今日は午前中にテレビのディレクターの方とお会いした。
ダウン症の人たちの世界から、何が見えて来るのか。
彼らの感性が今の社会に必要だと言う事。広い視野からとらてえみたお話しをした。
大変興味を示して下さり、先ほど本質をついたメールを頂いた。
ご本人の了解をいただければ、今度このブログでもご紹介したいと思う。
すぐにテレビで取材すると言うお話ではなく、でもいつか実現したいというお話。
僕自身はやっぱり信頼関係が大事だと思っている。
少しづつ、時間をかけた方がお互いにとって良いものになる。
テレビ関係の方も周りに多くなって来たが、ゆっくり時間をかけて、お互い誤解がないように進めていきたい。
良いものであればどんなお仕事もお受けしたいし、
良いものにならないならやらない方がいいと思う。
何かを創る、実現させると言うことも、形だけでは意味がない。
僕はいつも、つまらないものなら、創らない方がいい、しない方がいいと思っている。
「たくさんの人に伝えたい」「多くの人に知ってもらいたい」と、
言って下さる方は多いが、大事な事は正しく伝わる事。
数ではない。本当に理解して下さる方を創ることだ。
世の中にはいっぱい知られたり、いっぱい見られたり、たくさん売れたりしさえすれば、
良いと考える人が多い。
でも何事も量より質が大切だと思う。
さて夕方から、大事なお仕事の打ち合わせをした。
もっと具体的になったら細かいところもご紹介したい。
今言えるのはようやくグッズ展開を開始出来るかもというところかな。
ダウン症の人たちの作品がグッズになって、色んな人達が身近に置けるようになったらいいなと、ずっと考えて来たけれど、具体的な動きとなると良き協力者になかなか出会えなかった。ようやくこの人達ならという方達と出会えた。
彼らの作品がデザインとなって広がっていって、手にする人、身につける人に、
楽しさや、やさしさや、やすらぎや平和な気持ちが伝わればすばらしい。
それをきっかけに彼らのセンスを知っていただければと思う。
見ていて、そばにおいて気持ちいいもの、きれいとかかわいいと思えるものになれば。
平和なデザインが人を繋ぐ。
売れたお金が、ダウンズタウンプロジェクトとして、
彼らのための環境づくりにも役立つ。
買う人もいいものを買って彼らを応援出来る。
そんな展開が出来たら素晴らしい。
現在はアトリエ・エレマン・プレザンの展示やイベントの多くは、
どうしても持ち出しが出てしまう。
そういった活動の一つ一つが彼らへの理解や、彼らの文化を知ってもらうために不可欠なのだから、何とか長く続けられるようにしていきたい。
そのためにも、経済的に少しでも安定していきたいと思う。
勿論、今持ち出しが出ても、その多くが会員の方や賛同者の方々のご寄付でまかなわれていることに感謝の思いは尽きない。
たくさんの方々に支えられて、一つ一つの活動が実現出来ている。
もう一段、彼らの環境づくりに参加する方法を創りたい。
彼らのグッズを手にして下さる人達がみんな、
この活動に参加しているというイメージもいいなと思う。
僕はアトリエ・エレマン・プレザンの活動は作家たちとスタッフだけでなく、
保護者の方達、会員の方達、学生たち、共感し賛同して下さる方達、
お仕事をご一緒して下さる方達、このみんなで創っている場であり、
夢であるという気がする。
その意味では、みんなが活動に参加している。
みんなの思いで創られていくものだと思っている。
人間の力は素晴らしい。
人間はこんなに良いものを生み出せるのだと言うことを、
ダウンズタウンの活動として参加するみんなの力で実現したい。
グッズ展開、いい形で進めたいです。
これからもご協力宜しくお願いします。
そして、少し時間がかかるかも知れませんがご期待下さい。
共感を寄せて下さる皆さま、
良い環境を、みんなが幸福を感じられる世界を、一緒に創りましょう。
2011年8月29日月曜日
2011年8月28日日曜日
教育について考える2
前回は教育についての3つのうちの1つ、制度について書いた。
大事なのは教育の場がサービスを提供する、商売となってはならないということ。
そのためにも先生たちに適切な権威があった方がいいと書いた。
勿論、権威や制度が人を堕落させるケースも多い。
だから考えようだけれど。
ちなみにアトリエ(何度も繰り返すがここは教育の場とは若干異なる)のような場だと権威など邪魔になるだけ。
さて、今回は後の2つ。躾のことと、教育の本論だ。
なぜ、この3つをわけたかと言うと、教育という名の下に語られているものの、
ほとんどが、制度か躾レベルの話だからだ。
制度と躾はそれほど難しいものではない。
当たり前のことを当たり前に、ととのえて、実行するだけでいい。
一番こころをこめなければならないのは、教育の本論、本筋の部分だ。
躾についても制度と同じで、難しい話ではないが、最近は迷う人が多い。
躾けはただ単にルールを教えるのだから、迷ったりしてはならない。
大人が迷うことで、子供も迷うし自信を失う。
叱っていいのでしょうか?と聞かれることもあるが、
子供がルールに反する行動をとったら叱ればいいというより、叱るしか方法はない。
これは当たり前の話だ。最近は躾けが出来ない人が多い。
そとを歩いていても、公共の場で騒いでいる子供に全く無反応な親がいる。
それどころか、親まで一緒になって遊んでいたりする。
僕はそとを歩いていて、何度も子供を叱る場面がある。
その度に、親はびっくりした顔をしたり、露骨に反抗して来たりするが、
その時は親に間違いを指摘する。
子供はルールを知らない。全責任は大人にあるのだ。
子供はルールのない世界から来ている。
だからここは教えていく以外に方法はない。これは分かり易い。
躾けはその瞬間におこなわなければ意味がない。
子供に向かって「なぜ××をしたの?」「今度は絶対ダメよ」と
いうような言葉を繰り返し繰り返し、歩きながら話し続けている人がいた。
あんなのは全く意味がないどころか害がある。
本人は躾けのつもりかもしれないが、子供の目線にたてばただのいじめだ。
その瞬間に叱れば、少しづつ覚えていく。
その場を離れたら持ち越してはいけない。
僕らの場合でも躾けの部分をしなければならない時もある。
僕の場合は短い時間で叱るというのが基本だ。
その瞬間はけっこう厳しく叱るが、すぐに終わる。
後で長々、説明するのは子供にとってもストレスだ。
ダメだと分かればいいのだから。
躾けはルールを教える訳だから、理由を納得させるのにこだわり過ぎない方がいい。
ある部分では決めつけでも仕方がない。
本人の気持ちを尊重しようとするあまり、
ながなが、説明しつづけるのは、子供にとっていやみやいじめになりやすい。
それよりもすぐに終わらせて、それはダメだけど、
一緒に楽しくしようねという部分に早く連れて行ってあげること。
ルールとしてダメを教えるべきで、やっている子供本人をダメと思わせない。
躾けより躾けの後で、ちゃんと出来ている部分を倍以上褒めていくことだ。
叱った子にはその後で充分コミニケーションをとって1人にさせないことも大事。
以前、犬を連れて公園を散歩していると、小学生達と先導する先生たちが集まっていた。
子供たちは元気に走り回っていたが、何かのはずみでケンカがおきたのだろう。
何を壊したとか叫んでいる子がいる。
驚いたのは先生達が、止めてなにがあったのか話を聞くということをしない。
ただ、呆然と見ている。余裕を持ってしばらく見守っているという様子でもない。
ただ呆然としている。
1人の子供は叫び続けている。誰も止めないので収まりがつかなくなったようだ。
そのうち、女性の先生が「○○君、やめなさい」とささやくように言う。
かなり離れた距離からうろうろしながら「やめなさい さめなさい」と繰り返す。
子供はどんどん孤立していって、収集がつかなくなったのだろう。
なにやらものを投げる。
いったいこの人達どうするんだろう。何考えてるんだろう。
誰も解決出来ない(責任を持たない)ことを自ら知った少年が自分で出口を探した。
「おれ、もう帰るぞ」「ダメよ。まだ授業中でしょ」
全く気のない、止める気も、叱る気もない力のない声で、先生がささやき続ける。
本人との距離もかなり離れたままだ。
こういう人達は教師などやってはならない。
あそこまで、子供を孤独にして平気でいられる神経は何処からきたのか。
なぜ、叱りつけて悪いことをしたのだから、帰りなさいと言いきるか、
しっかり抱きとめて、なにがあったか話してごらんと言ってあげられないのか。
なぜ、身体にも指一本触れないのか。
その距離から何がしたいのか。
結局、誰も叱ってもくれないし、やさしく抱きしめてもくれないと悟った少年が、
「おれ帰る」と力なく言ってその場をさった。誰も止めなかった。
少年にはもう先ほどの興奮はない。ただ落胆して疲れている。
僕は犬と歩いていく。
少年に向かって犬がクンクン匂いを嗅ぎながら追いかける。
「これってブルドックですか?」「似てるけど違う。パグっていうんだ」
「おれ、ばあちゃんちが犬飼ってるから、匂いすんのかなあ」「ふーん」
「その角が家なんだ」「ふーん。じゃあまたね」「うん。ありがとう」
とても素直ないい子だった。
制度の問題や、躾の問題を考えさせられる場面だった。
ところで、教育の本論だけど、これは一番難しくも楽しくもある。
正解も答えもないと書いたが、それはこの部分をさす。
制度にも躾にも答えはあるから。
一番大切なのは自分自身が子供としてのこころを取り戻すことにある。
人間とは不思議なもので、1人で「あれがきれい」とか「すばらしい」と
思っても、こころの中はそんなに変化しない。
ところがその「きれい」や「すばらしい」を共有出来る人がいると、
その出来事が自分のこころに入って、学びが生まれて来る。
教育にとって一番大事なのは、教えることではなく、
学び取る姿勢を共有することだ。
自分で発見することの楽しさを知っていくために、
大人は手本とならねばならない。
真っすぐ向き合っていく姿勢を見せることだ。
それは結局、その大人の生き方であり、人間力にかかっている。
生活のすべてが学びの場となっていなければ、
子供に生きる楽しさ素晴らしさを伝えることは出来ない。
要するにごまかしがきかない。
最後は教育というのも、特殊なことではなく、
生きる姿勢そのものと言える。
何を選択し、何を考え、判断し、創造していくのか。
子供はそれらを見ている。
子供自身がどんなに小さなことでも、発見し学び取った時に、
どれだけ共有出来るか。
与えすぎ、教えすぎによって子供をがんじがらめにしてはいけない。
生きていることは、絶えず新しい場面に直面していることだ。
どんな場面でも、そこから吸収し、学び取り、
少しでも良くしていく姿勢やこころの構えを見せていく。
いいことも悪いことも、いっぱいおきる。
その一つ一つに、どういう姿勢で挑んでいくのかを見せていく。
そして一緒に創造していく時間を持つ。
子供も大人も本当は違わない。
知識と技術は、それを使う人間あってのもの。
いかに知識や技術があっても使い方を知らなければ意味がない。
どんなものも、状況も使いこなせる人間とは、
自分の頭で考え、自分の感覚を磨き、絶えず希望を持ち続けて、
良い環境を創れる能力を持つ者だ。
そのような人間をこそ育てていかなければならない。
そのためには、できあいのものではなく、創造する可能性を教えていくことだ。
繰り返すが、正解も答えもない、
可能性に満ちた世界を私たちは生きていく。
その瞬間、瞬間を味わい、幸福を見出していくのは、人間の創造性だ。
ダウン症の人たちに学んでみよう。
絵を描く。
そこには正解なんか有り得ない。
そこに飛び込めるのは、自身の持つこころの調和を信頼し、
感覚を研ぎすまして、新しい発見に身をゆだね、
状況を楽しみ、幸せをみいだす力があるからだ。
大事なのは教育の場がサービスを提供する、商売となってはならないということ。
そのためにも先生たちに適切な権威があった方がいいと書いた。
勿論、権威や制度が人を堕落させるケースも多い。
だから考えようだけれど。
ちなみにアトリエ(何度も繰り返すがここは教育の場とは若干異なる)のような場だと権威など邪魔になるだけ。
さて、今回は後の2つ。躾のことと、教育の本論だ。
なぜ、この3つをわけたかと言うと、教育という名の下に語られているものの、
ほとんどが、制度か躾レベルの話だからだ。
制度と躾はそれほど難しいものではない。
当たり前のことを当たり前に、ととのえて、実行するだけでいい。
一番こころをこめなければならないのは、教育の本論、本筋の部分だ。
躾についても制度と同じで、難しい話ではないが、最近は迷う人が多い。
躾けはただ単にルールを教えるのだから、迷ったりしてはならない。
大人が迷うことで、子供も迷うし自信を失う。
叱っていいのでしょうか?と聞かれることもあるが、
子供がルールに反する行動をとったら叱ればいいというより、叱るしか方法はない。
これは当たり前の話だ。最近は躾けが出来ない人が多い。
そとを歩いていても、公共の場で騒いでいる子供に全く無反応な親がいる。
それどころか、親まで一緒になって遊んでいたりする。
僕はそとを歩いていて、何度も子供を叱る場面がある。
その度に、親はびっくりした顔をしたり、露骨に反抗して来たりするが、
その時は親に間違いを指摘する。
子供はルールを知らない。全責任は大人にあるのだ。
子供はルールのない世界から来ている。
だからここは教えていく以外に方法はない。これは分かり易い。
躾けはその瞬間におこなわなければ意味がない。
子供に向かって「なぜ××をしたの?」「今度は絶対ダメよ」と
いうような言葉を繰り返し繰り返し、歩きながら話し続けている人がいた。
あんなのは全く意味がないどころか害がある。
本人は躾けのつもりかもしれないが、子供の目線にたてばただのいじめだ。
その瞬間に叱れば、少しづつ覚えていく。
その場を離れたら持ち越してはいけない。
僕らの場合でも躾けの部分をしなければならない時もある。
僕の場合は短い時間で叱るというのが基本だ。
その瞬間はけっこう厳しく叱るが、すぐに終わる。
後で長々、説明するのは子供にとってもストレスだ。
ダメだと分かればいいのだから。
躾けはルールを教える訳だから、理由を納得させるのにこだわり過ぎない方がいい。
ある部分では決めつけでも仕方がない。
本人の気持ちを尊重しようとするあまり、
ながなが、説明しつづけるのは、子供にとっていやみやいじめになりやすい。
それよりもすぐに終わらせて、それはダメだけど、
一緒に楽しくしようねという部分に早く連れて行ってあげること。
ルールとしてダメを教えるべきで、やっている子供本人をダメと思わせない。
躾けより躾けの後で、ちゃんと出来ている部分を倍以上褒めていくことだ。
叱った子にはその後で充分コミニケーションをとって1人にさせないことも大事。
以前、犬を連れて公園を散歩していると、小学生達と先導する先生たちが集まっていた。
子供たちは元気に走り回っていたが、何かのはずみでケンカがおきたのだろう。
何を壊したとか叫んでいる子がいる。
驚いたのは先生達が、止めてなにがあったのか話を聞くということをしない。
ただ、呆然と見ている。余裕を持ってしばらく見守っているという様子でもない。
ただ呆然としている。
1人の子供は叫び続けている。誰も止めないので収まりがつかなくなったようだ。
そのうち、女性の先生が「○○君、やめなさい」とささやくように言う。
かなり離れた距離からうろうろしながら「やめなさい さめなさい」と繰り返す。
子供はどんどん孤立していって、収集がつかなくなったのだろう。
なにやらものを投げる。
いったいこの人達どうするんだろう。何考えてるんだろう。
誰も解決出来ない(責任を持たない)ことを自ら知った少年が自分で出口を探した。
「おれ、もう帰るぞ」「ダメよ。まだ授業中でしょ」
全く気のない、止める気も、叱る気もない力のない声で、先生がささやき続ける。
本人との距離もかなり離れたままだ。
こういう人達は教師などやってはならない。
あそこまで、子供を孤独にして平気でいられる神経は何処からきたのか。
なぜ、叱りつけて悪いことをしたのだから、帰りなさいと言いきるか、
しっかり抱きとめて、なにがあったか話してごらんと言ってあげられないのか。
なぜ、身体にも指一本触れないのか。
その距離から何がしたいのか。
結局、誰も叱ってもくれないし、やさしく抱きしめてもくれないと悟った少年が、
「おれ帰る」と力なく言ってその場をさった。誰も止めなかった。
少年にはもう先ほどの興奮はない。ただ落胆して疲れている。
僕は犬と歩いていく。
少年に向かって犬がクンクン匂いを嗅ぎながら追いかける。
「これってブルドックですか?」「似てるけど違う。パグっていうんだ」
「おれ、ばあちゃんちが犬飼ってるから、匂いすんのかなあ」「ふーん」
「その角が家なんだ」「ふーん。じゃあまたね」「うん。ありがとう」
とても素直ないい子だった。
制度の問題や、躾の問題を考えさせられる場面だった。
ところで、教育の本論だけど、これは一番難しくも楽しくもある。
正解も答えもないと書いたが、それはこの部分をさす。
制度にも躾にも答えはあるから。
一番大切なのは自分自身が子供としてのこころを取り戻すことにある。
人間とは不思議なもので、1人で「あれがきれい」とか「すばらしい」と
思っても、こころの中はそんなに変化しない。
ところがその「きれい」や「すばらしい」を共有出来る人がいると、
その出来事が自分のこころに入って、学びが生まれて来る。
教育にとって一番大事なのは、教えることではなく、
学び取る姿勢を共有することだ。
自分で発見することの楽しさを知っていくために、
大人は手本とならねばならない。
真っすぐ向き合っていく姿勢を見せることだ。
それは結局、その大人の生き方であり、人間力にかかっている。
生活のすべてが学びの場となっていなければ、
子供に生きる楽しさ素晴らしさを伝えることは出来ない。
要するにごまかしがきかない。
最後は教育というのも、特殊なことではなく、
生きる姿勢そのものと言える。
何を選択し、何を考え、判断し、創造していくのか。
子供はそれらを見ている。
子供自身がどんなに小さなことでも、発見し学び取った時に、
どれだけ共有出来るか。
与えすぎ、教えすぎによって子供をがんじがらめにしてはいけない。
生きていることは、絶えず新しい場面に直面していることだ。
どんな場面でも、そこから吸収し、学び取り、
少しでも良くしていく姿勢やこころの構えを見せていく。
いいことも悪いことも、いっぱいおきる。
その一つ一つに、どういう姿勢で挑んでいくのかを見せていく。
そして一緒に創造していく時間を持つ。
子供も大人も本当は違わない。
知識と技術は、それを使う人間あってのもの。
いかに知識や技術があっても使い方を知らなければ意味がない。
どんなものも、状況も使いこなせる人間とは、
自分の頭で考え、自分の感覚を磨き、絶えず希望を持ち続けて、
良い環境を創れる能力を持つ者だ。
そのような人間をこそ育てていかなければならない。
そのためには、できあいのものではなく、創造する可能性を教えていくことだ。
繰り返すが、正解も答えもない、
可能性に満ちた世界を私たちは生きていく。
その瞬間、瞬間を味わい、幸福を見出していくのは、人間の創造性だ。
ダウン症の人たちに学んでみよう。
絵を描く。
そこには正解なんか有り得ない。
そこに飛び込めるのは、自身の持つこころの調和を信頼し、
感覚を研ぎすまして、新しい発見に身をゆだね、
状況を楽しみ、幸せをみいだす力があるからだ。
2011年8月27日土曜日
教育について考える
僕達の現場は特殊な環境だと思っている。
勿論、変わったことをしている感覚はないし、
特殊の中から普遍が見えて来るような場にして行きたいとも思っているけれど。
少し前だと、問い合わせや取材はアート関連か、全く逆の福祉関連のものが多かった。
面白いことに、ここ数年は「子育て」、「教育」関連の問い合わせや取材が多い。
それだけ、子育てや教育が難しくなっているのかもしれない。
色んなところで、話して来たことではあるけれど、
今回は主に教育について考えてみたい。
断っておくが勿論、僕は教育を専門的におこなう立場の人間ではない。
普段の僕らの仕事は完全に黒子に徹しておこなわれる。
生徒、一人一人が自分の力で絵を描くことがメインだ。
僕らは絵に入ってもらうための流れを創るだけだ。
分かり易い仕事ではない。
お仕事をご一緒したうおがし銘茶の葉さんに、
励みになる言葉をいただいたことがあった。
人に紹介して下さる時に葉さんが
「佐久間さんは不思議な方です。アトリエでみんなと居る時も、空気みたいで何をしているのか分からなくて。何もしていないみたいで、居るのか居ないのか分からないくらい。でも、みんなにとっては居ないと困る存在なんです」
というような言葉で説明して下さった。
僕にとってこの言葉は本当に嬉しかった。同時に鋭い方だと思った。
なかなか、このような仕事の本質を理解して下さる方は少ない。
僕達の仕事では自分が出てはいけないし、いかにもやっている雰囲気もでてはならない。
究極的には何もしていないような自然さが必要だ。
先ほどの葉さんの言葉は僕の理想に近い。まだまだそこまで行けてはいないけど。
学生から聞いた話だけど、彼が福祉関連の講習会に行ったとき、
講師が「私はこうやって自閉症の人を良くしました」みないな話しぶりだったそうだ。
こんなのは愚の骨頂。変わったのは本人が変わった以外に有り得ないのだから。
僕らの現場ではこんな考えでは絶対いきづまる。
人を相手にしているのだから、最大限に良い仕事をしても上手くいくとは限らない。
逆に怖いことでもあるけど、ひどい仕事をしてもいい結果が出ることだってある。
だからこそ、ぶれないで良いテンションを維持出来なければならない。
結果で一喜一憂したり、手柄を自慢したり、失敗に落ち込んだりしている時間はない。
そういう場なんだけど、教育になにかしらヒントを感じて下さる方もいるようだ。
教育や子育てが難しくなっていると書いた。
何故か。教育や子育てに答えはない、正解はないからだ。
今の社会は答え探しのクイズのようなもので、
答えを用意していて早く当てた人が勝ちみたいになっている。
だから、今の人達は答えがない、正解がないという状況を苦手とする。
恐れてすらいる。
さっきの話とも繋がるけど、人間が相手の場合、あるいは自然が相手の場合、
答えなどどこにもない。
言い換えれば、自分の力で答えを創造しなければならない。
こういった状況で普段、情報に埋もれ、あるものの中から選ぶだけの生活をしている人達が、子育てや教育を考えたとき、不安になるのだ。
さすがに今では学歴を妄信する人も少なくなったが、
あれなども答えがある、正解がある世界の最たるものだ。
親にとっても、子供にとっても何も考えなくとも済む方法と言える。
僕らのアトリエにも高学歴の人はいっぱい来るけど、
みんな生きていく中で悩みが大きい。
誤解を恐れずにいえば、受け身で生きて来たからだ。
確かに、いい学校に入ったり、いい会社に就職したりするには、
相当に努力が必要だったのだろう。
でもある意味でそれは受け身の努力だ。
答えがある世界で、努力し続けるのは受け身なのだ。
だからそういった世界である程度、上まで行ったら、次にどうしていいか分からない。
それから先は答えがないからだ。
だれもここがゴールだからここまで来るように努力しなさいと言いはしない。
もともと、世界とはそのような場所で、
正解も答えもないし、早く当てたら勝ちというゲームじみたものでもない。
答えはないということは、人それぞれ無限の答えがあると言うことだ。
先生も親も子も、想像力と創造力こそが要求される。
教育にしても子育てにしても、こうしたら良くなるというという話を、
みんな好きだが、そんな便利な方法はない。
こうしたらいいというのは実際は教える側が楽なだけ。
教育といっても僕の考えでは3つある。
教育の本論と躾けの問題と制度の問題、この3つだ。
これらを混同して考えてはいけない。
大事なのは本論だ。
でもここでは一応軽くではあるけれど、3つともふれておきたい。
まず、制度のことだけど、これも今は難しくなって来ているような気がする。
一番問題なのは先生の権威が無くなっていること。
権威なんかいらないという考えもあるが、違うと思う。
生徒と友達のようだというのが理想になったりしているが、それも同じことだ。
友達のように付き合うということで、厳しさや責任を放棄してはいけない。
もっとひどくなると生徒の人気取りに媚びる先生がでてくる。
ではなぜ、あえて権威を必要と言うのか。
それは、子供が最初に物事に向かう時に、学問や人間や自然や、何であっても構わないが、
そこから学ぶ姿勢を身につけるためだ。
何かに真剣に向かっていくには「敬意をはらうこと」が必ず必要だ。
敬意をはらうことで、目の前にある現実、人や自然ははじめて神秘の姿を見せてくれる。
敬意をはらわなければ本質は見えない。
敬意をはらわなければ学ぶことは出来ない。
例えば僕は制作の場を、ある意味で神聖視している。
学生達からも「実際に絵を描いている現場はすごく緊張する」という声を聞く。
あまり緊張すると、描いている人に伝わるので、緊張するなとは言う。
でも、なぜ彼らが緊張するかと言うと、スタッフが目の前の人の心にたいして、
最大限の敬意をはらっていることがつたわるからだ。
これは大切な事だ。
真剣さや相手に敬意をはらう姿勢は周りに伝わる。
こういった物事に向き合う姿勢を伝えるために制度内では権威が必要な場面もある。
僕自身は教育に携わる人達やお医者さんや政治家や弁護士には、
権威が必要なのだと思う。
権威を持つに足りない人間が多いというのとは、また別の問題で。
こういった人達は権威をもってみんなから尊敬されているべきだと思う。
だからこそ、そういった仕事にふさわしくない人間は辞めるべきだ。
なぜ、権威が失われたか。
資本主義がそうさせたのだろう。
今では学校も病院も商売になっている。
生徒も患者もお客さんになってしまっては、それぞれの仕事など出来ない。
お客様だからお伺いをたててサービスするでは、
人の身体やこころを扱う専門家として役立つ訳がない。
考えても見れば、病院や医者を選んで、情報を全部公開してもらって、
選択する権利を得て治療を受けながら、疑い続けるのと、
「この人になら命を預けられる」と思えるお医者さんがいてくれるのと、
どっちが幸福だろうか。
やっぱり基本は相手を信頼する。
信頼された方も全力で信頼に応える努力をする。
それが健全な在り方だと思う。
いい医者も教師も、患者や生徒を客扱いしないし、媚もしない。
その人にとって必要なことなら厳しさも誤解も恐れない。
その姿勢を周りが認めて、信頼するのだ。
相手をお客様と言えば聞こえはいいが、お金と同じにしているも同然だ。
何度もいうが病院や学校は商売であってはならない。
私たちの方もお客扱いを求めてはならない。
僕らのアトリエの場合、学校ではないのでそういった問題はほとんどないが、
以前あった哀しい話をしよう。
今はアトリエに属してはいないが生徒の中に兄弟のいる子がいた。
その子のお兄ちゃんが来ていた時のこと、
絵を見ていただきながらお母さんとお話ししていると、
お兄ちゃんのほうが、たまたま見学していた学生に、
「お前、貧乏そうだな」と発言した。
ここまでは子供としてはよくあることで、大したことではない。
驚いたのはあきらかに聞こえていたお母さんが子供を叱らない。
えっと思ったが、すでに子供は反応をうかがっているので、
僕はその子を少しだけ厳しく叱った。
するとその子はお母さんの背中に隠れて、
お母さんに抱きつきながら顔だけこちらに向けて、
「オレの家は金あるからなあ」と言って笑っている。
これはこの瞬間を逃してはまずいと思ったので、
今度はお母さんの前で叱りつけた。
その子はまさかという顔をしている。
それ以上にお母さんがびっくりした顔をしたので、
僕は「なぜ、彼を叱らないのですか。彼が可哀想ですよ」と
今度はお母さんに向かって厳しくお話しした。
その後、そのお兄ちゃんは僕を信頼してくれるようになった。
甘えて「飴ないの?勉強で疲れてるんだよ」等と話しかけてくれた。
お母さんの方も僕の行動を理解してくれて、良い関係が持てた。
今では引っ越しをされてアトリエを離れてはいるが、
僕はいまだにあのタイミングを逃してしまったら、
あの子は、あんなに若くして大人の政治や権力を覚えてしまい、
人に媚びる生き方しか出来なくなってしまう可能性があったと思う。
大事な場面で人の目など気にしてはいけない。
