2014年6月17日火曜日

その時、その場のバランス

今日はプレのクラスに保育士さん達のご見学。
熱心な方達で、ダウン症の人たちの絵画の教室を始められたそうだ。
制作のこと、作品のこと、社会へのアプロ一チのこと、
それから教育や福祉の在り方のことなど、いろいろお話した。

僕達の東京のアトリエも問い合わせが多く、
生徒は定員なので、求めておられる方に環境を提供出来ない状態が続いている。
こちらの体制も整備して行きたいが、
他の良い活動が増えてくれることを願っている。
その為に手伝えることは手伝いたいといつも考えている。

最終的に目指すべき場所はみんな同じなのだろうと思う。
ただ手段は色々だろう。

僕らは福祉的な視点や扱いに対して疑問をなげかけてきたが、
それらが間違っているとは思ってはいないし、
現時点でのアトリエの在り方が唯一の答えだとも思わない。

一人一人の本当の幸せがどこにあるのか、そこにつきる。

日々の制作の場と同じで、答えがある訳ではなく、そこでの最善を見つけること。

作品が展示される、大きな場所や小さな場所で、
グッツが作られる、企業とのコラボがある。
それらは全て価値のあるものであり、
他ではない新しい可能性を示して来たと思う。

ただ反対意見もあるのは分かっているし、反対する人が間違っているとも思わない。
一人一人が考えがあり立場も違う。
当然、求めるものも理想も違うだろう。
それぞれの立場に立てば、そうだよね、とは思う。
それでもその中で繋ぐこと、決断することをしていかなければ、
歩みは止まってしまう。

まずはこんなに可能性がある、と言う部分を予感させることを大切にして来た。

答えではない、ベストではない。
でも、その時の色んな条件や社会の中で出来うる最善の選択だと思っている。
答えや理想に遠くても、その線上にあることは確かだ。

時間はかかっても多くの人に喜んでもらえるものになるはずだ。

同じように人間のこころにも答えはない。
いつも言うように複雑なバランスの中で保たれる、
つまりはその時々の最善を見つけて行くことにしか道はない。

多くの人は良いものや悪いものがあって、悪いものはなくした方が良いと考える。
あるいは病気と言うものが実在していて、
治したいとか、治りたいと思う。

でも、それも危険な考え方で、こころをそんな風に方向付けてしまうと、
一つ何かが良くなっても、どこかでおかしくなって行く。

答えがない状況でも、良いものも悪いものも混ざり合っている状況でも、
その中での良いバランスを見つけて行く。

制作の場においては、その時、その瞬間の中での良い形を見つけて行く。

色んなものがあることが実は良いことなのだと思う。

だからデコボコした現実を一つ一つ噛み締め、
味わって行くところに豊かな人生があるのではないだろうか。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。