2011年8月27日土曜日

教育について考える

僕達の現場は特殊な環境だと思っている。
勿論、変わったことをしている感覚はないし、
特殊の中から普遍が見えて来るような場にして行きたいとも思っているけれど。

少し前だと、問い合わせや取材はアート関連か、全く逆の福祉関連のものが多かった。
面白いことに、ここ数年は「子育て」、「教育」関連の問い合わせや取材が多い。
それだけ、子育てや教育が難しくなっているのかもしれない。

色んなところで、話して来たことではあるけれど、
今回は主に教育について考えてみたい。
断っておくが勿論、僕は教育を専門的におこなう立場の人間ではない。
普段の僕らの仕事は完全に黒子に徹しておこなわれる。
生徒、一人一人が自分の力で絵を描くことがメインだ。
僕らは絵に入ってもらうための流れを創るだけだ。
分かり易い仕事ではない。
お仕事をご一緒したうおがし銘茶の葉さんに、
励みになる言葉をいただいたことがあった。
人に紹介して下さる時に葉さんが
「佐久間さんは不思議な方です。アトリエでみんなと居る時も、空気みたいで何をしているのか分からなくて。何もしていないみたいで、居るのか居ないのか分からないくらい。でも、みんなにとっては居ないと困る存在なんです」
というような言葉で説明して下さった。
僕にとってこの言葉は本当に嬉しかった。同時に鋭い方だと思った。
なかなか、このような仕事の本質を理解して下さる方は少ない。
僕達の仕事では自分が出てはいけないし、いかにもやっている雰囲気もでてはならない。
究極的には何もしていないような自然さが必要だ。
先ほどの葉さんの言葉は僕の理想に近い。まだまだそこまで行けてはいないけど。
学生から聞いた話だけど、彼が福祉関連の講習会に行ったとき、
講師が「私はこうやって自閉症の人を良くしました」みないな話しぶりだったそうだ。
こんなのは愚の骨頂。変わったのは本人が変わった以外に有り得ないのだから。
僕らの現場ではこんな考えでは絶対いきづまる。
人を相手にしているのだから、最大限に良い仕事をしても上手くいくとは限らない。
逆に怖いことでもあるけど、ひどい仕事をしてもいい結果が出ることだってある。
だからこそ、ぶれないで良いテンションを維持出来なければならない。
結果で一喜一憂したり、手柄を自慢したり、失敗に落ち込んだりしている時間はない。

そういう場なんだけど、教育になにかしらヒントを感じて下さる方もいるようだ。
教育や子育てが難しくなっていると書いた。
何故か。教育や子育てに答えはない、正解はないからだ。
今の社会は答え探しのクイズのようなもので、
答えを用意していて早く当てた人が勝ちみたいになっている。
だから、今の人達は答えがない、正解がないという状況を苦手とする。
恐れてすらいる。
さっきの話とも繋がるけど、人間が相手の場合、あるいは自然が相手の場合、
答えなどどこにもない。
言い換えれば、自分の力で答えを創造しなければならない。
こういった状況で普段、情報に埋もれ、あるものの中から選ぶだけの生活をしている人達が、子育てや教育を考えたとき、不安になるのだ。
さすがに今では学歴を妄信する人も少なくなったが、
あれなども答えがある、正解がある世界の最たるものだ。
親にとっても、子供にとっても何も考えなくとも済む方法と言える。
僕らのアトリエにも高学歴の人はいっぱい来るけど、
みんな生きていく中で悩みが大きい。
誤解を恐れずにいえば、受け身で生きて来たからだ。
確かに、いい学校に入ったり、いい会社に就職したりするには、
相当に努力が必要だったのだろう。
でもある意味でそれは受け身の努力だ。
答えがある世界で、努力し続けるのは受け身なのだ。
だからそういった世界である程度、上まで行ったら、次にどうしていいか分からない。
それから先は答えがないからだ。
だれもここがゴールだからここまで来るように努力しなさいと言いはしない。
もともと、世界とはそのような場所で、
正解も答えもないし、早く当てたら勝ちというゲームじみたものでもない。
答えはないということは、人それぞれ無限の答えがあると言うことだ。
先生も親も子も、想像力と創造力こそが要求される。

