2011年8月23日火曜日

正しさより楽しさ

今が大変な時代である事は確かだと思う。
大げさに言えば、これから人類が滅んでいくのか、
何か違う在り方を見つけて生き残るのか、せとぎわだと思う。
何をすればいいのか。何が出来るのか。
日本の場合も東北の人達を思わずにいられない。

どんな状況でも、必ず何かは出来ると信じている。
アトリエの仕事で言えば、少しでも希望のあるグレードの高い作品を、
引き出して紹介出来ればと思うし、
場を明るくして、楽しいという気持ちをいっぱいふくらませていきたい。

前に人間は「快」に向かう本能を持っていると書いた。
そして人は調和と平和に快を感じると。
これはダウン症の人たちを見ていて学んだ事だ。

楽しいという気持ちや思いは、一番伝わりやすい。
明るく楽しい場には人が集まって来る。
これもアトリエをやっていていつも感じる事だ。

僕がボランティアにあまり可能性を感じないのは(勿論、有効性が全くない訳ではないし中には素晴らしいものも確かにある)、助ける側と助けられる側に、
上と下が出来てしまうと言うことが大きい。
しかし、それ以上に感じるのは彼らが「正しさ」に偏っている事だ。
「正しい」は勿論良い事だろう。
だけど、「正しい」は威圧的だ。
誰も反対出来ないというものは、やっぱりマズイ。
反論がないものは独善的になりやすい。
「正しい」を主張している人達が、
一般の人達にとってどこか違う世界の人間になってしまっているのはそのためだ。
自分をいい人だと思いたいがばかりに動いている人も多い。

アトリエの活動だって、反論や反発をされる事もあるが、
それはいいことだと思っている。
違う意見を持つ人がいる事が出来ることが大切。
もし、私たちが「この弱い人達を助けましょう」という路線で行けば、
何か違和感を感じても、反論して来る人達はほとんどいなくなる。
かわりに「楽しそう」と思ってくれる人達もいなくなる。

もし「正しい」なら、その事を主張しなくてもいい。
ただ動き、楽しさをみつけていくべきだ。
「正しい」は逆らえないので、手伝わなきゃになってしまう。
「楽しい」は自分も仲間に入りたいとなる。

僕はやっぱり楽しい場を創りたい。
楽しいやさしい気持ちをひろげていきたい。

いくら正しくても、眉間にシワをよせる世界には人は近付かない。

アトリエの仕事も大変な部分はたくさんある。
誤解も受けるし、様々な板挟みにあう事も多い。
色んな事と関わっているので雑務も多い。
一月、休みがないなんてザラだ。
まあ休める時はいっぺんに休める時もあるけど。
精神的なタフさは相当要求される。
よく知っている人からは、
「何が原動力になっているんですか」と聞かれる。
勿論、原動力は楽しさだ。
僕は楽しいからこの仕事をしている。

ここに来ている学生達の事も、お客さんから褒められる事が多い。
「若い人達の雰囲気がいいですね」
「情熱を持って集まっていますね」と。
「若い人達に教育しているのですか」と聞かれる事もある。
彼らに教育などしないし、アトリエの雰囲気に馴染ませようともしていない。
学生達はただ、「楽しさ」をみつけに来るのだ。
そして、一人一人が
「何かあれば、手伝いますよ」「何でも言って下さい」
「何かやらせて下さい」と
本当に気持ち良く、力強い言葉をかけてくれる。

以前、新しく「お手伝いしたいです」と言って来た学生が話してくれた。
入学する前に先輩達(アトリエ学生チーム)をみて、
仲も良さそうで、楽しそうで、学校に入ったらあのグループに入りたいと
思っていたそうだ。

アトリエにはボランティアや福祉のような世界とは無縁な、
若者達が多く集まって来る。
就職して自分の仕事でアトリエの作家たちを、
社会に紹介したいと言ってくれる人もいる。

楽しそうだから一緒に何かしましょうと言って下さる方は、
学生以外にもたくさんいる。
仕事でご一緒した方達も、
「明るく楽しいイメージがあったので」とアトリエと仕事をしようとした
きっかけと話してくれる。

「正しさ」より「楽しさ」は伝わっていく。
「楽しさ」の背後に「正しさ」があればいい。

今後のアトリエもより楽しく明るくしていきたい。
そしてゆっくりでも世界中が楽しくやさしく繋がればと願う。

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書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。