2011年8月22日月曜日

最後は気合い

昨日、ちょっと用事があって日比谷へ行った。
帰りにお茶をして、電車に乗ろうとまわりを見たら、
緑がきれいで、少し皇居の辺を歩こうかという気分になった。
ぼーっとしながら歩いていると、
向こうから怪しげな3人組がなにやら走って来る。
何かを探して走っているようだ。
よく見るとイサとゆりあ(元学生チームで、現在アトリエスタッフとして研修中)と
ある顔見知りの写真家の方だった。
この写真家の方は、毎日、目的の場所を定めずに歩き回って、
写真を撮っている方で、時々イサやゆりあも撮影に同行している。
その日どこへ行くのか、まったく予想がつかないらしい。
それにしても、出来過ぎた偶然だった。ストーリーが完璧だ。
僕達は色々なつながりがあって、その辺りを細かく書けば、
この偶然ももっと深い話になってしまうが、
個人の情報になってしまうので、ここでは書けない。

前にこころの深い部分を共にしていると、
不思議な事はよくあると書いたけど、これもその例かもしれない。

もう一つ、思いが(良いものも悪いものも)現実を引き寄せるという事がある。
人のもつ強い思いというものも、とても大事だ。

何かの対談で河合隼雄さんが、
「カウンセリングで一番大切なものは何ですか」というような質問に、
「気合いですなあ」と答えておられた。
正確なやり取りがこうだったか記憶が曖昧だが、
読んでいて深く共感したのを覚えている。

仕事も人生も、やっぱり最後は気合いだなあと思う。
気合いと言っても体育会系のそれでなくて、
なんというか、思いとか、念とか、覚悟とか、構えのような、
物事に挑む姿勢のこと。
何をしていても、ある程度のところまでは、
知識とか技術とか経験とかの勝負だけど、最後のところで、
やっぱり違う次元の人がいる。
ちょっとした違いだけど、誰もまね出来ない。
それを才能と言ってもいいけど、
僕は才能以上に差を作っているのは気合いだと思う。
その事に賭ける覚悟と気合い。
そういう思いは何故か伝わる。
人にだけではなく、不思議な事に外的環境にも伝わる。
良い偶然を引き寄せられる人は、たまにみかける。

制作現場においても、スタッフの気合いはとても重要。
白紙に魂を込めなければいけない。
描く人にはそれが確実に伝わる。
良いテンションで描いている人がいたら、そのテンションに、
完全に乗っていって、とことんついていかなければならない。
行けるところまで行く。高いレベルまで一緒に登っていく。
そこは気合いの見せ所だ。
調子が悪い人、病んでいる人の場合も、
とことん共感し一緒になって、よしそこからジャンプしようという気合い。
特にこころの動きが止まっている人の場合は、
勢いをどれだけ伝播させられるかが大事だ。
ただ僕らの場合、一方的な思いを相手に向けてはいけない。
無理やり引っ張ってはいけない。
あくまで相手と一つになりきる、相手のこころに飛び込む気合いが必要なのだ。
こうした瞬間瞬間が勝負でもある。

そういう意味では展示も、
人に伝えていく作業も、最後のところは気合いなのだと思う。

自分の過去を振り返ってみても、勝負所はたくさんあった。
母子家庭だったこともあり、まわりには貧しい人達や、悪い(と言われているとこれも補足しといてあげよう)人間達がいっぱいいた。
負の連鎖、負のサイクルから抜け出せない人達を見て来た。
彼らはどんなに強がり、悪をおこなっても、根は弱かった。
だから同じ事を繰り返し、同じ世界に帰って来る。
負のサイクルを彼らは永遠に抜け出せないのだと感じた事があった。
なぜなら、彼らには同じ世界にいる仲間がいる。
その世界に馴染んでいる。言い換えれば、その世界に依存し甘えている。
彼らは彼らの世界で助け合い、足を引っ張り合っていた。
僕は悪いがここを向け出そうと決めた。
誰も助けない。誰も救わないと。それが彼らに対する愛情だ。
一つの環境を捨てきる。見極め、負の連鎖を断ち切る。
その時から僕の人生は変わった。
出口が見えなくなる状況は良く分かる。
でも、その状況を断ち切る勇気、時には人と決別してでも前へ進む決断が必要だ。
僕にとってはこれが最初の勝負、気合いを身につけた瞬間だ。

気合いは願う力、念の力でもある。
数年前に久しぶりに会った、前の仕事場の大先輩というか、恩師のまことさんと
話していたとき、僕が夢を語ると、
「結局、お前がそうやって言ってた事はだいたい実現しちゃうからなあ」
と笑いながら言ってくれた。
あんまり自覚していなかったけど確かにそういうところもあった。

もっとバカバカしい話だけど、
嫌いな店がつぶれる事がよくあった。
国立に住んでいた頃、店としてやっぱりダメだなあ、許せないなという、
非常識な店が数件あった。
まあつぶれるなと思っていたけど、
僕らが引っ越す前に全部つぶれた。
勿論、店としてダメだったのでお客さんが入らなくなったのだろうが。
でも、最近は悪い方の思いはなるべく持たないようにしている。
今の土地にも変な店があるけど、一応なにも思わないようにしている。
反対にぜんぜん人が入ってなかったのに、
僕達が行きだしてから大盛況になってなかなか入りにくくなったところも多い。
注目したものが流行りだしたり。
みんな同じような事を考えるので、
普遍的な思いを持てば同じ結果になるのだろう。

そう言えば、今年の僕の誕生日の前日の話。
ドリアンって不思議で好きなんだけど、あんまり売ってないし
高価なものでもあるので以前、誕生日に食べてみた事があった。
その体験が面白くて、誕生日になると食べていた。
こっちに引っ越して来て、近所の八百屋さんにシーズンになると、
一個だけ入荷されるのをしった。
歩いていると店の前においてあって、それを見て通り過ぎるのが、
五月頃の習慣になっていた。
誕生日の前日にたまたま思い出して、
いつもだったらもう置いてあるのに、今年は入荷されないねと話していた。
次の日、僕の誕生日に歩いていると、目の前にドリアンが置かれていた。
その日に入荷されたらしい。

もう一つ。
ある山奥の、今時流にいうと聖地とかパワースポットみたいな場所がある。
そこの神社に昔よくいってて、実は仕事の転機になるきっかけもあった場所。
久しぶりに夏に僕が1人で訪れた時、
3日くらい居たのだけれど、最後の日の夜に宿に泊まりに来た女性と知り合った。
胡弓という中国の楽器を演奏している人だった。
彼女が、
「この場所って龍神が住むって言われてるから、雨が降るのは祝福の印なんだって」と
教えてくれたので、僕が思い出して喋った。
「そう言えば、僕が来た時はいつも雨が降ったよ。今年だけだなあ。かんかん照りで3日も雨が降らないなんて。今年は祝福されてないのかなあ」
その瞬間にザザーっと音がして、激しい雨が降り始めた。

思いは少なからず人に影響を与える。
一人一人が良い思いを持つ事で世界は少しは良くなるだろう。

それから気合い。
何があろうが、少しでも良くしようという覚悟を持ち続けたい。

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書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。