大人は権力やお金に媚びると思ってしまっている子供は、他にもいるはずだ。
子供にそういう意識を持たせてしまっているのは、
大人が人の命や魂に関わる領域にまで商売の意識を持ち込んだせいだ。
こういった制度は変えていくべきだ。
制度もお互いが安心して信頼し合えるものにしていくべきだ。
さて今回は長くなってしまったので、教育についての3つのことのうち、
1つだけでおしまいにする。
後の2つ、躾けのことと、教育の本論は次回。
勿論、変わったことをしている感覚はないし、
特殊の中から普遍が見えて来るような場にして行きたいとも思っているけれど。
少し前だと、問い合わせや取材はアート関連か、全く逆の福祉関連のものが多かった。
面白いことに、ここ数年は「子育て」、「教育」関連の問い合わせや取材が多い。
それだけ、子育てや教育が難しくなっているのかもしれない。
色んなところで、話して来たことではあるけれど、
今回は主に教育について考えてみたい。
断っておくが勿論、僕は教育を専門的におこなう立場の人間ではない。
普段の僕らの仕事は完全に黒子に徹しておこなわれる。
生徒、一人一人が自分の力で絵を描くことがメインだ。
僕らは絵に入ってもらうための流れを創るだけだ。
分かり易い仕事ではない。
お仕事をご一緒したうおがし銘茶の葉さんに、
励みになる言葉をいただいたことがあった。
人に紹介して下さる時に葉さんが
「佐久間さんは不思議な方です。アトリエでみんなと居る時も、空気みたいで何をしているのか分からなくて。何もしていないみたいで、居るのか居ないのか分からないくらい。でも、みんなにとっては居ないと困る存在なんです」
というような言葉で説明して下さった。
僕にとってこの言葉は本当に嬉しかった。同時に鋭い方だと思った。
なかなか、このような仕事の本質を理解して下さる方は少ない。
僕達の仕事では自分が出てはいけないし、いかにもやっている雰囲気もでてはならない。
究極的には何もしていないような自然さが必要だ。
先ほどの葉さんの言葉は僕の理想に近い。まだまだそこまで行けてはいないけど。
学生から聞いた話だけど、彼が福祉関連の講習会に行ったとき、
講師が「私はこうやって自閉症の人を良くしました」みないな話しぶりだったそうだ。
こんなのは愚の骨頂。変わったのは本人が変わった以外に有り得ないのだから。
僕らの現場ではこんな考えでは絶対いきづまる。
人を相手にしているのだから、最大限に良い仕事をしても上手くいくとは限らない。
逆に怖いことでもあるけど、ひどい仕事をしてもいい結果が出ることだってある。
だからこそ、ぶれないで良いテンションを維持出来なければならない。
結果で一喜一憂したり、手柄を自慢したり、失敗に落ち込んだりしている時間はない。
そういう場なんだけど、教育になにかしらヒントを感じて下さる方もいるようだ。
教育や子育てが難しくなっていると書いた。
何故か。教育や子育てに答えはない、正解はないからだ。
今の社会は答え探しのクイズのようなもので、
答えを用意していて早く当てた人が勝ちみたいになっている。
だから、今の人達は答えがない、正解がないという状況を苦手とする。
恐れてすらいる。
さっきの話とも繋がるけど、人間が相手の場合、あるいは自然が相手の場合、
答えなどどこにもない。
言い換えれば、自分の力で答えを創造しなければならない。
こういった状況で普段、情報に埋もれ、あるものの中から選ぶだけの生活をしている人達が、子育てや教育を考えたとき、不安になるのだ。
さすがに今では学歴を妄信する人も少なくなったが、
あれなども答えがある、正解がある世界の最たるものだ。
親にとっても、子供にとっても何も考えなくとも済む方法と言える。
僕らのアトリエにも高学歴の人はいっぱい来るけど、
みんな生きていく中で悩みが大きい。
誤解を恐れずにいえば、受け身で生きて来たからだ。
確かに、いい学校に入ったり、いい会社に就職したりするには、
相当に努力が必要だったのだろう。
でもある意味でそれは受け身の努力だ。
答えがある世界で、努力し続けるのは受け身なのだ。
だからそういった世界である程度、上まで行ったら、次にどうしていいか分からない。
それから先は答えがないからだ。
だれもここがゴールだからここまで来るように努力しなさいと言いはしない。
もともと、世界とはそのような場所で、
正解も答えもないし、早く当てたら勝ちというゲームじみたものでもない。
答えはないということは、人それぞれ無限の答えがあると言うことだ。
先生も親も子も、想像力と創造力こそが要求される。
教育にしても子育てにしても、こうしたら良くなるというという話を、
みんな好きだが、そんな便利な方法はない。
こうしたらいいというのは実際は教える側が楽なだけ。
教育といっても僕の考えでは3つある。
教育の本論と躾けの問題と制度の問題、この3つだ。
これらを混同して考えてはいけない。
大事なのは本論だ。
でもここでは一応軽くではあるけれど、3つともふれておきたい。
まず、制度のことだけど、これも今は難しくなって来ているような気がする。
一番問題なのは先生の権威が無くなっていること。
権威なんかいらないという考えもあるが、違うと思う。
生徒と友達のようだというのが理想になったりしているが、それも同じことだ。
友達のように付き合うということで、厳しさや責任を放棄してはいけない。
もっとひどくなると生徒の人気取りに媚びる先生がでてくる。
ではなぜ、あえて権威を必要と言うのか。
それは、子供が最初に物事に向かう時に、学問や人間や自然や、何であっても構わないが、
そこから学ぶ姿勢を身につけるためだ。
何かに真剣に向かっていくには「敬意をはらうこと」が必ず必要だ。
敬意をはらうことで、目の前にある現実、人や自然ははじめて神秘の姿を見せてくれる。
敬意をはらわなければ本質は見えない。
敬意をはらわなければ学ぶことは出来ない。
例えば僕は制作の場を、ある意味で神聖視している。
学生達からも「実際に絵を描いている現場はすごく緊張する」という声を聞く。
あまり緊張すると、描いている人に伝わるので、緊張するなとは言う。
でも、なぜ彼らが緊張するかと言うと、スタッフが目の前の人の心にたいして、
最大限の敬意をはらっていることがつたわるからだ。
これは大切な事だ。
真剣さや相手に敬意をはらう姿勢は周りに伝わる。
こういった物事に向き合う姿勢を伝えるために制度内では権威が必要な場面もある。
僕自身は教育に携わる人達やお医者さんや政治家や弁護士には、
権威が必要なのだと思う。
権威を持つに足りない人間が多いというのとは、また別の問題で。
こういった人達は権威をもってみんなから尊敬されているべきだと思う。
だからこそ、そういった仕事にふさわしくない人間は辞めるべきだ。
なぜ、権威が失われたか。
資本主義がそうさせたのだろう。
今では学校も病院も商売になっている。
生徒も患者もお客さんになってしまっては、それぞれの仕事など出来ない。
お客様だからお伺いをたててサービスするでは、
人の身体やこころを扱う専門家として役立つ訳がない。
考えても見れば、病院や医者を選んで、情報を全部公開してもらって、
選択する権利を得て治療を受けながら、疑い続けるのと、
「この人になら命を預けられる」と思えるお医者さんがいてくれるのと、
どっちが幸福だろうか。
やっぱり基本は相手を信頼する。
信頼された方も全力で信頼に応える努力をする。
それが健全な在り方だと思う。
いい医者も教師も、患者や生徒を客扱いしないし、媚もしない。
その人にとって必要なことなら厳しさも誤解も恐れない。
その姿勢を周りが認めて、信頼するのだ。
相手をお客様と言えば聞こえはいいが、お金と同じにしているも同然だ。
何度もいうが病院や学校は商売であってはならない。
私たちの方もお客扱いを求めてはならない。
僕らのアトリエの場合、学校ではないのでそういった問題はほとんどないが、
以前あった哀しい話をしよう。
今はアトリエに属してはいないが生徒の中に兄弟のいる子がいた。
その子のお兄ちゃんが来ていた時のこと、
絵を見ていただきながらお母さんとお話ししていると、
お兄ちゃんのほうが、たまたま見学していた学生に、
「お前、貧乏そうだな」と発言した。
ここまでは子供としてはよくあることで、大したことではない。
驚いたのはあきらかに聞こえていたお母さんが子供を叱らない。
えっと思ったが、すでに子供は反応をうかがっているので、
僕はその子を少しだけ厳しく叱った。
するとその子はお母さんの背中に隠れて、
お母さんに抱きつきながら顔だけこちらに向けて、
「オレの家は金あるからなあ」と言って笑っている。
これはこの瞬間を逃してはまずいと思ったので、
今度はお母さんの前で叱りつけた。
その子はまさかという顔をしている。
それ以上にお母さんがびっくりした顔をしたので、
僕は「なぜ、彼を叱らないのですか。彼が可哀想ですよ」と
今度はお母さんに向かって厳しくお話しした。
その後、そのお兄ちゃんは僕を信頼してくれるようになった。
甘えて「飴ないの?勉強で疲れてるんだよ」等と話しかけてくれた。
お母さんの方も僕の行動を理解してくれて、良い関係が持てた。
今では引っ越しをされてアトリエを離れてはいるが、
僕はいまだにあのタイミングを逃してしまったら、
あの子は、あんなに若くして大人の政治や権力を覚えてしまい、
人に媚びる生き方しか出来なくなってしまう可能性があったと思う。
大事な場面で人の目など気にしてはいけない。
大人は権力やお金に媚びると思ってしまっている子供は、他にもいるはずだ。
子供にそういう意識を持たせてしまっているのは、
大人が人の命や魂に関わる領域にまで商売の意識を持ち込んだせいだ。
こういった制度は変えていくべきだ。
制度もお互いが安心して信頼し合えるものにしていくべきだ。
さて今回は長くなってしまったので、教育についての3つのことのうち、
1つだけでおしまいにする。
後の2つ、躾けのことと、教育の本論は次回。
2011年8月26日金曜日
自然とは
よし子が助産院での自然分娩を選択したので、
体調管理から、毎日のお灸、マッサージ、散歩、ヨガ、食事制限と、
夫としてもやることがいっぱいある。
お腹に子供が出来てから、生活はがらっと変わった。
気付いたのは「自分の力で子供を産むってこんなに大変なんだ」、ということだ。
始めは実は「昔の人は自然に産んでたのに、こんなに色んなことする必要あるの?」
という思いもあった。
それは大きな間違いだったと思う。
昔の人達と現代の人間の生活に違いがあるからだ。
私たちがどれほど不自然で人工的な生活をしているのか、見直す機会でもある。
自然な身体なら自然に産める。
でも現代人の身体は自然からは程遠いという事実。
だから自分で産める力を取り戻す努力は必要。
美しい、快を感じるものは身体にもこころにも良いと書いた事があったが、
これもあくまで、目や耳が毒されていなければの話。
身体もこころも自然さを失っていれば本能は働かない。
合成の味が美味しいと感じてしまう舌は、不自然そのものだ。
本能の感じる「快」と強い刺激によって感じる「快楽」は別のものだ。
本能が「快」を感じるとき、感覚は鋭くなる。それは刺激の対極だ。
刺激によって高まっているとき、実は感覚は麻痺している。
現代は感覚が麻痺するような刺激ばかりが追い求められている。
例えば制作の場でも同じことがいえる。
ダウン症の人たちが本来持っている優れた感性を引き出す訳だけど、
実際には本来的に優れたものを持っているからといって、
ほっておいて良いものが現れる訳がない。
場の作り方から、素材選び、一人一人のこころの動きを見極めて、
一番良い状態で制作に入ってもらうためには、
スタッフとして様々な努力と創造性が要求される。
自然はほうっておいて自然なのではない。
自然の奥に自然の本質を見極め、つかんでこそ、本来の自然がみえる。
エコロジーや自然に帰れと言った主張にはこの考えが不足している。
「型」や儀式について書いたが、それらも自然の奥に入り、
自然の本質を知るというところにある。
染色家の方の書かれた本を読んだ事がある。
花の種類によっては、花の色は花びらからは抽出出来ないらしい。
花びらにあるような色を出そうと思ったら、
花びらになっているものではなくて、樹木の状態から抽出するというお話だった。
これはまさしく目から鱗だった。
花びらから色を感じるのは当然だが、
樹木の状態ですでにその色は内側に存在している。
それを感じ取って触れようとするところに技の意味があるのだろう。
私たちは人口に囲まれ、本能を見失いつつある。
だから危機に直面するし、何をしても充実感を得られないのだ。
自然であること、自然の本質を知ることはそう容易くはない。
でも、自然を見極め自然の中に入っていく時にこそ、人は喜びを感じる。
人は自然から生まれ、自然の中へ帰って行く。
自然を知ることは自分を知ることだ。
ダウン症の人たちの世界が、私たちにヒントを与えてくれる。
人間のこころの中にも自然があると教えてくれる。
もっといえば、自然の奥にあり、自然を自然ならしめている働きが、
人間のこころを構成している。
人のこころも自然も同じものだ。
そこには調和がある。
私たちは早くそのことに気付くべきだろう。
体調管理から、毎日のお灸、マッサージ、散歩、ヨガ、食事制限と、
夫としてもやることがいっぱいある。
お腹に子供が出来てから、生活はがらっと変わった。
気付いたのは「自分の力で子供を産むってこんなに大変なんだ」、ということだ。
始めは実は「昔の人は自然に産んでたのに、こんなに色んなことする必要あるの?」
という思いもあった。
それは大きな間違いだったと思う。
昔の人達と現代の人間の生活に違いがあるからだ。
私たちがどれほど不自然で人工的な生活をしているのか、見直す機会でもある。
自然な身体なら自然に産める。
でも現代人の身体は自然からは程遠いという事実。
だから自分で産める力を取り戻す努力は必要。
美しい、快を感じるものは身体にもこころにも良いと書いた事があったが、
これもあくまで、目や耳が毒されていなければの話。
身体もこころも自然さを失っていれば本能は働かない。
合成の味が美味しいと感じてしまう舌は、不自然そのものだ。
本能の感じる「快」と強い刺激によって感じる「快楽」は別のものだ。
本能が「快」を感じるとき、感覚は鋭くなる。それは刺激の対極だ。
刺激によって高まっているとき、実は感覚は麻痺している。
現代は感覚が麻痺するような刺激ばかりが追い求められている。
例えば制作の場でも同じことがいえる。
ダウン症の人たちが本来持っている優れた感性を引き出す訳だけど、
実際には本来的に優れたものを持っているからといって、
ほっておいて良いものが現れる訳がない。
場の作り方から、素材選び、一人一人のこころの動きを見極めて、
一番良い状態で制作に入ってもらうためには、
スタッフとして様々な努力と創造性が要求される。
自然はほうっておいて自然なのではない。
自然の奥に自然の本質を見極め、つかんでこそ、本来の自然がみえる。
エコロジーや自然に帰れと言った主張にはこの考えが不足している。
「型」や儀式について書いたが、それらも自然の奥に入り、
自然の本質を知るというところにある。
染色家の方の書かれた本を読んだ事がある。
花の種類によっては、花の色は花びらからは抽出出来ないらしい。
花びらにあるような色を出そうと思ったら、
花びらになっているものではなくて、樹木の状態から抽出するというお話だった。
これはまさしく目から鱗だった。
花びらから色を感じるのは当然だが、
樹木の状態ですでにその色は内側に存在している。
それを感じ取って触れようとするところに技の意味があるのだろう。
私たちは人口に囲まれ、本能を見失いつつある。
だから危機に直面するし、何をしても充実感を得られないのだ。
自然であること、自然の本質を知ることはそう容易くはない。
でも、自然を見極め自然の中に入っていく時にこそ、人は喜びを感じる。
人は自然から生まれ、自然の中へ帰って行く。
自然を知ることは自分を知ることだ。
ダウン症の人たちの世界が、私たちにヒントを与えてくれる。
人間のこころの中にも自然があると教えてくれる。
もっといえば、自然の奥にあり、自然を自然ならしめている働きが、
人間のこころを構成している。
人のこころも自然も同じものだ。
そこには調和がある。
私たちは早くそのことに気付くべきだろう。
2011年8月25日木曜日
シンプルに生きる
島田紳介引退って衝撃だった。
これについて、肯定も否定もなんの感想もないけど。
でも、この人って辞めたかったんだろうなとは思った。
あれだけ人気があったら、なかなか、自分の意志でやめられないだろうし。
こんな事でもないと。
そう言う意味でいうと、人生なにがあるか分からないけど、
おこった事に自分がどう向きあうかで、全く変わってくる。
それはいいとして、自分達のことだ。
本当に大切な事とは何かと考える。
つまらないことをやっている時間はないし、
本質に関わらない事に、いつまでも労力を費やしたくはない。
当たり前な話だけど、僕達はみんな死ぬ。
いずれはこの世界をさっていく存在である事を忘れてはならない。
少しでも人のこころにふれる仕事をしたいと思う。
少しでも深めたいと思うし、少しでも次ぎに繋げていきたい。
僕達の仕事は1人や2人で出来ることではない。
いかに意識を共有出来る人達を増やしていくか。
そういえば、私的な話だけど、赤ちゃんが産まれる準備をしている。
ものをいっぱい捨てた。
要らないもの、必要ないものが多いなと感じた。
物事は変化していくし、
物質的にも精神的にも終わったものは捨てていくことが大切だと思う。
またまた、ダウン症の人たちの話。
彼らを見ていると、特に精神面で、本当にシンプルに生きている。
彼らから見えるのは本当に本質的で普遍的な事柄ばかりだ。
彼らはある意味で現代人の手本となる在り方を示している。
これまで彼らの豊かな資質を紹介して来たが、
その機能が何処から来ているかと言うと、シンプルな生き方からだ。
彼らはナチュラルでシンプルだ。
シンプルでいるとどうなるか、ひと言でいうと幸福になる。
ここにいる時間のほとんどを、みんなは笑って過ごしている。
こころに無駄な鎧を付けず、まっすぐに正直に、生きる。
過去や未来を気にせず、今を、この瞬間を生きる。
誰にも媚びず、お金や権力とも無縁に。
今必要なのは、幸せになる力、能力だと思う。
あえて能力という言葉を使った。
現代人は情報を収集し計算し、自分に益のあるように組み立てる能力を養って来た。
それは、争いを生む能力でもある。
人間のその機能を能力と呼んで来たのだから、
ダウン症の人たちの持つような「争わない能力」も能力と呼べるはずだし、
今後、私たちはこっちの能力を養っていかなければならない。
幸福になるには感性が必要だ。
感覚、感性を育てる時間や手間を省いてはならない。
一度しか生きられない命なのだから、
「ほんとうのこと」とに気付きたい。
美しいものにたくさん触れて、きれいなものを見て。
みんなと繋がって。
本物を知ろう。本物の仕事をしよう。
本物には手間と時間と人の思いがつまっている。
本物は人を豊かにしやさしくさせる。
それは命を感じる瞬間だ。
このアトリエの場は本物でありたいと思う。
そして一番シンプルなことを大切にしたい。
それは一人一人の笑顔であり、一つの場をみんなの力で調和で満たすことだ。
これについて、肯定も否定もなんの感想もないけど。
でも、この人って辞めたかったんだろうなとは思った。
あれだけ人気があったら、なかなか、自分の意志でやめられないだろうし。
こんな事でもないと。
そう言う意味でいうと、人生なにがあるか分からないけど、
おこった事に自分がどう向きあうかで、全く変わってくる。
それはいいとして、自分達のことだ。
本当に大切な事とは何かと考える。
つまらないことをやっている時間はないし、
本質に関わらない事に、いつまでも労力を費やしたくはない。
当たり前な話だけど、僕達はみんな死ぬ。
いずれはこの世界をさっていく存在である事を忘れてはならない。
少しでも人のこころにふれる仕事をしたいと思う。
少しでも深めたいと思うし、少しでも次ぎに繋げていきたい。
僕達の仕事は1人や2人で出来ることではない。
いかに意識を共有出来る人達を増やしていくか。
そういえば、私的な話だけど、赤ちゃんが産まれる準備をしている。
ものをいっぱい捨てた。
要らないもの、必要ないものが多いなと感じた。
物事は変化していくし、
物質的にも精神的にも終わったものは捨てていくことが大切だと思う。
またまた、ダウン症の人たちの話。
彼らを見ていると、特に精神面で、本当にシンプルに生きている。
彼らから見えるのは本当に本質的で普遍的な事柄ばかりだ。
彼らはある意味で現代人の手本となる在り方を示している。
これまで彼らの豊かな資質を紹介して来たが、
その機能が何処から来ているかと言うと、シンプルな生き方からだ。
彼らはナチュラルでシンプルだ。
シンプルでいるとどうなるか、ひと言でいうと幸福になる。
ここにいる時間のほとんどを、みんなは笑って過ごしている。
こころに無駄な鎧を付けず、まっすぐに正直に、生きる。
過去や未来を気にせず、今を、この瞬間を生きる。
誰にも媚びず、お金や権力とも無縁に。
今必要なのは、幸せになる力、能力だと思う。
あえて能力という言葉を使った。
現代人は情報を収集し計算し、自分に益のあるように組み立てる能力を養って来た。
それは、争いを生む能力でもある。
人間のその機能を能力と呼んで来たのだから、
ダウン症の人たちの持つような「争わない能力」も能力と呼べるはずだし、
今後、私たちはこっちの能力を養っていかなければならない。
幸福になるには感性が必要だ。
感覚、感性を育てる時間や手間を省いてはならない。
一度しか生きられない命なのだから、
「ほんとうのこと」とに気付きたい。
美しいものにたくさん触れて、きれいなものを見て。
みんなと繋がって。
本物を知ろう。本物の仕事をしよう。
本物には手間と時間と人の思いがつまっている。
本物は人を豊かにしやさしくさせる。
それは命を感じる瞬間だ。
このアトリエの場は本物でありたいと思う。
そして一番シンプルなことを大切にしたい。
それは一人一人の笑顔であり、一つの場をみんなの力で調和で満たすことだ。
2011年8月24日水曜日
「型」について
昨日、肇さん、敬子さん、文香ちゃんで、韮崎大村美術館での搬入を終えました。
展覧会始まります。お時間のある方は是非、ご覧ください。
3人はとんぼ返りで、三重に戻り仕事の続きです。
佐藤家で集合も出来ず、寂しくはありますが、
みんなが良い仕事をしようという思いによって繋がっています。
さて、今回は「型」について。
型ってなんだろう。と思う。
よく型にはまっているとか、固いイメージもあるが、
ここでの結論を先に言うと、「型」はとても大切なもの。
型にはまっているのと、自分の型を持つのは違う。
型とは自分のリズム、呼吸、間合いが形に現れたものだ。
自分の型を持つ事は、自分の事物と関わる姿勢を持っている事だ。
「型」は「様式」と呼ぶ事も出来る。
もう一つ、儀式というものがある。
儀式について考えると、「型」の意味が自ずと分かる。
数年前に、平日のクラスの日にみんなが、
「雛祭りしよう」と言って来た。
「何が必要なの?」と聞くと、紙とか蜜柑とか、色々考えている。
言われるままに、用意をし並べていく。
みんなは雛人形のようなものを作る。
一人一人の作った雛人形を並べて、もっと台がいるとか、
明るいから向きはこっちとか、お供え物がいるとか、
色んな意見が出て、少しづつそれらしくなってくる。
時間をかけてゆっくり作って、みんなで並べ方も、置くものも考えて、
出来上がったのは神棚のようでもあり、個性的な雛人形と果物や、
石や葉っぱやオブジェが並んで、不思議な空間となった。
なにか荘厳な雰囲気さえ漂っている。
雛人形の前でみんなで歌を歌っておしまい。
儀式ってこうやって出来て来たんじゃないかと感じる。
それ以上にここには儀式の本質があると思う。
儀式とは外にある自然や季節を、感じ、味わう手段であると思う。
時間をかける事、手間をかけること、それから、みんなが参加すること。
それによって外の世界が自分の中で、認識出来て吸収出来る。
では何故、自然や季節を自分に取り込むことに、
儀式のような手段が必要なのか。
これは例えば、お葬式を考えれば分かる。
死自体は自然であると言える。
でも人はなかなか、愛する人の死を受け入れ、
自分の中に消化することは難しい。
死を受け入れ、認識していくプロセルが必要となってくる。
それには時の流れと言う重要な要素も必要だ。
儀式とはこのように自分のこころの中に外的現実を受け入れるプロセスと言える。
雛祭りによって、季節が、時がこころの中に認識され、吸収される。
こういった儀式によって、人は世界と繋がる。
「型」も同じようなものだ。
ただ、型はより個人的な要素が強い。
スポーツ選手を見ていると、その競技にそんなに必要ではない動きがある。
素人からするとその動きになんの意味があるのか分からない。
あれは自分の「型」だ。
自分の呼吸、間合いに引き込むための一連の動き。
イチローは毎日、同じ時間に同じことをすると何かで言っていたが、
これも生活の中から自分の「型」を作っていると言える。
僕も昔、様々な障害を持った人達と共に暮らした事がある。
彼らは、私たちの世界からすると、一見荒唐無稽な行動をとる場合がある。
普通の人達が、分からないとか怖いと思う動きにしても、
実は「型」だったりする。(勿論、違う意味のものもある)
よく見ていて、付き合っていくと「型」の意味が分かる。
繰り返すが「型」は現実を認識し、自分の中に入れること。
自分のリズムで世界と向き合い、対話することだ。
自分の型を持つとは、自らのリズムをみつけ、
現実を吸収しながら成長していくことを意味する。
アトリエでも生徒の保護者の中には、
「いつも同じような絵ばかり描いて」と嘆く方もいるが、
その人が自分の「型」によって世界と向き合っていることは、
とてつもなく素晴らしいことだと言いたい。
自立出来ていない、自己が確立出来ていない人には、「型」はない。
「型」があるとは大人であるとか、
自分の仕事や生活を確立しているということだ。
最後に「型」の悪い部分にもふれよう。
今の社会の「型」だ。これは一つの型だけを大事にして、
様々な異なる型の在り方を排除している。
一つの型がすべてではない。
人それぞれの「型」を尊重しよう。
展覧会始まります。お時間のある方は是非、ご覧ください。
3人はとんぼ返りで、三重に戻り仕事の続きです。
佐藤家で集合も出来ず、寂しくはありますが、
みんなが良い仕事をしようという思いによって繋がっています。
さて、今回は「型」について。
型ってなんだろう。と思う。
よく型にはまっているとか、固いイメージもあるが、
ここでの結論を先に言うと、「型」はとても大切なもの。
型にはまっているのと、自分の型を持つのは違う。
型とは自分のリズム、呼吸、間合いが形に現れたものだ。
自分の型を持つ事は、自分の事物と関わる姿勢を持っている事だ。
「型」は「様式」と呼ぶ事も出来る。
もう一つ、儀式というものがある。
儀式について考えると、「型」の意味が自ずと分かる。
数年前に、平日のクラスの日にみんなが、
「雛祭りしよう」と言って来た。
「何が必要なの?」と聞くと、紙とか蜜柑とか、色々考えている。
言われるままに、用意をし並べていく。
みんなは雛人形のようなものを作る。
一人一人の作った雛人形を並べて、もっと台がいるとか、
明るいから向きはこっちとか、お供え物がいるとか、
色んな意見が出て、少しづつそれらしくなってくる。
時間をかけてゆっくり作って、みんなで並べ方も、置くものも考えて、
出来上がったのは神棚のようでもあり、個性的な雛人形と果物や、
石や葉っぱやオブジェが並んで、不思議な空間となった。
なにか荘厳な雰囲気さえ漂っている。
雛人形の前でみんなで歌を歌っておしまい。
儀式ってこうやって出来て来たんじゃないかと感じる。
それ以上にここには儀式の本質があると思う。
儀式とは外にある自然や季節を、感じ、味わう手段であると思う。
時間をかける事、手間をかけること、それから、みんなが参加すること。
それによって外の世界が自分の中で、認識出来て吸収出来る。
では何故、自然や季節を自分に取り込むことに、
儀式のような手段が必要なのか。
これは例えば、お葬式を考えれば分かる。
死自体は自然であると言える。
でも人はなかなか、愛する人の死を受け入れ、
自分の中に消化することは難しい。
