2013年3月27日水曜日

突き抜ける

なんだか、すっきりしない天気が続く。
毎日、曇っているし気温も低い。
今日は少し雨も降っている。

昨日は夜だったのでちょっとの時間だけどお花見した。
どこまでも続く桜の色を見ていると、この世の出来事に思えないのは不思議だ。

桜の景色も、新緑も、紅葉も、そして真っ白な雪景色も、
自然が見せる四季の姿を見ていて、絵を思い出す。
というより、自然の奥から絵が見える。絵の奥から自然が見える。
もちろん、ここで言う絵はダウン症の人たちの描く世界だ。

やっぱり、どこまでも突き抜けて行きたい。

これを書こうと思って、アトリエのページを開いたら、
よしこがブログを更新していたので読んだ。
僕らは普段は滅多なことでは、現場の話しはしない。
お互いに今、どう感じて、何を見ているのかは察知するしかない。
だから、時々ブログを読むと、そんな風に感じてるのかあ、と気がつく時もある。

話題に上ることがあるとすれば、
作家たちの調子や、準備するための条件を話すくらい。

時には、今、制作の場でどんなことを感じているのか、
話したり共有したりしてみたいと思う時もなくはない。
でも、そんなことが出来るほど、甘くはないことはお互いに知っている。
制作に関わることは、深く入って行けばいくほど、孤独なことだ。
たとえ迷ったとしても、(僕は迷わないが)出口は自分で見つけるしかない。
答えは自分しか持っていないし、誰も手出し出来ない。

ある地点までいけば、同じようなものが見えてくる。
同じものを見ているけれども、みんなたった一人で見ている。
孤独にならなければ繋がることも出来ない。

そんなわけで久しぶりに、ブログを読みながら、
よしこの見方の深まりを感じた。
やっぱり愛情も強くなっているのかな、と感じる。
ずっと昔から変わらない部分と、更に穏やかになっている部分と。
愛の強さというものがあって、よしこという人はそれが本当に凄い。
僕はどこまで行っても客観視する視点は捨てないが、
よしこの場合、瞬間に相手に入り込んで包みこんでしまう。

作家たちに対しても、学生たちに対しても、
一緒に進めてきた仲間たちに対しても、切実な想いで愛情を持っている。
誰もいないとき、一人一人を思って彼女が涙を流す場面を何度も見た。
そんなとき、「泣いたらだめ。出来ることをするのが僕達の仕事」と、
分かり切ったことしか言ってあげなかった自分を反省している。

お互い本気すぎてぶつかる場面も多かった。

そして、繰り返しになるが、僕達の使命は、
たとえ一緒にすすめて行っても、どこまでも一人で挑まなければならない。
誰も立ち入ることは許されない。
入ってはいけないとさえ言える。
助けてあげられないのは辛いことではあるけれど、
お互いに自分の力で出口を見つけて、出てくる。
その場所でまた会える。

彼女が切実な思いで、みんなのための場を考えている。
そこを実現させて行かなければと僕は今思っている。

でも、僕はよしこの言う病んでしまった人を受け止める役割、
という部分に共感はするけれど、
一方で僕達の仕事はそこから先のことであるという気もしている。
これはまだ、答えは出ていないけれど。
どういうことかと言うと、本来はアトリエでなくても、
その役割は果たせているべきなのではないか、というケースも多い。
学校や職場や作業所や家庭で、もっとしっかり対応出来ていれば、
こんなことになるはずがないのに、という思いもある。
勿論、困った人を受け入れないということでは全くない。
そういう役割も出来るだけ果たしてはいきたい。

健康で何の問題もなく生きていて、
そこから先に感性を開いて、みんなと繋がって、
もっと、もっと奥があるのだから。
せめて、みんなの健康をしっかり守っていてくれる環境があれば、
僕達はそれから先の部分が出来る。

これは良く話題になることだけれど、
病んでしまっている人に少しでも笑ってもらったり、
楽しいと感じてもらったりするために、使うエネルギーと、
調子が良く感覚が開いて行く人と向き合っていくときとでは、
実際的には絶好調の人と向き合う方がエネルギーを使う。
単純には言えないけれど、悪い状況を少しでも良くすることより、
良いものを更に良くしたり、よい流れを途切れさせないようにする方が、
はるかに難しいことで、その価値を認める人が少ない。
病院は病んだときに行く場所だけど、
実際は病まないようにすることの方が大切だ。
僕達が一番エネルギーを注ぐべきはそこにあると思っている。

一人の作家を見ているとき、健康でも病んでいても、
僕達にはやることはいくらでもあるし、
作家の奥には無限の世界が広がっている。
どこまで、そこに入り、タッチ出来るのか、日に日に深めて行かなければならない。

僕が最近強く感じるのは、
やっぱり原点である、彼らの凄さ、というか素晴らしさに、
もっともっと注目して良いのではないか、ということだ。

もっと突き抜けて行きたいと感じる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。