なんだか、すっきりしない天気が続く。
毎日、曇っているし気温も低い。
今日は少し雨も降っている。
昨日は夜だったのでちょっとの時間だけどお花見した。
どこまでも続く桜の色を見ていると、この世の出来事に思えないのは不思議だ。
桜の景色も、新緑も、紅葉も、そして真っ白な雪景色も、
自然が見せる四季の姿を見ていて、絵を思い出す。
というより、自然の奥から絵が見える。絵の奥から自然が見える。
もちろん、ここで言う絵はダウン症の人たちの描く世界だ。
やっぱり、どこまでも突き抜けて行きたい。
これを書こうと思って、アトリエのページを開いたら、
よしこがブログを更新していたので読んだ。
僕らは普段は滅多なことでは、現場の話しはしない。
お互いに今、どう感じて、何を見ているのかは察知するしかない。
だから、時々ブログを読むと、そんな風に感じてるのかあ、と気がつく時もある。
話題に上ることがあるとすれば、
作家たちの調子や、準備するための条件を話すくらい。
時には、今、制作の場でどんなことを感じているのか、
話したり共有したりしてみたいと思う時もなくはない。
でも、そんなことが出来るほど、甘くはないことはお互いに知っている。
制作に関わることは、深く入って行けばいくほど、孤独なことだ。
たとえ迷ったとしても、(僕は迷わないが)出口は自分で見つけるしかない。
答えは自分しか持っていないし、誰も手出し出来ない。
ある地点までいけば、同じようなものが見えてくる。
同じものを見ているけれども、みんなたった一人で見ている。
孤独にならなければ繋がることも出来ない。
そんなわけで久しぶりに、ブログを読みながら、
よしこの見方の深まりを感じた。
やっぱり愛情も強くなっているのかな、と感じる。
ずっと昔から変わらない部分と、更に穏やかになっている部分と。
愛の強さというものがあって、よしこという人はそれが本当に凄い。
僕はどこまで行っても客観視する視点は捨てないが、
よしこの場合、瞬間に相手に入り込んで包みこんでしまう。
作家たちに対しても、学生たちに対しても、
一緒に進めてきた仲間たちに対しても、切実な想いで愛情を持っている。
誰もいないとき、一人一人を思って彼女が涙を流す場面を何度も見た。
そんなとき、「泣いたらだめ。出来ることをするのが僕達の仕事」と、
分かり切ったことしか言ってあげなかった自分を反省している。
お互い本気すぎてぶつかる場面も多かった。
そして、繰り返しになるが、僕達の使命は、
たとえ一緒にすすめて行っても、どこまでも一人で挑まなければならない。
誰も立ち入ることは許されない。
入ってはいけないとさえ言える。
助けてあげられないのは辛いことではあるけれど、
お互いに自分の力で出口を見つけて、出てくる。
その場所でまた会える。
彼女が切実な思いで、みんなのための場を考えている。
そこを実現させて行かなければと僕は今思っている。
でも、僕はよしこの言う病んでしまった人を受け止める役割、
という部分に共感はするけれど、
一方で僕達の仕事はそこから先のことであるという気もしている。
これはまだ、答えは出ていないけれど。
どういうことかと言うと、本来はアトリエでなくても、
その役割は果たせているべきなのではないか、というケースも多い。
学校や職場や作業所や家庭で、もっとしっかり対応出来ていれば、
こんなことになるはずがないのに、という思いもある。
勿論、困った人を受け入れないということでは全くない。
そういう役割も出来るだけ果たしてはいきたい。
健康で何の問題もなく生きていて、
そこから先に感性を開いて、みんなと繋がって、
もっと、もっと奥があるのだから。
せめて、みんなの健康をしっかり守っていてくれる環境があれば、
僕達はそれから先の部分が出来る。
これは良く話題になることだけれど、
病んでしまっている人に少しでも笑ってもらったり、
楽しいと感じてもらったりするために、使うエネルギーと、
調子が良く感覚が開いて行く人と向き合っていくときとでは、
実際的には絶好調の人と向き合う方がエネルギーを使う。
単純には言えないけれど、悪い状況を少しでも良くすることより、
良いものを更に良くしたり、よい流れを途切れさせないようにする方が、
はるかに難しいことで、その価値を認める人が少ない。
病院は病んだときに行く場所だけど、
実際は病まないようにすることの方が大切だ。
僕達が一番エネルギーを注ぐべきはそこにあると思っている。
一人の作家を見ているとき、健康でも病んでいても、
僕達にはやることはいくらでもあるし、
作家の奥には無限の世界が広がっている。
どこまで、そこに入り、タッチ出来るのか、日に日に深めて行かなければならない。
僕が最近強く感じるのは、
やっぱり原点である、彼らの凄さ、というか素晴らしさに、
もっともっと注目して良いのではないか、ということだ。
もっと突き抜けて行きたいと感じる。