死を受け入れ、認識していくプロセルが必要となってくる。
それには時の流れと言う重要な要素も必要だ。
儀式とはこのように自分のこころの中に外的現実を受け入れるプロセスと言える。
雛祭りによって、季節が、時がこころの中に認識され、吸収される。
こういった儀式によって、人は世界と繋がる。
「型」も同じようなものだ。
ただ、型はより個人的な要素が強い。
スポーツ選手を見ていると、その競技にそんなに必要ではない動きがある。
素人からするとその動きになんの意味があるのか分からない。
あれは自分の「型」だ。
自分の呼吸、間合いに引き込むための一連の動き。
イチローは毎日、同じ時間に同じことをすると何かで言っていたが、
これも生活の中から自分の「型」を作っていると言える。
僕も昔、様々な障害を持った人達と共に暮らした事がある。
彼らは、私たちの世界からすると、一見荒唐無稽な行動をとる場合がある。
普通の人達が、分からないとか怖いと思う動きにしても、
実は「型」だったりする。(勿論、違う意味のものもある)
よく見ていて、付き合っていくと「型」の意味が分かる。
繰り返すが「型」は現実を認識し、自分の中に入れること。
自分のリズムで世界と向き合い、対話することだ。
自分の型を持つとは、自らのリズムをみつけ、
現実を吸収しながら成長していくことを意味する。
アトリエでも生徒の保護者の中には、
「いつも同じような絵ばかり描いて」と嘆く方もいるが、
その人が自分の「型」によって世界と向き合っていることは、
とてつもなく素晴らしいことだと言いたい。
自立出来ていない、自己が確立出来ていない人には、「型」はない。
「型」があるとは大人であるとか、
自分の仕事や生活を確立しているということだ。
最後に「型」の悪い部分にもふれよう。
今の社会の「型」だ。これは一つの型だけを大事にして、
様々な異なる型の在り方を排除している。
一つの型がすべてではない。
人それぞれの「型」を尊重しよう。
2011年8月23日火曜日
正しさより楽しさ
今が大変な時代である事は確かだと思う。
大げさに言えば、これから人類が滅んでいくのか、
何か違う在り方を見つけて生き残るのか、せとぎわだと思う。
何をすればいいのか。何が出来るのか。
日本の場合も東北の人達を思わずにいられない。
どんな状況でも、必ず何かは出来ると信じている。
アトリエの仕事で言えば、少しでも希望のあるグレードの高い作品を、
引き出して紹介出来ればと思うし、
場を明るくして、楽しいという気持ちをいっぱいふくらませていきたい。
前に人間は「快」に向かう本能を持っていると書いた。
そして人は調和と平和に快を感じると。
これはダウン症の人たちを見ていて学んだ事だ。
楽しいという気持ちや思いは、一番伝わりやすい。
明るく楽しい場には人が集まって来る。
これもアトリエをやっていていつも感じる事だ。
僕がボランティアにあまり可能性を感じないのは(勿論、有効性が全くない訳ではないし中には素晴らしいものも確かにある)、助ける側と助けられる側に、
上と下が出来てしまうと言うことが大きい。
しかし、それ以上に感じるのは彼らが「正しさ」に偏っている事だ。
「正しい」は勿論良い事だろう。
だけど、「正しい」は威圧的だ。
誰も反対出来ないというものは、やっぱりマズイ。
反論がないものは独善的になりやすい。
「正しい」を主張している人達が、
一般の人達にとってどこか違う世界の人間になってしまっているのはそのためだ。
自分をいい人だと思いたいがばかりに動いている人も多い。
アトリエの活動だって、反論や反発をされる事もあるが、
それはいいことだと思っている。
違う意見を持つ人がいる事が出来ることが大切。
もし、私たちが「この弱い人達を助けましょう」という路線で行けば、
何か違和感を感じても、反論して来る人達はほとんどいなくなる。
かわりに「楽しそう」と思ってくれる人達もいなくなる。
もし「正しい」なら、その事を主張しなくてもいい。
ただ動き、楽しさをみつけていくべきだ。
「正しい」は逆らえないので、手伝わなきゃになってしまう。
「楽しい」は自分も仲間に入りたいとなる。
僕はやっぱり楽しい場を創りたい。
楽しいやさしい気持ちをひろげていきたい。
いくら正しくても、眉間にシワをよせる世界には人は近付かない。
アトリエの仕事も大変な部分はたくさんある。
誤解も受けるし、様々な板挟みにあう事も多い。
色んな事と関わっているので雑務も多い。
一月、休みがないなんてザラだ。
まあ休める時はいっぺんに休める時もあるけど。
精神的なタフさは相当要求される。
よく知っている人からは、
「何が原動力になっているんですか」と聞かれる。
勿論、原動力は楽しさだ。
僕は楽しいからこの仕事をしている。
ここに来ている学生達の事も、お客さんから褒められる事が多い。
「若い人達の雰囲気がいいですね」
「情熱を持って集まっていますね」と。
「若い人達に教育しているのですか」と聞かれる事もある。
彼らに教育などしないし、アトリエの雰囲気に馴染ませようともしていない。
学生達はただ、「楽しさ」をみつけに来るのだ。
そして、一人一人が
「何かあれば、手伝いますよ」「何でも言って下さい」
「何かやらせて下さい」と
本当に気持ち良く、力強い言葉をかけてくれる。
以前、新しく「お手伝いしたいです」と言って来た学生が話してくれた。
入学する前に先輩達(アトリエ学生チーム)をみて、
仲も良さそうで、楽しそうで、学校に入ったらあのグループに入りたいと
思っていたそうだ。
アトリエにはボランティアや福祉のような世界とは無縁な、
若者達が多く集まって来る。
就職して自分の仕事でアトリエの作家たちを、
社会に紹介したいと言ってくれる人もいる。
楽しそうだから一緒に何かしましょうと言って下さる方は、
学生以外にもたくさんいる。
仕事でご一緒した方達も、
「明るく楽しいイメージがあったので」とアトリエと仕事をしようとした
きっかけと話してくれる。
「正しさ」より「楽しさ」は伝わっていく。
「楽しさ」の背後に「正しさ」があればいい。
今後のアトリエもより楽しく明るくしていきたい。
そしてゆっくりでも世界中が楽しくやさしく繋がればと願う。
大げさに言えば、これから人類が滅んでいくのか、
何か違う在り方を見つけて生き残るのか、せとぎわだと思う。
何をすればいいのか。何が出来るのか。
日本の場合も東北の人達を思わずにいられない。
どんな状況でも、必ず何かは出来ると信じている。
アトリエの仕事で言えば、少しでも希望のあるグレードの高い作品を、
引き出して紹介出来ればと思うし、
場を明るくして、楽しいという気持ちをいっぱいふくらませていきたい。
前に人間は「快」に向かう本能を持っていると書いた。
そして人は調和と平和に快を感じると。
これはダウン症の人たちを見ていて学んだ事だ。
楽しいという気持ちや思いは、一番伝わりやすい。
明るく楽しい場には人が集まって来る。
これもアトリエをやっていていつも感じる事だ。
僕がボランティアにあまり可能性を感じないのは(勿論、有効性が全くない訳ではないし中には素晴らしいものも確かにある)、助ける側と助けられる側に、
上と下が出来てしまうと言うことが大きい。
しかし、それ以上に感じるのは彼らが「正しさ」に偏っている事だ。
「正しい」は勿論良い事だろう。
だけど、「正しい」は威圧的だ。
誰も反対出来ないというものは、やっぱりマズイ。
反論がないものは独善的になりやすい。
「正しい」を主張している人達が、
一般の人達にとってどこか違う世界の人間になってしまっているのはそのためだ。
自分をいい人だと思いたいがばかりに動いている人も多い。
アトリエの活動だって、反論や反発をされる事もあるが、
それはいいことだと思っている。
違う意見を持つ人がいる事が出来ることが大切。
もし、私たちが「この弱い人達を助けましょう」という路線で行けば、
何か違和感を感じても、反論して来る人達はほとんどいなくなる。
かわりに「楽しそう」と思ってくれる人達もいなくなる。
もし「正しい」なら、その事を主張しなくてもいい。
ただ動き、楽しさをみつけていくべきだ。
「正しい」は逆らえないので、手伝わなきゃになってしまう。
「楽しい」は自分も仲間に入りたいとなる。
僕はやっぱり楽しい場を創りたい。
楽しいやさしい気持ちをひろげていきたい。
いくら正しくても、眉間にシワをよせる世界には人は近付かない。
アトリエの仕事も大変な部分はたくさんある。
誤解も受けるし、様々な板挟みにあう事も多い。
色んな事と関わっているので雑務も多い。
一月、休みがないなんてザラだ。
まあ休める時はいっぺんに休める時もあるけど。
精神的なタフさは相当要求される。
よく知っている人からは、
「何が原動力になっているんですか」と聞かれる。
勿論、原動力は楽しさだ。
僕は楽しいからこの仕事をしている。
ここに来ている学生達の事も、お客さんから褒められる事が多い。
「若い人達の雰囲気がいいですね」
「情熱を持って集まっていますね」と。
「若い人達に教育しているのですか」と聞かれる事もある。
彼らに教育などしないし、アトリエの雰囲気に馴染ませようともしていない。
学生達はただ、「楽しさ」をみつけに来るのだ。
そして、一人一人が
「何かあれば、手伝いますよ」「何でも言って下さい」
「何かやらせて下さい」と
本当に気持ち良く、力強い言葉をかけてくれる。
以前、新しく「お手伝いしたいです」と言って来た学生が話してくれた。
入学する前に先輩達(アトリエ学生チーム)をみて、
仲も良さそうで、楽しそうで、学校に入ったらあのグループに入りたいと
思っていたそうだ。
アトリエにはボランティアや福祉のような世界とは無縁な、
若者達が多く集まって来る。
就職して自分の仕事でアトリエの作家たちを、
社会に紹介したいと言ってくれる人もいる。
楽しそうだから一緒に何かしましょうと言って下さる方は、
学生以外にもたくさんいる。
仕事でご一緒した方達も、
「明るく楽しいイメージがあったので」とアトリエと仕事をしようとした
きっかけと話してくれる。
「正しさ」より「楽しさ」は伝わっていく。
「楽しさ」の背後に「正しさ」があればいい。
今後のアトリエもより楽しく明るくしていきたい。
そしてゆっくりでも世界中が楽しくやさしく繋がればと願う。
2011年8月22日月曜日
最後は気合い
昨日、ちょっと用事があって日比谷へ行った。
帰りにお茶をして、電車に乗ろうとまわりを見たら、
緑がきれいで、少し皇居の辺を歩こうかという気分になった。
ぼーっとしながら歩いていると、
向こうから怪しげな3人組がなにやら走って来る。
何かを探して走っているようだ。
よく見るとイサとゆりあ(元学生チームで、現在アトリエスタッフとして研修中)と
ある顔見知りの写真家の方だった。
この写真家の方は、毎日、目的の場所を定めずに歩き回って、
写真を撮っている方で、時々イサやゆりあも撮影に同行している。
その日どこへ行くのか、まったく予想がつかないらしい。
それにしても、出来過ぎた偶然だった。ストーリーが完璧だ。
僕達は色々なつながりがあって、その辺りを細かく書けば、
この偶然ももっと深い話になってしまうが、
個人の情報になってしまうので、ここでは書けない。
前にこころの深い部分を共にしていると、
不思議な事はよくあると書いたけど、これもその例かもしれない。
もう一つ、思いが(良いものも悪いものも)現実を引き寄せるという事がある。
人のもつ強い思いというものも、とても大事だ。
何かの対談で河合隼雄さんが、
「カウンセリングで一番大切なものは何ですか」というような質問に、
「気合いですなあ」と答えておられた。
正確なやり取りがこうだったか記憶が曖昧だが、
読んでいて深く共感したのを覚えている。
仕事も人生も、やっぱり最後は気合いだなあと思う。
気合いと言っても体育会系のそれでなくて、
なんというか、思いとか、念とか、覚悟とか、構えのような、
物事に挑む姿勢のこと。
何をしていても、ある程度のところまでは、
知識とか技術とか経験とかの勝負だけど、最後のところで、
やっぱり違う次元の人がいる。
ちょっとした違いだけど、誰もまね出来ない。
それを才能と言ってもいいけど、
僕は才能以上に差を作っているのは気合いだと思う。
その事に賭ける覚悟と気合い。
そういう思いは何故か伝わる。
人にだけではなく、不思議な事に外的環境にも伝わる。
良い偶然を引き寄せられる人は、たまにみかける。
制作現場においても、スタッフの気合いはとても重要。
白紙に魂を込めなければいけない。
描く人にはそれが確実に伝わる。
良いテンションで描いている人がいたら、そのテンションに、
完全に乗っていって、とことんついていかなければならない。
行けるところまで行く。高いレベルまで一緒に登っていく。
そこは気合いの見せ所だ。
調子が悪い人、病んでいる人の場合も、
とことん共感し一緒になって、よしそこからジャンプしようという気合い。
特にこころの動きが止まっている人の場合は、
勢いをどれだけ伝播させられるかが大事だ。
ただ僕らの場合、一方的な思いを相手に向けてはいけない。
無理やり引っ張ってはいけない。
あくまで相手と一つになりきる、相手のこころに飛び込む気合いが必要なのだ。
こうした瞬間瞬間が勝負でもある。
そういう意味では展示も、
人に伝えていく作業も、最後のところは気合いなのだと思う。
自分の過去を振り返ってみても、勝負所はたくさんあった。
母子家庭だったこともあり、まわりには貧しい人達や、悪い(と言われているとこれも補足しといてあげよう)人間達がいっぱいいた。
負の連鎖、負のサイクルから抜け出せない人達を見て来た。
彼らはどんなに強がり、悪をおこなっても、根は弱かった。
だから同じ事を繰り返し、同じ世界に帰って来る。
負のサイクルを彼らは永遠に抜け出せないのだと感じた事があった。
なぜなら、彼らには同じ世界にいる仲間がいる。
その世界に馴染んでいる。言い換えれば、その世界に依存し甘えている。
彼らは彼らの世界で助け合い、足を引っ張り合っていた。
僕は悪いがここを向け出そうと決めた。
誰も助けない。誰も救わないと。それが彼らに対する愛情だ。
一つの環境を捨てきる。見極め、負の連鎖を断ち切る。
その時から僕の人生は変わった。
出口が見えなくなる状況は良く分かる。
でも、その状況を断ち切る勇気、時には人と決別してでも前へ進む決断が必要だ。
僕にとってはこれが最初の勝負、気合いを身につけた瞬間だ。
気合いは願う力、念の力でもある。
数年前に久しぶりに会った、前の仕事場の大先輩というか、恩師のまことさんと
話していたとき、僕が夢を語ると、
「結局、お前がそうやって言ってた事はだいたい実現しちゃうからなあ」
と笑いながら言ってくれた。
あんまり自覚していなかったけど確かにそういうところもあった。
もっとバカバカしい話だけど、
嫌いな店がつぶれる事がよくあった。
国立に住んでいた頃、店としてやっぱりダメだなあ、許せないなという、
非常識な店が数件あった。
まあつぶれるなと思っていたけど、
僕らが引っ越す前に全部つぶれた。
勿論、店としてダメだったのでお客さんが入らなくなったのだろうが。
でも、最近は悪い方の思いはなるべく持たないようにしている。
今の土地にも変な店があるけど、一応なにも思わないようにしている。
反対にぜんぜん人が入ってなかったのに、
僕達が行きだしてから大盛況になってなかなか入りにくくなったところも多い。
注目したものが流行りだしたり。
みんな同じような事を考えるので、
普遍的な思いを持てば同じ結果になるのだろう。
そう言えば、今年の僕の誕生日の前日の話。
ドリアンって不思議で好きなんだけど、あんまり売ってないし
高価なものでもあるので以前、誕生日に食べてみた事があった。
その体験が面白くて、誕生日になると食べていた。
こっちに引っ越して来て、近所の八百屋さんにシーズンになると、
一個だけ入荷されるのをしった。
歩いていると店の前においてあって、それを見て通り過ぎるのが、
五月頃の習慣になっていた。
誕生日の前日にたまたま思い出して、
いつもだったらもう置いてあるのに、今年は入荷されないねと話していた。
次の日、僕の誕生日に歩いていると、目の前にドリアンが置かれていた。
その日に入荷されたらしい。
もう一つ。
ある山奥の、今時流にいうと聖地とかパワースポットみたいな場所がある。
そこの神社に昔よくいってて、実は仕事の転機になるきっかけもあった場所。
久しぶりに夏に僕が1人で訪れた時、
3日くらい居たのだけれど、最後の日の夜に宿に泊まりに来た女性と知り合った。
胡弓という中国の楽器を演奏している人だった。
彼女が、
「この場所って龍神が住むって言われてるから、雨が降るのは祝福の印なんだって」と
教えてくれたので、僕が思い出して喋った。
「そう言えば、僕が来た時はいつも雨が降ったよ。今年だけだなあ。かんかん照りで3日も雨が降らないなんて。今年は祝福されてないのかなあ」
その瞬間にザザーっと音がして、激しい雨が降り始めた。
思いは少なからず人に影響を与える。
一人一人が良い思いを持つ事で世界は少しは良くなるだろう。
それから気合い。
何があろうが、少しでも良くしようという覚悟を持ち続けたい。
帰りにお茶をして、電車に乗ろうとまわりを見たら、
緑がきれいで、少し皇居の辺を歩こうかという気分になった。
ぼーっとしながら歩いていると、
向こうから怪しげな3人組がなにやら走って来る。
何かを探して走っているようだ。
よく見るとイサとゆりあ(元学生チームで、現在アトリエスタッフとして研修中)と
ある顔見知りの写真家の方だった。
この写真家の方は、毎日、目的の場所を定めずに歩き回って、
写真を撮っている方で、時々イサやゆりあも撮影に同行している。
その日どこへ行くのか、まったく予想がつかないらしい。
それにしても、出来過ぎた偶然だった。ストーリーが完璧だ。
僕達は色々なつながりがあって、その辺りを細かく書けば、
この偶然ももっと深い話になってしまうが、
個人の情報になってしまうので、ここでは書けない。
前にこころの深い部分を共にしていると、
不思議な事はよくあると書いたけど、これもその例かもしれない。
もう一つ、思いが(良いものも悪いものも)現実を引き寄せるという事がある。
人のもつ強い思いというものも、とても大事だ。
何かの対談で河合隼雄さんが、
「カウンセリングで一番大切なものは何ですか」というような質問に、
「気合いですなあ」と答えておられた。
正確なやり取りがこうだったか記憶が曖昧だが、
読んでいて深く共感したのを覚えている。
仕事も人生も、やっぱり最後は気合いだなあと思う。
気合いと言っても体育会系のそれでなくて、
なんというか、思いとか、念とか、覚悟とか、構えのような、
物事に挑む姿勢のこと。
何をしていても、ある程度のところまでは、
知識とか技術とか経験とかの勝負だけど、最後のところで、
やっぱり違う次元の人がいる。
ちょっとした違いだけど、誰もまね出来ない。
それを才能と言ってもいいけど、
僕は才能以上に差を作っているのは気合いだと思う。
その事に賭ける覚悟と気合い。
そういう思いは何故か伝わる。
人にだけではなく、不思議な事に外的環境にも伝わる。
良い偶然を引き寄せられる人は、たまにみかける。
制作現場においても、スタッフの気合いはとても重要。
白紙に魂を込めなければいけない。
描く人にはそれが確実に伝わる。
良いテンションで描いている人がいたら、そのテンションに、
完全に乗っていって、とことんついていかなければならない。
行けるところまで行く。高いレベルまで一緒に登っていく。
そこは気合いの見せ所だ。
調子が悪い人、病んでいる人の場合も、
とことん共感し一緒になって、よしそこからジャンプしようという気合い。
特にこころの動きが止まっている人の場合は、
勢いをどれだけ伝播させられるかが大事だ。
ただ僕らの場合、一方的な思いを相手に向けてはいけない。
無理やり引っ張ってはいけない。
あくまで相手と一つになりきる、相手のこころに飛び込む気合いが必要なのだ。
こうした瞬間瞬間が勝負でもある。
そういう意味では展示も、
人に伝えていく作業も、最後のところは気合いなのだと思う。
自分の過去を振り返ってみても、勝負所はたくさんあった。
母子家庭だったこともあり、まわりには貧しい人達や、悪い(と言われているとこれも補足しといてあげよう)人間達がいっぱいいた。
負の連鎖、負のサイクルから抜け出せない人達を見て来た。
彼らはどんなに強がり、悪をおこなっても、根は弱かった。
だから同じ事を繰り返し、同じ世界に帰って来る。
負のサイクルを彼らは永遠に抜け出せないのだと感じた事があった。
なぜなら、彼らには同じ世界にいる仲間がいる。
その世界に馴染んでいる。言い換えれば、その世界に依存し甘えている。
彼らは彼らの世界で助け合い、足を引っ張り合っていた。
僕は悪いがここを向け出そうと決めた。
誰も助けない。誰も救わないと。それが彼らに対する愛情だ。
一つの環境を捨てきる。見極め、負の連鎖を断ち切る。
その時から僕の人生は変わった。
出口が見えなくなる状況は良く分かる。
でも、その状況を断ち切る勇気、時には人と決別してでも前へ進む決断が必要だ。
僕にとってはこれが最初の勝負、気合いを身につけた瞬間だ。
気合いは願う力、念の力でもある。
数年前に久しぶりに会った、前の仕事場の大先輩というか、恩師のまことさんと
話していたとき、僕が夢を語ると、
「結局、お前がそうやって言ってた事はだいたい実現しちゃうからなあ」
と笑いながら言ってくれた。
あんまり自覚していなかったけど確かにそういうところもあった。
もっとバカバカしい話だけど、
嫌いな店がつぶれる事がよくあった。
国立に住んでいた頃、店としてやっぱりダメだなあ、許せないなという、
非常識な店が数件あった。
まあつぶれるなと思っていたけど、
僕らが引っ越す前に全部つぶれた。
勿論、店としてダメだったのでお客さんが入らなくなったのだろうが。
でも、最近は悪い方の思いはなるべく持たないようにしている。
今の土地にも変な店があるけど、一応なにも思わないようにしている。
反対にぜんぜん人が入ってなかったのに、
僕達が行きだしてから大盛況になってなかなか入りにくくなったところも多い。
注目したものが流行りだしたり。
みんな同じような事を考えるので、
普遍的な思いを持てば同じ結果になるのだろう。
そう言えば、今年の僕の誕生日の前日の話。
ドリアンって不思議で好きなんだけど、あんまり売ってないし
高価なものでもあるので以前、誕生日に食べてみた事があった。
その体験が面白くて、誕生日になると食べていた。
こっちに引っ越して来て、近所の八百屋さんにシーズンになると、
一個だけ入荷されるのをしった。
歩いていると店の前においてあって、それを見て通り過ぎるのが、
五月頃の習慣になっていた。
誕生日の前日にたまたま思い出して、
いつもだったらもう置いてあるのに、今年は入荷されないねと話していた。
次の日、僕の誕生日に歩いていると、目の前にドリアンが置かれていた。
その日に入荷されたらしい。
もう一つ。
ある山奥の、今時流にいうと聖地とかパワースポットみたいな場所がある。
そこの神社に昔よくいってて、実は仕事の転機になるきっかけもあった場所。
久しぶりに夏に僕が1人で訪れた時、
3日くらい居たのだけれど、最後の日の夜に宿に泊まりに来た女性と知り合った。
胡弓という中国の楽器を演奏している人だった。
彼女が、
「この場所って龍神が住むって言われてるから、雨が降るのは祝福の印なんだって」と
教えてくれたので、僕が思い出して喋った。
「そう言えば、僕が来た時はいつも雨が降ったよ。今年だけだなあ。かんかん照りで3日も雨が降らないなんて。今年は祝福されてないのかなあ」
その瞬間にザザーっと音がして、激しい雨が降り始めた。
思いは少なからず人に影響を与える。
一人一人が良い思いを持つ事で世界は少しは良くなるだろう。
それから気合い。
何があろうが、少しでも良くしようという覚悟を持ち続けたい。
2011年8月21日日曜日
本能の力
少し涼しくなった。
それにしても気温の変化は激しい。
激しい雨が急に降り出す事も多いが、あの感覚は実はけっこう好き。
大きな災害があった後なので、こんな話をするのもどうかと思うが、
強い雨や雷や台風や地震といった、自然が力強く迫って来る時の、
ゾクゾクするような感覚は不思議だ。
感覚が鋭くなって、他の事はみんな忘れて。何か強く内側から動くものがある。
勿論、自然の力で自分や他人が傷ついたり、命を失ったりするのは、
痛ましい現実だし、嫌だし恐怖心もあるのだけれど。
人間がもっと自然の近くにいた頃の記憶が、身体のどこかに刻まれているのかもしれない。
どこかで聞いた事だけど、たとえば人が遊園地等で、
ジェットコースターみたいな乗り物に乗りたがるのは、
かつての記憶が脳に残っているからだという。
外敵に囲まれて暮らしていた人類は、恐怖で脳が刺激され気持ちの良くなる、
作用を起こすようになったらしい。
もう周りに外敵がいなくなったのだが、人はその時に感じる脳の刺激が残っていて、
時々、求めるらしい。
誰かが言っていた事で、ちゃんと調べていないので、知ってる人は教えて下さい。
人間には様々な使われていない機能がある。
今の世界は人間の能力を限定し、一つの機能だけを特化させて来ている。
そうやって作られたこの社会だけが唯一の世界のようにしている。
例えば、ダウン症の人たちがいる。
彼らに日々接していると、学ぶ事、考えさせられる事がたくさんある。
社会では彼らを知的障害あるいは発達障害と呼ぶ。
だが、私たちの鍛えてきている人間の機能を能力とするなら、
彼らの持っているセンスも別の能力と呼べるのもなのだ。
彼らの文化からいうなら、争い続け、自己によって外部を把握し
コントロールしようとし続ける人達こそ障害者といえる。
世界は一つなどではない。
世界は多様だ。
そして豊かだ。
自分の持っている能力だけに頼っていると、他の部分の機能が退化していく。
私たちがダウン症の人たちから学ぶべき事はいっぱいある。
彼らを見ていて驚くのは、まず絵を描く時の迷いのなさだ。
なぜ、迷わないのか。
ひと言でいえば、本能の力だと思う。
彼らのバランス感覚は本能的なものだ。
私たちはあのように描けない。
技術と情報によって、ある意味で守られているからだ。
彼らの強みは、無駄なものを持たない事だ。
持たない事によって、本能が妨げられずに働く。
前のブログでも書いたが、現代人は何でもどこかに答えがあると思っている。
調べれば分かる、聞けば教えてもらえる。
計算し、計測し予測すれば、危険が避けられると。
そのような安易な計算が原子力発電のようなものを作ってしまった。
答えのないこと。予測もコントロールも出来ないことを、
もっと知って、もっと謙虚になるべきだ。
人間も自然も全く分からない、謎に満ちた存在だ。
分からないと言うことは、無限の可能性があると言うことでもある。
分からない、未知の場、計算も予測も出来ない領域に、
裸で入って行った時、その時に本能が動き出す。
ダウン症の人たちは、そういったこころの働かせ方が出来るのだ。
持つこと、得ることのプラスばかりを考えていると、
そのマイナスがみえない。
当たり前のことだが電車や車が出来て、歩く機能は衰えた。
歩く機能が衰えると、実は内面的なものも含め、他の部分も変化していること、
もっといえば、歩いていた世界とは違う世界にいると言うことまでは、
なかなか考えない。
便利になると確実に何かが失われる。
不便がいいと言うことではなく、
持たない世界、裸の世界に時には身を置くべきだということだ。
足し算ばかりでなく、時に引き算で考えてみる。
そうすることで私たちはバランスをとり、
暴走することなく、世界と調和していける。
ダウン症の人たちや、その作品はとても重要だと思う。
私たちに本能の声に耳を傾けることで、
人間本来の平和な在り方に気付かせてくれる。
それにしても気温の変化は激しい。
激しい雨が急に降り出す事も多いが、あの感覚は実はけっこう好き。
大きな災害があった後なので、こんな話をするのもどうかと思うが、
強い雨や雷や台風や地震といった、自然が力強く迫って来る時の、
ゾクゾクするような感覚は不思議だ。
感覚が鋭くなって、他の事はみんな忘れて。何か強く内側から動くものがある。
勿論、自然の力で自分や他人が傷ついたり、命を失ったりするのは、
痛ましい現実だし、嫌だし恐怖心もあるのだけれど。
人間がもっと自然の近くにいた頃の記憶が、身体のどこかに刻まれているのかもしれない。
どこかで聞いた事だけど、たとえば人が遊園地等で、
