2015年4月30日木曜日

親方のこと

「アラヤシキの住人たち」、明日から公開です。
東京アトリエでは少しチケットを販売しますので、
ご興味のある方は制作が終了してからお声をかけて下さい。

今ってゴールデンウィークだったんですね。
今日気がつきました。

今月も終わってしまった。
やるべき仕事は半分近くも残ってしまった。

共働学舎の宮嶋真一郎先生が亡くなった。
生前、僕は宮嶋先生と呼んだことは無い。
メンバーのみんなと同じようにずっと親方と呼んで来た。
92才で、老衰なのだから大往生と言うべきだろう。
この前会った時に信さんから状況は聞いていたので、
覚悟は決めていたつもりだった。
悦子さんから頂いた手紙でも、もうすぐなのだろうと感じていた。
それでも強いショックを受けた。不思議だ。

親方のことはまだ書けないのに、でも今書かなければという気持ちになっている。

仕事は誰かがきっちり継承しなければならない。
そして、正当にこのパイオニアを評価し位置づける必要もあるのではないか。

この2つとも相応しい立場にある方が行うべきだ。

僕には本当に極めて個人的な思い出があるだけだ。

追悼のようなことも書けない。

親方は名前が大きくなることを嫌っていたし、
マスコミ関連の取材はほとんど断っていた。
その仕事の大きさと影響の強さを考えれば、
もっともっと注目されても仕方の無い存在だった。
マザーテレサも評価していたという。
僕が学舎を離れてから各地で出会った色んな人達が、
あの人も、あの人もと言うほど親方の影響をうけていた。

でもその辺りのことは先に書いたように僕には語れない。

僕は親方から仕事を学んだ訳ではなかった。
子供のように育ててもらっただけだ。
そのような人間を一番必要としていた時期に、
一緒に居てくれて、受け入れてくれて、愛情を注いでくれた存在だ。

これまで言わなかったことを一つだけ。
親方と過ごした日々が自分の人生の中で一番幸せな時間でした。

野獣のように戦うことしか知らなかったころに、
ぬくもりを、あたたかさを、安心して昼寝するような時間を教えてくれた。
親方と出会って1年間くらいで一生分の休息を終えたような気がする。

あの頃は親方もずっと母屋に居たから、
他に一緒に居たかった人もいただろうが、
僕は一日中、親方と過ごす日も多かった。

特に休みの日はみんなどこかに出掛ける中で、
することも無く一人でいる僕を気にかけて、ずっと一緒にいてくれた。

あんなに心を許せて、気持ちが通じ合える存在が居た時期があった。
親方には何でも話せるという時代だった。
その後、僕が反抗期に入って行く時、親方がどれほど寂しい思いをしたのか、
考えると申し訳なくて涙が出て来る。
でも、その頃はそれが正しさだと思っていたし、
反抗期であるとは気がつかなかった。
親や家庭に向ける気持ちが、
どこにも無かった僕にとってはあれすら得難い時間だったのだろう。

あんなにしてもらったのに、
最後は生意気しか言わなかったという気持ちは、どうしても残る。

初めて会った時のこと。いきなり何時間も話したっけ。

親方と一緒に居る時、僕が8割、親方は2割の話だった。
今思えば、もっと色んなことを聞いておくべきだった。

時々、教えてくれるエピソードは面白かった。
昔の人の知恵とか、大工や職人さんの話。
外国の話。
2人で話したのは仏教や宗教の話。
それから相撲、クラシックの話。
ベートーベンとドヴォルザークが特に好きだったと思う。
僕にクラシックを聴く時間を教えてくれた祖父もドヴォルザークを良く聴いていた。
僕の祖父はカラヤンにあこがれを抱いていて、
いつも聴かせてくれたけれど、僕はカラヤンのギラギラした音が嫌いだった。
祖父がカラヤンがどれほど凄いか比較のために、
もっと古い指揮者の演奏を交互にかけるのだが、
僕は比較を聴けば聴くほど、過去の演奏家が好きになった。
特にフルトヴェングラーの音は神秘的だった。
親方もカラヤンが嫌いだった。

親方が好きだったベートーベンのピアノソナタの方の田園を今聴いている。
演奏はバックハウス。

予想道理のとりとめの無い文章になってしまった。

親方とは本当に沢山の時間を一緒に過ごしたし、
数限りない話題を話した。
付き添いもした。金沢のホテルにも呼んでもらった。
文通もした。
何を言っても許してくれた。

学舎を離れては戻って来ると言うのを繰り返していたころも、
ずっと待ってくれたし、チャンスを捉えては会ってくれた。
戻る時にはみんなを説得してくれた。

親方が僕を褒めてくれたのは、素直でやさしいということだった。
忘れないでいたい。

いつの頃からだろうか。
親方から自由になりたくなった。
最初は講演等で学舎から親方が居なくなる時間が寂しくて、
他のメンバーと遊ぶようになって行き、
少しづつみんなの面白さや凄さを見つけて行くと、
そっちの方に夢中になった。
親方は僕がみんなのことをどう見るか、楽しみにしてくれたし、
いつも興味を持ってくれた。
でも、僕は親方はこんなことも分からないのか、と生意気を言ったりした。
あんなに歳は離れていたのに、僕の言葉に素直に喜んだり悲しんだりしていた。
いっぱい傷つけてしまった。いっぱい寂しい想いをさせてしまった。

食事の時、親方の隣にいつも座っていたのが、
一つずらし、2つずらし、やがてはテーブルを変え、
最後の方は一番遠くに座るようになっていた。
時々親方は「佐久間君は来ているかい」と誰かに聞いたり、
みんなに聴こえるように聞いていたりすることがあった。

こんな思い出を書いて行くときりがない。
また色々思い出すだろう。

親方、僕はあの時間に戻りたいです。

でも進みます。戻りたいと思える時間が存在することを幸せに感じます。
それを与えてくれた親方に感謝します。

親方と一緒に過ごした間、一緒にその場に居てくれた多くの人達。
みんな居ますか?
片山さん、のぶちゃん、山岸さん、みやしたさんも、まついともこさんも、
そしてたけしも、みんな。
あの頃、一緒に居たみんな。

