2014年10月17日金曜日

音楽と環境

少し寒くなってきて、
この部屋でブログを書くのも暖かい服を着た方がよくなる時期か。

おそらく、ここ2年くらいのことだろうか。
制作の時間に音楽をかけておくようになった。
その前はたまにはあったけれど、僕自身はかけないようにしていた。
理由はいろいろあって。

まずは制作環境は全てが何らかの意味を持つということ。
特に視覚や聴覚は制作に影響して来る。(勿論、嗅覚も)
影響=悪な訳ではないが。

さまざまな条件を見極めて一番良い方向を選択して行くので、
感覚的刺激が強いものは避けている。

外を歩けば刺激ばかりなのだから、少しは静かな場所が必要でもある。

まあ、スタッフとして集中して、見逃さないで行けるかどうかが大事なので。

最近は音楽をかけていても、それぞれの要素が活かせるようになってきた。

音楽は方向性をハッキリ持っているので、割と強い。
呼吸の問題もあって、特に歌の場合、息づかいが気になってしまう。
呼吸が合わない。
場の鉄則から言うなら、殆どの歌手は息が浅い。
もっと言えば過呼吸気味。
大好きな手嶌葵も呼吸の観点からだけ見れば、良くない。

場に集中していて自然に息が止まってきている時に、
浅い呼吸を小刻みにされるとタイミングがズレる。

そんなことから、特に歌は避けてきたのだけど、
上手く使えるようであれば、音楽があるということは心地良い。

最近では場に音楽が馴染んでいて、欠かせない要素になりつつある。

個人的にも音楽には随分助けられてきたし救われてきた。
プライベートで言えば音楽がなければ一日が終わらない。

音楽を使うかどうかに繊細だったのも、音楽と言うものが直接性が強いものだからだ。
おそらく心に最もダイレクトに響くのは音楽だろう。
ある意味でもっとも効果があるとも言える。

場において一番気をつけなければならないのは、
芯に入るまでの感覚だ。
一番早いのは何も介在させないで直接入る。
これは最も基本でありもっとも早い。
そして早くて効果の高いものは危険性も強い。
扱い方を間違えると良くない。
薬と同じだ。

じわじわと時間をかけて入って行く分には、力は弱いが悪影響はない。
リスクを考えるとじわじわだけで行くのが安全かも知れない。
でも、それだけではやっぱり難しい。

音楽と一緒で直接的に強く早く芯に届くものでしか進めない部分もある。

音楽は確かに危険性も強い。
政治や運動に利用されることも多い。
絵画や映画を使って人を行動させることは難しいが、音楽の場合は良くある。
それだけ直接人の心を動かしてしまう。
善くも悪くもだ。
音楽と他の表現を比較したとき、その使われ方の違いに気がつくだろう。
政治以外にもそんな例は沢山ある。

芯に届くことは大切だけど、どのくらいの時間をかけるべきか、
どのくらいの直接性を持って進めるかは、
状況を見て適切に判断する必要がある。

ただ早くて効果があれば良いというものではないし、
逆にゆっくり安全に進めばそれで良いというものでもない。
どんな時でもその時に必要なのは何なのか見極めることだ。

もっと違うことを書く予定だったけど、時にはこんな話題もあって良いかも。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。