ジェットコースターみたいな乗り物に乗りたがるのは、
かつての記憶が脳に残っているからだという。
外敵に囲まれて暮らしていた人類は、恐怖で脳が刺激され気持ちの良くなる、
作用を起こすようになったらしい。
もう周りに外敵がいなくなったのだが、人はその時に感じる脳の刺激が残っていて、
時々、求めるらしい。
誰かが言っていた事で、ちゃんと調べていないので、知ってる人は教えて下さい。
人間には様々な使われていない機能がある。
今の世界は人間の能力を限定し、一つの機能だけを特化させて来ている。
そうやって作られたこの社会だけが唯一の世界のようにしている。
例えば、ダウン症の人たちがいる。
彼らに日々接していると、学ぶ事、考えさせられる事がたくさんある。
社会では彼らを知的障害あるいは発達障害と呼ぶ。
だが、私たちの鍛えてきている人間の機能を能力とするなら、
彼らの持っているセンスも別の能力と呼べるのもなのだ。
彼らの文化からいうなら、争い続け、自己によって外部を把握し
コントロールしようとし続ける人達こそ障害者といえる。
世界は一つなどではない。
世界は多様だ。
そして豊かだ。
自分の持っている能力だけに頼っていると、他の部分の機能が退化していく。
私たちがダウン症の人たちから学ぶべき事はいっぱいある。
彼らを見ていて驚くのは、まず絵を描く時の迷いのなさだ。
なぜ、迷わないのか。
ひと言でいえば、本能の力だと思う。
彼らのバランス感覚は本能的なものだ。
私たちはあのように描けない。
技術と情報によって、ある意味で守られているからだ。
彼らの強みは、無駄なものを持たない事だ。
持たない事によって、本能が妨げられずに働く。
前のブログでも書いたが、現代人は何でもどこかに答えがあると思っている。
調べれば分かる、聞けば教えてもらえる。
計算し、計測し予測すれば、危険が避けられると。
そのような安易な計算が原子力発電のようなものを作ってしまった。
答えのないこと。予測もコントロールも出来ないことを、
もっと知って、もっと謙虚になるべきだ。
人間も自然も全く分からない、謎に満ちた存在だ。
分からないと言うことは、無限の可能性があると言うことでもある。
分からない、未知の場、計算も予測も出来ない領域に、
裸で入って行った時、その時に本能が動き出す。
ダウン症の人たちは、そういったこころの働かせ方が出来るのだ。
持つこと、得ることのプラスばかりを考えていると、
そのマイナスがみえない。
当たり前のことだが電車や車が出来て、歩く機能は衰えた。
歩く機能が衰えると、実は内面的なものも含め、他の部分も変化していること、
もっといえば、歩いていた世界とは違う世界にいると言うことまでは、
なかなか考えない。
便利になると確実に何かが失われる。
不便がいいと言うことではなく、
持たない世界、裸の世界に時には身を置くべきだということだ。
足し算ばかりでなく、時に引き算で考えてみる。
そうすることで私たちはバランスをとり、
暴走することなく、世界と調和していける。
ダウン症の人たちや、その作品はとても重要だと思う。
私たちに本能の声に耳を傾けることで、
人間本来の平和な在り方に気付かせてくれる。
2011年8月20日土曜日
駆け込みアトリエ
昨日は久しぶりにイサ(元学生)がやって来た。
お腹の大きいよし子が料理を作ってくれて、三人でゆっくり話が出来た。
時間があれば、本当は一人一人会って話すのが一番いいなと思った。
肇さんからブログに、
「子供にも分かるアール•イキュレの項目を入れて、学校の先生や小児科医の方等、彼らに接する機会の多い人達も読めるようにしてみては」との提案を受けた。
いいですねえ。これは後々やってみたいと思います。
このブログではアトリエ・エレマン・プレザンの考えや活動を、
基本的な事は大体、分かるように書いていきたいと思っている。
「アール•イマキュレ」や「ダウンズタウン」の項目は近いうちに書く予定。
その他にも書かなければならない事も沢山ある。
あんまり、濃い話が続かないように今日は少し日常の話題をと思いつつ、
テーマを決めずにパソコンを開いた。
まず、何となく思い浮かんだのが、以前学生に言われた言葉。
「ここって、駆け込みアトリエですね」
アトリエには沢山の人が訪れる。
制作の場はなるべく見学はお断りしているが、
どうしても、実際にあってお話ししたいという方には、
教室の合間や終わった後等に来ていただいて、お会いする。
それぞれの現場で苦労なさっている方や、これから何かを始めようとする方。
様々なジャンルの専門家の方。
中にはお仕事のお話でみえて、一通り企画を話し終えると、
雑談の途中で「実は私‥‥」と悩みを打ち明けられる事もよくある。
「駆け込みアトリエ」はそんな場面を見て来た学生の名づけた言葉だ。
今では時間的に難しく、お断りせざるを得ない場面も増えて来た。
でも、ここへ来て何かを見つけて下さる方が、また社会で良い働きをされたり、
人との繋がりを作られたりといった事は、とても大切な事でもある。
その事が後にアトリエの助けとなったケースも少なからずある。
今でも思い出す事があるが、代々木でアトリエをしていた頃の話。
プロとして結構、お仕事をされているという女性の写真家の方から連絡があった。
絵を見て欲しいというお話だった。
少し深刻そうな感じもあり、僕達はとりあえず、お会いする事にした。
代々木のアトリエまでお越しいただき、
少しお話ししていると、だいぶホッとした表情になって来た。
「この絵を見ていただきたいと思って」と
小さめの紙に黒のインクで書かれた様々な文様のようなパターンを、
何枚も何枚もお出しになった。
ぱっとみて苦しさが伝わってきた。
「私、写真の仕事をしばらくお休みしているのです。写真が全く撮れなくなってしまったのです。最近、急にてが動き出して、紙の上にこんな絵が出来上がるのです」と
お話しされる。
一通り見ていくと、これは大変だなと感じる。
「お好きな絵を差し上げます」
まずいパターンだ。絵と同時に大変なものまで頂くはめになったら。
でも、この人の孤独感を何とかしてあげなければと、
その絵の中から僅かでも救いのありそうなものを真剣に探す。
その方とはその後、数回お会いする事になった。
生徒のいない時間にアトリエの絵の具を使って、絵を描いたりした。
色がのって来ると少し雰囲気も変わった。
「私、楽しい」と笑い、表情も柔らかくなって来た。
少しは元気になっていただけた。
でも、その程度で解決出来るような事ではない事は良く分かっていた。
僕達も忙しくなって来たので忘れていた。
時々、お手紙を頂いた。
写真が撮れそうになって来たとかいてあった。
その頃が一番いい時だったと思う。
そのうち、写真家として復帰しましたと連絡が来た。
いくつか展覧会があり、写真集も出た。
頂いた写真集を見て、この人は本当は写真をやめた方がいいなと感じた。
また、つらそうな作品に戻っていた。
でも、お話しする時間も、アトリエで絵を描いていただく時間もなかった。
しばらく、連絡が途絶え、人づてに亡くなられたと聞いた。
どのような最後だったのかは分からない。
ただ、「私、楽しい」と微笑んでいた顔が忘れられない。
もし、アトリエでのような時間をもっと過ごす事が出来ていれば、
という思いが残る。
あの時間は彼女にとってかけがえのないものだった。
そう思わせて頂く事で、彼女との別れを昇華したい。
何も出来なかった事を許していただきたい。
なぜ、ここには人が集まってくるのだろうか。
ここは当たり前のことしかやっていない。
ダウン症の人たちの持つ、こころの深く柔らかい部分にそっと触れていく。
一緒に、同じ景色を見て、同じ世界を感じ、味わっていく。
人間にとって一番大事な、こころの源泉に降り立ち、繋がること。
人間にとって、帰る場所は必ず必要だ。
帰る場所は、そこから来た始まりの場所でもある。
それは一人一人のこころの中にある。
みんなが幸せであれる場所を創りたいと切に願う。
この場をもっと良くしていく事。
まだまだやらなければならない事が沢山ある。
今日も軽めの話題になりませんでした。
ごめんなさい。
お腹の大きいよし子が料理を作ってくれて、三人でゆっくり話が出来た。
時間があれば、本当は一人一人会って話すのが一番いいなと思った。
肇さんからブログに、
「子供にも分かるアール•イキュレの項目を入れて、学校の先生や小児科医の方等、彼らに接する機会の多い人達も読めるようにしてみては」との提案を受けた。
いいですねえ。これは後々やってみたいと思います。
このブログではアトリエ・エレマン・プレザンの考えや活動を、
基本的な事は大体、分かるように書いていきたいと思っている。
「アール•イマキュレ」や「ダウンズタウン」の項目は近いうちに書く予定。
その他にも書かなければならない事も沢山ある。
あんまり、濃い話が続かないように今日は少し日常の話題をと思いつつ、
テーマを決めずにパソコンを開いた。
まず、何となく思い浮かんだのが、以前学生に言われた言葉。
「ここって、駆け込みアトリエですね」
アトリエには沢山の人が訪れる。
制作の場はなるべく見学はお断りしているが、
どうしても、実際にあってお話ししたいという方には、
教室の合間や終わった後等に来ていただいて、お会いする。
それぞれの現場で苦労なさっている方や、これから何かを始めようとする方。
様々なジャンルの専門家の方。
中にはお仕事のお話でみえて、一通り企画を話し終えると、
雑談の途中で「実は私‥‥」と悩みを打ち明けられる事もよくある。
「駆け込みアトリエ」はそんな場面を見て来た学生の名づけた言葉だ。
今では時間的に難しく、お断りせざるを得ない場面も増えて来た。
でも、ここへ来て何かを見つけて下さる方が、また社会で良い働きをされたり、
人との繋がりを作られたりといった事は、とても大切な事でもある。
その事が後にアトリエの助けとなったケースも少なからずある。
今でも思い出す事があるが、代々木でアトリエをしていた頃の話。
プロとして結構、お仕事をされているという女性の写真家の方から連絡があった。
絵を見て欲しいというお話だった。
少し深刻そうな感じもあり、僕達はとりあえず、お会いする事にした。
代々木のアトリエまでお越しいただき、
少しお話ししていると、だいぶホッとした表情になって来た。
「この絵を見ていただきたいと思って」と
小さめの紙に黒のインクで書かれた様々な文様のようなパターンを、
何枚も何枚もお出しになった。
ぱっとみて苦しさが伝わってきた。
「私、写真の仕事をしばらくお休みしているのです。写真が全く撮れなくなってしまったのです。最近、急にてが動き出して、紙の上にこんな絵が出来上がるのです」と
お話しされる。
一通り見ていくと、これは大変だなと感じる。
「お好きな絵を差し上げます」
まずいパターンだ。絵と同時に大変なものまで頂くはめになったら。
でも、この人の孤独感を何とかしてあげなければと、
その絵の中から僅かでも救いのありそうなものを真剣に探す。
その方とはその後、数回お会いする事になった。
生徒のいない時間にアトリエの絵の具を使って、絵を描いたりした。
色がのって来ると少し雰囲気も変わった。
「私、楽しい」と笑い、表情も柔らかくなって来た。
少しは元気になっていただけた。
でも、その程度で解決出来るような事ではない事は良く分かっていた。
僕達も忙しくなって来たので忘れていた。
時々、お手紙を頂いた。
写真が撮れそうになって来たとかいてあった。
その頃が一番いい時だったと思う。
そのうち、写真家として復帰しましたと連絡が来た。
いくつか展覧会があり、写真集も出た。
頂いた写真集を見て、この人は本当は写真をやめた方がいいなと感じた。
また、つらそうな作品に戻っていた。
でも、お話しする時間も、アトリエで絵を描いていただく時間もなかった。
しばらく、連絡が途絶え、人づてに亡くなられたと聞いた。
どのような最後だったのかは分からない。
ただ、「私、楽しい」と微笑んでいた顔が忘れられない。
もし、アトリエでのような時間をもっと過ごす事が出来ていれば、
という思いが残る。
あの時間は彼女にとってかけがえのないものだった。
そう思わせて頂く事で、彼女との別れを昇華したい。
何も出来なかった事を許していただきたい。
なぜ、ここには人が集まってくるのだろうか。
ここは当たり前のことしかやっていない。
ダウン症の人たちの持つ、こころの深く柔らかい部分にそっと触れていく。
一緒に、同じ景色を見て、同じ世界を感じ、味わっていく。
人間にとって一番大事な、こころの源泉に降り立ち、繋がること。
人間にとって、帰る場所は必ず必要だ。
帰る場所は、そこから来た始まりの場所でもある。
それは一人一人のこころの中にある。
みんなが幸せであれる場所を創りたいと切に願う。
この場をもっと良くしていく事。
まだまだやらなければならない事が沢山ある。
今日も軽めの話題になりませんでした。
ごめんなさい。
2011年8月19日金曜日
放射能
昨日、この部分を書く予定だったけど、機械が不調でブログのページが開けなかった。
少し前に学生の1人から
「原発関連で良い資料があったら教えて下さい」とのメールがきた。
彼は結構、調べているみたいだ。
震災の直後、彼がアトリエの仕事を手伝ってくれていたので、
行動を共にしていた期間がしばらくあった。
言わない人も含めて、みんな不安で心配なのだ。
この様な得体の知れない不気味な不安を前にした時、
人は大体、二つのこころの反応を示す。
分かろうと、予測しようともがき、調べ尽くし、すべてが不安の対象となるか、
もう一つは、無かったことにして、これまでの世界に帰ろうとする。
何かが変わっているのは薄々、感じてはいても気付かないふりをしている。
この二つの反応は共に、事態を改善出来ない。
冷静に、しかも持続的に考えていかなければならない。
そこで、今回は僕達がどうすればいいのか、少し考えてみたい。
この件も本当は書くべきか、迷った。
自分達の仕事は、人間のこころに向かっていくものであり、
どんな事態がおきようと現場ですべき事、しなければならない事が無限にある。
一人一人が自分の仕事で最善を尽くすべきではないのか。
状況がどんなに変わろうと、だまって出来る事、
自分の仕事で答えていくべきではないか。
そういった思いがあった。
しかし、これは一人一人の命にも関わる問題だし、
アトリエの作家たちや学生達の身体とこころにも、
決定的な影響を与えていくものでもある。
黙っている訳にはいかないことだ。
これはあくまで僕の個人的な見解に過ぎないと、
お断りして話を進める事にする。
何故、だれも本質的な事を発言しないのだろうか。
情報として流れているもののほとんどは無意味だ。
放射能、あるいは放射性物質をすこしでも避けられる為の、
具体的手段以外は情報として必要ないとすらいえるのではないか。
今後、長く続いていくのだから、放射能を浴びる量を少しでも
減らしていく努力を続けるしかない。
決定的な事を、誰もいわないので考えてみよう。
その上で個々人が判断するしかない。
ひと言でいえば、今起きている事の結果、
つまり、人間が放射能を浴び続けてどうなるのか、について
誰も、いかなる人も分からないという事実だ。
誰も分からないし、誰も知らないという事実を、まず認識すべきだ。
なぜなら、誰も経験した事がないのだから。
(チェルノブイリや前例をみて予測する事も必要だが、事実は一つ一つ違うということ、結果も同じようになるとは限らない事も認識すべきだ)
科学(数値とか基準値と呼ばれるものも)も含め、
すべての議論は予測、予想である事を忘れてはならない。
そして、予測は外れる場合の方が多い。
人体は自然であり、自然は人がコントロール出来るものではないし、
完全に予想する事も不可能だ。
そういった筋道にそって考えれば分かる事だが、
原発事故や処理についても責任問題ばかり議論されているが、
責任など誰もとれない。誰も責任がとれないようなことをしてしまっている。
それが原発の恐ろしさだ。
今議論されている事も、長い目で見極める必要がある。
出回っている情報についても、
この事態の結論が出た時には、誰も責任をとれないだろう。
だから誰も知らないし、分かっていないし、責任もとれない。
そういう事態として命がけの判断が要求されているのだ。
極端な話、明日バタバタ人が倒れて、こんな事が起こりうるなんて誰も予想出来なかった、
というような事だって、おきないとは言い切れない。
では、どうすべきか。
本当に絶対助かりたいと思うなら、逃げるしかないと思う。
何処まで行けば、安全なのかも考えなければならないが、
とにかく、1人でも多くの人が逃げられればいい。
逃げる事はまったく悪い事ではない。
逃げて、助かる人が少しでも多くなれば、それが人類のためだろう。
勿論、それが出来る人はだけど。
もっと言えば逃げた人達で村が出来て、
そこにどんどん他の人達も逃げ込めるようになっていけばいい。
ダウン症の人たちの事も心配でならない。
可能な状況があれば、1人でも多くの人が少しでも良い環境に身をおいて欲しい。
逃げられない状況にいる人達は、(僕達もそうだが)
長いスパンで考えて、少しでも放射能を受けないようにする事。
民間療法や東洋医学的なものの中には、解毒出来る可能性のあるものもある。
すべてを考慮して最善を尽くす。
その上で、覚悟だけはもって自分の一生を決めていくべきだ。
もし、残された時間が短いのなら、少しでも人の為に何かをする。
僕自身はアトリエに来て絵を描きたいと思う人がいる限りは、
この場を離れる事はない。
少なくとも安心して任せられる人が出来るまでは。
(とはいえよし子とお腹に赤ちゃんもいる。家族の命は優先する。)
科学の生み出す物質には勝てないが、
来てくれる一人一人のこころの平和になら少しは役立てるだろう。
自分の命優先なら、始めからこの仕事を選ばなかっただろう。
大げさに聞こえるかもしれないが、
僕は命がけで制作の場に関わって来たし、
今後も命がけで挑んでいくだろう。
やや楽天的すぎる見解も多いので、今回は少し深刻な話をした。
人体は分からない予測出来ないと言うことは、
もしかして、ぜんぜん大丈夫だったと言うことも有り得なくはないと思う。
それくらい未知のものが自然や身体や宇宙なのだから。
深刻になりすぎるのも良くない。
ただ、警戒は怠らず、自分の事だけではなく家族や人の命を考えて、
最善を尽くす。希望は持ち続ける。
情報に惑わされてはいけない。
誰かが答えを持っていると思ってはいけない。
何でも調べれば分かると思ってはいけない。
便利さに慣れすぎて、本能を失ってはいけない。
状況を少しでも良く出来るのは、
一人一人の気持ちと行動だけだ。
自分の直感を信じて、決断しよう。
補足
そう言えば、近所の自然食品のお店が、放射能汚染について無頓着だ。
あれだけ、張り紙をしてお店の食品がいかに安全で、他のものと異なるのかを書き、
農薬や環境汚染の害を書いて、食の安全を押し出しているのに。
放射能の事にはまるで触れていない。これは一体どういう事か。
自分達の仕事になんのこだわりもプライドもないのか。
無農薬セシウム食品になりかねない。(風評被害についても、被害より先に安全性を調べるべきだ。本当に農家を思うなら、まずは徹底して安全を確認すべきだ)
安全であると思うならそのように書くべきだ。
少し前に学生の1人から
「原発関連で良い資料があったら教えて下さい」とのメールがきた。
彼は結構、調べているみたいだ。
震災の直後、彼がアトリエの仕事を手伝ってくれていたので、
行動を共にしていた期間がしばらくあった。
言わない人も含めて、みんな不安で心配なのだ。
この様な得体の知れない不気味な不安を前にした時、
人は大体、二つのこころの反応を示す。
分かろうと、予測しようともがき、調べ尽くし、すべてが不安の対象となるか、
もう一つは、無かったことにして、これまでの世界に帰ろうとする。
何かが変わっているのは薄々、感じてはいても気付かないふりをしている。
この二つの反応は共に、事態を改善出来ない。
冷静に、しかも持続的に考えていかなければならない。
そこで、今回は僕達がどうすればいいのか、少し考えてみたい。
この件も本当は書くべきか、迷った。
自分達の仕事は、人間のこころに向かっていくものであり、
どんな事態がおきようと現場ですべき事、しなければならない事が無限にある。
一人一人が自分の仕事で最善を尽くすべきではないのか。
状況がどんなに変わろうと、だまって出来る事、
自分の仕事で答えていくべきではないか。
そういった思いがあった。
しかし、これは一人一人の命にも関わる問題だし、
アトリエの作家たちや学生達の身体とこころにも、
決定的な影響を与えていくものでもある。
黙っている訳にはいかないことだ。
これはあくまで僕の個人的な見解に過ぎないと、
お断りして話を進める事にする。
何故、だれも本質的な事を発言しないのだろうか。
情報として流れているもののほとんどは無意味だ。
放射能、あるいは放射性物質をすこしでも避けられる為の、
具体的手段以外は情報として必要ないとすらいえるのではないか。
今後、長く続いていくのだから、放射能を浴びる量を少しでも
減らしていく努力を続けるしかない。
決定的な事を、誰もいわないので考えてみよう。
その上で個々人が判断するしかない。
ひと言でいえば、今起きている事の結果、
つまり、人間が放射能を浴び続けてどうなるのか、について
誰も、いかなる人も分からないという事実だ。
誰も分からないし、誰も知らないという事実を、まず認識すべきだ。
なぜなら、誰も経験した事がないのだから。
(チェルノブイリや前例をみて予測する事も必要だが、事実は一つ一つ違うということ、結果も同じようになるとは限らない事も認識すべきだ)
科学(数値とか基準値と呼ばれるものも)も含め、
すべての議論は予測、予想である事を忘れてはならない。
そして、予測は外れる場合の方が多い。
人体は自然であり、自然は人がコントロール出来るものではないし、
完全に予想する事も不可能だ。
そういった筋道にそって考えれば分かる事だが、
原発事故や処理についても責任問題ばかり議論されているが、
責任など誰もとれない。誰も責任がとれないようなことをしてしまっている。
それが原発の恐ろしさだ。
今議論されている事も、長い目で見極める必要がある。
出回っている情報についても、
この事態の結論が出た時には、誰も責任をとれないだろう。
だから誰も知らないし、分かっていないし、責任もとれない。
そういう事態として命がけの判断が要求されているのだ。
極端な話、明日バタバタ人が倒れて、こんな事が起こりうるなんて誰も予想出来なかった、
というような事だって、おきないとは言い切れない。
では、どうすべきか。
本当に絶対助かりたいと思うなら、逃げるしかないと思う。
何処まで行けば、安全なのかも考えなければならないが、
とにかく、1人でも多くの人が逃げられればいい。
逃げる事はまったく悪い事ではない。
逃げて、助かる人が少しでも多くなれば、それが人類のためだろう。
勿論、それが出来る人はだけど。
もっと言えば逃げた人達で村が出来て、
そこにどんどん他の人達も逃げ込めるようになっていけばいい。
ダウン症の人たちの事も心配でならない。
可能な状況があれば、1人でも多くの人が少しでも良い環境に身をおいて欲しい。
逃げられない状況にいる人達は、(僕達もそうだが)
長いスパンで考えて、少しでも放射能を受けないようにする事。
民間療法や東洋医学的なものの中には、解毒出来る可能性のあるものもある。
すべてを考慮して最善を尽くす。
その上で、覚悟だけはもって自分の一生を決めていくべきだ。
もし、残された時間が短いのなら、少しでも人の為に何かをする。
僕自身はアトリエに来て絵を描きたいと思う人がいる限りは、
この場を離れる事はない。
少なくとも安心して任せられる人が出来るまでは。
(とはいえよし子とお腹に赤ちゃんもいる。家族の命は優先する。)
科学の生み出す物質には勝てないが、
来てくれる一人一人のこころの平和になら少しは役立てるだろう。
自分の命優先なら、始めからこの仕事を選ばなかっただろう。
大げさに聞こえるかもしれないが、
僕は命がけで制作の場に関わって来たし、
今後も命がけで挑んでいくだろう。
やや楽天的すぎる見解も多いので、今回は少し深刻な話をした。
人体は分からない予測出来ないと言うことは、
もしかして、ぜんぜん大丈夫だったと言うことも有り得なくはないと思う。
それくらい未知のものが自然や身体や宇宙なのだから。
深刻になりすぎるのも良くない。
ただ、警戒は怠らず、自分の事だけではなく家族や人の命を考えて、
最善を尽くす。希望は持ち続ける。
情報に惑わされてはいけない。
誰かが答えを持っていると思ってはいけない。
何でも調べれば分かると思ってはいけない。
便利さに慣れすぎて、本能を失ってはいけない。
状況を少しでも良く出来るのは、
一人一人の気持ちと行動だけだ。
自分の直感を信じて、決断しよう。
補足
そう言えば、近所の自然食品のお店が、放射能汚染について無頓着だ。
あれだけ、張り紙をしてお店の食品がいかに安全で、他のものと異なるのかを書き、
農薬や環境汚染の害を書いて、食の安全を押し出しているのに。
放射能の事にはまるで触れていない。これは一体どういう事か。
自分達の仕事になんのこだわりもプライドもないのか。
無農薬セシウム食品になりかねない。(風評被害についても、被害より先に安全性を調べるべきだ。本当に農家を思うなら、まずは徹底して安全を確認すべきだ)
安全であると思うならそのように書くべきだ。
2011年8月17日水曜日
ダウン症のお子様をお持ちの方へ
築地での展覧会の時、今回はダウン症の子がいる保護者の方が多く来場されたのが、
印象的だった。それもまだ生まれたばかりという方。
お父様が1人でというケースやお孫さんがダウン症と診断されたという方。
分からないことだらけで、何をどう考えていいのかと、とまどい、
何かないかと訪れて下さった方達だった。
たくさんの方とお話ししたが、保護者の方達が不安を抱えやすい環境がある。
情報がないというお話もよく聞く。
最近、アトリエの保護者の方達からも生まれた時の状況を聞かせていただく事がある。
特にお母さん達の孤独感は私たちの想像以上のもののようだ。
考えさせられるのは、最初の場面でのお医者さん達の責任の大きさだ。
そこで少しでもお母様を安心させてあげられるか、
希望を感じさせられるかで、その後の人生も大きく変わる。
保護者の方達のお話を伺うと、その時の記憶は強くいつまでも残るものだ。
心ない言葉はどれほどの影響をその後に与えるか。
反対にあたたかい希望の言葉が、その後どれだけ励みになるか。
真剣に考えなければならない。
僕が尊敬しているお医者さんは聖路加国際病院の細谷亮太先生だ。
本当にやさしく、あたたかく、真剣な先生だ。
1人の人間の果たす役割は大きい。
別の話だけど
以前、あるきっかけからお医者さん達の集まりに呼んでいただいた事がある。
そこではダウン症の人たちについて、本気で学ぼうとする謙虚なお医者さんや
看護士の方達が集まっていた。
僕達の話も真剣に聞いて下さり、看護士の方や、直接ダウン症の人や保護者の方達と接する現場に身を置く方達からは、立ち上がって大きな拍手まで頂いた。
真摯に学び、少しでも本人や保護者の方達の役にたちたいと、
努力している人達がたくさんいる事にも気付かされた。
こうした直接、本人や保護者の方達と接する方々が、
学び合い、自覚を高め合い、情報を共有していくことで、
もっともっと、環境を改善していくことが可能だろう。
1人の人間が(それは保護者であれ、関わるひとであれ)背負い込んでしまうことなく、
助け合い、支え合えるネットワークが必要だ。
ここでは理解されるけど、外に行けばまた違う目で見られるという状況は、
変えていかなければならない。
彼らには可能性や希望がある。
彼らに出会い、たくさんのことを教えられ、慰められた人達、
希望を見出した人達がいっぱいいる。
健常者(と言われている人達)とは違うリズムでも、
成長もして行くし、色んなことを理解し、友達ももっていく。
人を明るく穏やかにしてくれる。
また、彼らの描く作品は様々な専門家を圧倒している。
彼らは1000人に1人(近代では700人に1人)という割合で、
必ず、誰の責任でもなく産まれて来る。
必要があるから産まれて来る。
1000人に1人、あるいは700人に1人、
彼らのような存在が必要なのだ。
支え合える環境さえ発明出来れば、彼らにはなんの問題も、難しさもない。
むしろ私たちを助けてくれる存在だ。
場に調和を、世界に平和をもたらす存在だ。