みんなのことが大好きだった。

そろそろ終わりにしなければならない。
纏まらないのは分かっていて書き始めたのだから。

また書くとは思うけれど、僕なりに一区切りつけます。
これからやるべき仕事があるから。

歩き続けなければならないから。

テニスコート、草むら、スキー場。
山道、見上げた空。
真っ白な雪。
泣いたり笑ったり。

暑い暑い夏。

親方と一緒に食べていたシナモンロールを、今食べたい。

長い間、本当に有り難う御座いました。

2015年4月29日水曜日

晩春

春は駆け抜けるようで、もう夏の気配すらしている。

恩師、宮嶋真一郎先生がお亡くなりになりました。
心よりご冥福をお祈り致します。

親方、16才で出会ってから22年もの間、
本当に有り難う御座いました。

今は言葉が出て来ない。

次の土、日曜日の制作が終わったら、
とんぼ帰りでも一度、小谷に行くしかないかと思っている。

それから改めて書くことにします。

同時に動くもの

今度は暑いですね。

絵の具に使っている缶の交換時期に来たので注文。
絵具もちょっとアレンジした。

今日は久しぶりに柏木さんと打ち合わせ。

前回の土、日曜日の制作は素晴らしいと言うより凄まじかった。
作家達の限界を知らない無尽蔵の創造性。
場も作品も輝き続けた。
僕自身のスタッフとしての仕事も鬼気迫るものがあった。
もっと行くのか、と自分の気迫に驚いていた。
そんなことはこれまでに無い。

ある意味で動きも感度も以前より落ちたからこその在り方だ。
今出来るところまでやらなければ、と言う思いがあの気迫に繋がっているのだろう。

普段意識している訳ではないが、
無意識や身体が、今やっておかなければ、という気持ちを強く持っているのだろう。
現場における本能かも知れない。

出来るようになることが増えて行くのと同じ位に、
出来なくなって行くことも大切なことなのかも知れない。

あれが出来ないからこそ、これをしなければというところもあるし。

場はいつでも沢山のことを教えてくれたけれど、
面白さや味わいも本当に変わって行く。

進歩したり退化したりと言うよりは、
いつでもその時でしかない大切な何かがあるのだと思っている。

結局、今が一番良いなあ、と思う。

最近、数名の作家から違う場所で僕と会って話をした、
ということを聞いた。
こういうのは幻想だとは思わない。
確かに僕達はそういう深い繋がりにまで行かなければ、
本当の意味の対話にはならない。

沢山の場所に同時にいなければならないし、
沢山の時間を同時に生きなければならない。

そこに居なかったのだから会うはずが無いと言うような、
浅い部分しか見ないのであれば、
現実も対話も作品も薄っぺらなものにしかならないだろう。

僕達はもっと奥にあることを見ている。
そこで話している。そこで関わっている。そこで共有している。

いつも同じことを書くみたいだけど、このことは大切なことだ。

2015年4月25日土曜日

沈黙の空間

今度はすぐに夏になりそう。

窓を全開に出来るようになったということは、
制作の時間において、一つ選択肢が増える訳でここは大きい。

朝からずっと鳥が鳴いている。
この緩やかな陽射しと対話するように。

人の声も、車の音も聴こえない。

ここは本当に昨日居た世界なのだろうか。

遠くの方からまた鳥の声。

さて、今日も行こう。

どこまで行けるのか分からないけれど。

どこまでもどこまでも。

どんな音が聴こえる?どんな香りがする?どんな気分?
沢山の記憶。その先に何がある?。
山や海を、森を分け入って進む。
たくさんの風景がやがて消えて行く。
光と闇の遥か向うから、また新たな色彩が生まれて来る。

それらはどこからやって来たのか。
僕らはどこへ行こうとするのか。

もっと先まで。もっと奥まで。

そして、みんなが一つのものを見る。
その時、僕達は自分が何ものなのか、どこから来たのかを知る。

すべてはここにある。
そこからこそ創造性という存在の根源の秘密が見える。

僕達は場に向かうことが出来る。
だから何も要らない。
ここで全てが得られるのだから。

2015年4月24日金曜日

何が本質か。

昼間は暑いくらいでしたね。

共働学舎のドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人達」、
いよいよ上映が近づいて来ました。
アトリエでもチケットを販売することにしました。
明日、あさっての教室には間に合わないと思いますが、
次週からは置きます。
一言お声をかけて下さい。

ラッシュジャパンさんとのコラボ商品も好評で嬉しいです。

僕はまた現場のことを考えています。
いつでもだけれど。
更に一段上の場にして行くには何が必要なのか。

場とは何なのか。答えの無い探求です。

言うだけで満足している人には縁のない話。
ちょっとイベントをして、何か変わった気になったり、
何かした気になったり、あるいはそんな気になれない不安から、
また次のイベントを考えたり。
そんな上っ面なことで終わって行く人は多い。

どうしたら企画が注目されますか、とか、
展示が上手く行きますか、とか質問して来る人も居る。
その前に何故、注目される必要があるのか、
なぜ展示するのか、良く考えてみた方が良い。

一番大切なのは内容、中身のことだ。
充実した時間を提供出来ているのか、そこで幸せを感じてもらえているのか。

深い現場があって、心の底から立ち上がって来る力があふれて、
そのエネルギーに触れている時、他の全てはしょせんは本質ではないと感じる。
これが全てこの時間が全てなのだと。

世の中は卑しさだらけだけど、
もうそんなことに関わり合っている暇はない。
僕達はどこまでも歩いて行く。
一歩、一歩を踏みしめながら。

ここではみんなの意思が一つになっている。
外ではやられっぱなしの人も多い。
否定されてばかりの人もいる。
あるいはずっと無視されている人も居る。
蔑まれバカにされ。
でもね、そうやって否定して来る人達が何を知っていると言うのか。
何を見ていると言うのか。
見せてみな、と向かって行くと何も出て来ない。
何となく生きているにすぎないから。
薄っぺらな、どこかで誰かに押し付けられたことを反復するのみ。

だから僕達はこれこそが人の本来の姿だ、と言うものを場において行う。
これがこの人達の、僕達の答えだ、と。
それ以上の答えがあるのなら見せてみな、という気持ちはある。
僕らはずっと見せている。
そっちじゃない、こっちだと。

