2013年3月18日月曜日

食べ尽くす

春になって、教室以外の仕事が増えてきた。
最近は久しく連絡をとっていなかった方達とご一緒する機会も多い。

人生は難しいもので一番会いたい人とは、そうそう会えないことになっている。
相手を大切にし過ぎてしまう、ということもある。

この季節は絵の方はとても良いのだけど、
身体に負荷がかかりやすいので、調子を崩す人も多い。

夏に向けて合宿の準備が始まる。

土曜日も日曜日も本当に良い時間が流れていて、作品も抜群だった。

稲垣君と映画を見に行った。
大島渚の「御法度」。
描かれているテーマも、描き方も色々思うところがあって、
やっぱり流石だなあと思うけど、
それよりも、最後にあそこまでの気力と体力をもって仕事に挑めるということに驚く。
すべてのシーンに気迫が漲っていた。
ラストで切られた桜がゆれていて、そこにそれまでの全部があった。

表現者の執念というのは凄まじい。
すごいなあ、と思う。

仮に自分が最後の仕事として場に入った時、
これまでで一番の気合いが出せるだろうか。

僕の場合だと体力も気力も、基本は衰えるものだと感じる。
だからこそ、今出来る最大のことをしなければならない。
前のようには出来なくても、その時に行けるところまでいく。
もうこの次は出来なくなっているかも知れないのだから。

こんなことを言ってもピンとこないだろうが、
一番エネルギーがあった頃の僕は、誰かの背中に触れて「ねっ」と言うだけで、
状況ががらっと変わることがあった。そんな間合いをつくることが出来た。
これはある意味の気合いだ。

今はそこまで一瞬に力を凝縮することは出来ない。
その分、流れが自然になっているけれど。

土曜日の夜は、また保護者の方達にご馳走になった。
恒例になりつつあって楽しい時間だ。

御法度の色んなシーンが頭を過る。
この前から、何度も見たお能の舞もこころの中でリフレインされている。

ゆうたが生まれた時にほとんど処分したので、
今は本棚はすっきりしている。
あんな本もこんな本もあったなと思い出す。
ずっと昔、小林秀雄や白洲正子の本を読んでいた。
それから、色んなプロセスを経て中沢新一の本に出会った。
他にも何人かいたけれど、もう忘れてしまった。
哲学の池田晶子さんにはよく手紙を書いていた。
毎回、ご丁寧にお返事を頂いた。
何か見えない世界があって、この人達は知っているのだろう、と感じていた。
だから、彼らを神秘化していた。
色々あって、自分が経験するようになって行くと、
いつの間にか神秘は消えていた。
彼らが見たり書いたりしている物事はむしろ当たり前になっていた。

だから、本も食べ物だとおもうのだ。
食べてしまったら、自分の細胞に入ったら、もう必要ない。
というか、執着してはいけない。形は変わって行くのだから。
本だけでなく、絵も音楽も、経験も何もかもがそうだ。
みんな食べてしまって、自分の中に入ったら、もうそれでいい。
次に進んだ方がいい。

出来るだけ、本当のものに触れて、
本物の感覚を身につけて行けば、自分が本物になる。
そうなったら、良い仕事をすればいい。

本当は何もいらない。
何もいらないということを知るために、色々経験するだけだ。

暖かくなったら、りんけんバンドを聴くことが多くなった。
今の気候にこの明るく切ない音楽がとても良く合う。

さらに先へと進んだ時、そこに何があるのだろうか。
とにかく、いつでも思いっきり生きて行きたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。