彼らのリズムを知り、お互いに協力して良い環境を創ること。
大げさにいえば、それが我々人類の進むべき道なのだ。
印象的だった。それもまだ生まれたばかりという方。
お父様が1人でというケースやお孫さんがダウン症と診断されたという方。
分からないことだらけで、何をどう考えていいのかと、とまどい、
何かないかと訪れて下さった方達だった。
たくさんの方とお話ししたが、保護者の方達が不安を抱えやすい環境がある。
情報がないというお話もよく聞く。
最近、アトリエの保護者の方達からも生まれた時の状況を聞かせていただく事がある。
特にお母さん達の孤独感は私たちの想像以上のもののようだ。
考えさせられるのは、最初の場面でのお医者さん達の責任の大きさだ。
そこで少しでもお母様を安心させてあげられるか、
希望を感じさせられるかで、その後の人生も大きく変わる。
保護者の方達のお話を伺うと、その時の記憶は強くいつまでも残るものだ。
心ない言葉はどれほどの影響をその後に与えるか。
反対にあたたかい希望の言葉が、その後どれだけ励みになるか。
真剣に考えなければならない。
僕が尊敬しているお医者さんは聖路加国際病院の細谷亮太先生だ。
本当にやさしく、あたたかく、真剣な先生だ。
1人の人間の果たす役割は大きい。
別の話だけど
以前、あるきっかけからお医者さん達の集まりに呼んでいただいた事がある。
そこではダウン症の人たちについて、本気で学ぼうとする謙虚なお医者さんや
看護士の方達が集まっていた。
僕達の話も真剣に聞いて下さり、看護士の方や、直接ダウン症の人や保護者の方達と接する現場に身を置く方達からは、立ち上がって大きな拍手まで頂いた。
真摯に学び、少しでも本人や保護者の方達の役にたちたいと、
努力している人達がたくさんいる事にも気付かされた。
こうした直接、本人や保護者の方達と接する方々が、
学び合い、自覚を高め合い、情報を共有していくことで、
もっともっと、環境を改善していくことが可能だろう。
1人の人間が(それは保護者であれ、関わるひとであれ)背負い込んでしまうことなく、
助け合い、支え合えるネットワークが必要だ。
ここでは理解されるけど、外に行けばまた違う目で見られるという状況は、
変えていかなければならない。
彼らには可能性や希望がある。
彼らに出会い、たくさんのことを教えられ、慰められた人達、
希望を見出した人達がいっぱいいる。
健常者(と言われている人達)とは違うリズムでも、
成長もして行くし、色んなことを理解し、友達ももっていく。
人を明るく穏やかにしてくれる。
また、彼らの描く作品は様々な専門家を圧倒している。
彼らは1000人に1人(近代では700人に1人)という割合で、
必ず、誰の責任でもなく産まれて来る。
必要があるから産まれて来る。
1000人に1人、あるいは700人に1人、
彼らのような存在が必要なのだ。
支え合える環境さえ発明出来れば、彼らにはなんの問題も、難しさもない。
むしろ私たちを助けてくれる存在だ。
場に調和を、世界に平和をもたらす存在だ。
彼らのリズムを知り、お互いに協力して良い環境を創ること。
大げさにいえば、それが我々人類の進むべき道なのだ。
2011年8月16日火曜日
アートセラピー
ダウン症の人たち専門のアトリエというと、
よく「アートセラピーですか?」と聞かれることがある。
勿論、アートセラピーではない。
では、何が違うのか。
アトリエ・エレマン・プレザン開設の佐藤肇は何かに書いていた。
「アートセラピーは芸術を含まないが、芸術はセラピーを含む」と。
僕自身はアートセラピーに関して、なんの知識も持たないので、
間違っている部分もあるかもしれないが、少し考えてみたい。
アートセラピーとは文字通り、絵画や音楽等の制作やコミニケーションを通して、
治療をおこなう行為であると、まず解釈する。(海外では医療行為として認可されている場合もある。)その際、それぞれの表現は治療が進んでいくプロセスである。
ゴールは病が癒える事であり、動かなかった機能が動き出す事である。
だから、表現されたもの自体はその治療に役立つ手段なのだ。
一定の効果が上がればプロセスとしての作品にはそれほど意味はない。
アトリエにおける制作では作品自体が答えである。
作品は手段ではない。そして、終わりがない。
目的を達成したら終わりということではなく、絶えざる制作がある。
もう一つ制作する人はアトリエにおいて作家であり、
治療されるべき対象でもなければ、何か欠損を埋めなければならない対象でもない。
少なくともそのように見る事が必要になってくる。
ひと言でいえば、目的が異なるのだろう。
アートセラピーの目的は言葉の通り、セラピーにある。
アトリエでの制作の目的は一人一人が本来持っている感性を使うこと。
指導する側が(アトリエでは特別な場合意外、指導という言葉は使わないが)
終わりを設定しているか、いないかという違いもある。
ではアトリエでの制作にセラピーの要素がないかというと、それはある。
このブログでも度々書いて来たが、制作とは一人一人が、
こころの深いところに入っていって、
そこに調和とバランスをつかみとっていく行為と言える。
本来の自分に戻っていくと言ってもいい。(かなり大雑把な言い方ではあるが)
結果としては、こころを病んできていた人が治っていくケースは多い。
それは自分で自分のバランスをとっていく行為だ。
アトリエの場合でいうと、制作に関しては病んでいても健康でも
同じプロセスを進む。
病んでいても描きながら調和を見つけていくし、(そんなに上手くいく場合ばかりではないが)健康でも不安や心配が瞬間にあらわれ、もう一度バランスをつかむ瞬間がある。
スタッフはどんな作家にもその人の一番良い部分をみて、
そこに焦点を絞っている。
制作においては瞬間瞬間が勝負だ。
その瞬間においてはどの人からも、良いものも悪いものも現れる。
良いものがその人の本質であると捉え、良いものに反応し拾っていく。
アートセラピーとは目的も役割も違うものなのだ。
どちらも代用は出来ない。
目的が違うと生まれてくる作品も違ってくる。
作品が違っていると言うことは、
描くときのこころの動きに違いがあるということでもある。
たくさんの制作を見て来たので、絵を見ればそれがどのような環境で、
どのような人達の元で描かれたものなのか、すぐに分かる。
描かされているなという絵もいっぱい見た。
話がそれたが、制作のみに関わらず、病が治るよりも大事な事がある。
病まないことだ。
そして病気になってしまった時にはみんな、必死で治そうとするが、
健康で良い状態のときに、そのテンションを維持するための努力はあまりしない。
良いという状態が続いていくことは、
病気が治ることと同じくらい、まわりの力が必要なことだと思う。
彼らにとって絵を描くことが、自らのリズムを確認し、
自らの間と呼吸、時間の流れに帰り、絶えずバランスを取り戻していく行為であるとしたら、それは本当に大切な時間であると思う。
そして、最近特に反響があるので書くが、彼らの絵には人を癒す力がある。
作品に接して心が洗われたとか、スッキリした、元気が出た、癒されたと、
たくさんの人達に言われて来た。
アートセラピーを、アートによってこころに安らぎを与える行為と考えてみると、
ダウン症の人たちが、私たちや社会全体にアートセラピーしているのかもしれない。
よく「アートセラピーですか?」と聞かれることがある。
勿論、アートセラピーではない。
では、何が違うのか。
アトリエ・エレマン・プレザン開設の佐藤肇は何かに書いていた。
「アートセラピーは芸術を含まないが、芸術はセラピーを含む」と。
僕自身はアートセラピーに関して、なんの知識も持たないので、
間違っている部分もあるかもしれないが、少し考えてみたい。
アートセラピーとは文字通り、絵画や音楽等の制作やコミニケーションを通して、
治療をおこなう行為であると、まず解釈する。(海外では医療行為として認可されている場合もある。)その際、それぞれの表現は治療が進んでいくプロセスである。
ゴールは病が癒える事であり、動かなかった機能が動き出す事である。
だから、表現されたもの自体はその治療に役立つ手段なのだ。
一定の効果が上がればプロセスとしての作品にはそれほど意味はない。
アトリエにおける制作では作品自体が答えである。
作品は手段ではない。そして、終わりがない。
目的を達成したら終わりということではなく、絶えざる制作がある。
もう一つ制作する人はアトリエにおいて作家であり、
治療されるべき対象でもなければ、何か欠損を埋めなければならない対象でもない。
少なくともそのように見る事が必要になってくる。
ひと言でいえば、目的が異なるのだろう。
アートセラピーの目的は言葉の通り、セラピーにある。
アトリエでの制作の目的は一人一人が本来持っている感性を使うこと。
指導する側が(アトリエでは特別な場合意外、指導という言葉は使わないが)
終わりを設定しているか、いないかという違いもある。
ではアトリエでの制作にセラピーの要素がないかというと、それはある。
このブログでも度々書いて来たが、制作とは一人一人が、
こころの深いところに入っていって、
そこに調和とバランスをつかみとっていく行為と言える。
本来の自分に戻っていくと言ってもいい。(かなり大雑把な言い方ではあるが)
結果としては、こころを病んできていた人が治っていくケースは多い。
それは自分で自分のバランスをとっていく行為だ。
アトリエの場合でいうと、制作に関しては病んでいても健康でも
同じプロセスを進む。
病んでいても描きながら調和を見つけていくし、(そんなに上手くいく場合ばかりではないが)健康でも不安や心配が瞬間にあらわれ、もう一度バランスをつかむ瞬間がある。
スタッフはどんな作家にもその人の一番良い部分をみて、
そこに焦点を絞っている。
制作においては瞬間瞬間が勝負だ。
その瞬間においてはどの人からも、良いものも悪いものも現れる。
良いものがその人の本質であると捉え、良いものに反応し拾っていく。
アートセラピーとは目的も役割も違うものなのだ。
どちらも代用は出来ない。
目的が違うと生まれてくる作品も違ってくる。
作品が違っていると言うことは、
描くときのこころの動きに違いがあるということでもある。
たくさんの制作を見て来たので、絵を見ればそれがどのような環境で、
どのような人達の元で描かれたものなのか、すぐに分かる。
描かされているなという絵もいっぱい見た。
話がそれたが、制作のみに関わらず、病が治るよりも大事な事がある。
病まないことだ。
そして病気になってしまった時にはみんな、必死で治そうとするが、
健康で良い状態のときに、そのテンションを維持するための努力はあまりしない。
良いという状態が続いていくことは、
病気が治ることと同じくらい、まわりの力が必要なことだと思う。
彼らにとって絵を描くことが、自らのリズムを確認し、
自らの間と呼吸、時間の流れに帰り、絶えずバランスを取り戻していく行為であるとしたら、それは本当に大切な時間であると思う。
そして、最近特に反響があるので書くが、彼らの絵には人を癒す力がある。
作品に接して心が洗われたとか、スッキリした、元気が出た、癒されたと、
たくさんの人達に言われて来た。
アートセラピーを、アートによってこころに安らぎを与える行為と考えてみると、
ダウン症の人たちが、私たちや社会全体にアートセラピーしているのかもしれない。
2011年8月14日日曜日
学生チームへ
夜のアトリエ最終日は、なおちゃんとゆうりくんだった。
2人ともいつになく集中して制作。
なおちゃんの花火、とてもきれい。本当に夜描く絵という感じ。
少し休憩と喫茶店にいったら、久しぶりにテレビのディレクターの方に会った。
その方はアトリエの様子をプライベート用に(今のところ)撮ってくれていて、
その映像には学生達と共にした日々が写っている。
そろそろ学生達にメッセージを書こうと思っていたので、思い出すことが多かった。
以前、アトリエに長く通う学生から
「アトリエは楽しいし、本質的なことにいっぱい気付かされるけど、深く入って行くと今の社会で生きづらくなる」と言われた事がある。
その時、僕は「そうだね。だけど一回生きにくくなった方がいいと思うよ。真剣に自分のテーマを追いかけたら生きにくくなるけど、そこから良い生き方を発明出来たらすばらしい。生きやすい生き方をしてはダメだと思う。生きやすい生き方ばかりしていると感覚がダメになる。時代はどんどん困難になっていって、いつかみんなが簡単には生きられなくなるから、その時に力を発揮出来る人間にならなければいけない」
というように答えたけれど、「みんなが簡単には生きられなくなる」時代は
あまりにも早く来てしまった。
言うまでもなく、今僕達が生きている震災以降の社会だ。
ダウンズタウンプロジェクト学生チーム3期生の卒業会は、
思わぬ事態で見合わせる結果となり、それぞれに時間が流れていった。
残念だった。
でも、離れていても同じ希望に向かって前進しよう。
今回は3期生だけではなく、1期生2期生も含めて、
このプロジェクトを共に創り、学び合ったみんなに向けて書く。
同じく学生とは違う立場からアトリエに関わって来た、栗ちゃん、ミヒロにも向けて。
3期生のモロちゃん、イサ(関川君)、遅くなってしまったけどおめでとう。
そして、学生チームとして関わってくれてありがとう。
これを読むか分からないけど、作品を運んだりといった作業にいつも協力してくれた、
五十嵐君にも学生チームの1人としてお礼の言葉を伝えたい。
みんなからは学ぶことの方が多かったと思う。
みんながいてくれたことで僕自身、とても成長することが出来た。
大人としてみんなを失望させたくないという想いが、
良い緊張感にも繋がっていた。
ちょうど、去年の今ごろは夏合宿だったね。
合宿の最初にみんなに伝えたことを覚えていますか。
一人一人が、この場を創るのだから、自分が良い場にするという思いを持って、
協力していこうと。
僕が言うまでもなく、みんなは自然にそれを実行しました。
アトリエに通う、展示やイベントを手伝う、論文を書く、みんなで語り合う、
と共にして来た関係性の集大成のような素晴らしい合宿をみんなが創ってくれました。
真っ白な、何も決められていない紙の上に絵具を重ね、
調和の世界を構成するダウン症の人達の話は2期生の時にしましたね。
まさしく彼らが何もない場を充実した調和の空間に作り替える、
バランスとセンス。人は調和に向かう本能を持っています。
絵を描くことも、場を創ることも、もっと言えば生きることもいっしょ。
そのことを一人一人が見せてくれたのがあの合宿でした。
いや、あの合宿だけではなくみんなが関わって協力し合ってやってきたこと全部が。
樹木を見てもただ存在しているものではない、
木があることで空気が浄化される。
一人一人が、存在することで、生きることで世界が少しでも良くなる。
僕達はみんなで、良くすること、良くなる方向に向かって進むことを、
ここ数年の間、学んできたのかも知れません。
あの合宿だって、誰1人欠けてもあのような良い場にはならなかった。
だからみんなが、一人一人が創造した合宿でした。
学生チームと僕達は人と人との関係や、身の回りの環境や、
世界を良くすることができるという単純でシンプルな事実を学びました。
世界がどんなに変わろうと、どんなに悲劇や苦難があろうと、
一人一人の良くしようとする意志で変えていくことは可能なのだと知ったのです。
自分達が学んだことを、この困難な時代の中で実践していきましょう。
良くしよう、良くあろうとする意志を持つことにおいて、
いつまでも僕達は仲間であり、繋がりを持ち続けます。
学生チームのみんな、これからも様々な場所から共に進もう。
一つ思い出すこと。
合宿の最後の日、日程がすべて終わって学生達と後片付けをしていた時、
僕とよし子はゴミを捨てにいってて、かえって来た時、
奥の部屋で学生達だけで語り合っている声が聞こえた。
覗いてみるとみんなが本当にいい顔をして仲良く、
家族のように見つめ合っていた。
楽しそうだなあ、この瞬間の為にもやって良かったなあと思って
僕は不覚にも感動して泣きそうになってしまった。
しばらく見ていると、よし子が「行ったらダメだよ。みんなだけにしてあげて」
と小さな声でささやく。
僕らはそっとその場を離れた。
2人ともいつになく集中して制作。
なおちゃんの花火、とてもきれい。本当に夜描く絵という感じ。
少し休憩と喫茶店にいったら、久しぶりにテレビのディレクターの方に会った。
その方はアトリエの様子をプライベート用に(今のところ)撮ってくれていて、
その映像には学生達と共にした日々が写っている。
そろそろ学生達にメッセージを書こうと思っていたので、思い出すことが多かった。
以前、アトリエに長く通う学生から
「アトリエは楽しいし、本質的なことにいっぱい気付かされるけど、深く入って行くと今の社会で生きづらくなる」と言われた事がある。
その時、僕は「そうだね。だけど一回生きにくくなった方がいいと思うよ。真剣に自分のテーマを追いかけたら生きにくくなるけど、そこから良い生き方を発明出来たらすばらしい。生きやすい生き方をしてはダメだと思う。生きやすい生き方ばかりしていると感覚がダメになる。時代はどんどん困難になっていって、いつかみんなが簡単には生きられなくなるから、その時に力を発揮出来る人間にならなければいけない」
というように答えたけれど、「みんなが簡単には生きられなくなる」時代は
あまりにも早く来てしまった。
言うまでもなく、今僕達が生きている震災以降の社会だ。
ダウンズタウンプロジェクト学生チーム3期生の卒業会は、
思わぬ事態で見合わせる結果となり、それぞれに時間が流れていった。
残念だった。
でも、離れていても同じ希望に向かって前進しよう。
今回は3期生だけではなく、1期生2期生も含めて、
このプロジェクトを共に創り、学び合ったみんなに向けて書く。
同じく学生とは違う立場からアトリエに関わって来た、栗ちゃん、ミヒロにも向けて。
3期生のモロちゃん、イサ(関川君)、遅くなってしまったけどおめでとう。
そして、学生チームとして関わってくれてありがとう。
これを読むか分からないけど、作品を運んだりといった作業にいつも協力してくれた、
五十嵐君にも学生チームの1人としてお礼の言葉を伝えたい。
みんなからは学ぶことの方が多かったと思う。
みんながいてくれたことで僕自身、とても成長することが出来た。
大人としてみんなを失望させたくないという想いが、
良い緊張感にも繋がっていた。
ちょうど、去年の今ごろは夏合宿だったね。
合宿の最初にみんなに伝えたことを覚えていますか。
一人一人が、この場を創るのだから、自分が良い場にするという思いを持って、
協力していこうと。
僕が言うまでもなく、みんなは自然にそれを実行しました。
アトリエに通う、展示やイベントを手伝う、論文を書く、みんなで語り合う、
と共にして来た関係性の集大成のような素晴らしい合宿をみんなが創ってくれました。
真っ白な、何も決められていない紙の上に絵具を重ね、
調和の世界を構成するダウン症の人達の話は2期生の時にしましたね。
まさしく彼らが何もない場を充実した調和の空間に作り替える、
バランスとセンス。人は調和に向かう本能を持っています。
絵を描くことも、場を創ることも、もっと言えば生きることもいっしょ。
そのことを一人一人が見せてくれたのがあの合宿でした。
いや、あの合宿だけではなくみんなが関わって協力し合ってやってきたこと全部が。
樹木を見てもただ存在しているものではない、
木があることで空気が浄化される。
一人一人が、存在することで、生きることで世界が少しでも良くなる。
僕達はみんなで、良くすること、良くなる方向に向かって進むことを、
ここ数年の間、学んできたのかも知れません。
あの合宿だって、誰1人欠けてもあのような良い場にはならなかった。
だからみんなが、一人一人が創造した合宿でした。
学生チームと僕達は人と人との関係や、身の回りの環境や、
世界を良くすることができるという単純でシンプルな事実を学びました。
世界がどんなに変わろうと、どんなに悲劇や苦難があろうと、
一人一人の良くしようとする意志で変えていくことは可能なのだと知ったのです。
自分達が学んだことを、この困難な時代の中で実践していきましょう。
良くしよう、良くあろうとする意志を持つことにおいて、
いつまでも僕達は仲間であり、繋がりを持ち続けます。
学生チームのみんな、これからも様々な場所から共に進もう。
一つ思い出すこと。
合宿の最後の日、日程がすべて終わって学生達と後片付けをしていた時、
僕とよし子はゴミを捨てにいってて、かえって来た時、
奥の部屋で学生達だけで語り合っている声が聞こえた。
覗いてみるとみんなが本当にいい顔をして仲良く、
家族のように見つめ合っていた。
楽しそうだなあ、この瞬間の為にもやって良かったなあと思って
僕は不覚にも感動して泣きそうになってしまった。
しばらく見ていると、よし子が「行ったらダメだよ。みんなだけにしてあげて」
と小さな声でささやく。
僕らはそっとその場を離れた。
アウトサイダーアートのゆくえ
お盆に入ったせいか、東京はとても静かだ。
すごく暑くて人がいなくて、蝉の声がうるさいくらいだけどきれい。
昨日のアトリエも充実した内容になった。
前回に引き続き、しんじ君が絶好調だった。
久しぶりに栗ちゃんが福太君を連れて、遊びに来てくれた。
あかちゃんかわいすぎる。
夜のアトリエも今日でおしまい。
今日はどんなアトリエになるか。
先日、保護者の方がこのブログを読んで下さっていて、
ご丁寧に感想をお手紙にして下さった。
とても熱心な方で、お手紙の内容も有難いものだった。
特に福祉の世界において、障害という概念からマイナスのイメージが、
無くなりつつあると言うこと、少なくともマイナスのイメージが伴わない、
概念が出来ているのだと言うことを知り、大変面白かった。
そのお手紙の中で、僕が「日本のアウトサイダーアートは完全に福祉だ」と
書いた言葉にふれ、いくつかのアトリエや団体を上げて、
福祉的ではない制作の場もあるということをご指摘されていた。
それらの団体から生まれた作品が優れたものかどうか(勿論、その評価は僕がする事ではない)はここではおくとして、
全体としてのアウトサイダーアートの動きを考えてみたい。
まず、どこかに優れた作品を生み出し続ける施設や団体があるだろうことは、
一切否定しないし、多分あるのだろう。(それよりも個人に優れた作家がいる)
ただ、アウトサイダーアートという全体の流れを見ると、
日本のそれは福祉的であること、あるいは福祉の視点が入りすぎていることは否定出来ないと思う。未だに大きな展示やシンポジウムにおいて社会参加のようなテーマが持ち込まれているのも例の一つといえる。
芸術、あるいは制作とは社会参加の手段ではない。
芸術には障害の有無など関係ないといった主張も一見、作品主体に聞こえるが、
実はそのおおくが人間としての平等の主張にすぎない。
本当に作品が主体となった議論なら、作品に否応なくあらわれている作家の、
感覚が障害(と言われている。ここでは一つの認識の型)に由来する部分を
無視出来ないはずだ。
断っておくが、先ほどからの社会参加や人間としての平等自体には、
全く賛成であり、僕自身出来ることはとことんやりたいとも考えている。
ただ、それらが芸術の名を語ることにはうさん臭さを感じざるをえない。
ついでにいうと、アーティストが認めただとか、アーティストとコラボとか
みんなで合作、のようなチャリティー的な大きいものはいいものだといった、
イベントもいい加減やめにしたほうがいい。
ここからが本題。
この様な、芸術や美術の領域に福祉的視点を持ち込むことが、
実は作家たちにとって良くない環境を作っている。
長い目で見てみよう。
アウトサイダーアート(日本のアール•ブリュットも含め)は
ブームを作ろうとしている。ブームは多分作れる。
でもブームは必ず終わることを忘れてはならない。
終わった後の消耗はブームが大きければ大きいほど強いものだ。
特に作品を売って稼ぐ、というような発想はよっぽど考え抜かれたものでなければ、
長続きしないだろう。
今のように障害がある人の作品であれば何でもアウトサイダーアートと、
言ってしまっていれば見る人達が頭の中で「ああアウトサイダー。あんな感じだろうな」
と飽き飽きしてくるのは時間の問題だ。
作家一人一人にはそれぞれの一生があるということを忘れてはならない。
ところで、ここではアトリエ・エレマン・プレザンの提唱する、
アール•イマキュレについてはふれなかった。それはまた別の機会に。
芸術の視点、美術の視点を強調して来たが、
実はダウン症の人達の作品が、芸術や美術といった従来の価値観自体を問い直し、
覆していくような可能性を秘めていることも書いておく。
今ある、芸術や美術が全てではない。
まったく新しい何かが、これから見えてくるかもしれないのだ。
いずれにせよ、それは私たちが主張することでも、決めることでもない。
アトリエ・エレマン・プレザンはただ提案する。
どう解釈し、位置づけるかはみなさんの自由だ。
すごく暑くて人がいなくて、蝉の声がうるさいくらいだけどきれい。
昨日のアトリエも充実した内容になった。
前回に引き続き、しんじ君が絶好調だった。
久しぶりに栗ちゃんが福太君を連れて、遊びに来てくれた。
あかちゃんかわいすぎる。
夜のアトリエも今日でおしまい。
今日はどんなアトリエになるか。
先日、保護者の方がこのブログを読んで下さっていて、
ご丁寧に感想をお手紙にして下さった。
とても熱心な方で、お手紙の内容も有難いものだった。
特に福祉の世界において、障害という概念からマイナスのイメージが、
無くなりつつあると言うこと、少なくともマイナスのイメージが伴わない、
概念が出来ているのだと言うことを知り、大変面白かった。
そのお手紙の中で、僕が「日本のアウトサイダーアートは完全に福祉だ」と
書いた言葉にふれ、いくつかのアトリエや団体を上げて、
福祉的ではない制作の場もあるということをご指摘されていた。
それらの団体から生まれた作品が優れたものかどうか(勿論、その評価は僕がする事ではない)はここではおくとして、
全体としてのアウトサイダーアートの動きを考えてみたい。
まず、どこかに優れた作品を生み出し続ける施設や団体があるだろうことは、
一切否定しないし、多分あるのだろう。(それよりも個人に優れた作家がいる)
ただ、アウトサイダーアートという全体の流れを見ると、
日本のそれは福祉的であること、あるいは福祉の視点が入りすぎていることは否定出来ないと思う。未だに大きな展示やシンポジウムにおいて社会参加のようなテーマが持ち込まれているのも例の一つといえる。
芸術、あるいは制作とは社会参加の手段ではない。
芸術には障害の有無など関係ないといった主張も一見、作品主体に聞こえるが、
実はそのおおくが人間としての平等の主張にすぎない。
本当に作品が主体となった議論なら、作品に否応なくあらわれている作家の、
感覚が障害(と言われている。ここでは一つの認識の型)に由来する部分を
無視出来ないはずだ。
断っておくが、先ほどからの社会参加や人間としての平等自体には、
全く賛成であり、僕自身出来ることはとことんやりたいとも考えている。
ただ、それらが芸術の名を語ることにはうさん臭さを感じざるをえない。
ついでにいうと、アーティストが認めただとか、アーティストとコラボとか
みんなで合作、のようなチャリティー的な大きいものはいいものだといった、
イベントもいい加減やめにしたほうがいい。
ここからが本題。
この様な、芸術や美術の領域に福祉的視点を持ち込むことが、
実は作家たちにとって良くない環境を作っている。
長い目で見てみよう。
アウトサイダーアート(日本のアール•ブリュットも含め)は
ブームを作ろうとしている。ブームは多分作れる。
でもブームは必ず終わることを忘れてはならない。
終わった後の消耗はブームが大きければ大きいほど強いものだ。
特に作品を売って稼ぐ、というような発想はよっぽど考え抜かれたものでなければ、
長続きしないだろう。
今のように障害がある人の作品であれば何でもアウトサイダーアートと、
言ってしまっていれば見る人達が頭の中で「ああアウトサイダー。あんな感じだろうな」
と飽き飽きしてくるのは時間の問題だ。
作家一人一人にはそれぞれの一生があるということを忘れてはならない。
ところで、ここではアトリエ・エレマン・プレザンの提唱する、
アール•イマキュレについてはふれなかった。それはまた別の機会に。
芸術の視点、美術の視点を強調して来たが、
