2012年6月6日水曜日

今日は金星の太陽面通過

時々、外へ出てみても東京は雨雲におおわれて、
太陽も金星も見えない。
見えなくても感じることが大切。いや、見えないからこそ、感じること。

金環日食にしてもだけど、何十年、何百年に一度のことにたくさんぶつかる時期。
こんな頻度でまれな現象が起きるという周期があるのだろう。
つい、震災や人の世界での出来事をかさねてしまう。
人間にも宇宙にも大きなサイクルがあるのだろう。

こういう日は、こんな時は、
そんな大きなサイクルから物事を見つめてみる機会かも知れない。

私達の目から見て良いことや悪いことも、大きなところから見てみると、
単純に良い悪いと言えるものではないのかも知れない。
良い悪いは言えないが、エネルギーの強い時とそうでない時は存在する。

宇宙は大きい。
私達はその中にいる。
大きな時間と空間のサイクルの中の一瞬。

確かに今、人類は危機的な状況にある。
そこを楽観視してはいけない。危機感を持って自覚的に繋がって行かなければ、
簡単に滅んでしまうかも知れない。
でも、もう一つ。
あんまり言う人がいないので言うが、
はたして人類が滅ぶことが悪いことなのだろうか。
地球や宇宙にとっては負担が減り、もっと違う種や可能性を生み出せる、
という事になるかも知れないし、人類に変わる何かが出現するかも知れない。
人類こそがすべてで、絶対の権利があると言うおごりが、
実は人類をここまでの危機に追い込んだのではないだろうか。

私達はもっとおおきなスパンで物事を見て、
もっと謙虚にならなければいけない。

これまでも、ここでのテーマの中に、全体を捉えるとか、
大きなところから見る、とか俯瞰でみるとかいうことを書いてきた。
それは私達は日常の癖で、というか生きるための本能でもあるのだが、
近くのものしか見えなくなっているからだ。
ちょうど近視眼と同じ状態だ。
何かがおきると、すぐにビックリして、あるいは無意識に、
自分の感情や視点に飛びついてしまう。
それは水の中と一緒だ。
あがけばあがくほど、溺れて行く。

それほど、私達は物事の本質を見極めることが苦手といえる。
本質とは「自分」を離れなければ見えないものだからだ。

まるで、関係がないことのように聞こえるかも知れないが、
実はこれは全部、制作の場での重要なテーマだ。
作家たちが良い作品を生み出せるのも、この全体を捉える感覚にあるし、
作品の意味しているものも、エゴを超えたところにある美の感覚であり、
自然や宇宙の調和だ。それは「客観」の世界と言える。
私達が日常で、無意識のうちに陥っている近視眼的状態とは、
「主観」しかない世界だ。
更にはスタッフとして場を創る人間に最大に要求されるもの、
この俯瞰によるバランス感覚だ。
実際の現場では細かいところまで言うと、俯瞰だけでは場は動かない。
でも、俯瞰は絶対条件であることは事実だ。

地球や宇宙が大きなサイクルで、特別な時期にあるのだから、
この時を楽しむと同時に、
こんな風に物事を見る目線を意識してみてはいかがでしょうか。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。