2012年6月12日火曜日

すべてを使う

本当に時間が経つのが早い。
色々、すすめなければならない事はあるのだが。

7月には久しぶりの保護者会を予定している。
東京アトリエは人数が多いので、はじめて場所を借りてみる。
保護者の皆様には近いうちにプリントが郵送される事となります。
それぞれのクラスで顔を合わせる機会も少ない人達が、
交流を深める機会になればと思う。
スタッフも日々のアトリエでは制作の場に集中しているので、
保護者の方とお話しする時間があまりないのが現状だ。
こういう機会を作っていきたい。
そして、そろそろ夏の予定も決まる頃。
そちらも近いうちにご案内します。
今年は何とか三重でと考えていたけど、残念ながら経費や諸々の事情で、
実現は難しそう。三重の環境は今後、みんなが来れるように整える予定だ。
今年は東京での夏期アトリエとなりそうだが、
今回は外部の方の参加も可能な形を考えている。
普段はアトリエに来られないけど、体験してみたいという方々に、
いつものアトリエと同じ道具と環境を提供出来るように考えている。

最近はアトリエへの問い合わせも多い。
参加をご希望の方で、メンバーがいっぱいでお断りしなければならない事は、
本当に心苦しく申し訳ない。
出来る事なら、見てあげたい。新しい人と出会いたい。
お問い合わせいただいた方達は、いつか新しい環境のもと、
ご案内出来るように考えています。
そのための場も作ろうと思っているので、
ご連絡先をお知らせいただけると幸いです。
メールでご連絡頂く方で、なるべくお返事していますが、
時々、送信出来ない方がいます。
設定ではじめてのアドレスからの送信を拒否している可能性があります。
メール頂く前に設定をご確認のうえ、送信していただけると助かります。

さて、昨日のプロフェッショナル、またまた良かった。
天ぷら職人。
その前の回の石工の方も素晴らしかったけど、
レベルが上すぎて共感するという話ではなかった。
もちろん、あんな風に仕事に向き合っていきたいなとは思ったが。

昨日の天ぷら職人も共感するとか分かると言ってしまうのは、
僕のような若僧にはおこがましいことだと思う。
でも、一番そうだよなあ、と感じたのは、
その人が仕事に入る前にウロウロしていて、
なかなか入らないというシーン。
質問すると、「一番好きな事は仕事だよ」「一番嫌いな事?それも仕事だよ」
というようなことを言っていた。
「自分の全部を使って、全部を注ぎ込まなければならない。それはつらい」、と。
本当にそう思う。
彼は嫌いという言葉を使っていたが、
ギリギリまで仕事場に入らなかったのは、嫌だというよりは怖いのだと思う。
それは、仕事やお客さんへの敬意のあらわれだ。
自分の仕事を大切にすればするほど、本気で向き合うほど、
怖さが分かる。手を抜けなくなる。
絶えず、命のすべてを注ぐというのは、相当な覚悟がいる。
でも、一度、そんな仕事を知ってしまった人には半端な力加減は出来ない。
嘘はつけない。誤摩化せない。
人にも仕事にも、自分にも申し訳ない。
全力で、あるものをすべて使う。
使い尽くす。自分を甘やかす事が一番怖い。

そんな風に仕事に向き合う事こそが、本当の喜びにつながる。

僕達にとっては制作の場とはそのような舞台だ。
一回、一回の場はその時限り。もう2度と戻って来てはくれない。
本気でやらなかったら、たとえその一回だけでも、
永遠に本気でやらなかったという事実が残ってしまう。
その事実は確実に場や相手や自分を傷つける。
いつもすべてを使う覚悟で、そしてエネルギーでその場に挑む。
ちょっと前に「どんな心構えで描く人と向き合っていますか」
という質問をうけた。
多分、「相手を愛す」や「受け入れる」や
教育や子育てにも重なる言葉を期待されたのだけど、
(もちろん、それらの事もとてつもなく大事なのだが)
あえてこんなことを言ってみた。
「ここにあるものはみんな、いつか消えてなくなるし、ここにいる人も、自分もいつかいなくなる。という自覚を持ち続けるようにしています」
僕にとっては本当にそういうことだ。
いつかは、そしてそんなに遠くないうちに、消えて行くということは、
誰でも分かっている事。
でも、その事を本当に認識していれば、自分の動きが変わってくる。
決して力を抜けなくなる。
本気度が変わってくる。
消えてなくなる事は、確かに怖い、でも、それ故に愛おしく、大切に思う。
どんな時も全力を尽くして、絶えず前に進みたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。