実はダウン症の人達の作品が、芸術や美術といった従来の価値観自体を問い直し、
覆していくような可能性を秘めていることも書いておく。
今ある、芸術や美術が全てではない。
まったく新しい何かが、これから見えてくるかもしれないのだ。
いずれにせよ、それは私たちが主張することでも、決めることでもない。
アトリエ・エレマン・プレザンはただ提案する。
どう解釈し、位置づけるかはみなさんの自由だ。
2011年8月13日土曜日
自立について考える
昨日の夜は、えいた君、てる君、えいこちゃん、けいこちゃんと、
作品の質、量共に勢いのある人達。
相変らず、すばらしい。
保護者の方達からの提案で、アトリエの後にみんなでご飯を食べた。
楽しいひと時だった。
描いたあとにご飯が待っているので、今日はみんな早めに仕上げていく。
でも、さすがに長く続けている人達だけあって、作品の質は衰えない。
1、2枚目まではすごい密度。
3枚目以降は?うーん、ちょっとだけ注意力が落ちてるかな。
でも、たまにはこんな日があってもいい。みんなたくさん楽しんでたし。
昨日来たお客さんは、子供とアートのイベントを企画しようとされている方だった。
雑誌を見て、横浜からはるばる来られた。
アトリエの活動の話と、アドバイスをということだったので、
色々お話ししたけど、はたしてお役に立てただろうか。
先日の展覧会でも会場にお越しいただいた方で、
施設の職員の方も以前アトリエでお話しした。
絵を描く時間があってどのように指導して良いのか分からないとの
相談を受けた事があった。
様々な環境の中で、実践する人、一人一人の自覚が高まり、
よい活動が広がっていくことを願っている。
話をダウン症の人たちに限っても、たくさんの人達との関わりが必要になってくる。
どこか、一つの良い場所があればいいとは思えない。
学校や養護学校の先生、作業所の職員、お医者さん、就職先の人達。
たくさんの場所と人達との関係の中で生きていかなければならない。
一つ一つが彼らにとって良い場になっていくには、
そこに関わる人達の意識の向上が不可欠だ。勿論、僕らも含めて。
アトリエでの経験から伝えるべきところは伝え、社会の様々な場が良くなっていくことを願っている。
保護者の方達を含め、関わる人達にとって一番切実な問題として、
自立というテーマがある。
正直に言って私たちにもまだ、この問題を正面から扱う力は無い。
でも、ここでは一度真剣にこの問題について書いてみたい。
以前、あるシンポジウムに出席した時、障害者の雇用がテーマとなっていた。
参加した全ての団体の代表は、ただひたすら障害(最近は障がいと書くようになったらしいが、なんの意味があるのかサッパリ分からない。漢字をひらがなにして何が変わるのだろうか)を持つ人達を雇用出来る環境を増やす議論を続けていた。
そこでアトリエは「障害者の雇用が100%実現したとしても、問題は解決しないどころか、それによって見えなくなるものも多いのではないか」と提案してみた。
例えば、今の「自立」にしても「就職」や「雇用」にしても
すべて健常者(と呼ばれる人達)の理屈と世界観ではないのか。
それが悪いと言っているのではなく、それだけが全てと言う価値観は危険だと言いたい。
ここには何度も書いて来たけど、ダウン症の人達には共通したセンスがある。
そのことを彼らには、彼ら独自の文化があると考えてみよう。
我々の文化だけが全てなのではない。
自立、就職、雇用というものの、概念自体が我々の文化から来るもので、
彼らの文化を無視して全てを実行して良いのだろうか。
ダウン症の人たちが自分でお金を稼ぐことが完全に出来るようになったとして、
それだけで彼らが生きていけるだろうか。
もっと言えば幸福になれるだろうか。
現時点での僕の見解を述べよう。
彼らが生きていく為には、彼らを取り巻く環境が変わらなければならない。
彼らに一生を通じて関わる人達が増える必要もある。
彼らは一生を通じて人の愛情を必要とするが、そのことは自立していないということではない。彼らなりの自立はある。
私たちはまず、彼らの価値と意味を社会に伝え、次には彼らの生活面での性質を多くの人に知ってもらって、社会の中で彼らの文化が守られる環境を創っていかなければならない。
これは社会全体の問題でもある。
彼らをここまで社会に歩み寄らせているのだから、社会の側も彼らの文化に歩み寄るべきではないだろうか。私たちのアトリエにはボランティアはいない。
彼らから学びたいと思う人が集まっている。
勿論、経済的な問題も考えていくべきだ。
彼らに合ったお金の稼ぎ方を考えて、彼らが正当にお金をてに出来るようにすべきだ。
ただ、それは入口にすぎない。
入口の時点で様々な困難が待ち受けているのだが。
このブログでは福祉について否定的に書いているようにも見えるかもしれないが、
福祉という制度自体は必要なものであるし否定するつもりはさらさらない。
もっともっとたくさんの支援が必要だ。
ただ、福祉の役割は機会や権利の平等であり、僕達は平等の先に彼ら独自の文化をみる。
人間の未来の可能性のヒントをみる。
作品の質、量共に勢いのある人達。
相変らず、すばらしい。
保護者の方達からの提案で、アトリエの後にみんなでご飯を食べた。
楽しいひと時だった。
描いたあとにご飯が待っているので、今日はみんな早めに仕上げていく。
でも、さすがに長く続けている人達だけあって、作品の質は衰えない。
1、2枚目まではすごい密度。
3枚目以降は?うーん、ちょっとだけ注意力が落ちてるかな。
でも、たまにはこんな日があってもいい。みんなたくさん楽しんでたし。
昨日来たお客さんは、子供とアートのイベントを企画しようとされている方だった。
雑誌を見て、横浜からはるばる来られた。
アトリエの活動の話と、アドバイスをということだったので、
色々お話ししたけど、はたしてお役に立てただろうか。
先日の展覧会でも会場にお越しいただいた方で、
施設の職員の方も以前アトリエでお話しした。
絵を描く時間があってどのように指導して良いのか分からないとの
相談を受けた事があった。
様々な環境の中で、実践する人、一人一人の自覚が高まり、
よい活動が広がっていくことを願っている。
話をダウン症の人たちに限っても、たくさんの人達との関わりが必要になってくる。
どこか、一つの良い場所があればいいとは思えない。
学校や養護学校の先生、作業所の職員、お医者さん、就職先の人達。
たくさんの場所と人達との関係の中で生きていかなければならない。
一つ一つが彼らにとって良い場になっていくには、
そこに関わる人達の意識の向上が不可欠だ。勿論、僕らも含めて。
アトリエでの経験から伝えるべきところは伝え、社会の様々な場が良くなっていくことを願っている。
保護者の方達を含め、関わる人達にとって一番切実な問題として、
自立というテーマがある。
正直に言って私たちにもまだ、この問題を正面から扱う力は無い。
でも、ここでは一度真剣にこの問題について書いてみたい。
以前、あるシンポジウムに出席した時、障害者の雇用がテーマとなっていた。
参加した全ての団体の代表は、ただひたすら障害(最近は障がいと書くようになったらしいが、なんの意味があるのかサッパリ分からない。漢字をひらがなにして何が変わるのだろうか)を持つ人達を雇用出来る環境を増やす議論を続けていた。
そこでアトリエは「障害者の雇用が100%実現したとしても、問題は解決しないどころか、それによって見えなくなるものも多いのではないか」と提案してみた。
例えば、今の「自立」にしても「就職」や「雇用」にしても
すべて健常者(と呼ばれる人達)の理屈と世界観ではないのか。
それが悪いと言っているのではなく、それだけが全てと言う価値観は危険だと言いたい。
ここには何度も書いて来たけど、ダウン症の人達には共通したセンスがある。
そのことを彼らには、彼ら独自の文化があると考えてみよう。
我々の文化だけが全てなのではない。
自立、就職、雇用というものの、概念自体が我々の文化から来るもので、
彼らの文化を無視して全てを実行して良いのだろうか。
ダウン症の人たちが自分でお金を稼ぐことが完全に出来るようになったとして、
それだけで彼らが生きていけるだろうか。
もっと言えば幸福になれるだろうか。
現時点での僕の見解を述べよう。
彼らが生きていく為には、彼らを取り巻く環境が変わらなければならない。
彼らに一生を通じて関わる人達が増える必要もある。
彼らは一生を通じて人の愛情を必要とするが、そのことは自立していないということではない。彼らなりの自立はある。
私たちはまず、彼らの価値と意味を社会に伝え、次には彼らの生活面での性質を多くの人に知ってもらって、社会の中で彼らの文化が守られる環境を創っていかなければならない。
これは社会全体の問題でもある。
彼らをここまで社会に歩み寄らせているのだから、社会の側も彼らの文化に歩み寄るべきではないだろうか。私たちのアトリエにはボランティアはいない。
彼らから学びたいと思う人が集まっている。
勿論、経済的な問題も考えていくべきだ。
彼らに合ったお金の稼ぎ方を考えて、彼らが正当にお金をてに出来るようにすべきだ。
ただ、それは入口にすぎない。
入口の時点で様々な困難が待ち受けているのだが。
このブログでは福祉について否定的に書いているようにも見えるかもしれないが、
福祉という制度自体は必要なものであるし否定するつもりはさらさらない。
もっともっとたくさんの支援が必要だ。
ただ、福祉の役割は機会や権利の平等であり、僕達は平等の先に彼ら独自の文化をみる。
人間の未来の可能性のヒントをみる。
2011年8月12日金曜日
不思議な世界
毎日、恐ろしく暑いけど夏は好きだ。
夜のアトリエも残すところあと三日。
さて今日はたしか来客者ありだった。
アトリエにはたくさんの人がやって来る。ダウン症の人たちの世界や、それを引き出す環境に興味を持ったり、何かのヒントを見つける人は多い。
制作の場では不思議な出来事がいっぱいある。
あんまり話す機会もないので、今日はちょっと不思議な世界の事を書く。
スタッフの役割のところで少しふれたかもしれないが、ダウン症の人達の場合、横に座る人の構えによって作品が変わる。
このこともよく考えてみれば不思議だ。
何もしないでも(何もしなければしないほど)見守る人間の持つ影響は大きい。
制作の場自体がみんなの無意識を表面化し、共有する。
その時間、ある意味でスタッフも含めみんなが一つになっている。
勿論、これはかなりおおざっぱな言い方ではあるけれど。
無意識を共有しているとき、不思議なことはよくあるのだ。
その時はぜんぜん、不思議とも感じなかったりする。
こんなこともあった。
てる君とハルコと僕の関係が特に濃かった時代。
絵のクラスのとき入って来たてる君が最初に言った言葉。
「サクマさんって、オニなの?」
僕はなんのことだか分からず「えっ。オニ」と笑うだけ。
その日はなぜか制作の途中でも
「サクマさんってオニなんだろ」「サクマさんオニなんだよ」と
言いながらニコニコしている。
その他の会話はまったくいつも通り。
そんな日があってしばらくたってから、ハルコのクラスがあった。
その間、ハルコとてる君はどこでも会っていないし、話もしていない。
アトリエに入ってくるなり、誰もいない空間を見てハルコが言った。
「もー。サクマさんオニじゃないってば」
時々、そんなことがある。
展覧会やイベントが続いていた時期、
スタッフと学生で話し合っていた時に「やっぱり制作する現場が一番大事。現場の質を落としてはいけない」という話をしていた。
その日の午後のクラスで登場したゆうすけ君の第一声が、
「もしかして、げーんばかー」だった。
この時はみんな驚いていた。
実際の事件や事故を暗示した言葉が的中して、
後であのとき確か誰々が言ってたよね、ということもある。
自分自身のことでも、その時の行動が何だったのか不思議な時もあるし、
自分の発した言葉に驚くこともある。
制作の場に入っている時は、座った瞬間に、今日は流れが滞っているなと感じたり、重いと感じたりする感覚が働く。
一人一人が、気持ち良くなって、あるいは真剣になって、描くモードに入ってもらうには
スタッフとして流れを感じ、読み取る能力は必須だ。
ある時、自分の殻に閉じこもってしまって流れが止まっている人がいた。
筆も持てないでいる。重いし、何か黒いと感じる。
僕は一瞬だけ場を離れた。
次に部屋に入って来た時に、「よし、閉じている(こころと場が)から前の窓を一つ開けよう」と思う。わざと分かるように、でも静かにゆっくり窓を開ける。
何故か、「よし、開いて、空気が入って、流れた」と思う。
その瞬間、彼女は筆を握って何事も無く描き出した。
僕は当たり前のように他の人の作品を見る。
逆に意識が飛び回っているので空間を閉ざすケースもある。
この時は本当に部屋の戸を閉めたりする。閉ざされると安心する場合もある。
これは少し良く出来すぎた話で、外的な行為が内面的行為と一致する瞬間だ。
1人の作家の制作をぐっと見つめることで、他の作家たちが一段深いところに入っていくこともある。その時、誰が場の空気の中心となるのかを見極めるのは勘だ。
研修生として教室に来ていたミヒロがいたころ。
紙の在庫が無くなってしまって、いつもいい紙は使っているが、いつもより更に高級な紙しか残っていなかった。
朝、紙を確認して僕が話す。
「うーん。今日は全員に傑作を描いてもらうしか無いね。でも本当にそうなるよ。今日はいい作品しか描かない」
その日はみんながいつも以上に優れた作品を描いた。
ミヒロが「本当でしたね。不思議です」と言う。
不自然なことは何もしていない。ただ意識を変えただけ。
でもこれは毎回やってはいけない。
こういうことはたまにあるから楽しい。
まだ身体も小さな女の子。
いつもお母さんに甘える年頃。
制作に入る時、横にいる僕に「ねえ、綺麗なの見せてあげようか」と言った。
今日は甘えるのじゃなくて、逆に母性を発揮したいのだと思う。
僕は自分の意識を子供にする。
すると彼女はお母さんになって、色々教えてくれる。
どんどん包み込まれていく。
「ねえ、わかった?きれいな色いっぱいあるでしょ」
彼女はそんな言葉で制作を締めくくる。
こんなに小さな身体でもこころの中では、あんなに広い母性をもっている。
これは少し種類の違うお話でした。すみません。
じゃあもうひとつだけ、違う種類の話。
調子が悪くなると、妄想が膨らんできて、強迫観念になる人。
作業所の職員が秘密組織のスパイで、自分を狙っているという話になる。
僕は「今日はのるか」と思う。
「よし、分かった。もうそいつ許せないから僕がそいつに言いにいくよ。一緒に行こう」
話しているうちに僕も本気になっていく。
「なんとしても正体を突き止めよう」
僕が本気になって今にも行こうとした時、
「待ってよ。そんな事したらオレがクビになるよ」
「そんなとこクビになったっていいじゃん」
「いやだよ」「でもそいつ絶対、許したらまずいぞ。僕がいくから心配すんな」
「ダメだよ。これは妄想の話だよ」
それから彼は正気に戻ってその話はしなくなった。
その日は表情も見違えるほどよかった。
自分の中に分かっている自分もいる、その自分を使わせてあげればいい。
だけど、これは絶対まねしてはいけない。
巻き込まれて、相手にのまれてしまうと大変なことになる。
彼の、妄想を妄想と分かっている自分や、小さな女の子の大きな母性は
普段使われることの無い、心の奥で眠っている自己の一部なのだろう。
人は関係や環境によって、こころの機能も使える部分しか表面には出てこない。
使えないものは奥の方で眠っているのだ。
制作の場とは、自分の中にある無限の力を掘り起こしていくところだ。
僕たちは一度、深く潜って、そこから宝物を持ち帰ってくる。
そのプロセスの中で、このような少し不思議に思える出来事がおきるのだろう。
夜のアトリエも残すところあと三日。
さて今日はたしか来客者ありだった。
アトリエにはたくさんの人がやって来る。ダウン症の人たちの世界や、それを引き出す環境に興味を持ったり、何かのヒントを見つける人は多い。
制作の場では不思議な出来事がいっぱいある。
あんまり話す機会もないので、今日はちょっと不思議な世界の事を書く。
スタッフの役割のところで少しふれたかもしれないが、ダウン症の人達の場合、横に座る人の構えによって作品が変わる。
このこともよく考えてみれば不思議だ。
何もしないでも(何もしなければしないほど)見守る人間の持つ影響は大きい。
制作の場自体がみんなの無意識を表面化し、共有する。
その時間、ある意味でスタッフも含めみんなが一つになっている。
勿論、これはかなりおおざっぱな言い方ではあるけれど。
無意識を共有しているとき、不思議なことはよくあるのだ。
その時はぜんぜん、不思議とも感じなかったりする。
こんなこともあった。
てる君とハルコと僕の関係が特に濃かった時代。
絵のクラスのとき入って来たてる君が最初に言った言葉。
「サクマさんって、オニなの?」
僕はなんのことだか分からず「えっ。オニ」と笑うだけ。
その日はなぜか制作の途中でも
「サクマさんってオニなんだろ」「サクマさんオニなんだよ」と
言いながらニコニコしている。
その他の会話はまったくいつも通り。
そんな日があってしばらくたってから、ハルコのクラスがあった。
その間、ハルコとてる君はどこでも会っていないし、話もしていない。
アトリエに入ってくるなり、誰もいない空間を見てハルコが言った。
「もー。サクマさんオニじゃないってば」
時々、そんなことがある。
展覧会やイベントが続いていた時期、
スタッフと学生で話し合っていた時に「やっぱり制作する現場が一番大事。現場の質を落としてはいけない」という話をしていた。
その日の午後のクラスで登場したゆうすけ君の第一声が、
「もしかして、げーんばかー」だった。
この時はみんな驚いていた。
実際の事件や事故を暗示した言葉が的中して、
後であのとき確か誰々が言ってたよね、ということもある。
自分自身のことでも、その時の行動が何だったのか不思議な時もあるし、
自分の発した言葉に驚くこともある。
制作の場に入っている時は、座った瞬間に、今日は流れが滞っているなと感じたり、重いと感じたりする感覚が働く。
一人一人が、気持ち良くなって、あるいは真剣になって、描くモードに入ってもらうには
スタッフとして流れを感じ、読み取る能力は必須だ。
ある時、自分の殻に閉じこもってしまって流れが止まっている人がいた。
筆も持てないでいる。重いし、何か黒いと感じる。
僕は一瞬だけ場を離れた。
次に部屋に入って来た時に、「よし、閉じている(こころと場が)から前の窓を一つ開けよう」と思う。わざと分かるように、でも静かにゆっくり窓を開ける。
何故か、「よし、開いて、空気が入って、流れた」と思う。
その瞬間、彼女は筆を握って何事も無く描き出した。
僕は当たり前のように他の人の作品を見る。
逆に意識が飛び回っているので空間を閉ざすケースもある。
この時は本当に部屋の戸を閉めたりする。閉ざされると安心する場合もある。
これは少し良く出来すぎた話で、外的な行為が内面的行為と一致する瞬間だ。
1人の作家の制作をぐっと見つめることで、他の作家たちが一段深いところに入っていくこともある。その時、誰が場の空気の中心となるのかを見極めるのは勘だ。
研修生として教室に来ていたミヒロがいたころ。
紙の在庫が無くなってしまって、いつもいい紙は使っているが、いつもより更に高級な紙しか残っていなかった。
朝、紙を確認して僕が話す。
「うーん。今日は全員に傑作を描いてもらうしか無いね。でも本当にそうなるよ。今日はいい作品しか描かない」
その日はみんながいつも以上に優れた作品を描いた。
ミヒロが「本当でしたね。不思議です」と言う。
不自然なことは何もしていない。ただ意識を変えただけ。
でもこれは毎回やってはいけない。
こういうことはたまにあるから楽しい。
まだ身体も小さな女の子。
いつもお母さんに甘える年頃。
制作に入る時、横にいる僕に「ねえ、綺麗なの見せてあげようか」と言った。
今日は甘えるのじゃなくて、逆に母性を発揮したいのだと思う。
僕は自分の意識を子供にする。
すると彼女はお母さんになって、色々教えてくれる。
どんどん包み込まれていく。
「ねえ、わかった?きれいな色いっぱいあるでしょ」
彼女はそんな言葉で制作を締めくくる。
こんなに小さな身体でもこころの中では、あんなに広い母性をもっている。
これは少し種類の違うお話でした。すみません。
じゃあもうひとつだけ、違う種類の話。
調子が悪くなると、妄想が膨らんできて、強迫観念になる人。
作業所の職員が秘密組織のスパイで、自分を狙っているという話になる。
僕は「今日はのるか」と思う。
「よし、分かった。もうそいつ許せないから僕がそいつに言いにいくよ。一緒に行こう」
話しているうちに僕も本気になっていく。
「なんとしても正体を突き止めよう」
僕が本気になって今にも行こうとした時、
「待ってよ。そんな事したらオレがクビになるよ」
「そんなとこクビになったっていいじゃん」
「いやだよ」「でもそいつ絶対、許したらまずいぞ。僕がいくから心配すんな」
「ダメだよ。これは妄想の話だよ」
それから彼は正気に戻ってその話はしなくなった。
その日は表情も見違えるほどよかった。
自分の中に分かっている自分もいる、その自分を使わせてあげればいい。
だけど、これは絶対まねしてはいけない。
巻き込まれて、相手にのまれてしまうと大変なことになる。
彼の、妄想を妄想と分かっている自分や、小さな女の子の大きな母性は
普段使われることの無い、心の奥で眠っている自己の一部なのだろう。
人は関係や環境によって、こころの機能も使える部分しか表面には出てこない。
使えないものは奥の方で眠っているのだ。
制作の場とは、自分の中にある無限の力を掘り起こしていくところだ。
僕たちは一度、深く潜って、そこから宝物を持ち帰ってくる。
そのプロセスの中で、このような少し不思議に思える出来事がおきるのだろう。
2011年8月11日木曜日
思い出すこと
昨日は生徒4人。
ゆうすけ君とだいすけ君は向かい合って大人の制作。
ゆうきちゃん、けい君は若い勢いと繊細な感性で描く。
あっという間に終わった。
前回、スタッフの役割と仕事について考えてみようと思ったが、制作の場での様々な見え方がメインになってしまった。またいずれ書くと思う。
制作の時間は密度が高く、永遠に続くようにも感じられるし、あっという間に終わっていたりもする。
たぶんスタッフも日常とは違う時間の中に入っているのだろう。
使っている感覚も日常のものとは違う。この仕事をどれだけ続けても不思議な感覚は残る。
面白いし深い。
そう言えば、学生達がけっこうこのブログを読んでくれているらしい。
今年は卒業生の送る会が出来てないまま震災をむかえてしまった。
近いうちに学生チームに向けて書くよ。
今日は少し前に書いたメモが見つかったので僕の思い出を紹介する。
このメモにはタイトルもついている。以下はメモ。
「空と地底のつながる場所」
ダウン症の人たちの世界について思うとき、いつも思い出す情景がある。
彼らの制作に携わるようになってまだ数年の頃の夏におこなった三重県での合宿。
澄み切った青い空。あたたかい風。波の音。草や木々の濃い色彩。蝉の声。
静かな時間の流れ。無限を感じさせる日の光。
夏の気配に包まれていた。
「とおいいね」とハルコがいう。その言葉がスーっと身体に入ってくる。
ここは遠い、遠い、場所なのかもしれないと感じる。
坂を下りると海に出る。湾になっているので、波も無く、小さくて静かな海だ。
ハルコは坂の途中で葉っぱや花に話しかけ、「かわいいねー」と微笑む。
他の子供や大人達の話し声が聞こえる。
犬がゆっくりついてくる。頭を撫でて可愛がる。
屈んで「膝、ペロペロして」と言いながら犬を見詰めている。
「なめてくれないの?ケチ」
僕の方を見て、
「ナスちゃん(犬の名前)、なんでハアハアいってるの?疲れてるのかなあ」
しばらく犬の顔を観察している。
「いこっか」といって坂を下りる。
「ナスちゃん(犬の名前)、なんでハアハアいってるの?疲れてるのかなあ」
しばらく犬の顔を観察している。
「いこっか」といって坂を下りる。
青い海。ハルコは石と貝殻を集める。指でそれぞれの形をなぞり、
「かたち、かわいいねえ」と笑う。
無限を目の前に、佇んでいるような気配。
「かたち、かわいいねえ」と笑う。
無限を目の前に、佇んでいるような気配。
時間が止まっている。世界はひたすら広く深い。
いつかどこかで体験した事があるような美しい時。
彼女の存在は、静かで深く、青い空と海と草木に溶け込んでいる。
自然自身が語りかけてくるようだ。
こんな穏やかな一体感に包まれたのは初めてかもしれない。
「石なげしよっか」「うん。やろう」。
僕は石を集める係。ハルコは海に向かって投げていく。
チャポーン、ドボン。
石の大きさと投げる高さで変わる波紋と音を確認しながら。
ハルコは自然の一部として、自分の存在や目の前の景色を、
ゆっくりみつめ、味わっている。
ゆっくりみつめ、味わっている。
存在する全てのもの、すべての瞬間を慈しみ、触れ、感じ、耳を澄ませて聞き取っていく。
僕が石を投げると、ハルコはびっくりして
「すごい。高い、高いね。もっと高く投げて」
「すごい。高い、高いね。もっと高く投げて」
僕はどんどん遠くまで投げる。
「もっと。お空まで、お空まで届くまで」
思い切り高く投げると、しばらく石が落ちてこない。
静寂の後、ドボーンと石が落ちる音。
今度もハルコは驚きの目で海を見つめている。
「すごい、すごいね。おそらまでぶつかったね」。そして笑う。
「おおきいね。お空と海」
僕たちを囲んでいる事物は計り知れないほど、大きく深い。
「ここ、穴掘ろうよ」とハルコがいう。
夕暮れちかく、2人で穴を掘り続ける。
「もっと、もっと深く掘ろう」
黄金色の光が辺りを包む。
「もっと掘ろうね」
「もっとふかく。お空までとどくまで」「お空にぶつかるまでね」
その日見た、景色を僕は鮮明に覚えている。
僕たちは地球と遊び、空や海に触り、宇宙に行った。
こころの奥の、奥の深い場所で。
投げた石は空にぶつかり、どこまでも掘り続けた地面は、地の底まで触れ、
ついには空にまで届いた。
そこでは天と地がつながり、すべてが身分の状態で輝いている。
その時の気配こそはダウン症の人たちが持つ、人間の原初的感覚の世界なのだと思う。
2011年8月10日水曜日
スタッフの役割
あつい。夏らしい夏だ。
今日は、僕らの仕事で最も大事な制作の場でのスタッフの役割について書く。
色んな場所で話して来たことだけど、ダウン症の人たちにとっては環境がいのちだ。
環境しだいで持っている資質が現れたり、影をひそめたりする。
よく疑問の声として聞くのが、アトリエ・エレマン・プレザンのメッセージはダウン症の人たちを理想化しすぎているというものだ。特に彼らに身近に接している人達(養護学校の先生や作業所の職員の方、まれに保護者の方や一般の興味のある方等)から、このような疑問の声がある。もっと汚いところも、ずるいところも、難しいところもある人達だと。
人間としてたくさんの面を持っていることも承知しているし、理想化することでイメージが限定される危険も重々分かっている。ただ、一つだけ言いたい。
身近に接していればその人の本質が全て分かる訳ではない。アトリエで発信しているような彼らの理想的な資質がもし感じられないのであれば、可能性について考えてみて欲しい。
彼らは本当に自分らしくあれる場に身を置いているのか。彼らにあった環境に少しでも身を浸す時間が持てているのか。もう一度見直してみるべきだろう。
目を凝らし、耳を澄まさなければ、見えて来ない、聞こえて来ない、繊細で豊かな世界もあることに想いをめぐらせてみてほしい。
環境がいのちと言った。理想的環境に必要な要素は色々ある。
落ち着いたスペース、静けさ、彼らの性質に合った素材や道具。同じリズムや時間感覚を持った仲間。中でも最も重要になってくるのが関わる人間、ここではスタッフの存在だ。
そこでスタッフの役割と仕事についてだが、その前にこれもよく質問されるので補足しておきたい。先ほどの同じリズムを持つ仲間について。
なぜダウン症の人たちだけのアトリエにしているのですかと、よく質問される。
その答えは、さっき書いた彼らが同じようなリズムと時間感覚を持っているからだ。
彼らに無理のないような場を実現するには、他のリズムや時間(その多くは彼らにとってスピードが早く、刺激が強く雑なものだ)を持ち込まないこと。
そこで同じような時間と世界を生きている仲間と場を創る。この場合の同じリズムの人達は彼らの場合、ダウン症の人たちということになる。
