないでしょ。いいから早く来てよ。」
という訳で。
でも、本当はずっと心配してくれてて、
突然と見せかけて、わざわざ時間をつくってくれたに決まっている。
そんな人だ。

今、朝このブログを書いている。
昨日は絵の具の準備をしながら、前回の作品を見ていた。
みんな、使う色が変わって来たなあと思う。

この前、音楽の話をしていたら、ある女性シンガーの話題になった。
僕も結構好きな人だ。
民謡(この言葉はあまり好きではないが)出身の人だが、
現代の歌を歌っている。
民謡でも名人だったと言う。
話していたのは、その人の現代の歌には魂が感じられて、
本当に凄みがあるのだが、案外、お得意の民謡を聴いても、
その感動はやって来ない。
僕からすれば、民謡にはそんなに魅力が無い。
話していた人も、現代の歌の方が、声に力があるとの感想をもらしていた。
面白いなあと思う。
僕なりの答えがある。
多分、民謡と違って現代の音楽は、彼女にとって自然には歌えない。
歌い易くもない。努力も必要だし、それ以上に、
民謡を捨てて、新しい表現をする事への葛藤も違和感もあるはずだ。
この葛藤や違和感、あるいは矛盾というものが、
とても重要で、それを避けずに見つめた時、本当の表現が生まれるのではないか。

よく、民族アートや、音楽や、芸能に対して、
それがその人達の本当の伝統ではなく、西洋化された見せる為のものになっている、
と批判する人がいる。だからつまらないのだと。
僕は逆だと思っている。
そういった民族の表現は他の文化とぶつかった時にこそ、何かが生まれる。
多分、西洋化されてつまらなくなったのは、
伝統を否定したからではなく、葛藤が無くなったからだろう。

このブログでも、様々な対比を書いて来た。
自然と文明だとか、言葉と言葉を超えた経験とか、
ダウン症の人たちと自閉症の人達とか。
僕は比較はしたが、どちらだけが正しいとは言って来なかった。
大事なのはその間を繋ぐこと。
僕はダウン症の人たちを尊敬している。
だが、自分が彼らと一体だとは言わない。
むしろ彼らと、この社会とを繋ぐこと、対話すること。
今、矛盾があれば、向き合うべきだ。
違いは無いと言ってしまえば楽だが、それは違う。
共働学舎にいたときもそうだったが、僕は大切なものを大切にしていきたい。
その為には同化してはならない。
間、境界、はざまこそが大切で、ある意味で矛盾に引き裂かれ続けることが、
誠実に生きることではないか。
エコロジーも宗教もヒッピーも、何か良い主義の人達も、
欠けているとしたら、この矛盾に向き合わないところだ。
人は正しいだけの場所にはいられない。
自分達だけは正しいところにいて、他の人や社会は間違っているという、
見方は誤りだ。
すべては繋がっていて、僕達はその中の一員だ。対話こそが必要だ。

矛盾を引き受け、はざまを生きよう。
何度も書いたが、クサい物にフタではいつもまで経っても解決しない。

僕が見ている20代の人達でも、もう一歩のところで自分と向き合わない。
悲しみや、怒りや孤独を恐れて、誤摩化そうとする。
悲しみを超えたければ、悲しみと向き合うしかない。
孤独を超えるには、真っ正面から孤独と向き合っていくしかない。

私達は、逃げたり避けたりして、向き合わなかったものに、
生涯つきまとわれ続ける。
何度も何度も、それは姿を変えてやってくる。
だから、思い切ってフタを開けて、なかみを見てしまおう。
よし、おまえと最後まで付き合ってやろうという態度を持とう。

育児が大変だという人は多い。
僕も大変だとは思うし、自分で出来ているともとても思えない。
ただ、みんな、何でも大変になってしまうのは、
これまでの自分やこれまでの生活を捨てられないからだ。
新しいものが来たら、それに合わせて、自分も新しくなればいい。
僕自身も最近は眠る時間が短くなったが、
そうすると長く寝るものだと言う思い込みは消えた。
そうやって変わって行くのが生きていくことだと思う。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。