決まりきった答えに安住している訳ではない。
いつでもその場で勝負して探し出している。

ここで見ていると、一人一人、みんな凄い。
イベント屋さんでは太刀打ち出来ないだろう。
で、それで何なの?と突きつけて来る。

僕らはみんな素になって、魂を抱きしめ合っている。
上辺でどうこうという関係とは無縁だ。

装うことをしない、逃げも隠れもしない。

さもしい根性が植え付けられている世界の中で、
何が大切なのか忘れないでいよう。
この瞬間こそが全てなのだから。

一回、一回の場がそれを証明しなければならない。
明日もきっと本当のものに触れられる時間となるでしょう。

2015年4月22日水曜日

遅れて来た春

やっと暖かくなった。
春の匂いを身に受けているうち、今度はすぐに夏になるのだろう。

すべては夢の中だと感じるし、そしてそれなら良い夢を見ようと思う。

本当に鮮やかな光。やさしい暖かさ。
心地良い空気。世界全体が軽くなったみたい。

共働学舎の悦子さんがお手紙を下さった。
本当に嬉しい。会いたいなあ。
僕にとっては育ててもらったようなものだけど、
学舎の中ではほんの一時立ち寄ったにすぎない僕のことを、
覚えていてもらえることは、本当に本当にありがたい。

亡くなった、のぶちゃんとたくみさんの追悼集を頂いた。
これを見ながら、昨日の夜涙が溢れてきた。
悦子さんは忘れないで欲しいから、と書いて下さっていた。
僕がみんなのことを忘れることは一生無いだろう。

たくみさんの子供の頃の写真。
なんて、やさしい、素直な、かわいいい表情だろう。
その後に経験しなければならなくなる様々なことを思うと、
切なくて、悲しくて、どうしようもない気持ちになる。

2人とも、あの笑顔で見守っていてくれている。

あんなに色んなことがあったのに、何も変わっていない気もする。

空は青く、眩しい太陽が僕達を包んでいる。

ゆうたに会いたい。
今回は東京が長い。

みんなには少しでも良い場で良い時間を過ごしてもらいたい。
それがどれほど自分の宝になるかも知っている。

素晴らしいお仕事をされている方が身近に居ることが嬉しい。
勉強になる。
あんな仕事をしたいと思う。

海辺の国民休暇村で住み込みでアルバイトしていたことがある。
心臓に病気があっていつどうなるか分からない、という青年が居た。
僕よりは年上。
仲良くなった。色んなことを話した。
身体に爆弾を抱えているようなものと、自分の状況を説明した。
ずっと後の話だが、亡くなったそうだ。

休憩時間に彼が僕に「いつもジュース買わないね」と言った。
はっとした。
みんなが販売機で何気なくジュースを買うところを、
僕は別世界の景色のように無意識に見ていた。
あっそうか、買えるなあ、と気がついた。
それ以来、販売機で飲み物を普通に買えるようになった。

買えるということが僕にはそれまで無かったから。

ずっと食べていない時もあった。
いつもお腹を空かせていた。

母は水商売だったから、夜はいない。昼間は寝ている。
たまにパチンコ屋に行く時は僕がついて行く。
玉拾い。落ちているパチンコ玉を拾って集める。
時々、助けてくれる人が居て、玉をくれたりもする。
缶コーヒーの残りが捨ててあった。
喉が渇いていた僕はそれを飲んだ。
途端に咳き込んで息が苦しくなった。
そして病院。
僅かに珈琲を残した缶は灰皿に使われていて、吸い殻と灰が入っていた。

まだ幼かった。
その後の僕はそんな隙は見せないようになった。
良いのか悪いのかは分からないけれど。

見上げると青い空。眩しい太陽。
どこかを散歩してみたくなる。
ふわーっとして、ぱーっと明るくて、本当に良い天気。
良い仕事しましょう。

今週位から、また制作の流れも変わって来そう。
良く感じとって、その時に出来る最善を見つけて行きたい。

2015年4月20日月曜日

春のアトリエ

土、日曜日の制作は本当に深い集中が必要だった。
良い場だった。輝くような作品が生まれた。
言えることはいつでも命がけで行かなければ、ということだ。

場から離れるとしばらく上の空だ。
放心状態というのか。
昨日は夕方以降の記憶が曖昧。
気がつくと寝ていた。2時に目が覚めて、電気を消さなきゃ、と思って、
またふと時計を見ると4時だった。

あんまり深く眠ったので今はスッキリ。

このいくつかの場では、調子が悪かったり、イライラしていたり、
迷っていたり、機嫌が悪かったりする人も多かった。
僕らは機嫌を取ったり、誤摩化して違う方向に持って行くことはしない。
正面からまずは受けて、どんな時であろうと、
何かが見えて来るまで突き詰めていく。

作家が自由になれた時、作品だけでは無く、
抱えている様々な問題からひと時は解放される。
その時、場も作品も人を感動させるものとなる。

少しだけ気になっていることを書く。
保護者の方の中にはアトリエの外で作家に対して、
作品に指示を与える方が今でもいるようだ。
勿論、アトリエに来てからが僕達の考えるべきところで、
そこから何とかするようにはしている。
でも、あんまりこうしなさい、ああしなさい、
もっと描きなさい、形を描きなさい、ということは言わないで頂きたい。
はっきり言ってそれは絵とは何の関わりもないものだ。
僕は何度も作品を見直している。
ズレが無いか、確認している。
今現在、在籍している作家で、素晴らしい作品が出ていない人は一人もいない。
こんなに凄い作品を前に、何かを言うということが僕には分からない。

スタッフにも絶えずフレッシュさが求められている。
終わった後、疲れきっているくらいで丁度良い。
慣れ、ルーティンワーク、予定調和は最も嫌わなければならない。
何をするために場に立っているのか、絶えず動機を持つ。
何となく終わる日などあり得ない。

最初、もし辛い状況にいる人が居たら、
終わるまでには少しでも、ほんのちょっとでも楽になっていなければならない。
良くないですねえ、と診断を下すのが僕達の仕事では無いはずだ。
少しでも光を見いだす場面を探す。
事実をただ事実として言うだけで、
何かしているような気になっている専門家と言われている人達とは違う。

