2014年10月11日土曜日

無限の反復

さて、今日もみんなと良い場を目指して行きます。

最近もアトリエを出る時、「行って来まーす」という作家がいる。
その想いはしっかり受け取っていなければならない。

この仕事をしているからでもあるけど、
ダウン症の人達の世界について語って来た。
ちょっとだけ触れたが自閉症の人達の世界はまた別の型で出来ている。
自閉症の人達の場合はその幅がかなり大きいので、纏めることは難しいが。
ただ重要なポイントは共通している部分もある。
一時期は自閉症の人とずっと過ごしていたことがあって、
その頃はずっとその世界にいたように思う。

今日はちょっとだけ、ほんのさわりしか書けない。

三重であっちゃんの描いている旅行記を読んだ。
絵本のような漫画のようなつくり。
素晴らしかった。そして懐かしかった。
あっちゃんはカルタも面白いし、いろんな表現でその世界を見せてくれる。
最近、特に世界観を表す表現が深くなっていると思った。

一つの場所に行くまでの体験が描かれているが、
なかなか目的の場所にはたどり着かない。
もしかしたら、これはずっとずっと到着することがない物語なのかも知れない。
たとえ目的地に着いたとしても、それが目的なのではないことはすぐに分かる。
何故なら彼女には周辺や断片にこそ何かが見えているから。
その場所には決して中心や意味と言ったものは存在していない。

画面は断片の連続で、断片同士を繋げる「意味」や「価値」が存在しない。
あるいは解釈が入り込まない。

いくつもの断片は、それだけで固有の輝きを持っていて、
他とは完全に切り離されている。

会話の場面。顔は画面に必ずと言って良いほど登場しない。
身体だけ、あるいは足だけが見えている。
視点は次々に飛んで行き、様々な断片が映し出される。
言葉も身体も場所も、すべてが断片化され、文脈から切り離されている。
スピディー、場面は変わる、ぱっぱっと。

見えて来る景色はその度に新鮮なのに、
どこかで同じ場所をぐるぐる回っている感じがする。
いくつかの断片が何度も反復されて行きながら、
少しづつズレて別のものになって行く。
僕らの考えるストーリーや世界はここにはない。
僕らはいつでも世界を解釈し続けているから、感情が捉える意味しか無くなっていて、
細部がこんなに鮮やかに見えることはない。

解釈や感情をはぎとられた世界は、いつまでも無限の反復を繰り返していた。
看板の角、記号でしかない言葉、デザインのような景色、
廊下、階段、何度も出て来るトイレの場面、下からのアングル。
見上げた空。
一定のリズム。

この世界に身を委ねていると本当に心地良い。
それはある種の音楽を聴いている時の感じに近い。

そこにあるものを経験すると、僕達の世界は相対化される。
この世界だけが全てではないことは忘れてはならない。

ある人と共に過ごしていた時期、僕には確かにこんな風に見えていることがあった。
懐かしいなあ、と思った。
もっともっと深い部分に触れて行くことは可能だが今回はやめておく。
そして、僕はもう分析することはしない。
ただ、面白いですよ、とは言えるけど。

こんな世界を追体験させてくれる表現に驚いた。
世の中、くだらない映画や音楽に溢れていて、
どこかで見たものばかり見せられるが、
こんなに新鮮なものに出会える場面もあると、
いつか何らかの形でご紹介出来ないかな、と考えてみたりする。
あっちゃんの一言カルタも面白いです。
こちらは気まぐれ商店のHPでご覧になれます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。