2014年10月6日月曜日

もう一度「終わり」について

昨日の夜から激しい雨が続いた。

台風の時期はゆうたの喘息が心配。
よしこは流行性の結膜炎にかかってしまって、目があけれらない状態。
みんなに手伝って貰って何とか過ごしているそうだ。
うーん。困った。どうしよう。

判断をちょっと迷ったけど、今日は平日のクラスをお休みにした。

雨はかなり降ったけれど、風はそれほどでもなく、
昼を過ぎた辺りからすっかり晴れた。

イサと少し話していた。
終わりについて何度か語ってきたが、もう一度その話になった。
外は光が射してきてふわっと浮き上がった世界にいるようだ。
幻の中みたいで懐かしい。美しかった。眩しいくらいに。
それは終わりの景色のようだった。

土、日曜日の制作の場で僕は変化を感じていた。
とても良い場だった。そして僕とみんなとの関係は変わってきたな、と思った。
新たなる段階に入るということは、一つの終わりを経験することだ。

これまでも色んなことが終わって行った。

展覧会も残すところあと2日。
今確かに輝いているあの場も終わって行く。

調子の良い時、制作の場で上手く動けている時は不思議な感覚がある。
予感のようなものを絶えず感じていて、
意味は分からないけれど、とにかく今はここでこうした方が良い、
ということが感じられて、ただただ正しい場所に点を打ち続けている感じ。
次はここにこれをおいて、そして次はここにおく、ということが分かる。
分からないけれど予感があって、終わりには分かるだろうと思っている。
そうやって正確にただおいて行くと最後のところで絵のように意味が見えてくる。

こういう時に感じるのは、終わりは始まりの中にすでにある、ということ。

これもいつでもということではないけど、
ある瞬間、安らかな気持ちになる。安心感に包まれるというか。
ふと、思う。
僕はここに居るけど、ここにこんな世界があるけど、
本当はもう全ては終わっていて、どこからか振り返っているのではないか、と。
その感覚はかなりリアルで今この瞬間が懐かしくなってくる。

終わりはすでにそこにあって、
終わったところからプロセスを振り返っている感覚。

終わりは確かに悲しく、分かれは確かにつらい。
それでも終わりの中には永遠があるような気がする。

死んでしまった人達が、生きていた時より実在感を持っているのは何故だろう。

台風が行った後、まるで世界が浄化されたようにそこにあった。

終わりから見ると全てはあるべき場所にある。

夜になって大きな月が浮かんでいた。
とても静かだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。