どんな時でも何かを見つけて行く。
そしてそれは出来ることだ。

良い時の場にはまた違う難しさがある。
瞬時の感覚反応は良い時の方がより要求される。

難しい現場でしっかりとスタッフが仕事して、
作家達と何かが見つけられた時の喜びは、他では経験出来ないものだ。
人間の可能性に驚く時がある。

特に素晴らしかった数枚の作品は、今もそこで輝いている。
あの輝きがやって来た場所。
そこを向いていつでも歩いて行く。

本当にたくさんのものを与えてくれる良い場だった。
深く生きることがやっぱり大事だなあと思う。
作家達は本当に深く生きている。

長い付き合いだけど、これからも新鮮な気持ちで、
この素晴らしい人達を大切に、一緒に生きて行きたい。

2015年4月18日土曜日

制作が始まる

晴れました。
気持ち良い陽気。

今日も制作の場から、溢れるような創造性の渦に触れて行きます。

さて、どうなるのかな。
どんな作品が生まれて来るのか。

本当に楽しみ。

深く掘れば掘るほどに無限の波が見えて来る。

僕達は限界から解き放たれる。

漆黒の世界から光と色彩が飛び出して来る。
沈黙の底から音楽がやって来る。

人間の創造性ほど面白いものはない。

遥か彼方からここへ。
ここから遥か彼方へ。

この短い時間の中に無限がある。
僕達は場に立った瞬間から旅を始める。
創造性と人間とそしてこの世界の源泉に向かって。

広大な世界に命を投げ出すように進む。
他に変えがたい時間。

今日も行って来ます。

2015年4月17日金曜日

東京アトリエ

これから降りそうですね。

色々と書きたいことが沢山ある今日この頃です。
でも、今日は東京のアトリエのことだけにします。

土、日曜日の制作のクラス。
もう一度、気を引き締めて、新たな気持ちで進めたい。

最近、少し感じて来ているのは僕が居ない時間が増える中、
これまでの皆さんと共有して来た意識がやや弱まっているかな、ということ。

作家達との時間は全く変わっていないのだけど。

僕達スタッフももう一度、しっかり足下を見つめて行きますので、
ご協力をお願い致します。
お休みや教室日の変更には出来る限り対応させて頂きますが、
なるべくご配慮頂けますと有り難いです。

お月謝のお振込は月初めの教室までにお願い致します。
絵の具等の補充が必要ですので。

ご見学にお見えになる方々は、お時間をお守り下さい。

制作の時間が良いものになるかどうかは、スタッフと作家達次第です。
ただ、保護者の方々、それから見学者の方々の意識が外側から大きな力となります。
場を大切に想う気持ちが集まってこそ、本当の場になります。
そういう意味でこの場はみんなが配慮し合い、大切にし合うことで成立します。

お互いの役割に敬意を払うことが大切だと思います。

絶えずフレッシュな気持ちで、より良い場にしていきましょう。

一番真剣にならなければいけないのはスタッフです。
イサにも更なる努力を求めたい。
彼に託さなければいけないことがいっぱい出て来るのだから。

中途半端な気持ちで場に立ってはいけない。
大ざっぱな仕事、何となくの動きは駄目。
出来るようになったら出来ることの更に上を目指す。
気を抜かない。
集中をとぎらせない。
自分のことに構っている時間はない。
自分が何かを言って来たらほっておいて、ひたすら対象だけを見る。

人と場にだけ注意を傾けていれば、自分など居なくなる。

自分のことが気になるのは人格の問題ではない。
鈍いだけだ。
だから注意力を磨くだけで良い。

慣れたりだれたりしないこと。

限られた時間の中で勝負しているのだから。

僕もやれるだけのことはやるし、出来るだけ場に立っていたい。
でも、いつどうなるか分からないし、
集まる人、一人一人が意識を共有して行くことが一番大切だと思う。

新たなるメンバーも加わり始めている。
しっかりと場に挑んで行きたい。
少なくともスタッフに中弛みが起きることなど論外だと思っている。

僕達スタッフもより良い場を心がけます。
皆さんもご協力下さい。
ほんの一時立ち寄るだけの方であっても、
もしこの場を大切に扱って頂ければ、それはみんなの中に残って行きます。
それから、その方の中にも確実に良いものが入って行くのです。

さて、明日からまた制作です。
楽しみましょうね。

2015年4月15日水曜日

春の朝

光が揺れている。
光がゆらいでいる。

景色が明るくにじむ。

久しぶりに晴れた。

今日はショパンのバラードをかける。
ピアノはフランソワ。
ベートーベンのヴァイオリンコンチェルトも合いそうだが、
ベストな演奏がない。

緑と青と光。それからゆらぎ。

気がつけば、どのくらい場に入って来たことだろう。
浦島太郎のように、後で振り返ると信じられない。
全てが夢の中での出来事のようであり、
むしろ場が実体で帰って来ているこの場所の方こそ夢なのだとも感じる。

それはともかくとしても、
より良いもの、より深いもの、より本当のものを追求する、
と言うのはある意味で僕達のルールではないのか。

そうだよね、と確認していたはずなのに。
ほとんどの人は違う方向へ行ってしまう。
作家達はそのような逃げ方はしない。
そこが素晴らしい。

僕もずっと約束を守って来た。

多くの人が、本当のことから背を向けて、
逃げたり誤摩化したりして行くのは何故だろう。
そして多くの人が飛びついて行く先に何があると言うのだろう。

形で示す。場を創る。
それが僕達がやって来たこと。
いつでも続けること。

良いものは後味だと言ったこともある。
あるいは記憶だとも。
良いものは後で活きて来たりする。
単なる刺激と言うのはその場で終わって行く。

友枝喜久夫の映像を見て、終わってからの方がより見えてくる。
もはや画面を見ていないのに彼は舞っている。
実演を見た人はもっとそうだったに違いない。

この人が死んでいるなんて信じられない。
いや、この世の人にはもともと見えない。

身体から完全に自由になった、夢の中の身体のようで、
操り人形のように動きつつ、コントロールを超えて無心だ。
あえて言えば身体を持つ前の身体みたいな。
変幻自在で夢と現を行き来する。生と死を行き来する。
どんな人にも男にも女にもなれるし、動物にもなれる。
山や海にも、精霊にも神にも仏にもなることが出来る。
そこには何の限界もない。
その動きの中でただただ、自在なるものが柔らかく変化していく。
そして、どこにもとどまらない。

友枝喜久夫が終わることなく舞っている姿。
重力からも他のどんな制約からも解き放たれた動き。
宇宙そのもののような。
そして、僕達の本来の姿はこんな風なのだ、と教えてくれているようだ。