中にはダウン症の人たちだけを特殊化することは、他の障害への差別だという人もいるがそれは違う。違いを区別することと差別は全く異なる。
逆にダウン症であることが強調されることで、彼らに対しての差別だという人もいるがこれも違う。彼らの世界は背景を無視しては考えられない。彼らが共通して持っている豊かなセンスを読み取り、活かしていくには背景を考える必要がある。
それぬきに障害も健常もないだとか、みんないっしょだとか、あるいはアートには垣根が無いだとかいうのはそれこそ平等の名の下に違いを押しつぶす暴力だ。
平等とは違いを無くすことではなく、違いを認め尊重出来る事だと思う。
背景を無視したりタブーにしたりすること無く、なぜダウン症の人たちに共通の豊かなセンスがあるのか考えるべきだ。その結果、そのセンスは彼らだけのものでなく我々人類が心の奥の深い部分にもっている能力の一つだという普遍性が見えて来ると思う。
アトリエ・エレマン・プレザンでは、一人一人の制作に、指導的な手は一切加えない。
彼らのこころの動きを遮らない。
これが最も大切な事でスタッフが気をつけていることだ。
では、何もせずに見ていれば作品は勝手に生まれるのか。
残念ながらそうはいかない。
彼らの資質については何度も書いた。確かに彼らは産まれもっての感性を所有している。
ただそれは未だ本人も気付いていないかもしれないものだ。
未だ使われていない部分かもしれない。
彼らは環境や人の雰囲気を感じ取って、その場に溶け込もうとする。
持っている感性が必要とされない場では、自分からこんなのもあるけど使っていい?という風にはならない。自然と使わなくなる。使わなくなると自分でも忘れてしまう。
スタッフは最初から彼らの一番本質的な心の動きに触れていかなければならない。
ここではこの感性を働かせていい、この部分で分かってもらえる、もっと奥にあるものも出していいと、無意識のうちに感じてもらえるようにしなければならない。
制作の場では普段の何倍も敏感になっている。
作家もスタッフも言葉よりもっと深い部分で、感じ合っている。
誰だってはじめて1人で深いところまで入っていくのは怖い。
何もしなくてもついていって「大丈夫。もっといっても大丈夫だよ」という存在は必要だ。
スタッフにはそのような役割もある。
制作の場に入ることはスタッフにとっては、そうとうに身体的、精神的、体力を要する。
相手の心の奥にまで入って行って、同じ景色を見て共有する。
その中でこころや気持ちが通い作品が生まれる。
相手を1人にしてはいけない。この人達付いて来ていないな、今自分は1人だなと感じてしまったら、そこで作品は途切れる。
スタッフが迷いや恐れや不安を感じてはならない。そういったの感情は必ず、感じ取られ、影響を与えてしまう。
人がいれば影響は必ずある。いい影響を与えることが必要だ。
スタッフがいることによって、作家1人では生み出せない程の自分の本質まで入って行けた、という結果にならなければならない。
相手の間と呼吸に入って行くのだから、自分の呼吸は安定した、ほとんど不動のものでなければならない。そうでなければ動き続ける相手の呼吸やリズムを感じ取ることは出来ない。
基本は相手の呼吸に合わせる。あまりに相手の呼吸が乱れ、落ち着かなければ、一度自分の呼吸と間合いに引き込んでから、安定したところで離れて相手のリズムに戻す。
目線と身体の距離はなにがしかの緊張感を与える。
その事に自覚的でなければならない。良い緊張と弛緩のバランスを見極め、使い分ける必要がある。その為に、身体を近づけることと離れること、目線の有無をコントロールする。
細かく書くと、自分でもどんどん難しそうになって来るが、基本はいかに作家と心を通わせられるかだけだと思う。相手と一つになりながら少しだけ離れること。
制作の場でのスタッフの仕事は、一番難しくもあり、楽しくもある。
まだまだ、書くべき内容のところまで来れなかったが、今回は長くなってしまったので続きはまた今度。
今日は、僕らの仕事で最も大事な制作の場でのスタッフの役割について書く。
色んな場所で話して来たことだけど、ダウン症の人たちにとっては環境がいのちだ。
環境しだいで持っている資質が現れたり、影をひそめたりする。
よく疑問の声として聞くのが、アトリエ・エレマン・プレザンのメッセージはダウン症の人たちを理想化しすぎているというものだ。特に彼らに身近に接している人達(養護学校の先生や作業所の職員の方、まれに保護者の方や一般の興味のある方等)から、このような疑問の声がある。もっと汚いところも、ずるいところも、難しいところもある人達だと。
人間としてたくさんの面を持っていることも承知しているし、理想化することでイメージが限定される危険も重々分かっている。ただ、一つだけ言いたい。
身近に接していればその人の本質が全て分かる訳ではない。アトリエで発信しているような彼らの理想的な資質がもし感じられないのであれば、可能性について考えてみて欲しい。
彼らは本当に自分らしくあれる場に身を置いているのか。彼らにあった環境に少しでも身を浸す時間が持てているのか。もう一度見直してみるべきだろう。
目を凝らし、耳を澄まさなければ、見えて来ない、聞こえて来ない、繊細で豊かな世界もあることに想いをめぐらせてみてほしい。
環境がいのちと言った。理想的環境に必要な要素は色々ある。
落ち着いたスペース、静けさ、彼らの性質に合った素材や道具。同じリズムや時間感覚を持った仲間。中でも最も重要になってくるのが関わる人間、ここではスタッフの存在だ。
そこでスタッフの役割と仕事についてだが、その前にこれもよく質問されるので補足しておきたい。先ほどの同じリズムを持つ仲間について。
なぜダウン症の人たちだけのアトリエにしているのですかと、よく質問される。
その答えは、さっき書いた彼らが同じようなリズムと時間感覚を持っているからだ。
彼らに無理のないような場を実現するには、他のリズムや時間(その多くは彼らにとってスピードが早く、刺激が強く雑なものだ)を持ち込まないこと。
そこで同じような時間と世界を生きている仲間と場を創る。この場合の同じリズムの人達は彼らの場合、ダウン症の人たちということになる。
中にはダウン症の人たちだけを特殊化することは、他の障害への差別だという人もいるがそれは違う。違いを区別することと差別は全く異なる。
逆にダウン症であることが強調されることで、彼らに対しての差別だという人もいるがこれも違う。彼らの世界は背景を無視しては考えられない。彼らが共通して持っている豊かなセンスを読み取り、活かしていくには背景を考える必要がある。
それぬきに障害も健常もないだとか、みんないっしょだとか、あるいはアートには垣根が無いだとかいうのはそれこそ平等の名の下に違いを押しつぶす暴力だ。
平等とは違いを無くすことではなく、違いを認め尊重出来る事だと思う。
背景を無視したりタブーにしたりすること無く、なぜダウン症の人たちに共通の豊かなセンスがあるのか考えるべきだ。その結果、そのセンスは彼らだけのものでなく我々人類が心の奥の深い部分にもっている能力の一つだという普遍性が見えて来ると思う。
アトリエ・エレマン・プレザンでは、一人一人の制作に、指導的な手は一切加えない。
彼らのこころの動きを遮らない。
これが最も大切な事でスタッフが気をつけていることだ。
では、何もせずに見ていれば作品は勝手に生まれるのか。
残念ながらそうはいかない。
彼らの資質については何度も書いた。確かに彼らは産まれもっての感性を所有している。
ただそれは未だ本人も気付いていないかもしれないものだ。
未だ使われていない部分かもしれない。
彼らは環境や人の雰囲気を感じ取って、その場に溶け込もうとする。
持っている感性が必要とされない場では、自分からこんなのもあるけど使っていい?という風にはならない。自然と使わなくなる。使わなくなると自分でも忘れてしまう。
スタッフは最初から彼らの一番本質的な心の動きに触れていかなければならない。
ここではこの感性を働かせていい、この部分で分かってもらえる、もっと奥にあるものも出していいと、無意識のうちに感じてもらえるようにしなければならない。
制作の場では普段の何倍も敏感になっている。
作家もスタッフも言葉よりもっと深い部分で、感じ合っている。
誰だってはじめて1人で深いところまで入っていくのは怖い。
何もしなくてもついていって「大丈夫。もっといっても大丈夫だよ」という存在は必要だ。
スタッフにはそのような役割もある。
制作の場に入ることはスタッフにとっては、そうとうに身体的、精神的、体力を要する。
相手の心の奥にまで入って行って、同じ景色を見て共有する。
その中でこころや気持ちが通い作品が生まれる。
相手を1人にしてはいけない。この人達付いて来ていないな、今自分は1人だなと感じてしまったら、そこで作品は途切れる。
スタッフが迷いや恐れや不安を感じてはならない。そういったの感情は必ず、感じ取られ、影響を与えてしまう。
人がいれば影響は必ずある。いい影響を与えることが必要だ。
スタッフがいることによって、作家1人では生み出せない程の自分の本質まで入って行けた、という結果にならなければならない。
相手の間と呼吸に入って行くのだから、自分の呼吸は安定した、ほとんど不動のものでなければならない。そうでなければ動き続ける相手の呼吸やリズムを感じ取ることは出来ない。
基本は相手の呼吸に合わせる。あまりに相手の呼吸が乱れ、落ち着かなければ、一度自分の呼吸と間合いに引き込んでから、安定したところで離れて相手のリズムに戻す。
目線と身体の距離はなにがしかの緊張感を与える。
その事に自覚的でなければならない。良い緊張と弛緩のバランスを見極め、使い分ける必要がある。その為に、身体を近づけることと離れること、目線の有無をコントロールする。
細かく書くと、自分でもどんどん難しそうになって来るが、基本はいかに作家と心を通わせられるかだけだと思う。相手と一つになりながら少しだけ離れること。
制作の場でのスタッフの仕事は、一番難しくもあり、楽しくもある。
まだまだ、書くべき内容のところまで来れなかったが、今回は長くなってしまったので続きはまた今度。
2011年8月9日火曜日
デジタルとアナログ
学生チームで今は卒業している、通称エクセルにブログについて「もっと改行とかして、読みやすくして」と言われたので、過去のブログも少し直してみた。
これを機に要らない機能を削除してシンプルにした。画面に表示されるページも投稿一回分にしたので、興味のある方は過去のブログは「前の投稿」をクリックして読んで下さい。
すこしは改善されたかな?
でもエクセルが読んでくれてるのが分かって嬉しかった。ありがとう。
さて、前回は彼らの「やりすぎない」にふれたけど、今回はデジタルとアナログについて。
先日、会場で久しぶりに元テレビ局の現在は環境関連のお仕事をされている方に会った。
いつも、僕らの知らない面白いお話を聞かせていただくのだが、先日も震災のことから始まり、興味深い話題だらけだった。
色んなことを聞いたが、何故か「アナログは強い」という言葉が強く記憶された。
長年、映像を撮り、伝えるという作業をされている方なので、その言葉には深い実感が感じられた。
「アナログは強い」は逆に言えば「デジタルは弱い」でもある。
僕の考えではアナログとは具体的に身体を動かし、時間と手間をかけ、今しかない個別の現実に触ること。実感を持って経験することだと思う。
ではデジタルとは何か。その場では具体的に身体を動かすこと無く、時間や手間をかけずに、現実を抽象化し、記号に置き換えることで、その場にいない人にも伝えることができるテクノロジーだといえる。
前回の「やりすぎない」もここに深く関係する。デジタル化することで人は「やりすぎる」、暴走するのだ。そもそもアナログでは時間と手間がかかりすぎて「やりすぎ」が出来ない。
その時の会話で、僕が言ったのは「現代人はデジタル化になれすぎて、心の動きまでデジタル化してしまっている。たとえアナログで行為してもやっている側の内面がデジタル化しているのでリアリティが弱い。ダウン症の人達はアナログを生きている。彼らの世界は具体的な感覚を動かし時間をかけて、味わわれたものしか存在しない」ということだ。
デジタルとは、そのものにふれずともそのものにある概念を取り出して形にすることだ。
だからヘタをすると現実の限界を超えてしまう。現実は時間や量に限界を持っている。
抽象化され、記号化されたものにはナマの癖や限界が感じられなくなる。
必要以上の便利さを生み出してしまうのは、具体的な不便に対する便利でなく、「便利」という抽象化された概念自体が目的になってしまうからだ。
手間がかかり、時間がかったことは、自分の中に入り自分のものとなる。
手間も時間もかからないものはすぐに使うことは出来るが、そのものと自分との距離は埋められない。
アナログが大切なのは思いや気持ちがそこに入るから。
現実に対して謙虚になれるから。
ではデジタルには意味が無いのか。僕はそうは思わないし、アナログ人間でありたいとも思わない。例えばこのブログを書くこともデジタルな行為だと思う。
僕はここではデジタルをおこなっている。抽象化し記号化し、そして普遍化している。
僕にとってのアナログは制作の現場、アトリエで作家たちに向き合っている時だ。
ダウン症の人たちはこうだとか、彼らの作品はとか、彼らから何が見えるかとか。
そういったことは全部、具体的な場面ではなくて抽象化された現実だ。
現場で、彼らにすこしでもいい気持ちで深い世界に入って、制作してもらいたいと思う時にここで考えているような概念は一切役に立たない。それぞれの場面ではもっと具体的な動きが必要とされる。でも現場にあるような具体性は経験したことの無い人に話して伝えられることではないし、そもそも伝える意味も無い。他の人の役にも立たない。
自分にとって具体的な一番役立つことは他人にとって最も関係のない役に立たないことであったりもする。
現場人間はいるが、僕はいいとは思わない。
やっぱり個別のものを普遍化することで人に伝わり、人と繋がる。普遍化とは一種のデジタルだ。普遍化が無ければいつまでも閉鎖された世界で分かり合っているしか無い。
それは排他的でもある。
それに概念化し普遍化することで、現場だけでは見えて来ない本質が見えて来る。
本当の仕事をしようと思ったら自覚的にデジタルとアナログを行き来しなければならないと思う。行き来によって両方の行為が相互に深まっていく。
結論はアナログを徹底してしり、その経験を重ねることを大切にしつつ、デジタル化してみんなと共有するのがいい。「デジタルは弱い」と書いたけど「アナログを知らないデジタルは弱い」と言い換えよう。「弱い」は「危険」でもある。
これを機に要らない機能を削除してシンプルにした。画面に表示されるページも投稿一回分にしたので、興味のある方は過去のブログは「前の投稿」をクリックして読んで下さい。
すこしは改善されたかな?
でもエクセルが読んでくれてるのが分かって嬉しかった。ありがとう。
さて、前回は彼らの「やりすぎない」にふれたけど、今回はデジタルとアナログについて。
先日、会場で久しぶりに元テレビ局の現在は環境関連のお仕事をされている方に会った。
いつも、僕らの知らない面白いお話を聞かせていただくのだが、先日も震災のことから始まり、興味深い話題だらけだった。
色んなことを聞いたが、何故か「アナログは強い」という言葉が強く記憶された。
長年、映像を撮り、伝えるという作業をされている方なので、その言葉には深い実感が感じられた。
「アナログは強い」は逆に言えば「デジタルは弱い」でもある。
僕の考えではアナログとは具体的に身体を動かし、時間と手間をかけ、今しかない個別の現実に触ること。実感を持って経験することだと思う。
ではデジタルとは何か。その場では具体的に身体を動かすこと無く、時間や手間をかけずに、現実を抽象化し、記号に置き換えることで、その場にいない人にも伝えることができるテクノロジーだといえる。
前回の「やりすぎない」もここに深く関係する。デジタル化することで人は「やりすぎる」、暴走するのだ。そもそもアナログでは時間と手間がかかりすぎて「やりすぎ」が出来ない。
その時の会話で、僕が言ったのは「現代人はデジタル化になれすぎて、心の動きまでデジタル化してしまっている。たとえアナログで行為してもやっている側の内面がデジタル化しているのでリアリティが弱い。ダウン症の人達はアナログを生きている。彼らの世界は具体的な感覚を動かし時間をかけて、味わわれたものしか存在しない」ということだ。
デジタルとは、そのものにふれずともそのものにある概念を取り出して形にすることだ。
だからヘタをすると現実の限界を超えてしまう。現実は時間や量に限界を持っている。
抽象化され、記号化されたものにはナマの癖や限界が感じられなくなる。
必要以上の便利さを生み出してしまうのは、具体的な不便に対する便利でなく、「便利」という抽象化された概念自体が目的になってしまうからだ。
手間がかかり、時間がかったことは、自分の中に入り自分のものとなる。
手間も時間もかからないものはすぐに使うことは出来るが、そのものと自分との距離は埋められない。
アナログが大切なのは思いや気持ちがそこに入るから。
現実に対して謙虚になれるから。
ではデジタルには意味が無いのか。僕はそうは思わないし、アナログ人間でありたいとも思わない。例えばこのブログを書くこともデジタルな行為だと思う。
僕はここではデジタルをおこなっている。抽象化し記号化し、そして普遍化している。
僕にとってのアナログは制作の現場、アトリエで作家たちに向き合っている時だ。
ダウン症の人たちはこうだとか、彼らの作品はとか、彼らから何が見えるかとか。
そういったことは全部、具体的な場面ではなくて抽象化された現実だ。
現場で、彼らにすこしでもいい気持ちで深い世界に入って、制作してもらいたいと思う時にここで考えているような概念は一切役に立たない。それぞれの場面ではもっと具体的な動きが必要とされる。でも現場にあるような具体性は経験したことの無い人に話して伝えられることではないし、そもそも伝える意味も無い。他の人の役にも立たない。
自分にとって具体的な一番役立つことは他人にとって最も関係のない役に立たないことであったりもする。
現場人間はいるが、僕はいいとは思わない。
やっぱり個別のものを普遍化することで人に伝わり、人と繋がる。普遍化とは一種のデジタルだ。普遍化が無ければいつまでも閉鎖された世界で分かり合っているしか無い。
それは排他的でもある。
それに概念化し普遍化することで、現場だけでは見えて来ない本質が見えて来る。
本当の仕事をしようと思ったら自覚的にデジタルとアナログを行き来しなければならないと思う。行き来によって両方の行為が相互に深まっていく。
結論はアナログを徹底してしり、その経験を重ねることを大切にしつつ、デジタル化してみんなと共有するのがいい。「デジタルは弱い」と書いたけど「アナログを知らないデジタルは弱い」と言い換えよう。「弱い」は「危険」でもある。
2011年8月8日月曜日
震災の後に考えること
昨日はゆうすけ君とだいすけ君が初対面。席を向かい合っての制作。
ひと言も言葉を交わすこと無く、何か通じ合ってる感じが面白い。
およそ2時間、2人の集中は途切れること無くむしろ時間の流れと共に深まっていく。
とても静かな時間。神聖な雰囲気さえ漂う。やっぱり作品に向かっている時の彼らは違う。こんな時間が今の社会の何処にあるだろうか。こんな時間があった方がいい。みんなにとって。深く自己と向き合い、世界と向き合い、感じ、味わう時間が、心を静め、謙虚にする時間が。
さて、先日の展覧会は震災後の最初のイベントだった。
実はやるべきかどうか、迷った部分もあった。だから思い入れもある。
純粋に絵を見てもらうために、先入観がないようにキャプションや案内は作家名と作品タイトルのみとした。本当はたくさんの思いをこめた展示だった。
予想どおりというか予想以上に、作品のみに接してもらって来場者に楽しさや、くつろぎや希望を感じていただいた。
震災後というか、復興や原発の問題を含め、未だ何も終わってはいないし、始まったばかりなのだけど、アトリエに何が出来るか深く深く考えさせられた。もちろん今も。
今まで以上に一人一人の心の調和や平和を取り戻す仕事を進めていかなければならない。
あの後真っ先に考えたのは、もちろん一人一人の身体的安全確保で、何かあればいつでも動く、まず命だという覚悟だった。
それと同時にこれは長期戦であり、出来るだけ早く心の安定出来る普段のアトリエを再開しなければと思った。
作家たちには心の帰る場所が必要で、なるべく早くしなければ安定した状態に帰りにくくなってしまう。
昨日の2人の作家のように制作とは、心の本当に深い部分に入っていくことで、人間にとって最も大切な調和とバランスを見出す行為でもある。
今後、ますますこのような実践が必要になって来る。
社会の平和はもちろんみんなで創っていかなければならないけど、それと同じくらい個人の心の平和も大切なものだ。
身体的、物質的、安全、安心も必要だけど、同じくらいこころや精神の安定、調和が必要なのだと思う。どちらも片方だけではダメで、その意味で僕らも今まで以上にこれまでの仕事を続け、深めていかなければならないと思わされた日々だった。
震災後、原発の問題も含め未だに本質的な議論がなされていないと思う。
自然の災害と人が作り出した災害は別のものだ。人間は自然には勝てない。
だから勝とうとしたり、戦ってはならないと思う。人は自然と調和すべきだ。
考えても見れば、人類はかつては自然をコントロール出来るものとして扱ってはいない。
問題の根源は「わかる」「コントロール出来る」というおごった感覚だ。
「わからない」「コントロール出来ない」という感覚、謙虚さが重要だと思う。
本当はこれは道徳や倫理の問題以上に感覚、感性の問題だと思う。
感覚の退化がたくさんの問題を生んでいる。
例えば、ダウン症の人たちの特徴に「やりすぎない」というのがある。
画面にたくさんの色や線を描き重ねて行く、あるいはしぶきを飛ばす。
もう一歩で混ざってしまってぐちゃぐちゃになるところを、彼らは綺麗なところでやめる。これ以上やると汚くなるということを感覚で知っている。
かといって物足りない何かが足りないというものにもならず、充実したものが仕上がる。もっとやりたいところを我慢しているのではない。
ここがキレイだ、きもちいいという感覚がはっきりあって終わるのだ。
原発を含めた人間の技術が暴走しているのは、道徳、倫理以上にこの感性、美意識、バランス感覚だと思う。それ以上やってはいけない、とってはいけないという感覚。
ここが一番キモチ良く平和な状態だからここにいようという落ち着きどころを見逃してしまっている。もう一度、彼らの持つ「やりすぎない」を見習いたいものだ。
展覧会の話の続き。
長谷川祐子さんのキュレーションで四ッ谷に展示した時は、真っ白な教会のような空間で、作品と自己が一対一で向かい合う、神聖な感じだった。
来場者の中では涙を流す人も多く見かけた。
今回のうおがし銘茶 茶の実倶楽部での展示は、作品をもっと身近なものとして寄添い、お互いが繋がるようなイメージを持って挑んだ。
作品が環境に溶け込み、人の心に溶け込み、調和し安らぎを感じていただきたかった。
みんなで希望を持って繋がりを大切にしたいと。
5階ギャラリースペースは彼らの持つ多様性を見ていただけるようにした。
3階の喫茶スペースは大人の空間でやや薄暗い中で重厚感のある作品を中心にした。
2階の喫茶スペースは3階との対比で明るくポップで軽やかな作品を中心とした。
どちらもお茶を飲みながらゆっくり作品を楽しんでいただく、あるいはゆっくりお茶を楽しんでいただく為に作品で空間を心地よくするように展示した。
様々な可能性を感じていただけたかと思う。
人間のこころには調和に向かう感覚と、繋がり平和を生み出し、全体を気持ち良くしていく本能があるし、人間と世界には美があるということをささやかながら示せたのではないだろうか。
でも絵をみて何を感じるか、感じないかは人それぞれ、全く自由。
だから良いのだと思う。
そんな訳でお茶だけ飲んで何となく空間も綺麗だったねという感じも嬉しい。
ひと言も言葉を交わすこと無く、何か通じ合ってる感じが面白い。
およそ2時間、2人の集中は途切れること無くむしろ時間の流れと共に深まっていく。
とても静かな時間。神聖な雰囲気さえ漂う。やっぱり作品に向かっている時の彼らは違う。こんな時間が今の社会の何処にあるだろうか。こんな時間があった方がいい。みんなにとって。深く自己と向き合い、世界と向き合い、感じ、味わう時間が、心を静め、謙虚にする時間が。
さて、先日の展覧会は震災後の最初のイベントだった。
実はやるべきかどうか、迷った部分もあった。だから思い入れもある。
純粋に絵を見てもらうために、先入観がないようにキャプションや案内は作家名と作品タイトルのみとした。本当はたくさんの思いをこめた展示だった。
予想どおりというか予想以上に、作品のみに接してもらって来場者に楽しさや、くつろぎや希望を感じていただいた。
震災後というか、復興や原発の問題を含め、未だ何も終わってはいないし、始まったばかりなのだけど、アトリエに何が出来るか深く深く考えさせられた。もちろん今も。
今まで以上に一人一人の心の調和や平和を取り戻す仕事を進めていかなければならない。
あの後真っ先に考えたのは、もちろん一人一人の身体的安全確保で、何かあればいつでも動く、まず命だという覚悟だった。
それと同時にこれは長期戦であり、出来るだけ早く心の安定出来る普段のアトリエを再開しなければと思った。
作家たちには心の帰る場所が必要で、なるべく早くしなければ安定した状態に帰りにくくなってしまう。
昨日の2人の作家のように制作とは、心の本当に深い部分に入っていくことで、人間にとって最も大切な調和とバランスを見出す行為でもある。
今後、ますますこのような実践が必要になって来る。
社会の平和はもちろんみんなで創っていかなければならないけど、それと同じくらい個人の心の平和も大切なものだ。
身体的、物質的、安全、安心も必要だけど、同じくらいこころや精神の安定、調和が必要なのだと思う。どちらも片方だけではダメで、その意味で僕らも今まで以上にこれまでの仕事を続け、深めていかなければならないと思わされた日々だった。
震災後、原発の問題も含め未だに本質的な議論がなされていないと思う。
自然の災害と人が作り出した災害は別のものだ。人間は自然には勝てない。
だから勝とうとしたり、戦ってはならないと思う。人は自然と調和すべきだ。
考えても見れば、人類はかつては自然をコントロール出来るものとして扱ってはいない。
問題の根源は「わかる」「コントロール出来る」というおごった感覚だ。
「わからない」「コントロール出来ない」という感覚、謙虚さが重要だと思う。
本当はこれは道徳や倫理の問題以上に感覚、感性の問題だと思う。
感覚の退化がたくさんの問題を生んでいる。
例えば、ダウン症の人たちの特徴に「やりすぎない」というのがある。
画面にたくさんの色や線を描き重ねて行く、あるいはしぶきを飛ばす。
もう一歩で混ざってしまってぐちゃぐちゃになるところを、彼らは綺麗なところでやめる。これ以上やると汚くなるということを感覚で知っている。
かといって物足りない何かが足りないというものにもならず、充実したものが仕上がる。もっとやりたいところを我慢しているのではない。
ここがキレイだ、きもちいいという感覚がはっきりあって終わるのだ。
原発を含めた人間の技術が暴走しているのは、道徳、倫理以上にこの感性、美意識、バランス感覚だと思う。それ以上やってはいけない、とってはいけないという感覚。
ここが一番キモチ良く平和な状態だからここにいようという落ち着きどころを見逃してしまっている。もう一度、彼らの持つ「やりすぎない」を見習いたいものだ。
展覧会の話の続き。
長谷川祐子さんのキュレーションで四ッ谷に展示した時は、真っ白な教会のような空間で、作品と自己が一対一で向かい合う、神聖な感じだった。
来場者の中では涙を流す人も多く見かけた。
今回のうおがし銘茶 茶の実倶楽部での展示は、作品をもっと身近なものとして寄添い、お互いが繋がるようなイメージを持って挑んだ。
作品が環境に溶け込み、人の心に溶け込み、調和し安らぎを感じていただきたかった。
みんなで希望を持って繋がりを大切にしたいと。
5階ギャラリースペースは彼らの持つ多様性を見ていただけるようにした。
