今日は良く晴れている。
昨日のブログで不気味という言葉を使ってみたけど、
そんなにどろっとした感じでもなく、
ある意味で奇妙さと言った方が適切かも知れない。
それでも何か足りない感じはするが。
外へ出ると複雑な仕事が色々あって、人間関係にしろそうそう単純ではない。
でも、制作の場に立ったら、すべきことはいつでもシンプルだ。
それはいつまでも変わらない。
どれだけ深く潜ることが出来るのか。
それだけだ。
深く深く潜ること、そこに何かがある。
一度でもその景色を見た人間は、一度でも体験した人間は豊かになる。
生きていることは楽なことではない。
自分のことなんてどうでも良いと思っても、
人がしんどい思いをしなければならないのを、見るのは辛いものだ。
そして、全ての人がそういうものを経験しなければならないのが、
この世界というものらしい。
人に何もしてあげることが出来ない。
本当に本当に色んな思いをして行かなければならない。
誰しもが。
そういう現実を前に、制作の場に立っている。
場に立つ時は裸だ。何も持たない。
一人一人とどこまで行けるか。
外で色んなことを経験しているし、この後も経験して行く。
ここでは内側へ潜ろうとする。
そこにだけ答えがあるということを知っているから。
何故、深く潜る必要があるのか。
例えていうなら、見晴らしの良い場所に行って欲しいからだ。
そこに立って見てみた時に、全てが肯定されるからだ。
人には色んなしがらみがあって、悩んだり苦しんだりする。
表面的な部分、浅い部分にしか触れられないと、
そこにある喜びや悲しみが全てになってしまう。
どうしても視界は狭く限定されている。
全体が見渡せるもっと良い場所があることを、
深く潜る経験によって知ってもらう。
それが本当に大切なことだ。
作家達は僕達より遥かに潜り方が上手だ。
でもいつでも問題なく行ける訳ではない。
人はみな同じ。程度の差があるだけだ。
条件が違うから、深く入ることの困難さも人それぞれ。
大事なのは行こうとすること。
もっと先まで見ようとすること。
僕達はみんなでその場所に立ってきた。
ああ、奇麗だねえ、素晴らしいねえ、と。
隣には一緒に来た人達が居て同じ景色を見ていることが出来る。
ここまで来て良かったね、またこようね。と。
全てが見渡せる、見晴らしの良い場所。全てが輝く場所。
行ったことのある人は、その記憶が自分を助けてくれる。
だからなるべくたくさん行って、記憶を刻んでおく。
まだ行ったことのない人は、一度は連れて行きたいし、一度は見て欲しい。
深く深く潜ること。
いつでもそこに答えはある。