光がゆらぐ。緑の葉や青い空もゆらぐ。
心地良い風。鳥が鳴く。
フランソワのショパン。

今日の平日のクラスもみんなにとって良い時間になるように。

2015年4月14日火曜日

水の音

雨が降り続ける。
鳥がよく鳴いているなあ。

日曜日は晴れて過ごしやすい一日だったこともあり、
制作の場も流れるようだった。

しんじは相変わらず凄かったけど、もう一歩奥に行こうと、
注意力を注いで向かった。
そして更に深い時間が訪れた。
5枚の作品もかなりの迫力。

こういう次元に行くと、もう言葉も理屈も入り込めない。
命そのもののような作品。

表面的な部分はもう良いからもっと本質的な何かが求められている。

最近お会いした人たちにしても、
関心の持ち方が変わって来ていて、
中身の部分、芯の部分こそが要求されているように感じる。

場とは命と命が響き合う時間。

一人の人間の中には
色んな経験やいろんな情景が、たくさん入っている。
それぞれが一つになってその人を創っている。

形や色や光や風が、どこまでも重なって行く。

僕達はそこで与えられたり見せてもらったりして来たものを、
取り出して来て、見せ合ったり交換したりする。

固有の経験や景色は、
奥深いところでは普遍的な繋がりの中で必ず共有される。

人の経験と自分の経験が重なる時、そのどちらでもない普遍的な何かが動いている。

絵が生まれて来るプロセスはこころの柔らかな動きに、
そっと触れて行く行為だ。
愛で合うような時間。

雨が強くなる。
どこかを流れる水の音も。

何一つとどまってはいない。

解けかけの雪の色。白から透明になって、塊から水になる瞬間。
その感触を思い出す。
いつもお腹がすいていた頃。
チョコレートを貰った。
道を歩きながら、直に持っているチョコレートの上に雪が積もって行く。
それを何度も手で払い落としながら歩く。
街は真っ白で、景色全体が湿っている。

大人になってから母と話していて、え、と驚くことがある。
子供から見えている世界と大人のそれとの違いもあるが、
それ以上に母からは失われている記憶と言うか、そんなのがある。

母が時に言う話に、
スキー大会に参加する僕がスキーズボンを持っていなくて、
一人でジーパンに防水スプレーをつけて、出掛けて行った、というのがある。
これはハッキリ覚えている。
でも、母が見ていたことには気がつかなかった。
そして、その光景が悲しくて可哀想だった、というのだ。
えっ、と思う。
こんなことはあの頃は日常だったどころか、
もっともっとあったじゃないの、と。
責めている訳ではない。
それくらい、まったく違うものが見えていたのだな、と不思議になる。

愛児園という捨てられた子供を育てる施設があった。
キリスト教の施設だった。
その周りを何度も何度もぐるぐる回って歩いたことがある。
母と2人だった。
僕は母が迷っているのを感じたし、ここに預けられるのかな、と直感していた。

記憶は飛ぶ。
愛児園に宿泊したことがあった。
多分、何か試しにかも知れない。
仲良くなった女の子がいた。
神様は嫌いだ、とその子が言った。
私を捨てた親を許しているのだから、と。
へー、と思った。全く何の共感もわかなかった。
その子にトイレに連れて行かれて、
おしっこするから見てて、と言われて、そうしながら色んな話をした。

何人か思い出す人がいる。でも、傷つく人もいるので書けない。

色んな人達がいた。

水がちょろちょろ流れて行く。
奇麗な音。

金沢では雨の音の記憶が多い。

10年、20年はあっという間で、気がつくと全く違う場所に立っている。

いったいいつの間にここに来たのだろう。

それでも変わらない感覚もある。

なんだろう。
どこか遠いところから、今の場所を眺めている感覚。
ここでは無い場所にいて、今ではない時間にいて、
どこかから今の僕や世界を見ている感覚。

それが何なのか、小さな頃は分からなかった。
今は分かる。

遠くにいて見ている自分は、こころの奥にいる自分。
いつでも表面にある経験や体験をすべてだと思ってはいけない。
僕達が生きていて、見たり聴いたりして、経験している世界とは、
表面に現れた仮のものにすぎない。
その奥にはもっと深い何かがある。
それこそが生命の源だし、美の本質だし、
そういう場所に触れる行為が制作の場である、と言える。

表面的な浅いもので満足出来るならそれで良い。
もっと深いところまで行かなければ、救われないような人がたくさんにる。

僕達は深く潜ることで、例え少しの時間でも本来の姿に立ち返って、
命の源に触れる経験をしていきたいし、してもらいたいと思っている。

少しづつ小雨にになって来た。でも、また強くなるだろう。
ふったり止んだり。
雨の音と匂いは懐かしい。

2015年4月12日日曜日

しずかな朝

ようやく、少し晴れて来ましたね。
早くもっと暖かくならないかなあ。

昨日は3つのクラス。少し疲れた。
でも、良い集中があったと思う。

日差しが奇麗で良い朝だ。
今日はどんな場になるのだろう。

場は僕達をどこへ連れて行ってくれて、何を見せてくれるのだろう。

場は生きているし、その中で僕達もまた生きている。

旅をしているような感じで進んで行く。
そして、この旅に終わりはない。

水色の空。ちょっと霞んだ日差し。
少しの風で葉っぱが多様な変化を見せる。
踊っているようだ。やさしい緑だ。
空は陰り、また遠くから日が射して来る。
くりかしくりかえし。

世界が踊っているのだし、世界が歌っているのだ。

美しいハーモニー。

僕達は客席で見ている訳ではない。
様々な変化が僕達の身体と心に動きを呼び起こす。
気がつくと動き出している。
光や風や水や土と戯れ合うように。

感じ合って、響き合う。それが全て。

さあ、今日も制作の場に向かおう。

2015年4月11日土曜日

Kとの思い出

寒さが続きますね。雨。
さて、今日も行って来ます。
これくらいのバランスの気候の時は、
内面にグンと入って、思わぬ収穫がある時もあります。
だからチャンスを逃してはならないのです。

よし子達も心配。
何とか乗り切ってくれると良いが。

制作の場を精一杯頑張ります。

夕方から、新しいクラスが静かに始まります。

今日のアトリエは朝からジャズを流しています。

リズムが気持ちいい。

ここに何度が登場しているが、僕が人生の中で一番仲が良かった親友がいる。
もう20年以上会っていない。

不思議なことに仲の良い人ほど会わなくなるし、
もっと深くなるともう会わなくても良いとすら思う。

それでもKは今どこで、何をしているのだろう、と考える時がある。

小さい頃、僕は転校続きだったし、親戚や色んなところに預けられていた。
だから友達が少なかった、ということはなく、多すぎる位だった。

保育園の時からKとは遊んでいた。
僕の家は貧しく、Kの家もあの土地の一般的な基準から言えば、
僕ら側に近かったと思う。
それでもKの家庭は温かかった。
家族での旅行に僕は何度か同行させてもらっている。