3階の喫茶スペースは大人の空間でやや薄暗い中で重厚感のある作品を中心にした。
2階の喫茶スペースは3階との対比で明るくポップで軽やかな作品を中心とした。
どちらもお茶を飲みながらゆっくり作品を楽しんでいただく、あるいはゆっくりお茶を楽しんでいただく為に作品で空間を心地よくするように展示した。
様々な可能性を感じていただけたかと思う。
人間のこころには調和に向かう感覚と、繋がり平和を生み出し、全体を気持ち良くしていく本能があるし、人間と世界には美があるということをささやかながら示せたのではないだろうか。
でも絵をみて何を感じるか、感じないかは人それぞれ、全く自由。
だから良いのだと思う。
そんな訳でお茶だけ飲んで何となく空間も綺麗だったねという感じも嬉しい。
2011年8月7日日曜日
彼ら共通のセンス
昨日の夜はお休みの人も出たので2人で静かなアトリエだった。
久しぶりにしんじ君が絶好調。4枚も描いてみんな傑作だった。
10年も付き合っているけど、調子の良い時の彼を見ていると本当に凄いと驚かされる。
彼の場合、調子の悪い時でも作品にはそれほど影響は出ない珍しいタイプではあるけど、やっぱりいい時の勢いは違う。
ダウン症の人たちの場合、ほとんど作品と自分は一体なのでその時の状態が全部絵にあらわれる。本人が病んでしまっている場合や、気持ちが落ち込んでいる時にはなかなかいいものは描けない。逆に言えば健康で楽しい時にいい作品が生まれる。正直な世界だと思う。
ただ、まれにどんなに調子が悪くても作品には影響がない人がいる。
心の中で何者にも影響を受けない領域を持っていて、絵を描く瞬間にそこへ戻っていけるのだと思う。
彼らはみんな共通して豊かな感性を持っているけど、やはりその純度の高い人はいる。
東京のアトリエでいえば、てる君しんじ君、ゆうすけ君は絶えず作品の密度は高いし、時間をかけていい感覚を出し続けるみりちゃんや、良い時は飛び抜けてレベルが上がるりょうすけ君やさとみちゃんのような作家もいる。
やっぱり全員いいけど、スタイルはそれぞれ。一人一人のリズムを尊重すべきだ。
いいところが出て来るタイミングもみんな違うから。
特に制作のような心の深いところに向かっていく作業に口出しや手出しは慎まなければならない。
最近、話題になっている書道の作家に関して、時々聞かれるのではっきり書くけど、見ていてかわいそう。周りの要求に応えるのに必死になっていて。
あれを見て拍手喝采している人達も、本人の幸せを願うのか、ただサクセスストーリーに酔いたいだけなのか見直すべきだ。本人の心は置き去りにされていると思う。
この他にもマスコミ関連で物語をでっちあげられて、無理な要求に応えさせられている人は多い。もっとも良くないのは競争させることだろう。
これは批判するために言っているのではなくて、彼らのためにあえて言わせて頂いている。真に受けてまねする人が出て来てはなおさら被害は大きくなる。
アトリエ・エレマン・プレザンの活動も知られていくことによって、まねしようとする人達も増えてきた。
この様な場はたくさん必要だし、増えてくれること自体は喜ばしいことだけど、やるのならしっかり考えて作家たちの性質を見極め、関わる人間としての自身の能力も磨いて欲しい。私たちには責任がある。
自分がこの環境を創っていくだけの資質を持っているのか見直し、足りないものは補っていかなければならない。
スタッフの役割や仕事に就いてはまた近いうちに書く。
今回は、もしかしてアトリエのことを余り知らずにこのブログを読んで下さっている方もいるかもしれないし、初心に返ってダウン症の人たちが共通して持っているセンスについて書いてみたい。
まず、本当に彼らは共通した何かを持っているのか。
例えば、作品を展示しているとぱっと入って来た人がみんな同じ人が描いたものですねと聞いて来ることがよくある。このように視覚的にも彼らに共通な感覚は確認出来る。
10名の作家の作品を並べてもそれぞれが争うこと無く調和する。
描くプロセスにも共通するものがある。不思議なことだ。
なにより、彼らはみな造形的センスを示す。
僕自身、ダウン症の人達で制作に関わっただけの人で100名以上の人は見て来たが、絵を描けない人はいなかった。
出会ったほとんどの人はそれまで別にどこかで絵を習ったことも無ければ描く習慣もなかった人達でだ。
彼らは言語以上に感性や造形を通じて生き、会話する。
共通すると言うとよく、では個人の個性はないのかと聞かれるが、確かにはっきりとした個性はある。一人一人が、これは誰のスタイルとはっきり分かるものを持っている。
しかし、個性がありつつそこには共通するものも多い。
絵に闇が無いこと、明るく穏やかなこと、バランス感覚の良さ、感覚の鋭さ。
彼らは特に調和的な感性において共通する。
環境に調和し、素材や物、人の心、場の雰囲気を読み調和していく。
その結果が作品にあらわれる。
更には10歳以下の子に共通した作風がある。健常児とはまた違う世界だ。
彼らは作品においてはだいたい20歳頃から自分のスタイルが確立される。
このような感性はおそらく彼らが生まれ持っているもので、活かす環境があるかないかで能力を発揮するかどうかが決まる。
彼らが本来的に持っている能力を私たちはどのように捉えるべきだろうか。
その一つの問いかけが、作品を通しておこなわれている。
僕は彼らの示す感性の世界は人間の持つ可能性そのものだと思う。
本来は人間みんなが持っていた世界で、その力を我々は失って来たのではないかと思う。
その意味で彼らは私たちに可能性を示しているし、それを受け取り、彼らにとって生きやすい環境を創ることが、私たちにとっても人間に本来備わっている本能を蘇らせることになるのだと思う。
久しぶりにしんじ君が絶好調。4枚も描いてみんな傑作だった。
10年も付き合っているけど、調子の良い時の彼を見ていると本当に凄いと驚かされる。
彼の場合、調子の悪い時でも作品にはそれほど影響は出ない珍しいタイプではあるけど、やっぱりいい時の勢いは違う。
ダウン症の人たちの場合、ほとんど作品と自分は一体なのでその時の状態が全部絵にあらわれる。本人が病んでしまっている場合や、気持ちが落ち込んでいる時にはなかなかいいものは描けない。逆に言えば健康で楽しい時にいい作品が生まれる。正直な世界だと思う。
ただ、まれにどんなに調子が悪くても作品には影響がない人がいる。
心の中で何者にも影響を受けない領域を持っていて、絵を描く瞬間にそこへ戻っていけるのだと思う。
彼らはみんな共通して豊かな感性を持っているけど、やはりその純度の高い人はいる。
東京のアトリエでいえば、てる君しんじ君、ゆうすけ君は絶えず作品の密度は高いし、時間をかけていい感覚を出し続けるみりちゃんや、良い時は飛び抜けてレベルが上がるりょうすけ君やさとみちゃんのような作家もいる。
やっぱり全員いいけど、スタイルはそれぞれ。一人一人のリズムを尊重すべきだ。
いいところが出て来るタイミングもみんな違うから。
特に制作のような心の深いところに向かっていく作業に口出しや手出しは慎まなければならない。
最近、話題になっている書道の作家に関して、時々聞かれるのではっきり書くけど、見ていてかわいそう。周りの要求に応えるのに必死になっていて。
あれを見て拍手喝采している人達も、本人の幸せを願うのか、ただサクセスストーリーに酔いたいだけなのか見直すべきだ。本人の心は置き去りにされていると思う。
この他にもマスコミ関連で物語をでっちあげられて、無理な要求に応えさせられている人は多い。もっとも良くないのは競争させることだろう。
これは批判するために言っているのではなくて、彼らのためにあえて言わせて頂いている。真に受けてまねする人が出て来てはなおさら被害は大きくなる。
アトリエ・エレマン・プレザンの活動も知られていくことによって、まねしようとする人達も増えてきた。
この様な場はたくさん必要だし、増えてくれること自体は喜ばしいことだけど、やるのならしっかり考えて作家たちの性質を見極め、関わる人間としての自身の能力も磨いて欲しい。私たちには責任がある。
自分がこの環境を創っていくだけの資質を持っているのか見直し、足りないものは補っていかなければならない。
スタッフの役割や仕事に就いてはまた近いうちに書く。
今回は、もしかしてアトリエのことを余り知らずにこのブログを読んで下さっている方もいるかもしれないし、初心に返ってダウン症の人たちが共通して持っているセンスについて書いてみたい。
まず、本当に彼らは共通した何かを持っているのか。
例えば、作品を展示しているとぱっと入って来た人がみんな同じ人が描いたものですねと聞いて来ることがよくある。このように視覚的にも彼らに共通な感覚は確認出来る。
10名の作家の作品を並べてもそれぞれが争うこと無く調和する。
描くプロセスにも共通するものがある。不思議なことだ。
なにより、彼らはみな造形的センスを示す。
僕自身、ダウン症の人達で制作に関わっただけの人で100名以上の人は見て来たが、絵を描けない人はいなかった。
出会ったほとんどの人はそれまで別にどこかで絵を習ったことも無ければ描く習慣もなかった人達でだ。
彼らは言語以上に感性や造形を通じて生き、会話する。
共通すると言うとよく、では個人の個性はないのかと聞かれるが、確かにはっきりとした個性はある。一人一人が、これは誰のスタイルとはっきり分かるものを持っている。
しかし、個性がありつつそこには共通するものも多い。
絵に闇が無いこと、明るく穏やかなこと、バランス感覚の良さ、感覚の鋭さ。
彼らは特に調和的な感性において共通する。
環境に調和し、素材や物、人の心、場の雰囲気を読み調和していく。
その結果が作品にあらわれる。
更には10歳以下の子に共通した作風がある。健常児とはまた違う世界だ。
彼らは作品においてはだいたい20歳頃から自分のスタイルが確立される。
このような感性はおそらく彼らが生まれ持っているもので、活かす環境があるかないかで能力を発揮するかどうかが決まる。
彼らが本来的に持っている能力を私たちはどのように捉えるべきだろうか。
その一つの問いかけが、作品を通しておこなわれている。
僕は彼らの示す感性の世界は人間の持つ可能性そのものだと思う。
本来は人間みんなが持っていた世界で、その力を我々は失って来たのではないかと思う。
その意味で彼らは私たちに可能性を示しているし、それを受け取り、彼らにとって生きやすい環境を創ることが、私たちにとっても人間に本来備わっている本能を蘇らせることになるのだと思う。
2011年8月6日土曜日
夏休み 夜のアトリエ
すっかり夏らしく、暑い毎日。
アトリエ・エレマン・プレザンは、三重アトリエでは8月25日から韮崎大村美術館で開催される「無垢の芸術家達 アトリエ・エレマン・プレザンの世界」展に向けて準備をおこなっている。
東京アトリエは節電と作家たちの夏の体力を考えて、夜のアトリエを開いている。
ここ数日、毎日夜の制作を見ていると、昼とはまた違った面白さがある。
昼間のまだこれから色んな事をする前に描いている意識と、夜の一日終わった後の制作に向かう時間の意識。
昨日は久しぶりにゆうちゃんが来て、始めは眠そうだったけど絵に入っていくと、冴えてるなあと感じさせられた。朝早くも多分、いい絵を描きそうな気がする。
通うのは大変だからいつか合宿でもした時に早朝の制作があってもいい。
もちろん、起きる時間はみんな違うから朝早くが人によって何時なのか分からないけど。
7月20日から30日まで、うおがし銘茶 茶の実倶楽部でおこなわれた展覧会も本当に好評でいい企画になった。
葉さんをはじめ、うおがし銘茶の方々にはただ感謝。
担当して下さった葉さんの作家とアトリエへの思いによって出来た展覧会だった。
ダウン症の人達の心であり、こう言って良ければ魂でもある作品を大切に扱い、伝えていくと深いところで響いて下さる方達と出会う事がある。
こうした出会いこそが大切なのだと思う。今回も様々な方達と出会った。
印象的だったのが、銀座の有名な和食店の料理長さんが食い入る様に絵を鑑賞されていたこと。すこしお話ししたけど絵も料理も同じとお互い通じるものを感じた。
ダウン症の人たちの描く世界は、何かを真剣に追求されておられる方には必ず通じると確認した場面だった。
絵画も拝むようなものではなくてもっと生きていることと直結するような何かなのだと思う。食べて美味しいと思う、飲んで美味しいと思う、聞いて心地よいと感じる、いいにおい、見て美しいと感じる、そこには生命のバランス感覚があるはずだ。
基本的に快を感じるものは心にも身体にもよく、不快に感じるものは悪いものなはず。
本能の感覚が壊れていなければ。
ダウン症の人たちは本能的に色彩と造形によって快を感じるバランスを知っている。
だから描くことによって自分も他人も気持ち良くなれる。
この無作為の自然さが彼らの持ち味だと思う。頭で作品を鑑賞する人は彼らの作品を、現代作家や抽象画の誰それに似ているだとか、これは現代アートだとかさも褒め言葉のように言って下さるが、彼らの作品とプロの職業画家の作品は似て非なるものだ。
これはどちらがいいと言っているのではない。ただ違う種類のものだということだ。
プロの画家とダウン症の人たちの作品の一番の違いは、良くも悪くも意図され計算されて創られたものと無作為に生み出されたものの差だろう。
もちろん、彼らの作品にも彼ら独自の計算や意図が働く場合があるが、これはまた少し種類の違うものだ。
アトリエではダウン症の人たちの作品を福祉のような助ける、助けられるという構図ではなく(日本のアウトサイダーアート、障害者アートは完全に福祉だと思う)、美術的視点で提示して来た。見る人が見れば分かるように。
その結果としてたくさんの評価を頂いてきた。
次の段階は美術という専門の領域だけでなく、一般の方たちに見て楽しんで頂く時期だと思う。ここ数年はそういう機会に恵まれて、普段絵を鑑賞するような習慣の無い方々が彼らの作品にふれ、それぞれの感動を口にして下さった。
アール•イマキュレはどんな人にも伝わると思う。(アトリエではダウン症の人たちの作品をアール•イマキュレと呼び美術史に位置づけていこうとしてきた。一部誤解のある発言も公表されて来たがこの言葉はアトリエ・エレマン・プレザン開設の佐藤肇、敬子によって提案され、数人の識者達と相談の上、命名されている)
こうして展覧会を開くと様々な方々にご来場いただき、はじめて作品に接する人たちからも感動の声を沢山聞くけど、最近はどうも保護者の方達に見て頂けていないのが残念でならない。あんまり言ってしまうと見に行かなければならないと思われても困るので少しだけ。
自分の子供の作品が展示されたときだけ見るのじゃなく、彼らはみんな仲間なのだから他の人達の作品も見て気持ちを一つにして欲しい。
みんなの作品をみんなで見て、みんなで喜べたらどんなに良いだろうか。
アトリエ・エレマン・プレザンに所属している作家はみんな共通してすぐれた感性を示していると思う。誰が誰より上ということは本当はいえない。
みんなの作品を一緒に見ることで実は個人のことも良く分かったりする。
1人の人ばかり見ていると見えなくなる部分もある。
外の人達があんなに素晴らしいと言って下さっているのだから、アトリエ内でももう一度仲間たちを知っていこう。
この人の作品は素晴らしいと言われたとして、もし隣にある作品が違っていたらその作品もそこまで引き立っただろうか。
彼らの世界は作品も人も互いを活かし合う。
ましてや彼らの場合、制作の場を共にしているみんなの意識が個人の作品の中に現れているのだから。良い作品が生まれる為には良い環境が必要。良い環境はスタッフだけでなく、一緒に描いている他の3人4人で創られているのだから。
アトリエ・エレマン・プレザンは、三重アトリエでは8月25日から韮崎大村美術館で開催される「無垢の芸術家達 アトリエ・エレマン・プレザンの世界」展に向けて準備をおこなっている。
東京アトリエは節電と作家たちの夏の体力を考えて、夜のアトリエを開いている。
ここ数日、毎日夜の制作を見ていると、昼とはまた違った面白さがある。
昼間のまだこれから色んな事をする前に描いている意識と、夜の一日終わった後の制作に向かう時間の意識。
昨日は久しぶりにゆうちゃんが来て、始めは眠そうだったけど絵に入っていくと、冴えてるなあと感じさせられた。朝早くも多分、いい絵を描きそうな気がする。
通うのは大変だからいつか合宿でもした時に早朝の制作があってもいい。
もちろん、起きる時間はみんな違うから朝早くが人によって何時なのか分からないけど。
7月20日から30日まで、うおがし銘茶 茶の実倶楽部でおこなわれた展覧会も本当に好評でいい企画になった。
葉さんをはじめ、うおがし銘茶の方々にはただ感謝。
担当して下さった葉さんの作家とアトリエへの思いによって出来た展覧会だった。
ダウン症の人達の心であり、こう言って良ければ魂でもある作品を大切に扱い、伝えていくと深いところで響いて下さる方達と出会う事がある。
こうした出会いこそが大切なのだと思う。今回も様々な方達と出会った。
印象的だったのが、銀座の有名な和食店の料理長さんが食い入る様に絵を鑑賞されていたこと。すこしお話ししたけど絵も料理も同じとお互い通じるものを感じた。
ダウン症の人たちの描く世界は、何かを真剣に追求されておられる方には必ず通じると確認した場面だった。
絵画も拝むようなものではなくてもっと生きていることと直結するような何かなのだと思う。食べて美味しいと思う、飲んで美味しいと思う、聞いて心地よいと感じる、いいにおい、見て美しいと感じる、そこには生命のバランス感覚があるはずだ。
基本的に快を感じるものは心にも身体にもよく、不快に感じるものは悪いものなはず。
本能の感覚が壊れていなければ。
ダウン症の人たちは本能的に色彩と造形によって快を感じるバランスを知っている。
だから描くことによって自分も他人も気持ち良くなれる。
この無作為の自然さが彼らの持ち味だと思う。頭で作品を鑑賞する人は彼らの作品を、現代作家や抽象画の誰それに似ているだとか、これは現代アートだとかさも褒め言葉のように言って下さるが、彼らの作品とプロの職業画家の作品は似て非なるものだ。
これはどちらがいいと言っているのではない。ただ違う種類のものだということだ。
プロの画家とダウン症の人たちの作品の一番の違いは、良くも悪くも意図され計算されて創られたものと無作為に生み出されたものの差だろう。
もちろん、彼らの作品にも彼ら独自の計算や意図が働く場合があるが、これはまた少し種類の違うものだ。
アトリエではダウン症の人たちの作品を福祉のような助ける、助けられるという構図ではなく(日本のアウトサイダーアート、障害者アートは完全に福祉だと思う)、美術的視点で提示して来た。見る人が見れば分かるように。
その結果としてたくさんの評価を頂いてきた。
次の段階は美術という専門の領域だけでなく、一般の方たちに見て楽しんで頂く時期だと思う。ここ数年はそういう機会に恵まれて、普段絵を鑑賞するような習慣の無い方々が彼らの作品にふれ、それぞれの感動を口にして下さった。
アール•イマキュレはどんな人にも伝わると思う。(アトリエではダウン症の人たちの作品をアール•イマキュレと呼び美術史に位置づけていこうとしてきた。一部誤解のある発言も公表されて来たがこの言葉はアトリエ・エレマン・プレザン開設の佐藤肇、敬子によって提案され、数人の識者達と相談の上、命名されている)
こうして展覧会を開くと様々な方々にご来場いただき、はじめて作品に接する人たちからも感動の声を沢山聞くけど、最近はどうも保護者の方達に見て頂けていないのが残念でならない。あんまり言ってしまうと見に行かなければならないと思われても困るので少しだけ。
自分の子供の作品が展示されたときだけ見るのじゃなく、彼らはみんな仲間なのだから他の人達の作品も見て気持ちを一つにして欲しい。
みんなの作品をみんなで見て、みんなで喜べたらどんなに良いだろうか。
アトリエ・エレマン・プレザンに所属している作家はみんな共通してすぐれた感性を示していると思う。誰が誰より上ということは本当はいえない。
みんなの作品を一緒に見ることで実は個人のことも良く分かったりする。
1人の人ばかり見ていると見えなくなる部分もある。
外の人達があんなに素晴らしいと言って下さっているのだから、アトリエ内でももう一度仲間たちを知っていこう。
この人の作品は素晴らしいと言われたとして、もし隣にある作品が違っていたらその作品もそこまで引き立っただろうか。
彼らの世界は作品も人も互いを活かし合う。
ましてや彼らの場合、制作の場を共にしているみんなの意識が個人の作品の中に現れているのだから。良い作品が生まれる為には良い環境が必要。良い環境はスタッフだけでなく、一緒に描いている他の3人4人で創られているのだから。
2011年8月5日金曜日
ブログ始めます。
東京アトリエの佐久間です。
アトリエ日記のページは佐藤よし子が担当しておりますが、新たにサクマブログも更新していく事になりました。
はじめはアトリエ日記のページをスタッフが交代で書く予定でしたが、既によし子ブログを多くの方々に楽しんで頂いており、なるべく雰囲気を変えないでいきたいので、佐久間ページを新たに開設することになりました。
アトリエ日記のページは引き続き、お楽しみ下さいませ。
そして、すこし雰囲気の違うやや小難しい感じになってしまうと思いますが、
興味のある方はこのページも是非ご覧ください。写真も無いし、文字も多くなるので、
良かったらプリントアウトして読んで下さい。
さて、今回はこのブログを始める目的をすこしかきます。(以下、文章は敬語ではなくなります。お許し下さい。)
以前からアトリエに通う学生達にブログ書いてとは言われていたけど、一人一人に直接話す言葉を大切にして来たのであえて書く気がおこらなかった。
ほんの少し前の事だけど、みんなとじっくり話す時間を持てていた。
アトリエのイベントや外部での活動を手伝ってもらいながら、あるいは家に泊まりに来てゆっくり話す事も多かった。
勉強会の様なものも続けて来たし、教室も見たい、学びたいという人にはなるべく時間をとってきた。そんな時間が少しづつ無くなってきている。
学生達ともゆっくり会って話せなくなって来た。
彼らはダウン症の人たちの感性から多くのものを吸収していっているし、今後もその姿勢で社会に挑んで欲しい。
僕に出来る事は掴んだビジョンを持続していく為に、どのように考えていけばいいか、今まで話してきた続きをここに書いていく事だと思っている。
これから社会に出て行く学生達にダウン症の人たちの持つ世界を知ってもらうことは、社会にとってもダウン症の人たちにとっても最も重要なことの一つだと思う。
ブログの中で学生達にメッセージを送る事がまず目的の一つ。
もう一つは生徒の保護者の方達やアトリエの関係者にも読んで頂くことを願っている。
保護者の方達とは本当に長いお付き合いなのに話し合う時間はあんまり持てていない。
普段のアトリエでは僕達は生徒達の制作に向き合っていて、その途中では他の事は出来ない。一人一人が制作に集中出来る様に、保護者の方達には待合室でお待ち頂いている。
初期の頃は生徒も少なく家族の様に時にはゆっくりお話ししながらアトリエを進めて来れたけど、今ではメンバーも増えたし、大人になって1人でアトリエに通う人も多いので、なかなか保護者の方とお会いする時間も少なくなった。
そんな中でアトリエの活動をご理解頂き、考えを知って頂き、出来れば一緒に希望を持っていきたいという思いからも、その都度、アトリエの活動や考えを書いていきたいと思う。
そして最後に外部の方達にダウン症の人たちの持つ感性の世界を発信していきたいと思う。ここ数年、東京のアトリエにも、新聞、雑誌を含め、多くの取材、見学、相談を受けてきた。ダウン症の人たちの持つ感性やアトリエの活動に対しての関心は年々高まりつつある。震災の話はまたおいおい書いていく事になると思うけど、あれ以後、世界は調和とバランスを見直し、取り戻さなければならないことに気付き始めた。ダウン症の人たちの持つ調和的感性を今こそ見直すべき時なのだと思う。
アトリエ・エレマン・プレザンはこの調和のビジョンを伝える義務を持っている。
そんな事からも制作の現場から見えてきた様々なことをこれから書いていきたいと思う。
このブログは真剣に正直に書いていきたいので、時には批判を含めはっきりと意見を言うこともあると思う。誰しもが耳心地良く賛同出来る事ばかりじゃないと思うけど、真剣に考え続けた結果の今の気持ちを読んで頂きたい。
これから多い時は毎日、少なくとも週に一度は書いていくので皆さま宜しくお願い致します。
アトリエ日記のページは佐藤よし子が担当しておりますが、新たにサクマブログも更新していく事になりました。
はじめはアトリエ日記のページをスタッフが交代で書く予定でしたが、既によし子ブログを多くの方々に楽しんで頂いており、なるべく雰囲気を変えないでいきたいので、佐久間ページを新たに開設することになりました。
アトリエ日記のページは引き続き、お楽しみ下さいませ。
そして、すこし雰囲気の違うやや小難しい感じになってしまうと思いますが、
興味のある方はこのページも是非ご覧ください。写真も無いし、文字も多くなるので、
良かったらプリントアウトして読んで下さい。
さて、今回はこのブログを始める目的をすこしかきます。(以下、文章は敬語ではなくなります。お許し下さい。)
以前からアトリエに通う学生達にブログ書いてとは言われていたけど、一人一人に直接話す言葉を大切にして来たのであえて書く気がおこらなかった。
ほんの少し前の事だけど、みんなとじっくり話す時間を持てていた。
アトリエのイベントや外部での活動を手伝ってもらいながら、あるいは家に泊まりに来てゆっくり話す事も多かった。
勉強会の様なものも続けて来たし、教室も見たい、学びたいという人にはなるべく時間をとってきた。そんな時間が少しづつ無くなってきている。
学生達ともゆっくり会って話せなくなって来た。
彼らはダウン症の人たちの感性から多くのものを吸収していっているし、今後もその姿勢で社会に挑んで欲しい。
僕に出来る事は掴んだビジョンを持続していく為に、どのように考えていけばいいか、今まで話してきた続きをここに書いていく事だと思っている。
これから社会に出て行く学生達にダウン症の人たちの持つ世界を知ってもらうことは、社会にとってもダウン症の人たちにとっても最も重要なことの一つだと思う。
ブログの中で学生達にメッセージを送る事がまず目的の一つ。
もう一つは生徒の保護者の方達やアトリエの関係者にも読んで頂くことを願っている。
保護者の方達とは本当に長いお付き合いなのに話し合う時間はあんまり持てていない。
普段のアトリエでは僕達は生徒達の制作に向き合っていて、その途中では他の事は出来ない。一人一人が制作に集中出来る様に、保護者の方達には待合室でお待ち頂いている。
初期の頃は生徒も少なく家族の様に時にはゆっくりお話ししながらアトリエを進めて来れたけど、今ではメンバーも増えたし、大人になって1人でアトリエに通う人も多いので、なかなか保護者の方とお会いする時間も少なくなった。
そんな中でアトリエの活動をご理解頂き、考えを知って頂き、出来れば一緒に希望を持っていきたいという思いからも、その都度、アトリエの活動や考えを書いていきたいと思う。
そして最後に外部の方達にダウン症の人たちの持つ感性の世界を発信していきたいと思う。ここ数年、東京のアトリエにも、新聞、雑誌を含め、多くの取材、見学、相談を受けてきた。ダウン症の人たちの持つ感性やアトリエの活動に対しての関心は年々高まりつつある。震災の話はまたおいおい書いていく事になると思うけど、あれ以後、世界は調和とバランスを見直し、取り戻さなければならないことに気付き始めた。ダウン症の人たちの持つ調和的感性を今こそ見直すべき時なのだと思う。
アトリエ・エレマン・プレザンはこの調和のビジョンを伝える義務を持っている。
そんな事からも制作の現場から見えてきた様々なことをこれから書いていきたいと思う。
このブログは真剣に正直に書いていきたいので、時には批判を含めはっきりと意見を言うこともあると思う。誰しもが耳心地良く賛同出来る事ばかりじゃないと思うけど、真剣に考え続けた結果の今の気持ちを読んで頂きたい。
これから多い時は毎日、少なくとも週に一度は書いていくので皆さま宜しくお願い致します。
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書いている人
- 佐久間寛厚
- アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。