時々、外へ出てみても東京は雨雲におおわれて、
太陽も金星も見えない。
見えなくても感じることが大切。いや、見えないからこそ、感じること。
金環日食にしてもだけど、何十年、何百年に一度のことにたくさんぶつかる時期。
こんな頻度でまれな現象が起きるという周期があるのだろう。
つい、震災や人の世界での出来事をかさねてしまう。
人間にも宇宙にも大きなサイクルがあるのだろう。
こういう日は、こんな時は、
そんな大きなサイクルから物事を見つめてみる機会かも知れない。
私達の目から見て良いことや悪いことも、大きなところから見てみると、
単純に良い悪いと言えるものではないのかも知れない。
良い悪いは言えないが、エネルギーの強い時とそうでない時は存在する。
宇宙は大きい。
私達はその中にいる。
大きな時間と空間のサイクルの中の一瞬。
確かに今、人類は危機的な状況にある。
そこを楽観視してはいけない。危機感を持って自覚的に繋がって行かなければ、
簡単に滅んでしまうかも知れない。
でも、もう一つ。
あんまり言う人がいないので言うが、
はたして人類が滅ぶことが悪いことなのだろうか。
地球や宇宙にとっては負担が減り、もっと違う種や可能性を生み出せる、
という事になるかも知れないし、人類に変わる何かが出現するかも知れない。
人類こそがすべてで、絶対の権利があると言うおごりが、
実は人類をここまでの危機に追い込んだのではないだろうか。
私達はもっとおおきなスパンで物事を見て、
もっと謙虚にならなければいけない。
これまでも、ここでのテーマの中に、全体を捉えるとか、
大きなところから見る、とか俯瞰でみるとかいうことを書いてきた。
それは私達は日常の癖で、というか生きるための本能でもあるのだが、
近くのものしか見えなくなっているからだ。
ちょうど近視眼と同じ状態だ。
何かがおきると、すぐにビックリして、あるいは無意識に、
自分の感情や視点に飛びついてしまう。
それは水の中と一緒だ。
あがけばあがくほど、溺れて行く。
それほど、私達は物事の本質を見極めることが苦手といえる。
本質とは「自分」を離れなければ見えないものだからだ。
まるで、関係がないことのように聞こえるかも知れないが、
実はこれは全部、制作の場での重要なテーマだ。
作家たちが良い作品を生み出せるのも、この全体を捉える感覚にあるし、
作品の意味しているものも、エゴを超えたところにある美の感覚であり、
自然や宇宙の調和だ。それは「客観」の世界と言える。
私達が日常で、無意識のうちに陥っている近視眼的状態とは、
「主観」しかない世界だ。
更にはスタッフとして場を創る人間に最大に要求されるもの、
この俯瞰によるバランス感覚だ。
実際の現場では細かいところまで言うと、俯瞰だけでは場は動かない。
でも、俯瞰は絶対条件であることは事実だ。
地球や宇宙が大きなサイクルで、特別な時期にあるのだから、
この時を楽しむと同時に、
こんな風に物事を見る目線を意識してみてはいかがでしょうか。