Kは遊びの天才だった。
いつものパターンで僕が何かを思いついてKの仕掛ける。
必ず予想以上の何かが起きた。
話もそうで、これどう思う、と聞くと面白いイメージが返って来る。
僕らはそうやって、街を歩いたり、山や川に行ったりして、
面白いものを発見したり作ったりしていた。

佐久間とKが揃えば絶対に面白くなる、と子供達の中では評判だった。
やり過ぎもいっぱいあった。危険なことも。
警察が来るようなことも。

遊びが見つからないであまりに暇だった時に、
2人で開発した石とりというゲームが学校中で流行って、
そして他校にまで広がって、危ないということで、
石取り禁止にまでなった時は嬉しかった。
みんなが見守る中で公園での最後の勝負。
佐久間対Kの石取り対決は伝説となった。
集まった大勢の人が2時間経ち、3時間経ち、日が暮れて少しづついなくなる。
それでも僕らは2人で続ける。
みんなで遊んでいて、最後には2人になると言う場面は定番だった。
僕らはどんどん夢中になった。
Kの「ジブラルタル海峡」僕の「ジブラルタル海峡返し」が出たところで、
弁護士の息子が引き分けを告げた。

僕はKの面白さを引き出すことにある時期は賭けていた。

小学校4年生の時だ。
僕ら2人と最も仲が良かったN子が転校することになった。
N子もバカみたいに飛び抜けて面白かったから、3人で遊んだことは多い。
Kとは感性が殆ど一緒で、何でも通じるようだった。
僕は盛り上がり始めると、KとN子の掛け合いに任せきって、
観客に徹することも多かった。
のっている時の2人の面白さは、
あれを見てしまったら、他のことで笑えないくらい。

僕は子供だったから、KがN子を好きだったことが分からなかった。
言うところの異性への目覚めは僕の場合、とても遅かった。
遅過ぎて始まった時は誰も止められない時期に入ってしまった。
17位からの5年間は本当に酷かった。

まだ小さかったその頃は、本当に女の子と遊んでばかりで、
トイレにだって何人もの子が僕を連れて行ったりしていた。
僕は何も分からなかった。

転校する前にN子とKと3人で遊ぶ約束があった。
今思えばあの時間が3人の別れへの分岐点だった。
N子は先に帰って自分の家の前で待っていると、僕にだけ言っていたのだ。
僕はそのことが何を意味するのか知らなかった。
N子の家の周りは観光名所で今では舗装されて整備されている。

とにかくKにはこのことは言ってはいけないのだ、ということだけは分かっていた。

Kは無言で遊びをやめずに時間を経過させていた。
無理だな、と僕は直感したので真っ暗になるまでずっと付き合った。
何処にも行き場所がなくて、遊びを考えて来たけれど、
その日は2人にっても最も行き場所が無い時間が流れた。

その後、N子とは会っていない。多分、Kは何度かは会っているのだと思う。

翌日から何事も無かったかのように、
僕とKは遊び続けた。
ただ、何かが変わってしまったのだと感じられた。

そして数ヶ月後に僕も転校した。

Kとは1年に数回会う、と言う関係がずっと続いた。
最後に会ったのは大人になってから。
僕が久しぶりに金沢に帰って、Kから自作の漫画をもらった。
2人で漫画家を目指したこともあったっけ。

ジャズが流れる。ジャズが走る。

大雪の日にKと入った喫茶店で聴いたジャズ。
暖炉の火で制服を乾かしながら。
まだ生きていた頃の名物マスターと客が話す。
「神は死んだ。そしてニーチェは梅毒になった」

時間に限りがあるなんて知らなかった。
何かをしようとして、何も出来なかった人生が無数にあの街に溢れていた。

真夏は景色が揺らぐほど。

そしてあの頃と全く何も変わってはいない、とも思う。
今でもあの場所を歩くとみんながいて、あの時間があって、
僕もKもN子も日が暮れるまで遊んでいる気がして来る。

人生は本当に夢のようだ。

2015年4月10日金曜日

ゆめまぼろしのごとくなり

本格的に寒い日が続く。
体調の悪い人も多い。

もう少し、何とか乗り切ろう。

昨年、東京都美術館でお話しさせて頂いた内容が、
中原さんの丁寧な作業によって纏められた。
こうして形として残して下さったことに深く感謝。
東京都美術館のHPからご覧になれます。
アーカイブのページから「紀要」を開いて下さい。

絵は形として見ることが出来る。僕達の生きているこの世界も。
では、それらの形がどこから来たのかと言えば、
形無きところからとしか言い様がない。

形は、僕達が頭の中で作ったもの、作り続けているものにすぎない。
固定してしまうと本当のものが見えなくなる。
人は自ら限界をつくり出す。

場に立つ時、僕らはいつでも動きを見ている。
決して固定しない。把握しきろうとしない。
だから揺れている。
揺れの中から少しづつ向かう方向を見定めて行く。

どうななるのか、何が起きるのか、全く分からない。

ダブをずっと聴いていると思う。
ダブは震えであり揺れであると。
決して安住しない固定しない、揺れ続け、震え続ける世界である、と。

水のような風のような、流れ動く柔らかな震え。

友枝喜久夫の舞もまた海のようだ。
その動きを見ているとすべては仮のものなのだと実感する。
ここにあるすべてが、固定されたものでも確かなものでもなく、
仮の姿としてそこに在って、やがては変容して行くプロセスにあるのだと。

気がつくと、ここにいる。
でも、確かにあそこにもいたはずだ。

全ては霧の中。

確かにあそこでああしてたはずなのに。
今もまた本当にこうしているのだろうか。

いったいここはどこなのだ。

今から20年くらい前に、ある事に気がついた。
人がそこにいて、その中に心と言うものが動いている。
そこへ入って行くと、見ていたものの見え方が変わるのだと。
今あると思っているものの奥に、もっともっと途方も無い無限があるのだと。