教育にしても子育てにしても、こうしたら良くなるというという話を、
みんな好きだが、そんな便利な方法はない。
こうしたらいいというのは実際は教える側が楽なだけ。

教育といっても僕の考えでは3つある。
教育の本論と躾けの問題と制度の問題、この3つだ。
これらを混同して考えてはいけない。
大事なのは本論だ。
でもここでは一応軽くではあるけれど、3つともふれておきたい。
まず、制度のことだけど、これも今は難しくなって来ているような気がする。
一番問題なのは先生の権威が無くなっていること。
権威なんかいらないという考えもあるが、違うと思う。
生徒と友達のようだというのが理想になったりしているが、それも同じことだ。
友達のように付き合うということで、厳しさや責任を放棄してはいけない。
もっとひどくなると生徒の人気取りに媚びる先生がでてくる。
ではなぜ、あえて権威を必要と言うのか。
それは、子供が最初に物事に向かう時に、学問や人間や自然や、何であっても構わないが、
そこから学ぶ姿勢を身につけるためだ。
何かに真剣に向かっていくには「敬意をはらうこと」が必ず必要だ。
敬意をはらうことで、目の前にある現実、人や自然ははじめて神秘の姿を見せてくれる。
敬意をはらわなければ本質は見えない。
敬意をはらわなければ学ぶことは出来ない。
例えば僕は制作の場を、ある意味で神聖視している。
学生達からも「実際に絵を描いている現場はすごく緊張する」という声を聞く。
あまり緊張すると、描いている人に伝わるので、緊張するなとは言う。
でも、なぜ彼らが緊張するかと言うと、スタッフが目の前の人の心にたいして、
最大限の敬意をはらっていることがつたわるからだ。
これは大切な事だ。
真剣さや相手に敬意をはらう姿勢は周りに伝わる。
こういった物事に向き合う姿勢を伝えるために制度内では権威が必要な場面もある。
僕自身は教育に携わる人達やお医者さんや政治家や弁護士には、
権威が必要なのだと思う。
権威を持つに足りない人間が多いというのとは、また別の問題で。
こういった人達は権威をもってみんなから尊敬されているべきだと思う。
だからこそ、そういった仕事にふさわしくない人間は辞めるべきだ。
なぜ、権威が失われたか。
資本主義がそうさせたのだろう。
今では学校も病院も商売になっている。
生徒も患者もお客さんになってしまっては、それぞれの仕事など出来ない。
お客様だからお伺いをたててサービスするでは、
人の身体やこころを扱う専門家として役立つ訳がない。
考えても見れば、病院や医者を選んで、情報を全部公開してもらって、
選択する権利を得て治療を受けながら、疑い続けるのと、
「この人になら命を預けられる」と思えるお医者さんがいてくれるのと、
どっちが幸福だろうか。
やっぱり基本は相手を信頼する。
信頼された方も全力で信頼に応える努力をする。
それが健全な在り方だと思う。
いい医者も教師も、患者や生徒を客扱いしないし、媚もしない。
その人にとって必要なことなら厳しさも誤解も恐れない。
その姿勢を周りが認めて、信頼するのだ。
相手をお客様と言えば聞こえはいいが、お金と同じにしているも同然だ。
何度もいうが病院や学校は商売であってはならない。
私たちの方もお客扱いを求めてはならない。
僕らのアトリエの場合、学校ではないのでそういった問題はほとんどないが、
以前あった哀しい話をしよう。
今はアトリエに属してはいないが生徒の中に兄弟のいる子がいた。
その子のお兄ちゃんが来ていた時のこと、
絵を見ていただきながらお母さんとお話ししていると、
お兄ちゃんのほうが、たまたま見学していた学生に、
「お前、貧乏そうだな」と発言した。
ここまでは子供としてはよくあることで、大したことではない。
驚いたのはあきらかに聞こえていたお母さんが子供を叱らない。
えっと思ったが、すでに子供は反応をうかがっているので、
僕はその子を少しだけ厳しく叱った。
するとその子はお母さんの背中に隠れて、
お母さんに抱きつきながら顔だけこちらに向けて、
「オレの家は金あるからなあ」と言って笑っている。
これはこの瞬間を逃してはまずいと思ったので、
今度はお母さんの前で叱りつけた。
その子はまさかという顔をしている。
それ以上にお母さんがびっくりした顔をしたので、
僕は「なぜ、彼を叱らないのですか。彼が可哀想ですよ」と
今度はお母さんに向かって厳しくお話しした。
その後、そのお兄ちゃんは僕を信頼してくれるようになった。
甘えて「飴ないの?勉強で疲れてるんだよ」等と話しかけてくれた。
お母さんの方も僕の行動を理解してくれて、良い関係が持てた。
今では引っ越しをされてアトリエを離れてはいるが、
僕はいまだにあのタイミングを逃してしまったら、
あの子は、あんなに若くして大人の政治や権力を覚えてしまい、
人に媚びる生き方しか出来なくなってしまう可能性があったと思う。
大事な場面で人の目など気にしてはいけない。
大人は権力やお金に媚びると思ってしまっている子供は、他にもいるはずだ。
子供にそういう意識を持たせてしまっているのは、
大人が人の命や魂に関わる領域にまで商売の意識を持ち込んだせいだ。
こういった制度は変えていくべきだ。
制度もお互いが安心して信頼し合えるものにしていくべきだ。

さて今回は長くなってしまったので、教育についての3つのことのうち、
1つだけでおしまいにする。
後の2つ、躾けのことと、教育の本論は次回。

ブログ アーカイブ

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。