そして、気づけば場に立っていた。

20年という時間は昨日のこと、と言うよりはさっきのこと、
もっと言えば今あったばかりのことのように、そこにいる。
目を閉じて、すぐに開いただけのような感覚。

今でもまた場に立てば、振り出しで、あの入り口の場所にいる。

景色も揺れているし、世界も揺れている。
揺れや震えは決して止まろうとはしない。
色んなものを見せられて、流れに連れ去られて行く。
ずっとずっと遠くまで。

友枝喜久夫の動きを見ていると、本当に全てが走馬灯のように、
通り過ぎて行く。
ここは仮の場所。これは仮の姿。
柔らかくどんな形にも変化して行く空間。

ゆれ、ゆらぎ、ながれ。
夢の中のように柔らかく、そして鮮やか。
そう鮮明なのに、どこにも留まって固まることが無い時間。

制作の場とはそのような時間が流れる地点だ。

2015年4月8日水曜日

友枝喜久夫とダブ

寒いですねえ。
また厚着してパソコンの前に居ます。

来週は来客が少し続きそう。

今日はちょっと集中して書いてみたいが、上手く行くかどうか。

作品について色んな見方があるだろう。
まして美術だとか表現だとか言う問題は難しい。
それに最近は特にそうだけど、分析して書く気が起きない。
実感や内面的な経験がそのまま書けるなら、それが一番かな、と思う。

ただ、このアトリエで行われているようなことこそが、
絵や創造性の本質なのではないかと日々感じている。

たくさんの作品が生まれて来る。
その美しさはいつも語って来たことだ。
どこまでも自由で、直感にみちていて、色彩も線もしぶきも、
無限に連鎖され、そして調和して行く。
鋭さとやさしさ。
色彩の輝きの鮮やかさと自然さ。
色同士は響き合い、無限に戯れ合って行く。
神聖な遊びとも言える。

出来上がった作品は止まっているように見えないのが不思議だ。
更に区切られた画面をはみ出して、どこまでも続いているようにも見える。

この純度の高い世界は、作家達が生きて、感じて、見ている世界そのものだ。

僕達スタッフは現場では絵を絵として見てはいない。
あくまで柔らかく変化して行くプロセスそのものに目を向けている。

多くの人がタイトルを手がかりに理解しようとしたり、
ここに何が描いてあるの?とつまらない質問をする。
それは作品を自分の世界に引き下ろして見ようとする行為だ。
作品を解釈すること自体がある意味で無礼な行為であることは事実だ。

必要なのは僕達も同じように感じたり見たりしてみること。
なぞってみることだ。
そうすれば豊かなものを発見出来るだろう。
もっと言えば自分が変わることが出来る。

ボブマーリーのライブCDを聴いた。
これまで聴いて来たものより、テンポもリズムもゆっくりで、
それなのに燃えるような熱さとトランスが感じられた。
良く言うところの呪術的というやつだ。

レゲエを夢中になって聴き出したのは信州にいた時代だ。
あのスローなリズムは謎だった。
波のようで、うねるリズムに酔った。
ゆったりと繰り返されて行く波にやがて巻き込まれて行き、
渦の中で快感を覚えていた。

マーリーも歳とともにスピードが速くなり、リズムも走るようになった。
ロックや様々な音楽や生活の影響もあるだろうが、
多分、体力の衰えが原因だろう。
そして体力が衰えて行くに従って、逆に勢いを感じる。

僕達の現場での仕事も体力が衰えると、力技に頼るようになり、
ある意味で分かりやすい仕事になる。まあ、それはおいておこう。

レゲエの本質を更に追求したジャンルにダブがある。
ダブもレゲエ以上に謎だ。誰も上手く答えを出していない。

僕なりの考えもあるがもう分析したくはない。
ダブもまた感じるものだ。

説明したり分析したりして、自分の世界に近づける行為を否定しているのが、
最初に書いた絵の世界でありダブのメッセージだと思う。

正当に評価されていないジャンルだが、
キングタビーやサイエンティストの作るダブは、
アインシュタインとかピカソくらいの評価を得て良いはずだ。

ダブを聴いていると、固定した世界が崩れ、時空が歪み、
意味がはぎ取られ、時間と空間はどこまでも延びて行く。
すべては波や渦のようで、音や光のようで、響きのようで、
それらが無限に戯れ合っている光景は美しい。

形は形無きものからしか生まれない。

名人という言葉では語れないほどの存在である能楽師友枝喜久夫。
友枝喜久夫の姿が僅かに記録されていることは本当にありがたいこと。

DVDで友枝喜久夫の映像を何度も何度も見て来た。
頭から離れない。
能のイメージに反するあの軽さ。物質感の無さ。
夢幻の中を漂う幻のような身体。
走馬灯のような臨死体験のような舞。
宇宙の姿をなぞるような動作。
有るのに消えている、そして様々な場所に同時にあるような動き。
誰かが操っているようにしか見えないほど自己が消えている。
操っているのは神に違いない。

友枝喜久夫を見ていると、人間はここまで自由になりうるのか、と感じる。
そこには何の限界もないように見える。

すべては透明で、自由で、どこまでも自然で、全宇宙が光り輝いて、
いつでも動き続けているのだ、ということを身体を通じて見せてくれる。

線と色としぶきと、響き合う無限。

人間の根源にある表現は共通している。

友枝喜久夫の後ろにダブが流れていた。
ダブの中で友枝喜久夫が舞っていた。
無限の中。夢幻の中。

ここで日々生まれる絵は、生命の本質、宇宙の本質と直結したものだ。
僕達はいつでもこの源泉から離れることは無い。

さあまた制作の時間へ。

2015年4月7日火曜日

湿った空と静かな雨

気候の変化がなかなかしんどい日々です。
よしこ達も体調を崩してしばらく心配な時期だ。

事務仕事が結構いっぱい。

今月最初の土、日曜日の制作は春休み期間にもかかっていたので、
お休みも多かった。そして、この時期なので調子の悪い人も多い。

状況としてちょっと難しい現場だったけど、
かなり良い時間になって嬉しい。作品も勿論良い。

とても残念なことだけど、メンバーとの別れもあった。
素晴らしい作家だった。

色々と想いはあるが今は書かない。

ただ、この4クラスではかなり良い仕事ができたと思う。
難しい状況をどう見て行くのか、
どんな時でも何かが出来るということをしっかりと示すことが出来た。

何度も書くけど腕は落ちた。
技も衰えた。
でも、出せる結果は落としていない。
華々しいものでなくとも、なりふり構わずにもって行けるところまでは行く。
そんな自分の姿が見れるのも嬉しいものだ。
そこが謎なのだけど出来る場自体は以前より良い。
まあ、責任を持って質を保つのは当然のことだが。

三重ではたくさん夢を見た。
憶えているのはある尊敬している方と2人で山を登っている景色。
どうしたら良いの?、こうなってるの?と無邪気に教えを乞うている自分。
そこには本当の安心感があった。
やっぱり大きな木が何度も現れる。
それに真っ暗な森を10人くらいに別れた自分が、
それぞれ分け入って行く夢。
上から全体が見えたり、各個の視点から木々や緑が大きく見えて来たり。
裸で砂の上に寝ていたり。

ゆうたとたくさん遊んだけれど、
家の近くの春休み中の小学校で砂遊びした。
海の潮風が上がって来て、匂いがする。
ここでも砂を掘り始めて、ゆうたともっと深く、という話になる。
穴を掘ってどこまでも行く、という情景が僕の人生で何度も繰り返されて行く。

そうだったと、幼なじみのKとの記憶が甦る。
2人で穴を掘り続けたこと。
途中で水を流した時の圧倒的な世界を。
宇宙が動き出すような広大さ。

Kのことは以前に書いたけれど、このとき思い出したことが色々あって、
またいつか落ち着いたら書いてみたい。

それにしても今ここでこうしていることが本当に不思議だ。

僕達は掛け替えのない時間の中に居る。
思い切り楽しんで、そして奇麗な景色をいっぱい見よう。
みんなの良いところ、素敵なところと出会って、
一緒の瞬間をたくさん創って行こう。

思い出をいっぱい作って。

ありがとうを言い合える生き方をしよう。

今日も奇麗だった。
明日は何が見えるのだろう。

2015年4月4日土曜日

それらを動かすもの

曇り。
薄暗い景色の向うから、生暖かい空気の向うから、
うごめく気配が感じられる。
表面に現れているものの奥にあるもの。

半月ぶりに場に入るからだろう。
強く気配が感じられて来る。

身体がそれらを全身でキャッチしようとしているのが分かる。

こうして何も持たずに世界の前で佇む気持ち良さ。

場においても、作品の捉え方においても、
そして生き方においても、僕が表面的だと思うのは、
現れているものの奥にあるものを見ようとしない在り方だ。

僕達は何かをしようとか、何かを手に入れようと必死で、
目の前にある世界の圧倒的な力を見落としている。

場に入れば、必要なのはすることではなく、
いかに従順であれるか、いかに従えるかにつきる。

流れがあり、景色があり、現れて来るものがある。
そして全体を場と言う何かが支配している。
それらの奥にあるのは明らかに自然界の法則であり仕組みだ。
身体の奥にあり身体を動かすものも、
心の奥にあり心を動かすものも、このしくみ以外の何ものでもない。

風に吹かれるように、それらに従順であれるかどうか、そこがすべてだ。

僕達の考えより、この世界は遥かに大きいのだから。

浅い深いと言うことで、いつも言っていることもそういうことだ。
浅いとは形を見ていること、表面を見ていること。
深いとは形にならないすべてを貫く普遍的なしくみを見ていることだ。

このことは自分を見るのか、宇宙を見るのか程の違いがある。

僕達の目の前にあるもの、絶えず現れて来るのも、
それらを動かしているもの。
この言うに言えない動きを、音のような光のような、
形にならない動きを見て行くこと。
響き合うように感応して行くことこそが生きる意味だと思う。

制作の場は最も根源的な形で、生命のしくみを示している。

2015年4月3日金曜日

桜散る

曇り。
温くて強い風。
昨日まであんなに咲き誇っていた桜が一瞬で散って行く。

散って行くこと、消えて行くこともまた素晴らしいことなのだと感じる。

志ん朝の「芸は消えるから良いのです」という言葉は座右の銘だ。

一つ一つの現場もそのとき限り。だからこそ輝く。

アトリエの準備もととのった。
さあ明日も全力で行こう。

2015年4月2日木曜日

夜桜

皆様、ご無沙汰しております。
本日から東京へ戻りました。

寝不足。
今日中に終わらせたかった仕事は明日に持ち越しかな。
まだメールも全部チェック出来ていない。

三重でのこと色々と書きたいこともあるのだけど。

今年は桜を満喫して、この前は目を瞑ると満開の桜がどこまでも広がっていた。
それは現実に存在するどんな景色より美しかった。
しばらくそんな状態が続いていた。目を閉じるとそこに桜があった。

今日帰って来て小学校の桜が奇麗だなあ、と思って、
あとになって夜道を今度は別の木々を見た。
月に照らされて満開の桜がひらひらと舞っていた。

エレマンの気まぐれ商店で、連載してもらった僕の講演も最後まで行った。
纏めてお読み頂けると嬉しいです。
内容は結構良いと思います。

ミシンの会も順調で素敵なポーチが作られています。
ご興味のある方は気まぐれ商店のサイトをご覧下さい。

悠太とのことも、そして家族のことも書きたいことはあるがこれも今度で。

4月はかなり能率良く動かなければ、時間が足りなそう。

年が明けたと思ったらもう4月。

今年に入ってからも本当に多くの方との出会いがあった。
浅い付き合いも深い付き合いもある。

僕は上辺の関係は嫌いなので正面から行くようにしている。
大勢の方が良しとするような人間でもないし、生き方もしていない。
嫌われることも多い。

でも、本当に有り難いことにこの人は、と思うような方が評価して下さる。
「佐久間となら」「佐久間でなければ」という言葉を頂く。

このブログもそうで、最初の頃はそこまで言わなくても、とか、
もっと柔らかく、と感じられた方も多かったと思う。
濃いとか重いとか。
でも、本気でしか書かないという方向で貫いて良かったと思う。
最近、頂くメッセージではこう言った言葉に救われたという、
有り難い言葉を頂くことが多い。

もっともっと浅いところで満足している方は、
何も佐久間など相手にしなくて良いのだから。

いつまでこのテンションで行けるのかは分からないけれど、
今のところまだ現場に立つと、誰もこれ以上には行かないだろうな、
という感触はある。こんな言い方は不遜なのだが。
それでもいつかは手も足も出ない時が来ることは自覚している。

どこに行っても本当のものがない、と思っている人、
人がそこに存在することの深淵に未だ触れていない自覚のある人、
そんな人が見た時に、これだ、と思ってくれるような場面を創りたい。

制作の場はまずいつでも、これ以上は無いと思えるような、
思ってもらえるような時間にしたい。

今月もそこへ向かって挑戦を続けて行きたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。